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嘘が色で見える地味司書の私が、唯一嘘をつけない無色透明な声を持つ人気ミステリー作家様と出会って、呪われた人生が彩られ始めました  作者: 久遠翠


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第1話「色のある声、色のない声」

登場人物紹介


水森みずもり 詩織しおり

主人公。27歳。市立図書館の司書。人の嘘を「声の色」として認識する特殊能力を持つ。その色彩は時に腐臭を放ち、時に鼓膜を引っ掻く不協和音を伴う。幼い頃からこの呪いのような能力のせいで深く傷つき、人間そのものへの信頼を失った。静寂と秩序が保たれた図書館を、唯一の避難所としている。


海道かいどう れん

人気ミステリー作家。29歳。デビュー作からベストセラーを連発し、その作品は人間の心理をナイフで抉るようなリアリズムで知られる。ある過去のトラウマにより、一切の嘘がつけなくなった。彼の言葉は常に真実のみを奏でるが、その音色はあまりに純粋で感情の機微を欠いて聞こえるため、しばしば誤解を招く。


影山かげやま あきら

蓮の元友人で、現在は大手出版社の敏腕編集者。蓮の過去の秘密を握る。言葉を巧みに操り、人を意のままに動かすことに愉悦を感じる。詩織には、彼の声が腐臭を放つタールのような、粘つく暗褐色に聞こえる。

 私の世界では、音に色がついていた。

 それは比喩でも感傷でもない。人の声が、腐臭を放つ色彩を帯びて鼓膜に流れ込んでくる、紛れもない現実だ。街の雑踏は、無数の嘘が混ざり合ったヘドロの洪水。だから私は、静寂を求めて図書館の司書になった。ここは、私のための避難所のはずだった。


「すみません、この本、少し汚してしまって……」


 カウンターの向こうで、初老の男性が差し出した本のページに、コーヒーの染みが広がっている。彼の声は罪悪感と自己保身が混じり合い、雨の日のアスファルトに滲む油膜のような鈍い灰色をしていた。「これくらい大丈夫だろう」という甘えが、不快な粘度をもって私の聴覚にまとわりつく。


「大丈夫ですよ。弁償の必要はありません。次からお気をつけください」


 私は表情筋を凍らせたまま、事務的に処理をする。私の声に色はない。感情を殺せば、音は無味乾燥な記号になるのだ。


 次にやってきたのは、制服姿の男子高校生だった。


「現代思想に関する、少し難解な本を探しています。レポートの参考に」


 彼の声は、隣の女子生徒に向けた虚栄心が生んだ、安物の蛍光灯のように明滅する黄色だ。目の奥がちかちかと痛くなる。私は黙って哲学入門書の棚を指さした。彼は一瞬不満げに眉をひそめたが、結局一番薄い本を選んで足早に去っていく。


 悪意ある嘘は、ヘドロのように濁ったどす黒い色。罪なき見栄や体裁の嘘は、薄氷のように脆い色。同情を誘う嘘は、涙の塩分で滲んだような青。人々は呼吸をするように嘘をつき、そのたびに、世界は暴力的な色彩で塗りつぶされていく。


 幼い頃、「ずっと親友だよ」と笑ったあの子の言葉が、偽りの虹色ににじんで見えた日から、私の心は壊れてしまった。両親の「あなたのため」という言葉が、支配欲の滲む毒々しい藤色に聞こえて、私は心を閉ざした。

 以来、私は誰にも期待しない。何も求めない。そうやって築き上げた心の壁の内側で、ただ静かに息を潜めて生きてきた。


 閉館を告げる『蛍の光』が流れ始める。今日も一日、どうにか生き延びた。職員たちが帰り支度を始める中、私は最後の貸出処理を終え、張り詰めていた息をそっと吐き出した。

 その時、カラン、と乾いたドアベルの音がした。一人の男性が、閉まりかけた扉の隙間から滑り込んできた。


「すみません、もう閉館ですよね」

「はい、閉館時間です」


 私は努めて平坦な声で答える。早く帰ってほしい、という心の棘が色を持たないことを祈りながら。

 男は長身で、黒いコートがやけに似合っていた。整った顔立ちに、深い疲労の影が落ちている。


「一冊だけ、どうしても探している本がありまして。すぐ済みますから」


 彼がそう口にした言葉に、私は時が止まるのを感じた。

 彼の声には、色がなかった。

 灰色でも、黄色でも、どんな淡い色でもない。それは、どこまでも磨き上げられた水晶の響き。世界から一切の音が消え、その声の振動だけが真空の宇宙に満ちるような、絶対的な静寂。

 何の不純物も混じっていない、純粋な音。


「……あの?」


 私の反応がないことをいぶかしんだのか、彼がもう一度声をかける。


「この本を探しているのですが」


 やはり、色がない。嘘も、見栄も、社交辞令も、下心も、何もない。ただ、事実だけがそこにあった。

 生まれて初めての経験だった。私の知る世界では、真実を語る時でさえ、わずかな感情の揺らぎが淡い色合いを添えるものだ。だが、目の前の男の声は、完全な「無色透明」だった。

 私は凍りついていた。思考が停止し、目の前の男の存在が、世界の法則を根底から覆すエラーのように思えた。ただ、耳に届くその音の純粋さに、全身が痺れるような衝撃を受けていた。

 色のない声。

 そんなものが、この呪われた世界に存在するのだろうか。

 それとも、長年私を蝕んできたこの能力が、ついに狂ってしまったのだろうか。

 閉館後の静寂に包まれた図書館で、私は目の前の透明な男を見つめたまま、立ち尽くすことしかできなかった。

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