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聖女失格、追放されましたので――虹の彼方の回廊で二百年前の私に会ってきますわ ~捨てられた薬草聖女は、時を渡って自分の国を作りました~【短編/連作】

作者: uta
掲載日:2026/07/19

『――聖女ミレイユ。お前の癒しの力は、もはや不要だ』


神殿の大広間。ステンドグラス越しの光が、大理石の床に七色の斑を落としている。その中央で、王太子アルベールが高らかに宣言した。


『お前との婚約を破棄し、聖女の座を剥奪する。国外追放だ』


(はい、来ましたね。婚約破棄兼追放イベント)


私はそっと目を伏せた。おっとりと、深窓の令嬢らしく。けれど内心は、驚くほど凪いでいる。


(というか私、前世で"聖女もの"の小説読みすぎて展開が読めるんですけど? 次はきっと、隣のあの子が出てくる)


案の定だった。


アルベールの傍らに、可憐な少女が寄り添っている。男爵令嬢ソフィ。その全身から、まばゆい黄金の光が放たれていた。


『ソフィの大聖女ギフトを見よ! これぞ真の癒しの光だ。お前の地味な力など、比べるべくもない』


広間がどよめく。貴族たちが恍惚とその光に見惚れている。


『ごめんなさい、ミレイユ様。でも……本物の光は、隠せないものですのね?』


ソフィが、勝ち誇った微笑みを浮かべた。


(……ふぅん)


私は、そっとソフィのギフトを『鑑定』した。前世の研究員時代から染みついた、観察の癖。


──【幻惑:偽りの光を放つ】


(インチキじゃないですか)


思わず口角が上がりそうになるのを、令嬢の微笑みで抑える。癒しの効果はゼロ。ただ光っているだけの、見掛け倒し。


ここで暴いてやろうか、と一瞬思った。だが、やめた。


(言っても、この人たち信じないでしょ。証拠は後で――帳簿と一緒に、ね)


『ミレイユ! 何か申し開きはあるか』


アルベールが、勝ち誇った顔で見下ろしてくる。


私は顔を上げ、ゆっくりと膝を折った。完璧な淑女の礼を。


『……わかりましたわ。出ていきますの』


一瞬、広間が静まり返った。


『な……それだけか? 縋りもせぬのか、この期に及んで!』


『ええ。不要と仰るものを、無理に押し付けるほど厚かましくはございませんの。それでは、ごきげんよう』


ソフィが、くすくすと笑った。


『うふふ……あっけないのね。せいぜいお元気で、元・聖女さま?』


私は、ただ静かに立ち上がり、踵を返した。


(もう、この国のために消耗するのはやめます)


(せいぜい今のうちに笑っておいてくださいな。あなたたちが青ざめる顔、二百年越しに拝見しますから)


私は誰にも聞こえない声で、そう呟いた。


◇◆◇


追放された聖女に、護衛などつかない。


私は薬草の詰まった鞄ひとつを背負い、国境へ向かう街道をひとり歩いていた。


(さて、これからどうしましょうか)


前世は製薬会社の研究員だった。過労で倒れて、目が覚めたら聖女ミレイユ。神授のギフトなどという曖昧なものではなく、私の『癒しの力』は、薬草を調合したポーションの効果だ。


つまり――知識さえあれば、どこでも生きていける。


(誰にも奪えない。私の頭の中にあるものは)


三日ほど歩いた頃、国境の『虹霧の谷』にさしかかった。雨上がり。谷に立ち込める霧が、陽光を受けて虹色に輝いている。


その時、私は見た。


虹が――七色の門の形を成していた。


『……なにあれ。虹が、門の形をしていますわ』


思わず丁寧語が抜けた。研究員の血が騒ぐ。私は霧の中へ足を踏み入れた。


門の奥に、古代遺跡が眠っていた。崩れかけた石柱に、見たこともない魔法式が刻まれている。


(この構造……時間軸に干渉する術式? まさか)


石碑の古代文字を、私は前世の解析スキルで読み解いていく。


『時の回廊――強い後悔と決意を持つ者のみ、これを渡る』


心臓が跳ねた。


『……時を、遡れる、ですって?』


私には、ある。


他人の国のために尽くし、報われず、切り捨てられた後悔が。そして――もう二度と、誰かのために消耗しないという決意が。


『後悔と、決意。……私には、どちらもございますわ。報われず切り捨てられた後悔と、もう二度と誰かのために消耗しないという決意が』


魔法式に手をかざす。翠玉の瞳が、七色の光を映して輝いた。


『行きますわ。私の、私だけの人生を作りに』


虹の門が、まばゆく開いた。


光に包まれながら、私は思った。


(アルベール。ソフィ。あなたたちに仕込んだ"時限装置"、二百年かけて起動させて差し上げますわ)


回廊の果て――そこは、二百年前。この国が、まだ生まれてすらいない建国期の世界だった。


◇◆◇


二百年前の辺境の村は、死の匂いに満ちていた。


『咳が止まらないの……お願い、誰か……誰か助けて……!』


村の入り口で、少女がしゃがみ込んで泣いていた。名はリゼット。家族全員が高熱に倒れているという。


(水系の伝染病ですね。衛生状態を見れば一目瞭然)


私は鞄を下ろし、袖をまくった。


『あなた、井戸はどこ? それと、村で一番大きな鍋を借りますわ』


『え……あなた、誰……?』


『通りすがりの薬師ですわ。さ、時間が惜しいの。動いてくださる?』


そこからは、前世の知識の独壇場だった。


汚染された井戸の使用を止めさせ、水を煮沸させる。解熱と抗炎症の薬草を配合したポーションを大量生産。病人を隔離し、換気と手洗いを徹底させる。


三日後――村から、新たな死者は出なかった。


一週間後、寝込んでいた者たちが次々と起き上がった。


『奇跡だ……奇跡です、聖女様……!』


村人たちがひざまずく。私は苦笑した。


『奇跡ではありませんわ。ただの知識と、手順ですの』


リゼットが、涙で顔をぐしゃぐしゃにして駆け寄ってきた。


『ミレイユ様! ミレイユ様は……まるで、別の世界を知っているみたい……!』


(鋭いですわね、この子)


私は彼女の頭をそっと撫でた。


『さて。せっかく助けた村ですもの。ついでに豊かにしてしまいましょうか』


『豊かに……って、そんなこと本当にできるの……?』


『できますわ。ご覧なさいな』


魔物素材の効率的な加工法、ポーションの量産と交易、簡易的なステータス管理術。私は次々と手を打っていった。


荒稼ぎである。


(他人の国のためには、もう働きません。でも、自分の礎になる場所のためなら――話は別ですわ)


貧しかった辺境の村は、みるみる活気を取り戻していく。


そして私は、まだ知らなかった。


この村こそが――二百年後、私を追放したあの国の、礎になるということを。


◇◆◇


『……焼き菓子は、あるか』


工房の扉を開けた瞬間、私は硬直した。


扉の前に、長身の男が立っている。漆黒の髪、金色の竪瞳。鍛え抜かれた体躯に、騎士団長の証たる漆黒の外套。全身から、氷のような威圧感を放っている。


噂に聞く『氷の竜将』ジークハルト・フォン・ドラッヘンベルク。竜人の騎士団長にして、この時代最強と名高い武人。


その彼が、無表情のまま、絞り出すように言ったのだ。


『……焼き菓子は、あるか』と。


(……薬の相談では?)


『団長さん。うちは薬草工房ですわ。焼き菓子屋ではございませんの』


『……先日、村人に配っていただろう。蜂蜜の焼き菓子を』


『あれは病み上がりの子供への栄養補給で――』


『……ひとつ、所望したい』


無表情。だが、よく見ると耳がわずかに赤い。


(無表情……なのに耳が赤いですわ。この人まさか、甘党? 竜人の騎士団長が?)


面白くなってきた私は、焼きたての菓子を一枚、皿にのせて差し出した。


『どうぞ。……お代は、薬草の護衛依頼で結構ですわ』


『……いただく』


ジークハルトは無言で菓子を口に運んだ。


その瞬間。


――ふわり、と。


彼の背後で、漆黒の尻尾が、ゆらゆらと揺れた。


本人はまるで気づいていない。無表情のまま、けれど尻尾だけが、実に嬉しそうに左右に揺れている。


(あっ。尻尾が。……尻尾がゆらゆら揺れてますわ。可愛いんですけど?)


『氷の竜将』の異名が、音を立てて崩れていく。


『……美味い。もう一枚』


『ふふ。たくさんございますわ。……ところで団長さん、尻尾が正直すぎるのはご存じ?』


『……なんの話だ』


(ご本人、まったく気づいていない……!)


『いいえ、なんでもございませんわ。ふふ』


それ以来、彼は『薬の相談がある』と称して、足繁く工房に通うようになった。


相談内容は、一度も薬の話になったことがない。


(無口で寂しがりで、甘いもの好きの竜人さん。……悪くないですわね、こういうのも)


他人の国のために消耗するのはやめたはずの私が、この時代で少しずつ、居場所を作り始めていた。


だが――私には、まだ果たすべき"仕込み"が残っている。


二百年後の、あの断罪の広間へ。


◇◆◇


村が栄え、工房が軌道に乗った頃。


私は、本来の目的に取りかかった。


(さあ。ここからが本番ですわ)


建国期のこの時代――今この村や周辺の集落が、やがて統合され、ひとつの王国となる。私を追放した、あの国に。


ならば、今この時代の"記録"に仕込みを入れれば、二百年後、それは"最初から存在した歴史"として残る。


私は羽ペンを取り、書物を綴り始めた。


一冊目――『聖女の癒しの力の真実』。


それが神授のギフトなどではなく、薬草学と衛生知識の結晶であること。真の聖女とは、知識をもって民を救う者であること。そして、この建国期に村々を救った"銀髪の薬師"の血脈こそが、正統な聖女の血筋であること。


(私の血筋ですわ。二百年かけて、ちゃんとあの国に受け継がれるように手配済み)


二冊目――『幻惑ギフト鑑定記録』。


【幻惑:偽りの光を放つ】というギフトの詳細な鑑定方法と、その見分け方。癒しの実効性がゼロであることの立証手順。


(ソフィ。あなたのインチキを暴く"取扱説明書"ですわ。二百年後の神殿の宝物庫で、埃をかぶって待っていてくださいな)


これらを、建国王家の正史として国家記録に埋め込む。時の回廊の術式を応用し、二百年後の神殿宝物庫へと"最初から存在した古文書"として転送する仕掛けを施した。


リゼットが、書き物をする私を不思議そうに見ていた。


『ミレイユ様。それ、誰のために書いているの?』


私は微笑んだ。


『二百年後の、愚かな人たちのためですわ。……ああ、それと、報われるべき"過去の私"のためにも』


『二百年後……? ミレイユ様、時々、ほんとうに変なことを仰るのね』


『こちらの話。ふふ。……感情論では、人は動きませんの。帳簿と、証拠と、血筋の証明。誰にも覆せない、事実という名の刃を残しますわ』


すべての仕込みを終えた夜、私は完成した術式を見上げた。


(沈黙は、最大の反撃でしたわ。あの時暴かなくて、正解でした)


二百年後。あの断罪の広間で笑っていた者たちが、この"時限装置"によって、静かに崩れ落ちる。


その日は、もうすぐそこまで来ている。


◇◆◇


――時は、二百年後。私が追放された、あの国。


『どうなっているのだ! なぜ疫病が止まらん! 魔物もだ! 国が崩れていくではないか!』


王太子アルベールが、玉座の間で喚いていた。金髪碧眼の美貌は、今や恐怖と焦燥に歪んでいる。


ミレイユを追放してから、わずか数ヶ月。


国は、崩壊しかけていた。


各地で疫病が蔓延し、魔物の被害が拡大。かつてミレイユのポーションと衛生指導によって保たれていた安寧は、彼女の追放とともに脆くも崩れ去った。


『ソフィ! お前の大聖女ギフトで癒せ! 早く! なんのための大聖女だ!』


寵姫ソフィが、青ざめた顔で光を放つ。まばゆい黄金の光。


だが――誰ひとり、癒えない。


『や、やってるわ! ちゃんと光ってるでしょう!? な、なんで……! いつもは、これで皆が感謝して……!』


『光っているだけではないか! 一人も癒えておらんぞ!』


(そりゃそうよ。ただ光ってただけなんだから)――と、真実を知る者がいれば、そう言っただろう。


そして、その真実が、白日の下に晒される日が来た。


『陛下! 神殿の宝物庫より……古文書が発見されました!』


神官が、震える手で二冊の書物を捧げ持っていた。


『建国期の正史にございます。そこには、聖女の力の真実と……そして、ソフィ様のギフト【幻惑:偽りの光を放つ】が――癒しの実効性を持たぬ、偽りの光であることの鑑定記録が……!』


広間がどよめいた。


ソフィの顔から、血の気が引いていく。


『ち、違う! そんなの捏造よ! 誰かが今、でっち上げたに決まってるわ!』


『いいえ』


別の神官が、古文書を掲げた。


『この古文書は、二百年前の建国期から神殿に保管されていたもの。今の誰にも、捏造は不可能です。……そして、もうひとつ』


ページがめくられる。


『真の聖女とは、薬草学の知識をもって民を救う者。その正統なる血筋は――ミレイユ・ラ・フォンティーヌ。建国の恩人の血を引く、ただ一人の真の聖女である、と』


沈黙。


そして、崩れ落ちる音。


アルベールが、玉座の前に膝をついた。


『……嘘だ。ミレイユが……本物、だと……? あの、地味な女が……?』


偽りは、感情論ではなく、二百年の時をかけて仕込まれた"事実"によって暴かれた。


誰にも、覆せない形で。


◇◆◇


断罪は、淡々と下された。


ソフィ・ド・ブランシェットは、大聖女ギフトの詐称――詐欺罪により失脚。華やかだった男爵令嬢は、すべての栄誉を剥奪され、牢へと引き立てられていった。


『いや……いやよ! 私は大聖女なのに! みんな私を崇めてたのに――!』


その叫びに、応える者はもういない。


王太子アルベールは、真の聖女を私欲で追放し、国を崩壊寸前に導いた責を問われ、廃嫡。


『待て……待ってくれ……ミレイユを、探せ! あれを連れ戻せば、国は救われる! 早く探すのだ!』


『無理ですわ』


その声に、広間が凍りついた。


大広間の入り口に、銀髪の女が立っていた。翠玉の瞳。おっとりとした、深窓の令嬢の佇まい。


ミレイユ。


時の回廊を渡り、すべてを見届けた"本物"が、静かにそこにいた。


『ミ、ミレイユ……! 戻ってきてくれたのか! すまなかった、私が愚かだった! 頼む、国を、国を救ってくれ――!』


アルベールが、みっともなく縋りついてくる。


私は、ゆっくりと首を横に振った。怒鳴りもせず、嘲りもせず。ただ、静かに。


『――不要と、言ったのは。そちらですわ』


広間が、しんと静まり返った。


『そ、それは……あの時は……!』


『私の癒しの力は不要だと、あなたは仰いました。ですから私は、出ていきましたの。約束は、守るたちですわ』


『頼む、なんでもする! 地位も、財も、望むままに! だから――!』


『疫病も、魔物も、あなた方が招いたこと。私はもう、他人の国のために消耗するのは、やめましたの』


私は踵を返した。追放されたあの日と、同じように。


ただし今度は、切り捨てられる側ではなく――切り捨てる側として。


『ごきげんよう。二度と、お会いすることもないでしょう』


背後で、アルベールが崩れ落ちる音がした。


(失ってから気づいても、遅いのですわ。……もう二度と、この光の下で膝を折ることはございません)


私は誰にも聞こえない声で呟き、広間を後にした。ステンドグラス越しの光が、七色の斑を床に落としている。あの日と同じ景色。


けれど、もう二度と、この光の下で膝を折ることはない。


◇◆◇


断罪を見届けた私は、国を出て、静かな街に小さな工房を構えた。


(さて。これから、どうしましょうか。知識さえあれば、どこでも生きていける。今度こそ、私自身のために)


その日、工房の扉が、コンコンと叩かれた。


『はぁい。開いておりますわ』


扉が開く。


そこに立っていたのは、長身の男だった。白髪の交じった漆黒の髪。金色の竪瞳。年輪を重ねた将軍の風格。


けれど、その顔立ちに――私は、見覚えがありすぎた。


『……嘘。まさか。その髪、その瞳……』


竜人。長命種。二百年の時を、生き抜いてきた男。


ジークハルト・フォン・ドラッヘンベルク。


『氷の竜将』は、白髪の将軍となって、私の前に立っていた。


彼は無表情のまま――けれど、その金色の瞳を、ほんの少し、潤ませて。


『二百年、待ったぞ』


低い声が、静かに響いた。


『ジークハルト様……? まさか、あの時代の……』


『お前が、いつか戻ってくると思っていた。……ずっと。竜人は、長く生きるのでな』


胸の奥が、じんと熱くなる。あの時代で、尻尾を揺らしていた彼が。無口で、寂しがりで、甘いもの好きの、あの竜人が。


(無口で、寂しがりで、甘いもの好きの、あの竜人が。二百年。私を、待っていた……)


彼は、ふと、いつもの調子で問うた。二百年前と、まったく同じ言葉で。


『……菓子は、まだあるか?』


私は、思わず噴き出した。


『ふふっ……ふふふ。そこですの? 二百年ぶりの再会の第一声が、それですの?』


『……大事なことだ』


それから、満面の笑みを浮かべる。


『ええ。たっぷりと。焼きたてですわ。……まるで、あなたが来るのを知っていたみたいに』


オーブンからは、焼きたての蜂蜜菓子の香りが漂っている。


『……いただく』


彼が一枚、口に運ぶ。


――ふわり、と。白髪交じりの尻尾が、嬉しそうに揺れた。


(……ふふ。二百年経っても、そこは変わらないんですのね。尻尾、揺れてますわよ)


私は、彼の金色の瞳をまっすぐ見つめて、言った。


『それと――ジークハルト様。今度は、私の国を作る話。……聞いていただけます?』


彼の尻尾が、ぴたりと止まった。それから、これまで見たことのない――柔らかな表情で、彼は頷いた。


『……ああ。喜んで。二百年でも、二千年でも、付き合おう』


『気が長いんですのね、竜人さんは』


窓の外に、雨上がりの虹がかかっている。七色の門のように。


かつて時を渡った私が、今度は、時を越えて再会したこの人と、新しい物語を始める。


他人のためではなく。私と、この人のための――国を。


(さあ。第二の人生の、本当の始まりですわ)

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