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第八話:生徒会室の静寂

 温室のそばで視線を交わしたあの日から、僕とエリス様の距離は、付かず離れずのままだった。

 学園の喧騒の中、彼女は常にアルベルト殿下の婚約者として「正解」の場所に佇み、僕はその殿下と姉さんの無茶振りを捌く「背景」として立ち働いていた。

 そんな関係が動いたのは、アルベルト殿下がその権力を遺憾なく発揮し、生徒会長に就任した直後のことだ。

 案の定、僕は「書記兼会計」という名の雑務と実務担当として生徒会に引きずり込まれた。

「……はぁ。やっぱりこうなるのか」

 放課後の生徒会室。

 主役であるはずのアルベルト殿下は「リナが待っているからな」と早々に退室し、他の上位貴族の役員たちも、面倒な事務作業を僕に押し付けて遊びに繰り出してしまった。

 唯一残っているのは、副会長に据えられたエリス・ヴァレンシュタイン様だけだ。

 彼女は窓際の席で、置物のように静かに本を読んでいた。

 僕はそれを邪魔しないよう、黙々と会計帳簿をめくる。

 前任者が残した予算管理は、もはや「管理」と呼べる代物ではなかった。稚拙な計算ミス、使途不明の交際費……。僕はこっそりと自分のノートを広げ、昔リナ姉さんに貰った万年筆を握り、複式簿記の形式で数字を整理し直していく。

 どれくらい時間が経っただろうか。

 不意に、背後に人の気配を感じて背筋が伸びた。

「……それは、学園の公式な帳簿ではありませんわね?」

 鈴を転がすような、けれどどこか鋭い声。

 振り返ると、いつの間にかエリス様が僕のすぐ後ろに立っていた。

 あの温室の時と同じ、透き通るような瞳が、僕の手元の数字をじっと見つめている。

「エリス様……。ええ、公式のものはあまりに読みにくいので。自分用に整理しているだけです」

「整理、ですか。……いいえ、あなたは『修正』していらっしゃる。予算の不正な流用と、その補填の出処を、すべて正確に」

 彼女の言葉に、僕は息を呑んだ。

 ただの飾り物の令嬢だと思っていた彼女は、僕が思っていた以上に、この学園の……そして政治の「濁り」を理解していた。

「シオン様。あの日、温室でお会いした時から気になっていました。あなたは、殿下やリナ様の光に隠れていらっしゃいますが……その瞳は、誰よりも冷徹にこの場所の『真実』を見ていらっしゃる」

 彼女は僕の隣の椅子に、吸い込まれるように腰を下ろした。

 夕闇が迫る部屋で、彼女の銀髪が月光のように淡く光る。

「私に、その数字の読み方を教えていただけませんか。……父も、殿下も、私には美しい花でいることしか望みません。でも、私は……自分の足元がどれほど脆いのか、知っておきたいのです」

 その願いは、悲鳴にも似た切実なものだった。

 公爵令嬢としての誇りと、道具として扱われることへの静かな抵抗。

 僕は万年筆を握り直し、彼女の方へ帳簿を少しずらした。

「……あまり楽しい話にはなりませんよ。数字は、時に残酷な真実を突きつけますから」

「構いません。……あなたとなら、その真実に向き合える気がするのです」

 生徒会室の扉の向こうからは、帰路につく生徒たちの賑やかな声が聞こえる。

 けれど、この部屋の中だけは、僕と彼女だけの、誰にも邪魔されない「事務屋の聖域」が形作られようとしていた。


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