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第六十四話 真実はいつもひとつ


 ブリトンの農家は独特の香ばしさが漂っていた。長年、煮炊きに使った薪の煙が茅葺き屋根に染み込み、それが焚き木のような香気を作り出しているのだ。


 室内は薄暗く、ガラスのない木枠だけの窓から灰色の光が差し込み、埃の粒子を浮かび上がらせていた。


 テーブルの上の白ネコは、金色の目で一行を値踏みするように見つめており、窓の木枠のぼんやりとした影が、背中を丸める彼の白い毛並みに十字を描いていた。


「シルメリアさんを……?」


 レオが疑念のこもった声を吐き出すと、エドガー・ミストウォーカーは、トレンチコートの裾を翻し、虫眼鏡を片手に農家の中央でくるりと回転する。


「そう、犯人の狙いはシルメリア君だったのだ!」


「……ったく、コロコロ変わる推理だね」


「フフン、真実は姿をコロコロと変え、霧の彼方に隠れているものだよ」


「真実が姿をコロコロ変えてちゃダメでしょ」


 レオが冷静な突っ込みを入れるが、エドガーは意に介さず続ける。


「シルメリアが無実なら、姿なき暗殺者の正体は……ブリトン産の綿花を独占し、ハトフロの経済を牛耳ろうとする闇のトレーダーギルドに違いない!」


 振り返り、ビシッと指差しポーズを決めるエドガー。しかし、テーブルに肘をついた結衣が彼の決めポーズを見てクスクスと笑う。


「トレーダーギルドって、要はハトフロのアイテムを転売して稼いでる連中でしょ? それがなんで初心者を襲うのさ?」


 窓辺に立ち、麦畑の遠くに見える曇天を眺めていた霜華が振り向く。

 彼女の銀髪が柔らかく光を反射し、冷静な声が響いた。


「トレーダーギルドが初心者を襲う動機は皆無です。トレーダーギルドの主な収入源である転売行為に比すると、初心者の妨害によって得られる利益はゼロに近いですから。犯人の目的は利害を超えた、もっと個人的なものだと推測します」


 彼女は細い指で顎を軽く叩く。

 さらに深く、思考を巡らせているのだろう。


「むむむ……」


「そりゃそうだ。いつ来るかわからない初心者を待って綿花を横取りするより、NPCの店に張り込んで在庫更新を待ったほうが確実だからなぁ」


 レオは白ネコの背中を撫で、インベントリから魚の切り身を取り出す。

 すると、ネコは切り身に桜色の鼻を寄せた後、切り身にパクッとかぶりついた。


「個人的な目的っていったって……この農家、他に誰もいないじゃん。血の痕と、このネコちゃんだけ」


 結衣が白ネコの喉の下を指でなでると、ネコはゴロゴロと喉を鳴らす。


 床の血痕は赤黒く乾き、鉄錆のような臭いがわずかにするばかりだ。手がかりらしい手がかりはまるで無い。


 シルメリアは甲冑をカチャリと鳴らして、ドア枠に寄りかかる。

 真紅の瞳が猫を一瞥し、口の端がニヤリと上がる。


「名探偵、次はこのフワフワが犯人って言うんじゃないだろうね?」


「さすが我が助手! なかなか良い着眼点だな!」


 するとエドガーは片目を細め、虫眼鏡を使って白ネコを覗き込んだ。

 レンズ越しに巨大な眼球がネコを見る。


「はぁ……。私が何時へっぽこ探偵の助手になったんだい?」


「その愛らしい毛並みに騙されるな! 私の直感が叫んでいる――

 この猫は、ただの猫ではない!」


 ネコは大あくびをし、顔に近づけられた虫眼鏡を前足で弾く。すると跳ね上がったレンズがエドガーの顔にごちんと当たり、彼はその痛みに悶絶することとなった。


 名探偵はずり落ちた中折れ帽を慌てて直す。

 その様子を見て、結衣が手を叩いて笑っていた。


 猫は素知らぬ顔で毛づくろいを始め、時おり舌を止めては一行を眺める。淡々とした視線は、一切関心の色を見せていない。薄暗い農家のテーブルの上で、静かにきらめく金色の瞳は、名探偵の推理を嘲笑い「くだらない」とでも言うようだった。


「とにかく、もっと情報を集める必要がありますね。農家の周りを調べ、NPCに襲撃について聞き込みしてみるのはどうでしょう」


「私も賛成だね。自称名探偵の妄想に付き合ってても解決しなさそうだ」


「じゃあ俺とシルメリアさんは農家の外を調べて、霜華は周囲の聞き込みをしよう。結衣さんは見落としがないか、農家の中をお願いします」


「オッケー!」


「うむ! 助手たちよ、頼んだぞ!」


「誰が助手だ、誰が!!」


 一行は農家と周辺を分担して調査し始めた。


 レオが外に出ると、曇り空の湿気を含んだ湿った風が麦畑を揺らし、黄金色の穂がさざ波のようにうねる。不気味な静けさが漂うなか、どこかでカラスが一声鳴く。


「まるでホラー映画だな……さて、と」


 レオは農家の外に回り、まず壁を調べてみることにした。藁葺(ワラぶ)き屋根を支える農家の木の壁は、苔と土がこびりつき、湿った木の匂いが漂っている。


「ん、これは一体……?」


 レオはドア枠近くの壁に何かを見つけ、慎重に外壁を指でなぞる。


 彼が指でなぞった壁には、4本の平行な溝が刻まれていた。溝はまるでナイフで彫ったように鋭く、深く刻まれており、木の繊維がスッパリときれいに裂けていた。


「これ、剣や斧で作られた傷じゃないな。……もしかして、爪か?」


 彼は革エプロンを拭き、首をかしげた。

 ブリトンの農家の周りにいる動物の中に、攻撃的なAIを持ったモブはいない。

 いずれも鹿や犬といった中立モブだ。


 こうした傷跡を作りそうな動物――グリズリーやパンサーといった攻撃的なAIを持った動物は、もっと森の奥にいるはずだ。


「そもそも〝大きさ〟が違うな。爪の間隔から考えるに、これを作った動物の手は、俺の手よりずっと小さい。だとすると――」


 一方、農家の中を調べることになった結衣は、納屋にあった(わら)の山の中を探っていた。こんもりと盛り上がった藁の山にピッチフォークを突っ込むと、そのたびに大量の埃が舞ってクシャミが止まらない。


「――お?」


 ピッチフォークの先に何かが引っかかる。

 引き出してみると、藁の山の中からボロボロになった革鎧が出てきた。


「うっわ、ズタボロじゃん!」


 鎧には4本の平行な切り裂き痕があり、革が引きちぎられ、ベルトに藁が絡まっていた。ゴミ同然の鎧を持ち上げ、結衣は首を傾げる。


「これ、剣や魔法じゃないね。なんか……爪を持った獣にガリっとやられた感じ?」


 結衣がワラの山と格闘しているなか、シルメリアは農家の周囲を見回っていた。

 鉄靴が黒い土に沈み、甲冑が曇天の空の弱々しい光を反射する。


「妙だね。普段はウサギやら羊やら、小動物がウロウロしているはずなのに、一匹もいない。まるで……何かヤバいものが全部追い払ったみたいだ」


 霜華は周辺の農家を回り、聞き込みをしていた。そして、出くわしたNPCの老農夫に何か変わったことがないかと尋ねると、農夫は糸のほつれたみすぼらしい帽子を握りしめ、震える声で語り始めた。


「若い開拓者さんが、叫び声を上げて消えたあの事件のことかい。あぁ、恐ろしいこっちゃで……」


「はい、その事件のことです。何か変わったことはありませんでしたか?」


「変わったこと? そうじゃな……。最近、夜になると白い影が畑を走り回っているんじゃ。わしゃ怖くて、夜は戸を閉めて息を潜めてますじゃ……」


「白い影、ですか?」


「へぇ。夜になると得体のしれない白い影がつむじ風のように走って、その後に動物の死骸が転がっちょるんで。きっと悪魔に違いねぇ……」


 そう語る老農夫の目には、NPCとは思えない本物の恐怖が宿っていた。


「実に興味深い証言です。やはりこの農村には何かがいるようですね」


 チームが農家に戻ると、霜華が手がかりを整理する。

 彼女は埃っぽい木のテーブルに指で線を引き、推理を組み立てはじめた。


「壁に残された爪痕、それと同じように破壊された装備、農家周囲のモブの不在、そして、農夫の証言……。これらの情報は全て、異常な力を持つ存在がこの農家にいることを示唆しています。そして、手がかりと一致する存在は――」


 霜華はテーブルの上に寝転がる白ネコを指さした。ところが、ネコはテーブルの上で前足を舐めるばかりで、まるで素知らぬ顔をしていた。


「ネコが犯人だっていうのかい? たしか同じような話に『モルグ街の殺人』があったけど……。それだって犯人はオランウータン。ネコってのは流石に無理があるんじゃないかい?」


 シルメリアが冷ややかに言うが、エドガーは違った。

 目を輝かせ、テーブルに飛び乗った彼はビシッと白ネコを指さした。


「その通り! この白ネコこそ、伝説の殺人ネコ!!

 最悪最強にして〝白き死〟の異名を持つ殺人鬼なのだ!!」


「明らかに今作ったろ、その設定……」


 エドガーのトレンチコートが翻り、虫メガネがキラリと光る。白ネコは、くるくると回っているエドガーのブーツに近づくと、猫パンチを一閃。探偵のバランスを崩させて、テーブルから転落させてしまった。


「ぬぉぉ!! この一撃の鋭さ、まさに怪物の証!!」


「単に転んだだけだろうが……」


「いえ、これで確信が持てました。やはりこのネコが犯人である可能性が高いです」


「……マジ?」


「この白ネコは、猫パンチの直後、即座に手を引きましたが、見ていましたか?」


「あぁ。何か妙にすばしっこかったな。でもそれがどうしたんだ?」


「その時の動きはおよそ0.03秒でした。この攻撃クールダウンを実現するには、敏捷(DEX)の値が300ほど必要です」


「……それ、普通のプレイヤーの倍くらいない?」


「なりふり構わず装備で盛っても200が限界だね。文字通りバケモンじゃないか」


「レオ先生、実は農夫の証言にはまだ続きがありまして……」


 そういって霜華は一行の前で証言の録音を再生した。


『あの猫、昔、変な開拓者がよく構ってた。盾持った若者が、夜な夜な猫と戦ってるみたいだった。ドン!ガン! って金属を叩く音がよく畑に響いてたよ。その後、開拓者は消えたが、猫は……なんか、目つきが変わったんだ』


 証言を聞いた一行の視線がフカフカのお腹を見せた白ネコに集まる。

 微かな緊張が農家の中を満たしていた。


 その時、シルメリアがガントレットを合わせ鉄の音をさせる。

 何かピンと来たものがあったようだ。

 

「それってスキル上げの話じゃないかい? ハトフロじゃ、プレイヤーがNPCを相手にしてスキルを磨くことは珍しくないからね。ただ、ハトフロにはNPC側にもスキルの成長判定があるから……」


「え、じゃあこのニャンコ、開拓者の盾で何年もガチンコバトルして、超強いモンスターになっちゃったってこと?」


「そういうことになりますね」


 霜華は頷き、推理を締める。


「仮説:この猫は、開拓者のスキル上げにより異常な戦闘力を獲得。初心者が皮や肉を求めて猫に攻撃を仕掛け、反撃で一撃で倒された。猫は悪意ではなく、自己防衛で動いたものと推測されます」


 そう語る霜華の声は確信に満ちている。テーブルから落とされたエドガーは農家の床に座り込み、芝居がかった声で叫んだ。


「なんと! 姿なき暗殺者は、人の手で生み出された悲劇の怪物――

 『白き復讐者』だったのだ!」


 両手を広げ、許しを請うように天を仰ぐエドガー。

 いったい誰に向けての演技なのだろうか。


「何はともあれ、仮説を立てたなら、検証の必要があるんじゃないかい?」


「へ?」


「最強のネコかどうか、試してみようじゃないか」


 そういってシルメリアはレオに真紅の瞳を細めて見せた。



単話でおさめようかとおもったけど、探偵の登場で思った以上に筆が乗ってしまった…次回、ブリトンの覇権を巡って、最強同士が激突します…!

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― 新着の感想 ―
猫と和解せよ もしや、こういった獣がそれなりにいるのか、このゲームは。 戸締りしとこ。
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