12話
「この度は、本当にありがとうございました」
「こちらこそ、お役に立てて嬉しいです‥‥‥」
ソファに座りながら、深々と頭を下げる葉月。その横には何処にでもいそうな三毛猫が丸くなっていた。
話には聞いていたが、実際に見てみると分かる。特筆するべき所の無い、立派な雑種だ。
資産家の屋敷にはあまり合わないような気がする。
「気になりますよね?‥‥‥数年前、偶然にも屋敷の庭に入ってきた所を保護しました。‥‥‥その時から何かの縁だと思い、飼い始めたのです‥‥‥‥‥‥辛い時期にあった私の心の慰めになってくれた子なんです」
当時の事を思い出すかのように目を伏せる。
数年前、この屋敷では代替わりがあった筈。
それを考えると葉月がどんな状況にあったのかは容易に想像が出来た。
「‥‥‥」
沈黙を貫く眞達を気に掛けるかのように、葉月が話を変える。
「‥‥‥報酬につきましてはこの後、指定の口座に振り込ませていただきます。今後とも、宜しくお願い致します」
「‥‥‥葉月様、そろそろ」
「そうね‥‥‥黒羽さん、赤城さん。ごめんなさい‥‥‥私はこれで失礼させていただきます」
「いえ、お気になさらず。ありがとうございました」
丁寧に礼をしてから退室する。
相変わらず忙しいようだ。
奇しくも、以前と同じ状況になる。
だが、片桐の様子が明らかにおかしかった。
「‥‥‥黒羽様、赤城様。このままお話をしても宜しいでしょうか?」
「ああ」
「実は‥‥‥食事会を中止できなくなりました」
「え?」
眞は驚く。
何故なら食事会を中止することは可能であると話は聞いていた。それに、葉月も了承済みである。
それが何故?といった感情が眞の中に渦巻く。
「先代のご当主様の遺言を確認したいと‥‥‥総司様から希望があったのです」
「遺言‥‥‥?」
「はい、実は‥‥‥表向きの遺言と、葉月様個人に向けた遺言の2種類が存在しているのです」
「‥‥‥まさか」
その葉月宛の遺言が、今回の騒動の始まりと気が付く。
「はい、今回の場合‥‥‥葉月様個人に向けられた遺言が狙いなのでしょう‥‥‥そこには、先代の亡くなった理由が書かれていたそうなのです」
先代が亡くなった理由。
自然死‥‥‥ではないということ。
「‥‥‥それを、手に入れるために?」
「恐らくは‥‥‥黒羽様と赤城様が手に入れた証拠と、その遺言書が決め手となる筈だったのですが‥‥‥総司様がその情報を手に入れてしまったのでしょう。そのため、葉月様はその遺言書を食事会の時に合わせて公開しなければならなくなりました‥‥‥」
「それは‥‥‥」
「いえ、今回の事が無くとも、いずれは起きることです。その事については、葉月様も分かっていらっしゃっいました」
「ですので、重ねてお願いしたいのです‥‥‥黒羽様、赤城様。どうか葉月様を‥‥‥」
「断る」
「‥‥‥っ?!」
「‥‥‥‥‥‥は?」
頭を下げながら衝撃を隠せない片桐に、理解が追いついていない眞。
片桐の切実な願いを断ち切る言葉。
その言葉の持ち主は‥‥‥詩音であった。
◇
数年前。
葉月の父、冷泉遼が亡くなった。
表向きは原因不明の心臓疾患によるものと発表されていたが、実際は毒殺。
その毒が何処で盛られたものなのか、誰が、何処で手に入れたものかは定かでは無い。
何故なら、その事に関与したと思われる人物の全てが死亡しているからだ。
葉月は早すぎる父親の死を悲しむ暇もなく、当主の座を相続することになった。
当時の葉月は15歳の少女だ。
冷泉家の家名はあまりにも重い。
だが、幸か不幸か葉月には冷泉家を守るための才覚とカリスマがあった。
現在に至るまで、冷泉家に陰りが見られないのは葉月の努力も賜物と言える。
そんな中、2通の遺言が葉月の心を大きく乱すことになる。
1通は、冷泉家の全てに関わる遺言。
冷泉家本家の資産を全て葉月に相続させる旨。
その反発は凄まじいものがあった。
屋敷に勤める使用人全員が味方であった事が唯一の救いだろう。
これがなければ葉月も、父親の後を追っていたかもしれない。
しかし、そんなことさえも些事と言える程の内容が、2通目の遺言に記載されていた。
葉月宛の手紙。
冷泉遼が、実弟の冷泉総司から向けられていた悪意の告白であった。
遺言はここ最近に記載されたものであった。
何故なら、近い内に殺されるかもしれないと書かれていたからだ。
その事実を知った葉月は悲嘆にくれた。
何故、父親の助けを求める手を握り返すことが出来なかったのか?
何故、自分にこれほどまで重い家名と事実を課せるのか。
何故、父が殺されなければいけなかったのか。
そして、次第に考えるようになる。
―――悪いのは誰か、と。
◇
「黒羽さん‥‥‥?今のは‥‥‥」
「断る‥‥‥といったまでだが?」
眞の言葉に、気怠げな様子で返す。
「‥‥‥何故‥‥‥でしょうか」
言葉を振り絞る片桐に対し、詩音ははっきりと理由を述べる。
「簡単だ。私は殺人に関することには首を突っ込まない事にしている。証拠の収集については前金を貰っていたから実行に移したが‥‥‥ここまで来ると完全に人が死ぬ‥‥‥なら、巻き込まれない内に手を引くまでだ」
感情論ではなく、自己防衛や信念の問題。
そこまではっきりと拒絶されてしまうと、片桐は何も言うことが出来なくなってしまった。
だが‥‥‥
「黒羽さん、この依頼。受けましょう」
「‥‥‥何だと?」
「人の命が掛かっているからこそ、です」
眞の暴挙を訝しむ詩音に、自身の意見を毅然と言い放つ眞。
「勝手なことを言うな」
「申し訳ありません‥‥‥ですが、助けられるかもしれない命を‥‥‥見捨てる訳にはいきません」
助けられる命を助けたいと思うことは、誰しも考えることだ。
しかし、口で言うよりも行うことは難しい。
「なら、お前1人で受けるといい。私には関係はない」
「‥‥‥私1人では到底無理です」
「なら、諦めるんだな‥‥‥」
大口を叩く割には人任せなのか、と失望する。
だが、眞の言葉には続きがあった。
(俺1人では無理だ‥‥‥だが)
眞には別の思惑があった。
得られるものと、支払うべきリスク。
「黒羽さん‥‥‥この依頼で得られるものはとても大きいんです」
「‥‥‥‥‥‥金か?」
「それも当然‥‥‥ですが、それ以上に冷泉葉月という人間の信頼と、それを支える人達の信用を得ることが出来ます」
感情論だけではなく、実益も示す。
それも決して小さくはない‥‥‥寧ろ大きく成長する可能性が高いものであればこそ、リスクを背負ってでも得る価値はある。
「‥‥‥」
「今後生きていく中で、とても有用なツテになると思いますが?」
「‥‥‥‥‥‥では、お前はどうだ?」
「私、ですか」
「ああ、冷泉家の当主は命を賭ける。私は身の安全を賭ける‥‥‥では、お前はどうする?‥‥‥リスクを負わずに見ているだけか?」
「‥‥‥いえ、賭けますよ」
「•••••何?」
秀でた特技もない男に、何が出来るというのか。
「手元に何も無くても、私だって‥‥‥命くらいは張ることが出来るんですよ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥そうか。大した掛け金だ」
詩音の目には、虚勢を張っている事がありありと見える。
‥‥‥だが、眞の目には迷いがない。
その事実が、詩音に僅かな興味を起こさせた。
「‥‥‥赤城、お前は私の言う通り動け。死ぬかもしれないが‥‥‥文句はないな?」
「ありません。黒羽さんに従います」
「いいだろう。この依頼。受ける」
「‥‥‥ありがとうございます」
詩音の決断を聞き、片桐が深々と頭を下げる。
何度も冷泉葉月の身を案じていた人だ。その思いは人一倍なのだろう。
だからこそ、心が動かされたのか••••••
(それだけじゃない••••••)
家族に殺されるかもしれない葉月を見て、自分の中で燻っていたものを思い出した。
(俺にも何か出来ることが‥‥‥)
久しぶりに見た悪夢のせいなのか。
消えかけた火が、再び燃え始めようとしている感覚があった。
(葉月さんと片桐さんの期待に応える‥‥‥それで、何かが分かるのかもしれない)
彼女達の願いに応える為、自分の命運を黒羽に託す事に決めた。




