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第4話 事件現場

 自身番の建物を出てからすぐ、見覚えのある場所に着いた。先程、死体を見た広場の近くである。


 ここで遠くから鐘の音が聞こえてきた。


「九つ(正午)か。昼飯を早く食いてえから、あまり手間取らせんじゃねえぞ」


 縄の端を持つ藤次が輝斗に告げる。


(そう言われても、絶対に認めるわけにはいかないんだけど)


 辛い状況から逃れたいがために嘘の自供をしてしまったら、それを証拠に裁かれてしまう。このあたりの事情は江戸時代も現代日本も同じなのだ。


 広場への入り口の前には、大勢の野次馬が集まっていた。輝斗たちが近付くと、彼らは一斉に注目する。


「あれが人殺し? まだ若い男じゃねえか」


「いやいや、騙されちゃあいけねえ。ああいう奴が平気で人を殺すんだよ」


「あの変わったな着物は何でい?」


「上方の着物だろう」


「嘘を言うんじゃないよ」


「本当だって。うちのかかあの弟の兄弟子がそう言ってたんだぜ」


 めいめい好き勝手な事を言っている。


 そんな中でひと際体格が大きい三十代半ばくらいの男に、藤次が声をかけた。


「おう徳兵衛、ご苦労だ」


「あ、親分。御検視がまだ着かないさかい、先に見て頂きたいと思いまして」


 徳兵衛と呼ばれた男が振り向く。


(こ、この人がお咲さんのお父さん?)


 輝斗はまじまじと徳兵衛を見てしまった。


 江戸時代の男性ということで、背丈は輝斗よりも少し低い。しかし、肩幅が広く筋肉隆々なので、二百年後で出会ったなら柔道家とかラガーマンとかと思ってしまうであろう立派な体格だ。人の良さそうな顔立ちであるが、額の左側に大きな刀傷があって凄みを感じさせる。とてもお咲の父親には見えない。


(お父さんは関西の人なのかな?)


 彼の言葉とイントネーションから、輝斗はそう感じた。ただし、江戸弁らしき話し方も少し混じっているので、本当に関西人なのかは判断できない。


「まだ来てないとは、八丁堀の旦那(ここでは町奉行所の同心のこと)ものんびりしていらっしゃるなあ」


 藤次が顎をなでながら言う。


「親分が早すぎるだけやって。町役人が届け出たのが、ついさっきのことになりますし」


「本当に人殺しが起こってすぐに、俺は来ていたってわけか。で、この奥に仏さんがいるんだな?」


「へえ、ワシと自身番の面々が見張っていて、路地奥には誰も入らないようにしていやす」


「ここは自身番に任せて、徳兵衛はオレと一緒に中へ入れ。この縄は決して離すんじゃねえぞ」


 藤次が縄の端を徳兵衛に手渡す。


「へえ。――おーい、お前さんも一緒に中へ来い」


 徳兵衛が呼んだのは、身長が一五○センチメートルくらいの猫背の男だ。見た目年齢は二十歳前後で、ぶかぶかの着物を身に着けている。


「へえ、わっしも付いて行くんすね」


「この下谷したやの親分にさっきの話をもう一回してもらう。名は何と言うたっけか?」


「ここからすぐそこの裏店に住む、灰買はいかい与介よすけって言いやす。下谷長者町したやちょうじゃまち(東京都台東区)の親分、ご高名はかねがね聞き及んでいやす」


 与介は媚びるような笑いをした。


 路地の奥に向かうのは、輝斗、岡っ引きの藤次、子分の徳兵衛、灰買の与介。あとは何故か付いてきているお咲の総勢五名となった。


 問題の路地奥に到着したので、輝斗は様子を確認する。先ほどは観察する余裕なんてなかったが、今回はきちんと把握しなければならない。


 路地奥はちょっとした広場になっている。広場は建物と垣根に囲まれていて、完全に行き止まりとなっていた。建物には窓や玄関が見当たらず、壁側が広場に面している。つまり、誰の目に付かない場所になっているのだ。


 この辺りの住人の物干し場になっているのか、着物や手ぬぐいが数枚干されている。


 広場の真ん中には井戸があって、そのすぐ横に血だまりが広がっている。ここに被害者が倒れていたのだろう。時間が経っているので、血の色は赤黒く変色している。


 路地から広場に入ってすぐ左手の隅には、桶やら大きなタライやらが無雑作に置かれている。洗濯に使う道具が置きっぱなしになっているのだろう


 そして、井戸から少し離れた所にムシロが敷いてある。妙に膨らんでいることから察するに、死体の上にかぶせてあると思われる。


「おい、親分にお前さんの話を聞かせてやってくれ」


 徳兵衛が促すと、与介が一つ頷いた。


「わっしは朝から外に出て働いていやしたが、昼飯を食べに家へ戻ってきやした。飯の支度ができる前に、嬶に頼まれて水を汲みにこの井戸まで来やした」


「こいつのおかみさんからも話を聞きましたが、たしかに水汲みを頼んだそうです」


 与介の話に、徳兵衛が口添えをする。


「嘘なんて言いませんとも。で、井戸まで来てみてビックリ。変な格好の男が立っていて、その目の前には羽織姿の男が倒れている。わっしは咄嗟とっさに持っていた手桶で変な男をぶん殴りやした」


 どうやら、輝斗が気絶した原因は与介に殴られたからだったようだ。


「殴った後、わっしはすぐに人を呼ぼうとしやした。そこにこのお嬢さんがやって来て」


 与介がお咲の顔を見た。


「お咲ちゃんも関わっていたのか?」


 藤次が驚く。子分の娘が関係者の一人とは思っていなかったのだろう。


 輝斗も同じく驚いていた。彼女がここまで付いてきた理由が、やっと分かった。


(おかしいぞ。お咲さんはさっき路地から大通りに出た。それなのにどうしてわざわざここに戻って来たんだ?)


 疑問が思い浮かぶが、とりあえず心の中にしまい込んでおく。


 与介の話がまだ続いている。


「わっしはお咲ちゃんと顔見知りで、岡っ引きの子分の娘さんって知っていましたから、すぐに仔細を話しやした。すると、娘さんが『すぐにおっ父さんと自身番を呼んできてください』って言うからその通りにしやした。わっしから話すことはこれくらいです」


「お咲ちゃん、こいつの話は本当かい?」


 藤次が彼女に問いかける。


「私と会ってからの話は相違ありません。付け足すと、私はここをずっと見張っていました。うちのおっ父さんが来るまで誰も入って来ませんでしたよ」


 続いて徳兵衛が証言する。


「ワシが駆けつけた時、確かにお咲一人でした。その後、倒れていた二人を抱き起こしましたが、一人は無傷。もう一人は胸を刺されて既に事切れていやした。血まみれの匕首がそばに落ちていて、その柄に付いていた指の跡が無傷の奴の指と同じ大きさだったさかい、すぐに縄でふん縛りやした」


 ここで徳兵衛が輝斗の顔を見た。


「縛り終わったくらいに自身番が来たので、こいつを番小屋に運んでもらいやした。お咲も一緒に付いていかせました。人殺しの場に長々と置いておきたくはなかったので。当人もずっと仏さんから目をそらしていて、辛そうだったし」


「娘さんがいるような所じゃねえな。お咲ちゃん、よく頑張った。で、このムシロは誰がかけた?」


「自身番が持ってきてくれたので、ワシがかけました」


「なるほどな。徳兵衛、俺が来る前によく働いてくれた」


 藤次が子分をねぎらい、そしてムシロに近づいて剥ぎ取った。


 下には、輝斗が想像していた通り、死体が仰向けに寝かされていた。年齢は十代後半くらい。江戸時代基準で平均的な体格だ。きれいな羽織姿で、その胸元が赤黒く変色している。


「ふむ。正面から胸をひと突きで間違いなさそうだ」


 言いながら、藤次が死体の懐に手を突っ込んだ。そして何やら探っている。


(検視がまだなのに勝手にいじっていいのかよ? 岡っ引きって民間人だろ?)


 輝斗は驚いたが、他の面々は誰も気にしてなさそうだ。これが江戸時代の常識なのだろうか。


「特に何も持ってなさそうだな。徳兵衛、おめえも調べたか?」


「へえ、自身番が来る前に調べましたが、何も持っていやせんでした」


(徳兵衛さんも調べていたのかよ! 岡っ引きとその子分って民間人なのにかなりの捜査権を与えられているってことなのかな?)


 自分が持っている常識から大きく外れているが、輝斗はとりあえず深呼吸して心を落ち着けた。死体を見て気分が少し悪くなったが、弱音を吐いている場合ではない。


(オレが気を失った以降の経緯は分かった。殺人をしたうえに、オレに罪をなすりつけた奴を見つけ出さないと。推理小説で得た知識が役立ってくれると良いんだけど)


 倒れている輝斗の手に匕首を持たせた者が犯人だ。それが実行できたのは二人。


 まずは、第一発見者の与介。輝斗を殴ってからお咲が来るまでの間に実行する時間があったかもしれない。


 二人目はお咲。与介が人を呼びに行っている間、彼女は一人で見張っていた。この間に工作は可能だったはずだ。


 この二人に目星を付けて、輝斗は考えを巡らせ始めた。


(いや、三人か)


 徳兵衛が娘と共謀して工作をした可能性も否定できない。


 誰が犯人なのかは不明だが、輝斗は絶対に真犯人を捜し出すと心に誓った。

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