埋めネタ 害悪プレイリストと考察。
更新できない日用の埋めネタです。いつか本編でも使われるかも知れません。
①出待ち・角待ち(キャンプ)
出待ちとは、敵がリスポーンする地点や特定の場所で待ち伏せし、一方的に攻撃するプレイのことです。このクソみたいな戦法は、2000年以上昔、中国で編み出されたものです。そう、孫子の兵法です。
孫子いわく、「先に戦地に処りて、敵を待つ者は佚し、後れて戦地に処りて戦いに趨く者は労す。故に善く戦う者は、人を致して人に致されず。」これはどういう意味かというと、先に戦場に着いて敵軍の到着を待ち受ける軍隊は余裕を持って戦うことができるが、後から戦場にたどり着いて、休む間もなく戦う軍隊は苦しい戦いを強いられる、という意味です。
要するに、孫子は「出待ちって最強じゃね?」と、言っているわけです。
実際、孫子は楚国と戦った際に、ラボカードキーやフラッシュドライブなど、レアアイテムを楚の兵士に集めさせて、自身はひたすら弩を構えて城の「角」で待ったとされています。ここまできたら、出待ちと書いて孫子と読んでもいいかもしれません。自らはリスポン地点や脱出地点でじっと動かず角待ちし、いざプレイヤーが現れたら頭にショットガンを叩き込んでしゃぶりたおす。これこそが「孫子の兵法」の真骨頂であり、クソ野郎の知恵そのものでした。なお、孫子はいつものように出待ちしていたところ、PMCにグレネードを投げ込まれて死にました。
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②スナイパー遠距離チクチク(芋砂プレイ)
遠くからスナイパーライフルで敵を狙い、近づかせずにチクチク攻撃する。
つまり、芋砂のことです。
これはマキャベリの政治哲学に基づく「恐怖による支配」そのものです。イタリアの政治思想家ニッコロ・マキャベリは、著書『君主論』でこう述べています。
「君主は愛されるよりも恐れられるべきであり、恐れられることがより安全である。」
マキャベリによれば、統治者が敵や民衆に愛されるヒーローである必要はなく、むしろ恐れられる存在として権力を維持する方が効果的だと説きました。芋砂プレイヤーは、まさに戦場の「君主」です。遠くから静かに、しかし確実に敵を狙い撃つことで、敵に「次はどこから撃たれるかわからない」という恐怖を「戦場の主」として植え付けます。この心理的プレッシャーが敵の動きを制限し、戦場全体をコントロールする力となるのです。
たとえば、敵が「スナイパーが潜んでいるかもしれない」と警戒すれば、無闇に突進できなくなり、敵チーム全体の戦略が狂います。これは芋砂が「隠れて撃つ」以上のことを達成している証拠です。愛される派手なヒーローではなく、恐れられる冷静な戦略家として、いや、「芋王」として戦場に君臨しているのです。
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③メタ武器・強キャラ使い
えーっと、これは、ゲーム内で最も強い武器やキャラクターばかりを使うプレイは、アリストテレスの倫理学における「我々は可能な限り最善の手段を選ぶべきである」という『ニコマコス倫理学』の実践ではないでしょうか。
アリストテレスは、いかなる技術や研究、実践や選択も、何らかの『善』を希求している。つまり、目的達成のために最適な手段を選ぶことが理性の務めだと述べました。メタ武器や強キャラは、開発者が与えた「最善の手段」であり、それを使わないのは理性を欠く不正であり、悪徳行為なのです。あらゆるゲーマーにとって、強キャラを選択するのは「善」であり、非難されるいわれはないのです。
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④煽り行為(エモートやチャットでの挑発)
倒した相手にダンスエモートや屈伸をしたり、チャットで煽る行為。これは一見するとノーマナーな行為に見えますが、『お気に召すまま』でシェイクスピアが示した世界観――「世界はすべてお芝居だ。男と女、とりどりに、すべて役者にすぎぬのだ。」という言葉を踏まえて考えてみましょう。
シェイクスピアは人生を演劇に例え、誰もが役者だと説きました。これは古代ローマの詩人ペトロニウスの詩句、「世界中の人々は役者として生きている」が原型であり、世界劇場という思想です。
この思想の根底には、「私」や「自己」はそもそも存在せず、仮にあったとしても、それは世界のただ中に置かれたそれ自体としては何者をも意味しない「物質」にすぎないという徹底的な無の思想があります。
私たちはたまたま与えられた世界の中の何かしらの「役」を演じることによって初めて存在を得るようになる、ということです。
そう、プレイヤーは煽り行為を通し、勝者であるということを敗者に示して、そこで始めて「勝者」となるのです。
むしろ、煽らないのは世界という舞台を無為のままにすることを意味します。弾を当てて、ただ相手を倒した。その事実だけが残るのです。ここで煽り行為をしないのは、世界を虚無のままにすることを意味します。いうなれば貴方を、ひいては対戦相手を人間ではないと否定する、あまりにもおぞましい煽り行為なのです。
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⑤リスキル(リスポーン即キル)
リスキルとは、敵がリスポーンした瞬間に即座に倒し、反撃の余地を与えないプレイのことです。これは一見すると、無慈悲な行為にみえますが、孔子の論語、「人而不仁、如礼何」の視点から見ればまったく逆なのです。
「人而不仁、如礼何」これは訳すと、「仁(思いやり)がなければ、礼儀など何の意味があろうか」。という意味です。つまり、孔子は「リスキルは義務」といっています。
リスキルは、敵に無駄な希望や反撃の機会を与えず、速やかにゲームを終わらせる「仁」の心だからです。CODやバトルフィールドに代表される、チケットを取り合うゲームは、実力差があっても微妙に長引くし、ダルいし、やる方、やられる方、双方にとって苦痛です。
ここで裏とりして相手の車両を破壊し、相手をリスキルすることは、敵である相手プレイヤーに「思いやり」をもって速やかに負けゲームから解放してあげようという、慈悲深い行為なのです。
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⑥放置プレイ(AFKや棒立ち)
ゲーム中に何もせず放置し、チームに負担をかける。これはまさに荘子の「無為自然に生きよ」という道家の思想そのものです。
荘子は、作為的な行動を避け、自然の流れに身を任せる「無為」を説きました。ゲームを始めたからと言って、どうしてゲームをしなければならないのでしょう? 誰がそんなことを決めたのでしょう?
放置プレイは、ゲームの流れに逆らわず、ただありのままに存在することでチームに「道」を与える無為の境地です。LOLなどで、味方にAFKが出たのになぜか勝った経験がある人がいるでしょう。それは彼が放置プレイを通し、あなたたちに「道」を示したからです。味方が勝手に頑張る姿は、まさに自然の調和。AFK野郎の棒立ちは、荘子の悟りの具現化なのです。なので、MIAピン炊きまくった後に、ちゃんと運営に報告しておきましょう。