3話
次の日の夜。
眞は詩音から言われた通り、22時にバリオスを訪れた。昨日と変わらず人気は少なく、代わりに煙が店内を席巻していた。
「あら、いらっしゃい」
バーテンダーの声と手招きに促されカウンター席に座る。昨日と同じ席に同じ格好の詩音がいた。
違う所はカウンターに黒い鞄が置かれていることくらいだろう。
「約束通り来てくれて良かったわぁ‥‥‥詩音ちゃん、鞄をカウンターの上に置いちゃってね。もぉ、鞄は乗せちゃ駄目なのよ?」
「知っている」
バーテンダーからの文句を軽く流す。
詩音は鞄をカウンターの上で滑らせながら眞の方へと押し付ける。
「依頼の鞄だ。依頼料はそこに貼ってある」
眞は黒い鞄と写真を比べ見る。
色も形も、細かい傷も。写真のものと同じ。
「••••••間違いないと思います。助かりました、ありがとうございます。黒羽さん」
椅子から立ち上がり、深々と礼をする。
「礼なんぞいらん。そこの紙を見ろ」
詩音が突っ返すように言い放つ。眞は疑問符を浮かべながら、鞄に付いた紙を見た。
「‥‥‥1ヶ月分の飲み代‥‥‥これは?」
思ったよりも綺麗な字で書いてある文を読む。
文の意味は分かるが意図が分からない。
「今日まで詩音ちゃんが飲んだお酒の代金の事よ?」
バーテンダーが補足する。
「あ、なるほど‥‥‥」
合点がいった。詩音はここの飲み代を払え、と言っている。
「分かりました‥‥‥いくらですか?」
「えーっとね、このくらい」
「‥‥‥」
便利屋の相場は分からないが、少し高いのかもしれない。だが、昨日の今日で依頼を完遂してくれた。会社も文句は言わないだろう。
「‥‥‥分かりました。申し訳ありませんが、領収書をお願いします」
早速領収書を切ってもらおうかと声を掛けるが、バーテンダーから制止される。
「気が早いんじゃないの?••••••だって、まだ今日の分が入っていないもの」
「あ。そうでした。すみません」
バーテンダーの言う通りだ、と納得する。
これ以上増えたところで大して変わりはしない。
「それにお客さん。経費で支払いなんでしょ?なら貴方も何か頼みなさいな‥‥‥今なら飲み放題よ?」
バーテンダーがボトルを差し出してくる。スコッチとバーボン。どちらも10年以上熟成されているものだ。それなりに値が張るはずだが。
「‥‥‥良いんでしょうか?」
恐る恐る尋ねる。
「良いのよ‥‥‥だって‥‥‥」
「マスター‥‥‥野暮は言うな」
言葉を続けようとしていたバーテンダーに制止を掛ける詩音。
「‥‥‥そうね、ごめんなさい」
あっさりと引くバーテンダー。
眞は少し気になったが、詩音も了承済みであったためご相伴に預かることにした。
「では、こちらのイーグルレアを」
「はいはーい、ダブルで入れちゃうけど、飲み方は?」
「もったいないかもしれませんが‥‥‥ロックで。チェイサーもお願いします」
「りょーかーい」
バーテンダーは氷の入ったグラスにバーボンをジガーで2杯入れる。
「はい、どーぞ」
眞はグラスを受け取り、詩音に向かってグラスを向ける。詩音は煙草を吸いながら空のグラスを少しだけ持ち上げていた。
(無愛想なのに、案外付き合いはいいんだ)
無視されるかと思ったが、案外乗りが良いと見える。だが必要以上に干渉されることは好まないだろうと考えた眞は静かにグラスを傾ける。
焦がした樽とレーズンのような甘みが口に広がる。接着剤じみた後味もまた良い。
眞は数年ぶりに購入した紙巻き煙草を取り出し、口に咥えた。マットな黄金色にオリーブの葉を咥えた平和の象徴がデザインの煙草。火を付けると甘いバニラ香が口腔内に広がる。
‥‥‥数年分の満足感を口から吐き出す。
「ふぅぅっ‥‥‥」
肩の力が抜ける。それに伴いアルコールとニコチンの酩酊が頭の中を侵食する。
「美味いなあ‥‥‥」
呟きながら横目で詩音を見る。
詩音も煙草を燻らせながらグラスの中の液体を口に運んでいる。カウンター席には“スコッチの中のスコッチ“とも呼ばれているブレンデッドウイスキーが鎮座していた。
煙草とウイスキーを交互に、ゆっくりと味わう。
ほのかに赤みがかった頬を見ていると年甲斐もなく恥ずかしくなってくる。
(あまり見るのも悪いな‥‥‥)
視線を手元のグラスに戻す。氷は溶けているが液体の色に変わりはない。口に含むと先程よりも甘みが強く感じた。
(今は、酒と煙草を楽しむか‥‥‥)
そんな事を考えながらグラスの中の液体と手元の煙草を素直に楽しむことにした。




