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神様の不良品  作者: 橘 明
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「ねえ、今度の土曜日二人とも何か予定ある?」

 10月の、ある晴れた昼休み。みーさんが言った。

「もし、ヒマなら、3人で遊びに行かない?」

「いいよ。私は大丈夫だよ」

 森崎が答える。

「でも…どこに行く?」

「優ちゃんはどこ行きたい?」

 みーさんが話を俺に振って来たから、「どこって?」と、スケッチブックから顔を上げ、俺、「そうだなあ」と考える。手元には精密な線で模写されたプレス機が、仕上がりかけていた。ここは、第一工場の敷地内。この間までテリトリーにしていた休憩場所から見えるものは、あらかた写し取ってしまったので、他に模写すべき対象物を探してここに移動してきたのだ。みーさんと森崎には黙っていたはずなのに、なぜか探し当てられてしまった。

「紅葉にはまだ早いよね」

 と森崎。

「早すぎるだろう」

 と、俺。

「別に紅葉がなくたって、この辺りを走るだけで十分楽しいよ。あたしが車出すしさ。行こうよ。きっとスカッとするよ」

 と、みーさん。その言葉に俺は慌てる。

「それは、悪いよ。車なら俺が出しますよ」

「あ、あたしの運転の腕を信用してないな」

「そうじゃないですけど…」

「いいじゃん。みーちゃんにお願いしようよ。腕前見せたいんだって。みーちゃんが疲れたら、私達で交代すればいいだけの話だしさ」

 森崎が話に割って入って来てみーさんとなにやら目配せする。

「ねー!」

 二人とも妙にテンションが高い。もしかして、俺の事励ましてくれてるつもりか?

 そういえば、ここんところ、就職活動がうまくいかないせいで、我ながら暗くなってたからな。2人に気を遣わせて悪い事したかな。

「森崎の運転が一番コエーよ」

 冗談のつもりで言ったら森崎がマジメにふくれる。

「何でよ? 失礼ね」

「だって、お前、免許とった次の日にぶつけたって言ってたじゃん」

「そんなの昔の話でしょ?」

 二人で言い合ってると、みーさんが口を挟んで来た。

「ねえねえ。アクアリウム・リバースに行かない?」

「え?」

 って同時に言って、ついでに同時に俺らはみーさんを見た。

「アクアリウム・リバースって、何ですか?」

 聞き覚えがない名前だ。

「今年の春にオープンした、淡水魚の水族館よ」

 森崎がフォローする。

 ふーん。淡水魚って事は、川の魚ばっかり集めてるってことか。しかし、そんな難しい事はこの際どうでもいいだろう。水族館、水族館ね。女2人と男1人の、微妙な組み合わせでいく先としちゃ悪くないかも。

「そうしよ、そうしよ。私も一度行ってみたかったの」

 森崎のひとことでアクアリウム・リバース行きが決定した。



 みーさんが、細い手で器用にハンドルを動かす。本音を言えば、はじめは、この人に運転を任せる事が怖かったのだが、あっという間にそんな不安は解消してしまった。要するに、みーさんは普通レベルで運転がうまかった。

 青空の下、快適に車を走らせ、1時間程でアクアリウムに着く。人込みをかき分け、イワナやら鱒やらカワウソ達が遊ぶ水槽をめぐり、敷地内の喫茶店で軽く昼食をとる。


「川の魚も結構面白いね」

 と、サンドウィッチをほおばり森崎が言う。

「意外にね」

 みーさんが答える。

 俺は、白い建物の上のイワシ雲をぼんやり見上げ、ついでに、本物のイワシが食いたいとか思う。正直、ここの野菜サンドは、たいしておいしいくはなかった。とかいって、しっかり全部食ったけどさ。

「晴れてよかったねー」

 と、みーさんが伸びをしながら言った。

 『食べた後に伸びしちゃ行儀悪いのよ』とか言ってた、母親の顔を思い出すでもなく思い出してた俺に、みーさんが、ほぼ何の脈絡もなく、唐突に同意を求めて来た。

「やっぱり、正ちゃんもくればよかったのにねえ」

「はい?」

 誰って?

「あれ? 正ちゃんから。何も聞いてない?」

「聞いてない…あいつ、忙しいらしくてさ…しばらく顔を合わせてないんだ」

 俺は死んだら地獄に落ちるだろう。

「そうなんだ。あたし、今日の事、正ちゃんも誘ったんだけど。断わられちゃったの」

「そりゃあ、そうだろうね…」

 思わず本音が口にでる。あいつが来るはずがない。いや、そんな事よりも…。

「みーさん、正と連絡とってるの?」

「とってるよ。あたし達、メル友なの」

「メル友?」

 嘘だろう? あいつ携帯なんて持ってねぇよ。必要ねぇもん。…あ、そうか。パソコンのメールか。 しかし、あいつ、いつの間にアド交換なんて生意気な事してたんだ? てな事思ってた俺は、さらに驚愕の真実を知る。

「正ちゃんからメル友しよって言ってくれたんだよ」

「うそだ…」

 あいつからだって? 天変地異が起きてもありえない。ってな、てな事思ってた俺は、さらに、さらなるおそるべき真実を知る。

「正しちゃんて、おもしろい子だよ。『みーさんの事を考えると、僕は勇気がわいて来るようです。そんな体なのにまじめに働くなんて、大変でしょう? 今日もお互いに仕事頑張りましょうね』って毎日メールしてくれるのよ」

「うそだ…」

 俺は再びつぶやいた。あいつに、そんな人間みたいな心があるはずがない。あいつも死んだら地獄に落ちるに違いない。

「河井君の弟さんてみーちゃんとは仲いいんだ…」

 森崎が不満げにつぶやいた。

「私とは、顔合わせようともしなかったのに…」

 まずい、やつが避けてた事に気づいたか。

「私って、もしかして嫌われてたりするのかな…?」

「そんな事ないって。タイミングの問題だって」

 とか、嘘の上塗りをして、「そろそろ、あっちの建物行こう。あっちはまだ、見てないだろ?」と、東の青い建物を指さした。


 それから、熱帯の湖のカラフルな魚達や、でかいメコン大ナマズや、小型ワニ、ピラニアなんぞを見て、こいつら、ナカナカ絵心をそそるなと思いながら、その後は隣接するオアシス・ランドなる公園で、子供連れの家族に混じり観覧車を見つめながら、精一杯秋の一日を満喫する。そうこうしているうちに、夕方になった。俺達は、ライトアップされた『オアシス・キャンドル』や噴水を後にし、車に乗り込んだ。


 帰りの運転は、頑として俺が引き受けた。行きは結局全部みーさんにまかせてしまっただけに、今度こそ、男としても引き下がるわけには行かない。

 バイパスを走る道すがら、森崎が聞いて来る。

「就職活動、どう?」

「うん。ぼちぼちやってるよ。でも、全然ダメ。しばらくは、あの工場に厄介になるかな。…へたすると、一生…」

「何? 優ちゃん工場やめるの?」

 みーさんがちょっと驚いたみたいな顔する。

 …なんだ、なんだ。何も知らねーのか? この人。…って、俺も、なんにも話してねーんだけどさあ。けど、森崎から少しぐらいは事情を聞いてるものと思ってた。だから、今日の、コレ、誘ってくれたのかと…俺が転職うまく行ってないの知ってて元気づけてくれようとしたのかと…もしかして、単にへこんでたから誘ったってだけ?

 つーか、遊ぶのに理由なんかいらねーか。

「俺ね、転職しようかと思ってるんだ」

 俺はみーさんに告白した。

「は? 何って?」

 しかし、何言ってるか分かんねえらしい。

「工場辞めようと思ってるんです」

「え? 辞めちゃうの?」

 …通じたようだ。

「そう。でも、次に働く所がナカナカ見つからなくてね…困ってるんです」

「そうかー。優ちゃん辞めちゃうのかー。あたしも辞めたいなあ。杉村のババア大嫌いだし」

 と、彼女は自分と敵対している、例の新入りのおばちゃんの名前を憎々しげにつぶやいた。…やれやれ、と思う。


 それきり、しばらく話題が途切れ、カーラジオから音楽ばかりが流れる。音の途切れ目で、ふと気がつくと、みーさんが、すーすーと寝息を立てていた。それで、俺は森崎と二人きり、薄闇の中にとり残される。


「無邪気でうらやましいな。みーさんは」

「疲れてたのよ。行き、ずっと運転してたし」

「結局、行きの道全部ね。すげえよな」

「あたし、障害者の人が免許とれるって知らなかった」

「俺も」

「ガッツのある人だよね」

「確かに」

「ねえ、ところでさ」

「何?」

「この間、デザイン学校時代の先輩が独立して事務所持ったんだって」

「ふぅん。すごいね」

「それで、今、イラスト描ける人を探してるんだって」

「そう」

「よかったら、河井君、やってみない?」

「え?」

 俺は驚いてミラー越しに森崎を見た。

「…いや?」

「いやじゃないよ。そりゃ、嬉しいけど…なんで、俺を…」

「河井君の絵が好きだから、このまま埋もれさせたくないの…」

 なんだそんな理由かよ、と少しがっかりする。

 …って何を期待してたんだ? こんなところで、レンアイしてるヒマはないって決めてたじゃないか。いや、まてよ? 俺は東京はあきらめたんだっけ…

 とか、何とかうじゃうじゃ考え込んでると「あのさ」とやけに真剣な声で森崎が言った。

「私、前に勤めてた会社でつきあってた人がいたんだ」

「ふうん…そう…で、今でも付き合ってるの?」

「ううん…」

 森崎の否定に、なぜかホッとする自分がいる。

「妻子持ちだったし、このままずるずる続けてちゃダメだと思って…それで、前の会社辞めたの」

「そうなんだ」

 確か『デザインの方向性が合わなくてやめた』とか言っていたが、嘘だったか。しかし、俺はあえて深くはつっこまなかった。

「会社辞めてからしばらくは、立ち直れなくて、働く気が起きなくて、引きこもっていたんだけど…」

 森崎が何気なく口にした『ひきこもる』という言葉にドキッとする。

「でもさ、生きてると不思議なことが起きるもんだね」

「不思議な事?」

「そうよ。奇跡よ」

「奇跡?」

「変?」

「別に変じゃないよ。でも、何が奇跡だったの?」

「そうね、今、こうして、河井君やみーちゃんと3人でドライブしてる事かな?」

「何それ?」

 思わず吹き出したら、みーさんが目をさましてしまった。それで、俺は森崎のその言葉の真意を知ることはできなかった。


 けれど、確かに、生きていると、時々奇跡みたいな出来事が起きる時がある。だから、生きようと思えるのだ。その先に出会うかもしれない、奇跡を信じて…。


 続く





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