11話
「目的の場所に設置した。帰るぞ」
「‥‥‥‥‥‥もう、終わったんですか?」
「ああ。不満か?」
「い、いえ‥‥‥そんなことはありません」
「なら、さっさと車を出せ。もうここには用は無い」
掃除業者に変装した眞と詩音は車に乗り、そのまま屋敷を後にする。
眞はあまりの手際の良さに舌を巻くことしか出来なかった。
‥‥‥‥‥‥
‥‥‥
‥‥
‥
「1週間後。冷泉家で食事会が催される予定になった。‥‥‥明日は屋敷に向かい、盗聴器を仕掛ける」
「‥‥‥はい?」
1日前。
眞の努力により、人間らしく最低限の生活が出来る程度には片付いた事務所内。
詩音は眞の作った朝食を食べながら、唐突に話し始めた。
日時も作戦も知らない眞は、当然、詩音の意図を掴むことが出来ていない。
「‥‥‥」
「あの、話しが全く見えてこないのですが‥‥‥」
もぐもぐと食事を続けている詩音に尋ねる。
「‥‥‥‥‥‥はあぁっ‥‥‥」
皿の上の食事を平らげた詩音は大きな溜息を吐き、酒瓶を呷る。
口元から液体が溢れ、サイズの合っていないシャツに流れ落ちているが、全く気にしない。
液体の流れた部分‥‥‥その下の肌色が透けて見えるが、それも気にしない。
(‥‥‥慣れるもんだな)
眞は詩音の服装について多少の事であれば、もはや何も言わない。
‥‥‥言っても無駄だと悟っていた。
「‥‥‥ふぅっ‥‥‥‥‥‥今話した通りだ」
酒の瓶を口から離し、口元を拭う。
そのまま禄に説明をしない詩音に対し、焦りながら言葉を投げかける。
「いやいやいやっ!!それが分からないのですが!?」
「‥‥‥‥‥‥面倒なやつだな」
心底面倒臭そうに呟く。
食後の一服を始め、2、3口白煙を吐き出した後、怠そうに説明を始めた。
「明日、依頼人の叔父とやらの屋敷に潜入する。配送だろうが清掃業者でもなんでもいい‥‥‥そして、やつの私室か仕事部屋にでも盗聴器を仕掛け反応を見る‥‥‥1週間後、食事会という暗殺にはお誂向きの場があるからな。‥‥‥当たりであれば、そこで動くだろうよ」
煙草を吸い切り、灰皿にねじ込む。
「まあ、早めに証拠を掴む事が出来れば良い。多少は面倒事になるそうだが、食事会は中止するらしいな。それは冷泉葉月も片桐も同じ考えだそうだ」
証拠さえあれば食事会とやらを敢行する必要はない。リスクは少ない方が良いからだ。
元々、証拠の手掛かりを掴む為の狂言なのだから。
「‥‥‥作戦は分かりましたが、肝心の侵入経路はどうやって確保するんですか?」
「普通であれば時間は掛かるが‥‥‥今は金がある。なら、専門家に頼めば良い」
「専門家‥‥‥?」
「ああ、そうだ」
短く返事をしながら何処かへ電話を掛ける。
「黒羽だ。明日、冷泉総司とやらの屋敷へ侵入する。業者を準備しろ。金は‥‥‥分かった。今日中に振り込む」
何処かへ一方的に電話を掛け、一方的に電話を切る。あまりにも横暴すぎる光景だが、詩音にとっては当たり前の遣り取りなのだろう。特に気にした様子は無い。
「えっと、今の電話の相手が‥‥‥」
「ああ、専門家だ。慣れてきたらお前にも教える。それと昨日の前金をここに振り込んでおけ」
詩音はメモにペンを走らせ、そのメモを眞に手渡す。
「‥‥‥これはまた高額な」
一般企業と思われる名称の振り込み先と、8桁に限りなく近い数字が並んでいた。
「それだけ早く、確実だ」
話は終わりだとでも言うように、ソファに寝そべりながら、再び煙草を吸う。
灰が襟にこぼれようが全く頓着していない。
「‥‥‥ああ、それと昼はパスタだ。‥‥‥チーズがいい。ワインも買っておけ」
目だけを眞に向けながら淡々と訴える。
調理が可能となってからは、眞が食事を準備していた。
最初は味を確かめるように時間を掛けて食べていたが、ある時を境に雑に食べるようになった。
口に合わなかったか?と不安に思ったが、それが杞憂であることに気が付く。
美味い、とは言わないが残さず食べる。それに食後は、次の食事のリクエストをするからだ。
『パエリアとクラムチャウダー』
『ハンバーグとガーリックライス』
『青椒肉絲と中華スープ、あと飯』
『芋煮と焼き鮭。麩の味噌汁と飯』
など。リクエストの幅がとにかく広いので中々大変だ。
でも、満足してくれるのであればそれなりに作りがいがあると思っていた。
「‥‥‥聞いているのか?」
「‥‥‥あっ、すみません。振り込みが終わった帰りに買ってきます」
「ああ」
詩音の言葉で我に返る。
食事の準備とはいえ、雇われている以上、仕事は仕事だ。
そう思いながら、指定された場所へ依頼料を振り込む為に、事務所の外へ向かった。
◇
当日。
起きたときにはビルの前に清掃業者用の車が置いてあった。
(‥‥‥いつの間に?)
夜の間に用意されたとは思うが、それにしても静か過ぎる。それに、治安が悪い場所であるが、悪戯や盗難などもされた形跡はない。
不思議に思いながらも車内を確認する。
車の中には清掃業者の服が一式、2人分。
最低限の知識や技術が書かれたマニュアルも入っていた。
「一応頭に入れておけ」
服とマニュアルを渡した後、そのまま着替えを始めた詩音からそのように命令された。
眞は直ぐさま事務所から出て、詩音の着替えを待つ。
その間に軽く目を通していた。
(これは‥‥‥屋敷に関する情報か‥‥‥)
マニュアルの中には葉月の叔父が住んでいる屋敷の情報が記載されていた。
屋敷にいる人間の数やタイムスケジュール。外部業者の直近の出入りやその時刻。侵入経路などなど。
今まさに欲しいと思っていた情報の全てが、分かりやすく網羅されていた。
「さっさと着替えろ」
事務所から詩音が顔を出す。
詩音が依頼した専門家はやはりプロなのだろう。詩音に用意された服のサイズはぴったりであった。
「‥‥‥‥‥‥あれ、なんで俺の分が?」
気が付く。昨日は詩音が専門家とやらに依頼をしていた。その時には眞の話はしていない筈。
なら、何故自分の分まで容易されているのか疑問に思った。
「奴にはお前の事を伝えてある」
詩音が眞の独り言を拾い、疑問を補完する。
「いつの間に‥‥‥」
「この間。お前が事務所の片付けを始めた日にだ」
「あ‥‥‥あの日」
思い出す。事務所の掃除を開始した時に詩音がいなかった事を思い出す。あの時に自分の事を話に行ったのか。と。
同時に記憶の中にある、甘い香水の匂いが想起される‥‥‥
「‥‥‥帰ってきてから香水の匂いがしていた気がするんですが‥‥‥一体どちらへ?」
なんとなく疑問に思った事を尋ねる。
「専門家‥‥‥ああ、私の女のところだが?」
詩音はなんてことのないように言った。本人としては理解しやすいように伝えたつもりなのだろう。だが、眞が驚くには十分な情報であった。
「‥‥‥っうえ?!女ぁ!?、黒羽さんの?!」
奔放とは聞いていたが、そんな関係の女性がいたとは思っていなかった。
「‥‥‥別に驚く事ではないだろ。それよりも、さっさと着替えをしろ。昼飯に間に合わん」
詩音が話を切り上げる。
眞は釈然としないまま、清掃業者の服に着替えた。
‥‥‥ちなみに詩音も同じ場所にいる。
そのため、眞は事務所の隅に隠れるように着替えをしていた。
(普通、逆じゃないか‥‥‥?)
自分の常識が少しずつ崩れていく事を自覚しつつ、仕事の妨げにならないよう、急いで着替えを進めた。
◇
眞と詩音は、準備されていた車に乗り、目的の屋敷を訪れていた。
屋敷の守衛に促されるまま、敷地内を進む。
この清掃業者の仕事もねじ込んでいたのか、守衛から屋敷内の執事への連絡もスムーズに行われた。
促されるまま着いた場所は屋敷の裏。正面側から目立たない場所に大きな屋根付きのスペースがあった。どうやら外部の業者はここから屋敷内へ入るらしい。
屋敷内にいた執事に案内され、清掃場所に向かう。
冷泉総司の屋敷において、屋敷内の清掃は執事や家政婦が行うが、外に近い場所や設備がある所は定期的に外部業者を入れて清掃を行うそうだ。
「では、こちらからお願いします」
「かしこまりました」
清掃場所に付き、清掃を始める。
眞は多少なりとも心得はあるが、もう1人の清掃業者‥‥‥に扮した詩音に不安があった。
しかし、その不安とは裏腹にテキパキと清掃を進めている。
眞はその姿を見て内心驚いていた。
執事が2人の働きぶりを見てその場を離れる。
暫く様子を見るが帰って来る気配は無い。
それが分かった途端、詩音は清掃を止めた。
「依頼よりも疲れる‥‥‥」
ぼそっ、と呟きながらポケットに忍ばせていた煙草に手を伸ばす。
「黒羽さん?!流石にそれは不味いですっ!」
「‥‥‥‥‥‥」
舌打ちをしながら手を引っ込める。
やや不機嫌な様子に、眞は冷や汗をかく。
「‥‥‥さっさと終わらせる。20分経ったら車に戻れ」
一言呟いたあと、そのまま何処かへ消えた。
「大丈夫かなあ‥‥‥」
只者では無いことは分かっていたが、一緒に仕事をすることは今日が初めてだった。
僅かに不安を抱えながら、指定の時間まで清掃を続けることにした。
20分後、その不安は解消される。
‥
‥‥
‥‥‥
‥‥‥‥‥‥
(後は黒羽さんが仕掛けた盗聴器から情報が入るのを待つだけ‥‥‥)
車を運転しながら考える。
一番大変な仕事を終えた黒羽は、助手席で煙草を吹かしていた。
誰のものかは知らないが、借り物の車内で煙草を吸っても良いのだろうかと考える。
「事務所に戻ったら、車はそのままでいい。後は勝手に回収するだろう」
「‥‥‥凄いですね‥‥‥あれだけ高額を支払っただけはありますね」
聞いた話だと潜入先にも影響は与えず、なおかつ潜入に使用した道具類も全て隠滅してくれるそうだ。
「当然だ。それしか脳の無い奴なんだから、結果は出してもらう」
言い方はやや辛辣だが、それなりに信頼しているという印象を受けた。
(それにしても、黒羽さんの女••••••か)
考えただけでも耽美な世界だと思う。
同時に黒羽のように、子どもと見間違えそうになるほどの体格の女性に付き合う酔狂な女性とは一体何者なのか、と気になってしまう。
(いや、深入りは止めておこう‥‥‥)
下手に首を突っ込むと録な事にならない。それは前職で経験済みであった。
その考えが、長生きのコツであろうと考えていた。
◇
盗聴器を仕掛けてから数日後。
屋敷の中で動きがあった。
最初に気が付いたのは先にソファの上で丸くなっていた詩音だ。
眞も詩音の気配に気が付き、目を覚ます。
盗聴器から冷泉総司の音声が聞こえると同時に、詩音は別の機械を操作する。
『では、3日後‥‥‥食事‥‥‥‥‥ああ‥‥‥葉月‥‥始末しろ‥‥‥は‥‥‥以上だ』
音源が遠いことやノイズも入ることで、所々聞き取りづらい部分もあるが、冷泉総司の肉声で葉月の暗殺を示唆する内容の音声データは取れた。
これを片桐に渡せば、依頼は終了になる筈だ。
「‥‥‥明日、片桐に連絡しろ。証拠は掴んだと、な」
詩音はそれだけ言い残すとソファに沈んだ。
直ぐに寝息が聞こえ始める。
(これで、依頼は終了か‥‥‥)
人命を賭けた依頼が、無事に終わったという安心感がある。
しかし、心の何処かで不安もあった。
(‥‥‥本当に、終わったのか‥‥‥?)
漠然とした不安に駆られながらも瞼を閉じ、再び夢の世界へ舞い戻る。
(‥‥‥あ、不味いな‥‥‥この感覚は‥‥‥)
嫌な感覚がした。
眞は直ぐに意識の水面に上がろうとするが、その意思に反して水底に沈んでしまう。
中途半端に起きてしまったことや、不安があったこと。慣れない生活による数日分の疲れやストレス等。
様々な要因が重なってしまったためか、最近は見る事のなかった悪夢の感覚が蘇る。
(‥‥‥‥‥‥今更、何だってんだ‥‥‥)
悪夢の内容は、眞の過去だ。
今は亡き、母親の悲嘆の顔。
••••••父親に捨てられたらしい。
眞は幼かった為、父親の顔は全く覚えていない。
写真や映像も無かった。母親も話にすら出さない。
その後の生活は辛いものであった。
生きているのに死んでいる母と暮らす日々。
物心ついてからは子どもなりに、懸命に慰めようとしたこともあったが、一度たりともその願いは届く事はなかった。
半死人状態の母が、完全な死人になるまで••••••それほど時間はかからなかった。
その後、親戚にたらい回しにされながらも、何とか成人を迎える。
‥‥‥おかげで中身の無い人間が出来上がってしまったが。
子どもの頃から現在に至るまで。
捨てられた直後の母の悲しみに暮れる姿と、あまりにも寂しい最期は目に焼き付いて離れない。
悪夢でも見る光景だ。
捨てられた直後の母親と、最期を看取る自分を俯瞰で見る度に思っていたことがあった。
(殺してやりたい‥‥‥)
(‥‥‥いや、生ぬるい)
(生き地獄を‥‥‥その魂に‥‥‥)
―――――復讐。
その2文字に込められた怨念。
子どもの頃から、心の何処かで燻っていたのかもしれない。
••••••だが、怨念も時間の経過ともに摩耗する。
年を取る度に薄れゆく記憶。
復讐は無理だ、という諦観が眞を鈍感にさせる。
(結局、何も出来ずに死ぬんだろうな‥‥‥)
悪夢の終わりにいつも考えること。
つまり、目覚めは近い。
(俺は、何かを成し遂げれるのだろうか‥‥‥)
その問の答えは、まだ‥‥‥出ない。




