第12話 蔵の調査
「御検視がいらっしゃる前に、少し調べておくか」
蔵の中に残った藤次が宣言をした。
文湧堂の主人、善左衛門の死が確認されてから少し経っている。店の奉公人を出して自身番に事件のことを届け、検視の役人が来るのを待っているところだ。
蔵の中には藤次、輝斗、泣き止んだ正助の三人が残っている。正助以外の店の人間は母屋の中で待機してもらっている。特に、お内儀のお朝はショックで大きく取り乱してしまったので、落ち着くまでゆっくり休んでもらわなければならない。
「あれ、お咲さん? こんな所に入ってこないで、母屋の方で休んでいたら?」
蔵の中にお咲が入ってきたので、輝斗は出て行くように促した。彼自身も気分がすぐれないのだが、何とか耐えられそうなので、お咲に気をつかう余裕はある。
「私は平気にございます。少しでもお役に立たないと」
「お咲さんがそう言うのなら……」
彼女の顔色は悪くなっているものの、口調はしっかりとした様子だ。
「お咲ちゃんが手伝ってくれるならありがてえ」
「と言っても、私にできることなんてそんなにはないと思いますよ、親分」
「なに、そこで見張ってくれているだけでも助かるぜ」
言いながら、藤次が死体に近寄って調べ始める。
「刃物で何回も刺されているな。胸やら背中やら首の後ろやらに、たくさん傷が残っている。――刃物は落ちてねえか。倒れた時に本の山を崩しちまったのか、周りに散らばっているぜ。殺される前に暴れて崩したのかもしれねえかもな」
本屋の蔵ということで、大量の本が積まれている。あと、出版用の版木も一緒に置かれている。
「善左衛門さんの懐に錠前と鍵が入っている。外扉の物だろうな。もう一個床に落ちている長細い奴は内扉用で相違ねえか、正助さん?」
「はい、その通りにございます」
(外扉の錠と鍵は文湧堂の旦那が持っていて、内扉の鍵は床の上に転がっている。どちらも蔵の中にあったわけか。要するに善左衛門さんが自分で蔵に入ったってことだよな)
鍵が二つとも部屋の中にあるのだから、そう判断するべきだ。
(内扉の鍵は一つだけしかないのに蔵の中にあるってことは、これってひょっとしたら密室殺人になるんじゃないか?)
ふと、輝斗の頭に考えが浮かんだ。
「内扉の鍵を外からかける方法ってありますか?」
彼は倒れている扉に近くに歩いて行く。
密室殺人の謎を解いてみせると意気込んだわけだが、内扉の謎はすぐに氷解してしまった。
「輝斗さん、戸を閉めるだけで鍵が勝手にかかりますよ」
と、お咲が教えてくれたからだ。
「こんな仕組みだったのかよ……」
引き戸の下方に閂が付いていて、横に動かすと自動的に床の穴に刺さる仕組みだったのだ。江戸時代でもオートロック式の鍵が存在しているとは思いも寄らなかった。
「で、この鍵を使って外から閂を持ち上げて開けるわけなんだ?」
「その通りです。扉の穴に差し込んで、閂を引き上げながら戸を横に動かせば、すんなりと開きます」
輝斗は内扉の鍵を手に取ってみる。長さが五十センチ程度で、複雑に湾曲した鉤状の鉄棒だ。先端に何かを引っかけるような爪があって、これで閂を持ち上げるのだろう。倒れている扉を見ると、ちょうど棒を通すのにちょうど良い穴が開いている。
(オートロックだから、密室殺人なんかじゃなかったか)
ホッとしたような残念なような少し複雑な気分になった。
「輝斗、俺に付いてこい。蔵の中を調べるぞ。物陰に誰かが潜んでいるかもしれねえから、気を抜くなよ。正助さんとお咲ちゃんは出入り口を見張っていてくれ」
藤次から指示が飛んできたので、彼は素直に従う。二人一組となって物陰を探るが、人の気配は一切感じない。
窓を見てみると、木製の格子が付いていて、人間が出入りできるとは思えない。格子が壊れていたりしていないか調べてみたが、何の異常も見受けられなかった。
壁や床にも人間が通り抜けられるような穴は見当たらない。
「――誰もいねえな。二階も調べるぞ」
藤次が梯子段に目を送る。
「正助さん、灯りを持ってきてくれ。二階には光がほとんど届いていねえ。暗がりの中で不意を突かれたら、笑い話にもならねえぜ」
「承知いたしました。少々お待ちくださいませ」
頼まれた番頭が外へ出て行った。
「待っている間に扉を調べるべえ」
そう言って、藤次が床に倒れている内扉を起こした。
「輝斗、扉を立てておけ。お咲ちゃんは落ちている閂を拾って、壊れる前の所にかざしておいてくれ」
二人は親分の指示通りに動き始める。
「特に怪しいところはねえな」
ひと通り調べて、藤次が頬をかいた。
輝斗としても同感である。内扉に不自然な点は見受けられない。
調べ終わってから間もなく、正助が蝋燭を二本持って戻ってきた。
「――じゃあ、二階を調べるとするか。輝斗も蝋燭を持って俺に付いてこい。蔵の中に燃えやすい物ばかり入っているから、火の取り扱いに気をつけろよ」
「はい。火事を起こして丸焼けになるのは嫌ですし」
「正助さんとお咲ちゃんは、また出入り口を見張っておいてくれ」
藤次と輝斗の二人は慎重に梯子段を昇り始めた。
上の階は一階ほど荷が置かれていない。やはり物を持って上り下りするのが億劫なのだろうか。
「輝斗、ちょっと止まれ」
藤次が屈んで、蝋燭を床に向ける。
「ずいぶんと埃が溜まっているな。――正助さん、二階はあんまり使わねえのか?」
「その通りにございます。めったに使わない物ばかりを二階に置いてありますので」
藤次の問いかけに、階下から正助が答える。
「……そのわりに新しい足跡がたくさん付いている」
親分の言葉通りで、輝斗の目にも足跡が多数見えている。あと、土が床に多数付いているのが目に付く。
「本当に誰か潜んでいるかもしれねえな」
より一層気を引き締めて二階を調べていくが、こちらにも人影は存在していなかった。そもそも、人間が隠れられるような物陰が少なかった。
「アテが外れたな……。輝斗、火を消せ。窓を開ける」
藤次が窓を開け放つと、二階にも日の光が差し込んでくる。
「……窓の周りに足跡と土がやたらと多いな。大きさの違う足跡がいくつも混じっていて――。おい、これを見てみろ」
親分が指さしたのは、床に落ちている木製の棒だ。
「これは格子ですよね?」
「そうだな、この窓の奴だ。二本切られているから、もう一本もどこか近くに落ちているだろう」
見回してみると、窓から離れた床に格子がもう一本が落ちていた。
格子が二つ外されていることで、大人でも出入りできるくらいの隙間が窓に生じている。
「なんで格子に糊が付いているんでしょうか?」
輝斗が疑問を口にする。
落ちている木の両端に乾いた糊が付着していたのだ。
「壊れていた格子を糊付けしていたのか? 大事な物が置いてある蔵の格子を糊付けで済ますなんて、ずいぶんと不用心な話だが」
首を傾げながら、藤次が落ちていた格子を元の場所に戻す。
「ふむ。ピッタリだな。糊の跡もだいたい一致しているし、糊付けしていたで間違えねえな」
確認をしてから彼は棒を床に置いて、窓から顔を出した。
「人殺しはここから入ったのかもしれねえ。足跡の数と落ちている土の量から考えると」
「窓には鍵が付いていないから、外からでも開けられますね」
「ハシゴでもかけたか? なら、跡が壁に付いているはずだ。――案の定いくつか残っているぜ」
窓から身を乗り出した藤次が、蔵の壁を確かめる。
「……いや、本当にハシゴを使ったのか? この窓の真下に蔵の出入り口がある。文湧堂の旦那は扉を開けて中に入ったはずだ。そこにハシゴなんかあったらおかしいと思うだろ。それを見過ごしたまま入るはずがねえ」
「主人が中に入った後にハシゴをかけたんじゃないでしょうか。中から扉を閉めていれば、ご主人はハシゴに気付けません」
「筋は通っているな。だが、格子を切る音が主人の耳に入るだろ。あらかじめ切ってあったなら話は別だが」
「ノコギリの怪談ってひょっとしたら――」
「べらぼうな話だと思っていた怪談が、ここに繋がってきたな。――取りあえず怪談の件は置いておいて、蔵の外を調べるか。幸いなことに昨日の雨で土がぬかるんでいる。何らかの手がかりが残っているかもしれねえ」
二人は一階におりて、庭へ出た。
「さっき、扉を破る時に大勢で踏み荒らしちゃいましたね……」
「そいつは仕方がねえ。あの時は、まさか人殺しが起こっていたなんて思いもしなかったわけだしな。だが、扉から離れた所にはきちんと残っているようだぜ」
「――塀に向かっている足跡が残っていますね。犯人が履いていた草履の跡かもしれません」
「蔵の方へ向かっている足跡もあるぜ。大きいのと小さいのが二つ並んでいるってことは、人殺しは二人組なのかもしれねえな」
「親分、何か書くものはありませんか?」
「矢立(筆と墨の携帯道具)くらいは常に持っておけ。ほら、俺のをくれてやる」
「ありがとうございます」
輝斗は懐紙を地面に広げて、筆を走らせ始めた。
「ほう、足跡をなぞり書きしているのか」
「犯人の足かもしれないし、写しておこうかなと」
「いい心がけだ。――ふむ、足跡は塀まで続いているな。塀の際に転がっているあのハシゴが使われた奴なんじゃねえか?」
足跡を写した紙を懐にしまって、輝斗も塀際に目をやる。
「あのハシゴなら二階まで届きそうですね」
「塀を越える時にも使ったかもしれねえ。あんな所に置いてあるわけだし。――ハシゴの話も後回しにしておくか。自身番が来たようだ」
ここで現場の調査は一旦打ち切りとなったのであった。