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神様の不良品  作者: 橘 明
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 その時の気持ちをどういう言葉で表わせばいいのか分からない。驚天動地とでも言えばいいのか?

 俺は、人慣れぬ子猫にでも近付くように、用心深く弟の距離を縮めていった。


「正」


 逃げるなよ。


「お前…」


 たのむから…。


「ひきこもるの」


 後少しだ。


「やめてたんだな?」


 …兄ちゃんは嬉しいよ。


 そう言いかけた時だった。

 それまででくの棒のごとくそこにつっ立っていたミノ虫男は、くるりと背を向けて脱兎のごとく…いや正確には脱ミノ虫のごとく駆け出した。


 俺は奴が落としていった汚ねえ買い物袋を跳び越し、スニーカーに無理矢理足を突っ込むと、奴の後を追いかけようとした。しかし、靴ひもと格闘している間に随分距離を離されてしまったらしく、路地から表通りにとび出した時には、奴の姿ははるか橋を越えた向こう…視覚的に説明すればタバコのケースほどの大きさとなっていた。

 とはいえ、8年も引きこもっていたあげくの重装備の男に追い付くのはそれほど難しい事では無く、幸いそこから先が一本道だったせいもあり、あっという間に俺は奴を追いこしていた。…って、追いこしてどーすんだよって振り向くと、

「なぜ逃げる?」

 と、鬼のような形相でたずねた。

 すると、弟は俺の形相に怖れをなしたか、なんとこっちにケツを向けて逆方向に走り出した。


「おい! どこに行く!」


 もちろん俺はすぐに奴を追いかけようとしたが、靴ひもを踏んですっ転んでしまった。ちくしょう、靴ひものばかやろう! と悪態つきつつ靴ひもを結び直し立ち上がって前を見て俺は悲鳴を上げた。


「何してんだ! バカヤロウ!」


 …なんと、あのミノ虫男は…弟は、橋の欄干に足をかけ飛び降りようとしていたのだ。


 『また』死ぬつもりか。あのバカ!


 俺が駆け出した時、ちょうどみーさんが追い付いて来て弟の腕をつかんで引っぱった。

「正ちゃん。ダメ!」

 力まかせに引っ張ったからか、それとも奴の態勢がアンバランスだったためか、正の体は欄干から離れ、みーさんと重なったままアスファルトの上に転がった。


 ギリギリセーフだ!


 俺は走りながら安堵の息をついた。ところがだ、せっかく命を助けてもらったにも関わらず、あの弟はみーさんに向かってあろうことかこう叫びやがった。


「邪魔すんな」


 そして、自分に折り重なるように倒れていたみーさんを突き飛ばした。


「おい!」


 俺は驚いてみーさんに駆け寄った。そしてみーさんを抱き起こすと弟を怒鳴り付けた。


「何するんだ? お前、彼女がどういう体か知ってるだろう?」

「…」

 正はなにも答えない。しかもグラサンとマスクで顔を隠しているから表情からそのその思いを推し量る事もできやしない。

「おい、顔ぐらい見せたらどうだよ」 

 しかし、奴が俺の言葉に答えるはずもなく、すべての受付は終了しましたとでもいうようにあっちを向くと、再び欄干に足をかけた。


「おい!」

 俺は慌てて弟に駆け寄り、後ろから羽交い締めにした。

「やめろよ」

 すると弟はやっと俺の声に答えた。

「離せよ

「何で死ななくちゃいけないんだよ?」

「あのゴミが裏切るからだろ?」

「ゴミって誰だよ」

「あのボロ女だろ?」

「お前、サイテーだな」

「裏切るから悪いんだろ? 兄貴呼ぶなんてサイテ?じゃないか」


 もやし男の分際で、弟は異様に力が強かった。それで、揉み合ってるうちに、俺の手が奴の顔を隠したグラサンにひっかかり外れてしまった。月明かりの下、ギョロギョロした目が現れる。空洞みたいな目だ。その暗さに思わず身震いが走る。

「そこまで、俺達に見られたくないか?」

「いいから、離せよ」

「なのに、なんでみーさんならいいんだ?」

「うるせえ、離せ」

「みーさんのことを好きだからじゃないのか?」

「違うよ。あいつは『オレ以下』だから、俺が付き合ってやってるだけだよ」

 その言葉に俺は少なからずショックをうけた。

「お前…何でそんな風にしか考えられないんだ?」

 あんなに優しかったこいつをこんなにしたのは一体なんなんだ?

 などと、気を取られていたせいで弟をつかんでいた手の力が弱まったためだろうか? とにかく、弟は一瞬の隙を見のがさなかった。欄干からぐっと身を乗り出し、いよいよ飛び下りようとする。

「おい!」

 我に返った俺は、弟を助けようと欄干をつかみ思いきり前に身を乗り出した。そして、寸でのところで奴の体をとらえ、力まかせに地上に押し戻した。

 ところが、あまりにも勢いをつけ過ぎたせいだろうか?

 弟を地上に押し戻した瞬間、妙に体が軽くなったのを感じた。


 気がつくと何の事はない、俺の体は仰向けのままで宙に浮いていたのだ。


 30センチほどさきに欄干が見える。俺は手を伸ばしそれを掴もうとしたが、あっという間に欄干は見えなくなっていた。


 仰向けのまま俺は落下していく。


 頭上にぼう然と俺を見下ろす弟の顔が見える。


 …なんでだ?


 俺は虚空に向かって呼びかけた。


 …なんで俺が死ななきゃいけないんだ? こんな所で…!




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