第19話 そば屋の二階で
「そろそろ七つ(午後四時)だよね。親分と待ち合わせをしているから移動しよう」
輝斗は一緒に歩いているお咲に提案した。
「どこで待ち合わせなのでしょう?」
「時の鐘のすぐ近くにそば屋があるから、そこの二階で待っていろって親分が言っていたよ。時の鐘って石町(本石町のこと。東京都中央区)にあるんだよね? ――お咲さん、急にこわい顔してどうしたの?」
彼女が立ち止まって、鋭い目で睨んでいる。
「本当に親分がそう言ったんですね?」
「うん。間違いなくそう言ったよ。で、どうしてそんなに警戒しているの?」
「そば屋の二階は、鰻屋の座敷と同じような使われ方をします」
「――江戸っ子連中、飲食店をなんだと心得てやがる」
輝斗の常識とはかけ離れているが、お咲からすれば警戒するのは当然の話である。
「そばってうなぎと違って、注文してからそんなに待たされないから、出会茶屋みたいに使えないんじゃない?」
「水をきちんと切るそば屋なら、四半刻(およそ三十分)くらい待たされるそうです」
「それだけ待っている間に色んなことをするってことか。本当に親分がそば屋で待つよう言ったわけだから、信じて欲しいんだけど……」
「嘘だったらこれでもかってくらいに暴れますよ?」
不承不承という様子だが、彼女は取りあえず頷いてくれた。
輝斗としては変なことをするつもりなんて一切持っていないのに、二人の間に微妙な空気が流れてしまっている。
ともあれ、指定されたそば屋に入り、二階へ上がった。
案内された部屋は四畳半の広さで、窓からは涼しい風が入り込んできている。
「オレは花巻(かけそばの上に焼き海苔を乗せたお品)を食べようかな」
輝斗が注文をすると、花番(そば屋の接客係)が怪訝そうな顔になった。
「よろしいのでしょうか?」
「何か問題でもあります?」
「いえ、よろしいのなら構いません」
そうは言っているが、花番は相変わらず不思議そうに彼を見ている。
「私も花巻をもらいます。あと、板わさ一つと御酒を一合。杯は二つお願いします。花巻は出来上がり次第すぐに持ってきてください」
続いてお咲がテキパキと注文する。
これを聞いて、花番はかしこまりましたと言って下の階へおりていった。
「ここで花巻を頼むとは、なるほどそういうことですか。お店の人が変な顔をしていましたが、ヨシとしましょう」
お咲が感心したように頷いた。
「どういうこと? 暑い時期に熱いそばを頼むのは変って話?」
「夏に熱いものを食べるのも変な話ですが、わざわざ二階に上がったのにかけそばを頼んだことを、花番さんは驚いたのでしょう」
「全然分かんないんだけど?」
「男女二人で二階に上がったんだから、もりそばを頼むと思われていたはずです。だけど、輝斗さんはすぐに出すことができる花巻を頼みました。そりゃあ、驚かれますとも」
「ああ、かけそばは水を切らないから早く提供できるってことか。だとしたら、本当にそばを食べるだけの客だと店の人も思ってくれているはずだね」
「分かっていなかったのは実に輝斗さんらしいというかなんというか。――まあ、おかげで私も安心してそばを食べられます」
「……まだオレのこと信用していなかったんだ」
話しながら待っていると、酒と板わさが届いた。
「いただきます」
輝斗はチロリから杯に酒を注ぎ、軽く酒を舐めた。
(甘い。そして薄い。ほのかに香る木の匂いは上々なんだけどな)
江戸の酒の第一印象は、こうだった。甘口の酒なのは問題ないが、この薄さには驚く。アルコール度数は下手したらビールと変わらないくらいに低いかもしれない。
「ふう、やはり下り酒は格別ですね」
お咲の方はこの酒に満足しているようだ。
「これって下り酒? 高級品扱いの?」
「そうですよ。味で分かりませんか?」
「分かれと言われても、そもそもの話で地廻りの酒(江戸近郊で生産される酒)も飲んだことがないからね……」
輝斗が困惑する。
(こんなに雑味がある酒が高級酒? ――そっか、精米歩合が違うのか)
未来時代で日本酒に詳しい知人から聞いた蘊蓄を思い出す。
精米歩合とは、どれだけ米の外側を削ったかの割合だ。玄米のままなら百パーセント。三十パーセント削ったら精米歩合七十パーセントの白米だ。
米の表面を削れば削るほど、酒の雑味が少なくなり、吟醸香と呼ばれる華やかな香りが強くなる。
輝斗が生きてきた現代日本では、一般的な普通酒が七十パーセントから八十パーセントくらいだ。高級扱いの吟醸酒は精米歩合六十パーセント以下で、大吟醸酒は五十パーセント以下と定められている。甚だしいものは十パーセント以下まで削る。米をたくさん削ったから良い酒だと決まるわけではないが、一応の目安にはなる。
明治時代の後期での精米歩合は七十五パーセントから九十パーセントと記録が残っている。これを踏まえると、明治後期と同様に機械で精米していない江戸時代の精米歩合は同程度くらいと考えられる。
現代人の輝斗からすると雑味を多く感じるのは当然のことだろう。
「もうひと口もらおうかな」
彼はチロリから杯に酒を注いだ。
米をそれほど削っていない米で造った酒は、口当たりは重いが、米本来の味を楽しむことができる。また、雑味の成分は温められると酒の味にふくらみを与える。
(なるほど、これはこれで美味しいかも)
人肌くらいに温められた酒を舌の上でじっくり転がしてみて、輝斗は評価を改めた。甘口ではあるがアルコールのしっかりとした辛みも含まれていて、バランスが保たれている。
彼が下り酒を堪能していると、メインの花巻が届いた。
花番が折敷を客の前に置き、丼のフタを外した。その途端、香ばしい海苔の香りが部屋中に広がる。
その匂いが輝斗の食欲を刺激する。
「いただきます」
輝斗は箸を取り、そばと海苔を口に運んだ。
口の中に汁と海苔の香りが広がる。ほどよくほぐれた海苔は、そばを喉の奥へたぐり込むのに全く支障にならない。
「美味い。そばと海苔でビタミンB1の補給ができたし、我ながら良い選択だった」
不満点を上げるとするなら、汁が少し濃いことと、そばの香りが弱いことだろうか。前者は現代人と江戸人の好みの差だから仕方がない。後者は保冷技術を持たない時代での夏場のそば粉なのだから当然のことで、むしろそんな粉を使いながらここまで細く長いそばを打った職人に敬意を払うべきだ。
味に満足した輝斗は汁を飲もうと丼に口を付けた。
「輝斗さん、無作法ですよ」
その様子を見たお咲が苦言を呈する。
「丼に口を付けちゃダメなの?」
「江戸では眉をひそめられます。郷に入っては郷に従いましょう。上方では許されているみたいなので、うちのおっ母さんは事あるごとに文句を言っていますね」
「歩き回って汗をかいているから、汁を飲んで塩分補給したいんだけどなあ……」
レンゲやそれに該当する道具が置かれていないので、店の方からしても客がかけそばの汁を飲むことなんて全く想定していないようだ。輝斗は素直に諦めた。
二人がそばを食べ終わった頃、藤次が二階に上がってきた。
「なんでえ、このクソ暑いのにかけそばなんて食っていたのか?」
「あら親分、いらっしゃい。輝斗さんの機転を生かして先に始めていました」
手でパタパタと首元を扇ぎながら、お咲が迎えの言葉をおくる。
「何の機転だ? よく分からねえが俺もそばを頂くぜ」
藤次はもりそばとそばがき、加えて酒を注文した。
「親分、何か新しいことは分かりましたか? オレたちの方は少しくらいしか進んでいません」
「蔵の中から一通の文が見つかった。お時が文湧堂の旦那に渡した奴だろう」
「何て書いてあったんですか?」
「ざっくりまとめると『女のことで話がある。誰にも聞かれないように、今夜五つ(およそ午後八時)に店の蔵の中で待っていてくれ。合い言葉はスミレ草だ。これが聞こえたら扉を開けて入れてくれ』って書いてあった」
「旦那が蔵の中にいた理由が分かりましたね! そんな手紙をもらったから、お内儀さんにも奉公人にも言わずに蔵へ向かったと」
(女って誰のことなんだろう? お内儀さんかお時さん? それとも別の女性かな?)
殺人の動機に関わってくるかもしれないので、この件も調査しないといけないと輝斗は考えた。
「で、その手紙を書いたのは誰だったんですか?」
「長八の名が書かれていた。何が何でもあいつを見つけ出さねえとな」
「――長八さんが俄然怪しくなってきましたね」
「あと分かったのは、徳兵衛が長八の馴染みの店を探して、奴さんが月初め以来訪れていないって突き止めたくらいか。輝斗の方は何か掴んだか?」
輝斗は、今日知ったことを全て伝えた。
「――長八の周りがいよいよ怪しいな。そばを食い終わったら俺も長八捜しに加わるぜ」
ここでそばがきと酒が届いたので、藤次は話を中断して食事を始めた。
「やっぱり、そば屋には下り諸白が置いてあるからありがてえ。ちょっと前は手に入らなかったことを考えると、良い世の中になったぜ」
藤次が酒を一口あおってから軽く息を吐く。
彼がそんな感想を漏らすのは、幕府の政策に理由がある。
この時代、たいていの物品は上方で作られた下りものが、関東近郊の地廻り品よりも質が高く、特に酒は顕著であった。江戸の富が上方へ大量に流れている状況を憂慮した幕府は寛政二年(一七九○年)に下り酒の江戸への持ち込みを禁じてしまう。その代わりに、江戸近郊で上質の酒を造ることを奨励した。これを「御免関東上酒」と呼ぶ。
しかし、関東の造り酒屋は幕府の後援を受けながらも、関西ほどの技術を身につけられなかった。結果、江戸の民は味の劣る酒を強制される羽目になったのだ。
この状況が変わったのは十九世紀に入ってからだ。享和三年(一八○三年)、米相場が大暴落する。米価が暴落すると百姓はもちろんのこと、年貢米が主な収入源である武士も困窮してしまうわけだから、米価の安定は幕府の基本政策となっていた。この時は買米令を発令して米価を引き上げようとした。
買米令と平行して、幕府は酒醸造に関する政策も一変させる。まず、天明の大飢饉(一七八二―一七八八年)以来しばしば発令されていた酒造制限を撤廃した。そして文化三年(一八○六年)、勝手造り令を出し、酒株を有しない者にも酒造りを許す。たくさんの米を酒にしてしまうことで、米価の上昇を目論んだのである。
この政策変更に付随して、下り酒を江戸で販売することが解禁された。おかげで、江戸の庶民は上質な下り酒を再び楽しめるようになったのである。
「親分、そんなに下り酒って良いものなんでしょうか? オレには分かりかねますが……」
「そりゃおめえ、地廻りの酒を飲んでみれば分かるぜ。上方の酒の出来映えってやつが」
「はあ、そんなに違いますか」
「江戸にも上酒はある。『隅田川諸白』とかな。ただ、やっぱり下り諸白には遠く及ばねえ」
「地廻りでも銘酒はあるんですね」
「輝斗もすぐに思い知ると思うぜ。下り酒の有り難さをな」
「どういうことでしょう?」
「俺がそばを食べ終わるまで待て」
もりそばが届くまでには時間がどうしてもかかってしまう。その間に三人は事件の情報を整理し合った。
そば屋は前作(https://ncode.syosetu.com/n7434hs/)で書きまくったので出そうかどうか悩みましたが、江戸の町での生活でそばが出てこない方が不自然なので登場させました。というのも、江戸っ子はそばを食べまくっていたからです。
幕末の記録になりますが、江戸の町に1年間で入荷されたそばの実は約163,000俵だそうです。
これを全てそば粉にして、小麦粉を混ぜて、そば切り(麺状のそば)にすると8000万食になると昭和時代のそば屋さんが計算してくれています。江戸の人口が100万人とすると、1人あたり年間80食のそばを口にしていたことになります。
ただし、この計算結果はそば粉と小麦粉を7:3で作ったという数字です。実際には、もっと小麦粉の割合が高い店の方が多かっただろうから、おそらく江戸っ子が口にしていたそば切りの数は80食どころではないと思います。どれだけそばが好きだったのでしょうか……。
物語の中で丼に口を付けるのが無作法とありますが、これは昔の話であって現代の東京ではそんなマナーは聞いたことがありません。古い歴史を持つ、とある老舗そば屋さんでかけそばを頼むとレンゲが付いてくるのだから、汁を飲んでも構わないはずです。
古い時代、江戸・東京のかけそばの汁(甘汁)は、もりそばの汁(辛汁)を薄めて作られていました。この作り方だと辛くてとても飲めるような汁ではないので、丼に口を付けないのが当たり前という風習になったようです。ちなみにそば湯で割った場合は飲んでも別に問題なかったとのこと。
対して関西では飲むことができる汁で提供されていたので、丼に口を付けても構わないという考え方だそうです。
東京のそば屋でも甘汁を飲んでも構わないとなったのは、私見ですが甘汁が変わったからなのではないでしょうか。昭和の初期に東京のとある老舗そば屋さんが甘汁の新しい製法を考え出し、これが戦後広まったそうです。新しい甘汁は以前のものよりは甘く、そのまま飲むことが可能なのです。
新しい甘汁でも西日本の方々は東京の汁の濃さに驚かれるのだから、食文化の東西の違いは非常に大きいですね。




