万籟(ばんらい)に溶ける
掲載日:2026/04/03
谷間には常年霧が立ち込め、青々とした竹林が茂っている。
陸子淵は石段に腰を下ろし、手にした蒲扇をゆったりと動かしていた。紅泥の小炉にかけた泉の水が沸き始め、松籟のような軽やかな音を立てる。彼は摘みたての若芽を一両取り出すと、青磁の壺へと投じ、熱湯を注ぎ入れた。
立ち上る湯気とともに、草木の清香を纏ったほろ苦く甘い香りが部屋の中に広がっていく。
向かいに座っていた老人は最後の一手となる黒石を収めると、立ち上がって、半開きになっていた木枠の窓を押し開けた。
「この一局、結局はおぬしの一歩遅れであったな」
老人は朗らかに笑い、そのまま蒼翠の霧の中へと去っていった。
陸子淵は何も語らず、ただ静かに盤上の駒を片付けていく。窓外の雨はいつの間にか止み、遠くの山嶺は洗われたかのようにその深みを増していた。
万籟は静まり返り、ただ茶の香りと遠くの山々だけが、この瞬間に絶妙な調和を保っていた。
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