聖女失格、追放されましたので――虹の彼方の回廊で二百年前の私に会ってきますわ ~捨てられた薬草聖女は、時を渡って自分の国を作りました~【短編/連作】
『――聖女ミレイユ。お前の癒しの力は、もはや不要だ』
神殿の大広間。ステンドグラス越しの光が、大理石の床に七色の斑を落としている。その中央で、王太子アルベールが高らかに宣言した。
『お前との婚約を破棄し、聖女の座を剥奪する。国外追放だ』
(はい、来ましたね。婚約破棄兼追放イベント)
私はそっと目を伏せた。おっとりと、深窓の令嬢らしく。けれど内心は、驚くほど凪いでいる。
(というか私、前世で"聖女もの"の小説読みすぎて展開が読めるんですけど? 次はきっと、隣のあの子が出てくる)
案の定だった。
アルベールの傍らに、可憐な少女が寄り添っている。男爵令嬢ソフィ。その全身から、まばゆい黄金の光が放たれていた。
『ソフィの大聖女ギフトを見よ! これぞ真の癒しの光だ。お前の地味な力など、比べるべくもない』
広間がどよめく。貴族たちが恍惚とその光に見惚れている。
『ごめんなさい、ミレイユ様。でも……本物の光は、隠せないものですのね?』
ソフィが、勝ち誇った微笑みを浮かべた。
(……ふぅん)
私は、そっとソフィのギフトを『鑑定』した。前世の研究員時代から染みついた、観察の癖。
──【幻惑:偽りの光を放つ】
(インチキじゃないですか)
思わず口角が上がりそうになるのを、令嬢の微笑みで抑える。癒しの効果はゼロ。ただ光っているだけの、見掛け倒し。
ここで暴いてやろうか、と一瞬思った。だが、やめた。
(言っても、この人たち信じないでしょ。証拠は後で――帳簿と一緒に、ね)
『ミレイユ! 何か申し開きはあるか』
アルベールが、勝ち誇った顔で見下ろしてくる。
私は顔を上げ、ゆっくりと膝を折った。完璧な淑女の礼を。
『……わかりましたわ。出ていきますの』
一瞬、広間が静まり返った。
『な……それだけか? 縋りもせぬのか、この期に及んで!』
『ええ。不要と仰るものを、無理に押し付けるほど厚かましくはございませんの。それでは、ごきげんよう』
ソフィが、くすくすと笑った。
『うふふ……あっけないのね。せいぜいお元気で、元・聖女さま?』
私は、ただ静かに立ち上がり、踵を返した。
(もう、この国のために消耗するのはやめます)
(せいぜい今のうちに笑っておいてくださいな。あなたたちが青ざめる顔、二百年越しに拝見しますから)
私は誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
◇◆◇
追放された聖女に、護衛などつかない。
私は薬草の詰まった鞄ひとつを背負い、国境へ向かう街道をひとり歩いていた。
(さて、これからどうしましょうか)
前世は製薬会社の研究員だった。過労で倒れて、目が覚めたら聖女ミレイユ。神授のギフトなどという曖昧なものではなく、私の『癒しの力』は、薬草を調合したポーションの効果だ。
つまり――知識さえあれば、どこでも生きていける。
(誰にも奪えない。私の頭の中にあるものは)
三日ほど歩いた頃、国境の『虹霧の谷』にさしかかった。雨上がり。谷に立ち込める霧が、陽光を受けて虹色に輝いている。
その時、私は見た。
虹が――七色の門の形を成していた。
『……なにあれ。虹が、門の形をしていますわ』
思わず丁寧語が抜けた。研究員の血が騒ぐ。私は霧の中へ足を踏み入れた。
門の奥に、古代遺跡が眠っていた。崩れかけた石柱に、見たこともない魔法式が刻まれている。
(この構造……時間軸に干渉する術式? まさか)
石碑の古代文字を、私は前世の解析スキルで読み解いていく。
『時の回廊――強い後悔と決意を持つ者のみ、これを渡る』
心臓が跳ねた。
『……時を、遡れる、ですって?』
私には、ある。
他人の国のために尽くし、報われず、切り捨てられた後悔が。そして――もう二度と、誰かのために消耗しないという決意が。
『後悔と、決意。……私には、どちらもございますわ。報われず切り捨てられた後悔と、もう二度と誰かのために消耗しないという決意が』
魔法式に手をかざす。翠玉の瞳が、七色の光を映して輝いた。
『行きますわ。私の、私だけの人生を作りに』
虹の門が、まばゆく開いた。
光に包まれながら、私は思った。
(アルベール。ソフィ。あなたたちに仕込んだ"時限装置"、二百年かけて起動させて差し上げますわ)
回廊の果て――そこは、二百年前。この国が、まだ生まれてすらいない建国期の世界だった。
◇◆◇
二百年前の辺境の村は、死の匂いに満ちていた。
『咳が止まらないの……お願い、誰か……誰か助けて……!』
村の入り口で、少女がしゃがみ込んで泣いていた。名はリゼット。家族全員が高熱に倒れているという。
(水系の伝染病ですね。衛生状態を見れば一目瞭然)
私は鞄を下ろし、袖をまくった。
『あなた、井戸はどこ? それと、村で一番大きな鍋を借りますわ』
『え……あなた、誰……?』
『通りすがりの薬師ですわ。さ、時間が惜しいの。動いてくださる?』
そこからは、前世の知識の独壇場だった。
汚染された井戸の使用を止めさせ、水を煮沸させる。解熱と抗炎症の薬草を配合したポーションを大量生産。病人を隔離し、換気と手洗いを徹底させる。
三日後――村から、新たな死者は出なかった。
一週間後、寝込んでいた者たちが次々と起き上がった。
『奇跡だ……奇跡です、聖女様……!』
村人たちがひざまずく。私は苦笑した。
『奇跡ではありませんわ。ただの知識と、手順ですの』
リゼットが、涙で顔をぐしゃぐしゃにして駆け寄ってきた。
『ミレイユ様! ミレイユ様は……まるで、別の世界を知っているみたい……!』
(鋭いですわね、この子)
私は彼女の頭をそっと撫でた。
『さて。せっかく助けた村ですもの。ついでに豊かにしてしまいましょうか』
『豊かに……って、そんなこと本当にできるの……?』
『できますわ。ご覧なさいな』
魔物素材の効率的な加工法、ポーションの量産と交易、簡易的なステータス管理術。私は次々と手を打っていった。
荒稼ぎである。
(他人の国のためには、もう働きません。でも、自分の礎になる場所のためなら――話は別ですわ)
貧しかった辺境の村は、みるみる活気を取り戻していく。
そして私は、まだ知らなかった。
この村こそが――二百年後、私を追放したあの国の、礎になるということを。
◇◆◇
『……焼き菓子は、あるか』
工房の扉を開けた瞬間、私は硬直した。
扉の前に、長身の男が立っている。漆黒の髪、金色の竪瞳。鍛え抜かれた体躯に、騎士団長の証たる漆黒の外套。全身から、氷のような威圧感を放っている。
噂に聞く『氷の竜将』ジークハルト・フォン・ドラッヘンベルク。竜人の騎士団長にして、この時代最強と名高い武人。
その彼が、無表情のまま、絞り出すように言ったのだ。
『……焼き菓子は、あるか』と。
(……薬の相談では?)
『団長さん。うちは薬草工房ですわ。焼き菓子屋ではございませんの』
『……先日、村人に配っていただろう。蜂蜜の焼き菓子を』
『あれは病み上がりの子供への栄養補給で――』
『……ひとつ、所望したい』
無表情。だが、よく見ると耳がわずかに赤い。
(無表情……なのに耳が赤いですわ。この人まさか、甘党? 竜人の騎士団長が?)
面白くなってきた私は、焼きたての菓子を一枚、皿にのせて差し出した。
『どうぞ。……お代は、薬草の護衛依頼で結構ですわ』
『……いただく』
ジークハルトは無言で菓子を口に運んだ。
その瞬間。
――ふわり、と。
彼の背後で、漆黒の尻尾が、ゆらゆらと揺れた。
本人はまるで気づいていない。無表情のまま、けれど尻尾だけが、実に嬉しそうに左右に揺れている。
(あっ。尻尾が。……尻尾がゆらゆら揺れてますわ。可愛いんですけど?)
『氷の竜将』の異名が、音を立てて崩れていく。
『……美味い。もう一枚』
『ふふ。たくさんございますわ。……ところで団長さん、尻尾が正直すぎるのはご存じ?』
『……なんの話だ』
(ご本人、まったく気づいていない……!)
『いいえ、なんでもございませんわ。ふふ』
それ以来、彼は『薬の相談がある』と称して、足繁く工房に通うようになった。
相談内容は、一度も薬の話になったことがない。
(無口で寂しがりで、甘いもの好きの竜人さん。……悪くないですわね、こういうのも)
他人の国のために消耗するのはやめたはずの私が、この時代で少しずつ、居場所を作り始めていた。
だが――私には、まだ果たすべき"仕込み"が残っている。
二百年後の、あの断罪の広間へ。
◇◆◇
村が栄え、工房が軌道に乗った頃。
私は、本来の目的に取りかかった。
(さあ。ここからが本番ですわ)
建国期のこの時代――今この村や周辺の集落が、やがて統合され、ひとつの王国となる。私を追放した、あの国に。
ならば、今この時代の"記録"に仕込みを入れれば、二百年後、それは"最初から存在した歴史"として残る。
私は羽ペンを取り、書物を綴り始めた。
一冊目――『聖女の癒しの力の真実』。
それが神授のギフトなどではなく、薬草学と衛生知識の結晶であること。真の聖女とは、知識をもって民を救う者であること。そして、この建国期に村々を救った"銀髪の薬師"の血脈こそが、正統な聖女の血筋であること。
(私の血筋ですわ。二百年かけて、ちゃんとあの国に受け継がれるように手配済み)
二冊目――『幻惑ギフト鑑定記録』。
【幻惑:偽りの光を放つ】というギフトの詳細な鑑定方法と、その見分け方。癒しの実効性がゼロであることの立証手順。
(ソフィ。あなたのインチキを暴く"取扱説明書"ですわ。二百年後の神殿の宝物庫で、埃をかぶって待っていてくださいな)
これらを、建国王家の正史として国家記録に埋め込む。時の回廊の術式を応用し、二百年後の神殿宝物庫へと"最初から存在した古文書"として転送する仕掛けを施した。
リゼットが、書き物をする私を不思議そうに見ていた。
『ミレイユ様。それ、誰のために書いているの?』
私は微笑んだ。
『二百年後の、愚かな人たちのためですわ。……ああ、それと、報われるべき"過去の私"のためにも』
『二百年後……? ミレイユ様、時々、ほんとうに変なことを仰るのね』
『こちらの話。ふふ。……感情論では、人は動きませんの。帳簿と、証拠と、血筋の証明。誰にも覆せない、事実という名の刃を残しますわ』
すべての仕込みを終えた夜、私は完成した術式を見上げた。
(沈黙は、最大の反撃でしたわ。あの時暴かなくて、正解でした)
二百年後。あの断罪の広間で笑っていた者たちが、この"時限装置"によって、静かに崩れ落ちる。
その日は、もうすぐそこまで来ている。
◇◆◇
――時は、二百年後。私が追放された、あの国。
『どうなっているのだ! なぜ疫病が止まらん! 魔物もだ! 国が崩れていくではないか!』
王太子アルベールが、玉座の間で喚いていた。金髪碧眼の美貌は、今や恐怖と焦燥に歪んでいる。
ミレイユを追放してから、わずか数ヶ月。
国は、崩壊しかけていた。
各地で疫病が蔓延し、魔物の被害が拡大。かつてミレイユのポーションと衛生指導によって保たれていた安寧は、彼女の追放とともに脆くも崩れ去った。
『ソフィ! お前の大聖女ギフトで癒せ! 早く! なんのための大聖女だ!』
寵姫ソフィが、青ざめた顔で光を放つ。まばゆい黄金の光。
だが――誰ひとり、癒えない。
『や、やってるわ! ちゃんと光ってるでしょう!? な、なんで……! いつもは、これで皆が感謝して……!』
『光っているだけではないか! 一人も癒えておらんぞ!』
(そりゃそうよ。ただ光ってただけなんだから)――と、真実を知る者がいれば、そう言っただろう。
そして、その真実が、白日の下に晒される日が来た。
『陛下! 神殿の宝物庫より……古文書が発見されました!』
神官が、震える手で二冊の書物を捧げ持っていた。
『建国期の正史にございます。そこには、聖女の力の真実と……そして、ソフィ様のギフト【幻惑:偽りの光を放つ】が――癒しの実効性を持たぬ、偽りの光であることの鑑定記録が……!』
広間がどよめいた。
ソフィの顔から、血の気が引いていく。
『ち、違う! そんなの捏造よ! 誰かが今、でっち上げたに決まってるわ!』
『いいえ』
別の神官が、古文書を掲げた。
『この古文書は、二百年前の建国期から神殿に保管されていたもの。今の誰にも、捏造は不可能です。……そして、もうひとつ』
ページがめくられる。
『真の聖女とは、薬草学の知識をもって民を救う者。その正統なる血筋は――ミレイユ・ラ・フォンティーヌ。建国の恩人の血を引く、ただ一人の真の聖女である、と』
沈黙。
そして、崩れ落ちる音。
アルベールが、玉座の前に膝をついた。
『……嘘だ。ミレイユが……本物、だと……? あの、地味な女が……?』
偽りは、感情論ではなく、二百年の時をかけて仕込まれた"事実"によって暴かれた。
誰にも、覆せない形で。
◇◆◇
断罪は、淡々と下された。
ソフィ・ド・ブランシェットは、大聖女ギフトの詐称――詐欺罪により失脚。華やかだった男爵令嬢は、すべての栄誉を剥奪され、牢へと引き立てられていった。
『いや……いやよ! 私は大聖女なのに! みんな私を崇めてたのに――!』
その叫びに、応える者はもういない。
王太子アルベールは、真の聖女を私欲で追放し、国を崩壊寸前に導いた責を問われ、廃嫡。
『待て……待ってくれ……ミレイユを、探せ! あれを連れ戻せば、国は救われる! 早く探すのだ!』
『無理ですわ』
その声に、広間が凍りついた。
大広間の入り口に、銀髪の女が立っていた。翠玉の瞳。おっとりとした、深窓の令嬢の佇まい。
ミレイユ。
時の回廊を渡り、すべてを見届けた"本物"が、静かにそこにいた。
『ミ、ミレイユ……! 戻ってきてくれたのか! すまなかった、私が愚かだった! 頼む、国を、国を救ってくれ――!』
アルベールが、みっともなく縋りついてくる。
私は、ゆっくりと首を横に振った。怒鳴りもせず、嘲りもせず。ただ、静かに。
『――不要と、言ったのは。そちらですわ』
広間が、しんと静まり返った。
『そ、それは……あの時は……!』
『私の癒しの力は不要だと、あなたは仰いました。ですから私は、出ていきましたの。約束は、守るたちですわ』
『頼む、なんでもする! 地位も、財も、望むままに! だから――!』
『疫病も、魔物も、あなた方が招いたこと。私はもう、他人の国のために消耗するのは、やめましたの』
私は踵を返した。追放されたあの日と、同じように。
ただし今度は、切り捨てられる側ではなく――切り捨てる側として。
『ごきげんよう。二度と、お会いすることもないでしょう』
背後で、アルベールが崩れ落ちる音がした。
(失ってから気づいても、遅いのですわ。……もう二度と、この光の下で膝を折ることはございません)
私は誰にも聞こえない声で呟き、広間を後にした。ステンドグラス越しの光が、七色の斑を床に落としている。あの日と同じ景色。
けれど、もう二度と、この光の下で膝を折ることはない。
◇◆◇
断罪を見届けた私は、国を出て、静かな街に小さな工房を構えた。
(さて。これから、どうしましょうか。知識さえあれば、どこでも生きていける。今度こそ、私自身のために)
その日、工房の扉が、コンコンと叩かれた。
『はぁい。開いておりますわ』
扉が開く。
そこに立っていたのは、長身の男だった。白髪の交じった漆黒の髪。金色の竪瞳。年輪を重ねた将軍の風格。
けれど、その顔立ちに――私は、見覚えがありすぎた。
『……嘘。まさか。その髪、その瞳……』
竜人。長命種。二百年の時を、生き抜いてきた男。
ジークハルト・フォン・ドラッヘンベルク。
『氷の竜将』は、白髪の将軍となって、私の前に立っていた。
彼は無表情のまま――けれど、その金色の瞳を、ほんの少し、潤ませて。
『二百年、待ったぞ』
低い声が、静かに響いた。
『ジークハルト様……? まさか、あの時代の……』
『お前が、いつか戻ってくると思っていた。……ずっと。竜人は、長く生きるのでな』
胸の奥が、じんと熱くなる。あの時代で、尻尾を揺らしていた彼が。無口で、寂しがりで、甘いもの好きの、あの竜人が。
(無口で、寂しがりで、甘いもの好きの、あの竜人が。二百年。私を、待っていた……)
彼は、ふと、いつもの調子で問うた。二百年前と、まったく同じ言葉で。
『……菓子は、まだあるか?』
私は、思わず噴き出した。
『ふふっ……ふふふ。そこですの? 二百年ぶりの再会の第一声が、それですの?』
『……大事なことだ』
それから、満面の笑みを浮かべる。
『ええ。たっぷりと。焼きたてですわ。……まるで、あなたが来るのを知っていたみたいに』
オーブンからは、焼きたての蜂蜜菓子の香りが漂っている。
『……いただく』
彼が一枚、口に運ぶ。
――ふわり、と。白髪交じりの尻尾が、嬉しそうに揺れた。
(……ふふ。二百年経っても、そこは変わらないんですのね。尻尾、揺れてますわよ)
私は、彼の金色の瞳をまっすぐ見つめて、言った。
『それと――ジークハルト様。今度は、私の国を作る話。……聞いていただけます?』
彼の尻尾が、ぴたりと止まった。それから、これまで見たことのない――柔らかな表情で、彼は頷いた。
『……ああ。喜んで。二百年でも、二千年でも、付き合おう』
『気が長いんですのね、竜人さんは』
窓の外に、雨上がりの虹がかかっている。七色の門のように。
かつて時を渡った私が、今度は、時を越えて再会したこの人と、新しい物語を始める。
他人のためではなく。私と、この人のための――国を。
(さあ。第二の人生の、本当の始まりですわ)




