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神様の不良品  作者: 橘 明
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 見覚えのあるキャンパスは、雑多な人でごったがえしていた。試験の日だというのにまるで文化祭でもやっているようだ。

 その人込みをかき分けて、俺は試験会場になる教室を探した。

 ところが、いくら階段を昇っても、どれだけ廊下の角を曲がっても、一向に目的の教室はみつからない。やばい。このままでは、試験がはじまってしまう。あせりながら、時計を見ると、既に試験開始時間は過ぎていた。


 なんてことだ! いや、まだ間に合う。少しぐらいの遅刻なら、試験官も大目に見てくれるはず…。とにかく急がないと…と、俺は走り出した。


 息をきらして角を曲がったところで、窓の外を見て笑っている2人の女生徒を見かけた。俺は彼女らに駆け寄り、道を尋ねた。


「すいません。試験会場はどこですか?」


 俺の言葉に彼女達が振り返る。その顔を見て、俺はかなり驚いた。なぜなら、それはみーさんと森崎だったからである。


「あれ? 2人ともこの学校の生徒だったんだ?」

 あっけにとられる俺に向かい、

「そうよ」

 と二人は同時にうなずいた。

「でも、河井君試験なんか受けてる場合なの?」

 森崎が言う。

「あたりまえだろ? なんでそんなおかしな事聞くんだ?」

「だって、画家になるなら試験なんか受けてるヒマはないはずでしょう?」

「画家にはなるさ」

 俺は自信たっぷりに答えた。

 で、答えてから、あれ? と思う。

 

 …何言ってるんだ、俺は。画家になるなんて夢は、あきらめたはずなのに。


 そう、あきらめたはずだ。両親や担任に説得されて。


 …大体、そんなものになれっこないんだよ。そうさ、夢なんて持つだけ無駄なんだ。


 現代の若い奴よろしくシニカルに自嘲すると、みーさんが「そんなことないわよ」と首をふった。


「夢を持つのが無駄だなんて思っちゃだめよ。思った瞬間に何もかも終わるのよ」


「みーちゃんの言う通りよ」


 と森崎がうなずく。


「人間はね、自分の持っている力を斉一杯に発揮して生きていかなくちゃいけないのよ。だから、河井君も自分の才能を斉一杯引き出す事を考えなくちゃいけないわ」


 不思議だ。この二人は、なぜ心の中で思っただけの事に返事ができるんだろう? それはそれとして、彼女らの言葉は、非常に説得力があったし、なにより力強く感じた。それで、俺も「そうだよな」と、うなずき、うなずいてから始めて俺はみーさんの異変に気がついた。


「あれ? みーさん、腕のケロイドは? 顔の傷も消えてる…」


 そう。今、俺の目の前にいるみーさんは、…おそらくこれが彼女の元の姿なんだろう…全ての傷が消え、とても美しかった。


 みーさんは答えた。


「ああ。あれなら、外したの。でも、すぐにまたつけるつもりよ」

「どうして? 今の方が綺麗だから、今のままでいれば?」

「あら? 私はあのままの姿が気に入ってるのよ。もしかして、優ちゃんはあの姿がみっともないと思っているの?」

「別に…そんなことはないけど」

 と、いいつつ目をふせる俺をからかうようにみーさんが言った。

「優ちゃん、嘘をついているのね」

「嘘なんか…」

 俺はごまかそうとして、その努力が無駄な事に気付く。だって彼女らには心が読めるのだから…。案の定、みーさんには俺の心などお見通しだった。

「別にいいのよ。優ちゃんのように感じて普通なんだもの。問題は私がどう思うかだわ。そして、私は恥ずかしいと思ってないからいいのよ。だって、私は私なりに斉一杯に頑張って、胸をはれる生き方をしてるもの。それで十分じゃない?」


 その言葉を聞いて、自分が恥ずかしくなる。

 俺は、五体満足のくせに、そして、人より少しばかりいい大学に行く頭を持っているくせに、何もかも中途半端な生き方をしている。そのおかげで、こんな迷路に迷い込み、何年も出られずにもがくはめになっているんだ。


 俺は、2人にたずねた。


「ねえ、どうしたら、この迷路から抜けだせるのかな?」


「出口は自分で見つけなくちゃ」と森崎が言う。


「優ちゃんの好きな道を行くのが一番よ」とみーさんが答える。


「いくら探しても出口は見つからないし、自分の好きなようにやったら、両親を裏切る事になる」


 俺は二人に言った。

 二人は何も答えなかった。

 そのかわりに、みーさんが

「そろそろ着替えなくちゃ」

 と、ケロイドと傷を身に纏った。


「あれ?」


 俺は驚いて声をあげた。

 なぜなら、傷を身に纏ったみーさんが、目の前でみるみるうちに一枚の絵になったからだ。

 しかも、その絵を俺は知っていた。

「おい、見ろよ」

 隣の森崎に言う。

「あれだよ、あれ。俺の言ってたあの絵。師匠の描いた傑作『つぎはぎのマリア』だ! 俺の運命を変えた絵だ」

 けど、既に俺の隣には森崎はおらず、あたりは真っ暗やみになっていた。その闇の中、みーさんが姿を変えたマリアの絵が映画のスクリーンにうつる映像みたいに光っている。その美しさと大きさに圧倒されていると、どこからか声が聞こえて来た。


 …兄ちゃん、ごめんな兄ちゃん…


 誰だ? と思った途端にマリアの姿がぼやけて、体が宙に浮かんだ。そのまま仰向けに宙を漂っていると、手にあったかい感触がある。誰かが手を握っているらしい。


…誰だ?


 閉じていた目をうっすら開けてみると、天井が見えた。そしてさっきの声が、さっきよりもはっきりと聞こえて来た。


「兄ちゃん、ごめんな兄ちゃん」


 相変わらず、宙に浮かんだようなぼやけた気分なのに、俺のもう一つの意識はその声の主が誰か分かっているらしく、


「正か…」


 と、うめくような声を出した。

 すると、弟が俺の顔をのぞき込んで叫んだ。


「兄ちゃん! 目を覚ましたか? 兄ちゃん!」


「お前…いつ東京に来たんだ?…」


「は?」

 弟が訝しげな顔をする。


 …そりゃそうだ、何おかしな事聞いてるんだ、俺は…。


 混濁した意識の中で、しかし弟にどうしても伝えなくちゃいけない事があった事だけを明確に思い出す。そうだ、言わないと。今、言わないと…。


 俺は、必死で口を動かした。なぜか、言葉がスムーズに出ない。それでも、ようやく言いたい事を言い切ると、全ての仕事を終えた人みたいに俺はゆっくりとまぶたを閉じた。


 気がつくと再び俺はあの絵の前に立っていた。


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