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第14話 徒歩移動

「お咲さん、本町と室町ってどの辺にあるの?」


 文湧堂から出て、輝斗はお咲に尋ねた。


「江戸に来たばかりの人にどうやって伝えるべきでしょうか。――時の鐘とか常磐橋ときわばしとか分かります?」


「名前は聞いたことあるけど、場所がどこなのかは分からないよ」


「じゃあ、日本橋(東京都中央区)はどうでしょうか?」


「日本橋なら知っている」


「そこのすぐ北になります」


「――え?」


 輝斗が真顔になった。


「オレたちが今いる所の東側が御徒町おかちまちだよね?」


「そうなります。御徒町は知っているんですね」


 鉄道の駅名として現代に残っているのだから、知っていて当然である。


 ただし、駅名にはなっているがそんな名の住所は存在せず、江戸時代でも正式な町名ではない。御徒町という名は、下級幕臣である徒士かちの組屋敷が立ち並んでいたことから付いた通称なのだ。


上野広小路うえのひろこうじ(東京都台東区)ってどの辺にあるかな?」


「上野広小路じゃなくて、下谷広小路したやひろこうじですよ。ここから少し北になります」


(ということは、現在位置は地下鉄銀座線の末広町すえひろちょう駅辺りになるのかな?)


 大まかな現在位置が分かった。


「――まさかと思うけど、ここから日本橋まで歩くの?」


「そりゃあ歩きますとも」


「遠くない?」


(末広町駅から日本橋駅まで三区間だぞ)


挿絵(By みてみん)


 普段からほとんど運動をしていない輝斗にとっては苦労しそうな距離だ。しかもその後、秋葉原まで徒歩で帰らなければならない。


「このくらいで辻駕籠つじかごを使うなんてとんでもありません」


「江戸の人は健脚だなあ……」


「横浜からどうやって歩いてきたのでしょうか? 歩くのに疲れたからって、『抱っこ』だの『おんぶ』だの言い出したら怒りますからね」


「とことんオレを子供扱いしてくるね……」


 輝斗は諦めて南へ向かって歩き始めた。


「歩くのは構わないとしても、この暑さはどうにかならないでしょうかね」


 お咲が手で顔を仰ぎながらこぼす。


「オレの場合、暑さの方は平気なんだけどなあ」


「夏に強いのはうらやましい。私が暑いのを苦手なのは冬生まれだからなのでしょうか?」


「生まれ月と暑さ耐性ってあまり関係がないような……。ところで、式亭三馬さんと長八さんの家ってどうやって探すの? 町の名前しか聞かされてないけど」


「その町の人に尋ねれば教えてもらえますよ」


「やっぱりそうなるのか。本町と室町が狭いのを祈るよ」


「どちらもそこそこの広さがあります。ただ、式亭三馬先生の家は私が知っているので、こちらの手間は省けます」


「なんでお咲さんが知っているの?」


「先生は生薬屋を営んでいますので。本町二丁目の『式亭正舗しきていせいほ』。江戸で知らない人は稀でしょう。特に女は」


「女の人がよく使う薬を売っているのかな?」


「薬というよりも化粧になります。女衆の目当ては」


(現代のドラッグストアで化粧品を扱っているのと同じ感じ? というか、この時代の商売が現代まで続いているのかも)


 輝斗はなんとなく想像してみた。


「式亭正舗が売り出している『江戸の水』。これが女たちの間で大評判でして、私も買いに行きました。中身もさることながら、きれいなギヤマン(ガラス)の器が本当に女の心を掴みますね」


 江戸の水という商品名の化粧水だ。三馬はこれを売るのにいくつもの仕掛けを施している。


 お咲が言うように、美しい容器で女性を惹きつけているのがまず一つ目。


 売れっ子作家という立場を生かして、自身の著作の中で堂々と宣伝をしているのが二つ目。


 そして三つ目として。


「江戸の水と名付けるとは、本当に考えられていますね。そりゃあ、江戸の女が欲しがりますとも」


「オレの感覚では単なる水のように感じちゃうんだけど、江戸の人からすると違うの?」


「水道の水が江戸のお国自慢の一つですからね」


「――水道が?」


「諸国にはないものなので」


「安全な水道水を誇っている人たちに心当たりがあるぞ……」


 二百年後の日本人のことだ。この辺りの感覚は江戸時代から変わっていないようである。


「『こちとら水道の水を産湯に使った江戸っ子よ』と啖呵たんかを切るくらいに、水道は自慢の種になっています。式亭正舗で扱っているのは水なんかじゃなくて化粧水ですが、江戸の水って名は上手いと思います。水道の水を浴びて生まれたわけじゃない私も思うくらいには」


「あれ? お咲さんって江戸生まれじゃないんだ?」


「幼い時に田舎から両親に連れられてきたそうです。全く覚えていないので、聞いた話になりますが」


「へえ。小さい子供を連れて旅するなんて大変そうだな。ところで、お咲さんって式亭三馬の本を読んでる?」


「湯屋の娘ですし、『浮世風呂うきよぶろ』くらいは読んでいます」


 浮世風呂も式亭三馬の代表作の一つである。


「どんな話なのかな? オレは名前を知っているだけなんだよね」


「湯屋での出来事を面白おかしく書いてある本です。少し古いところはありますけど、今でもまだまだ楽しめます。輝斗さんも読んでみては?」


「江戸の崩し字は読めないんだよね……」


「なら、手習い(寺子屋)に通って読み書きを習うべきですね」


「また子供扱いされてしまった……」


 どこかで汚名返上したいところではあるが、そんなに都合良く機会なんて訪れてくれないだろう。


「文湧堂の話なのですが、輝斗さんはどう考えていますか?」


「難しいよね。店の人間でも、外から来た人間でも、誰もが善左衛門さんを殺すことができたはずだし」


「そうですね。二階の格子が壊されていたわけだから、どんな人でも蔵の中に出入りできたと思います」


「地道に手がかりを探すしかないかなと」


「結局のところ、そうするしかないありませんね。輝斗さん、文湧堂さんの仇を討ってあげてください。お願いします」


 お咲が期待するような目で輝斗を見上げる。


「オレ?」


「昨日の銀三さんの時のように、鮮やかに埒を明けてください」


「うん。そうできるように頑張るよ。ただ、今の状況だと分からないことだらけだから、とにかく証言と証拠を多く集めたいね」


「お手伝いします。輝斗さん一人では何もできそうにないし」


「頼りにされているのか、子供扱いされているのか、どっちなんだろ……」


「どっちもです」


 そんなことを話ながら歩いていると、目的地が近づいてきた。

主人公は駅三つと数えましたが間違っています。本町と室町の最寄り駅は日本橋ではなく三越前なので、実は駅二つ分の距離です。

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