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第六十一話 お隣さんは殺人鬼

 ――都内某所。


 東京郊外の住宅街は、午後の陽光に穏やかに照らされていた。

 古びたコンクリートのマンションが立ち並び、電線に止まるスズメのさえずりが、遠くの国道を走る車の音と混ざり合う。


 春の終わりの風が、ベランダに干された洗濯物を軽く揺らし、どこかで子供の笑い声が響く。ありふれた日本の日常が、そこには広がっていた。


 その一角、築30年のくすんだマンションの2階に、レオと呼ばれる男の部屋があった。


 2DKの狭い空間は、彼の職業である3D・2Dグラフィックデザイナーの混沌とした創造の坩堝と化していた。部屋に入ると、床に無造作に積み上げられたスケッチブックの塔が目に入る。机の上にはアカデミックな美術解剖学の分厚い資料本が並べられ、アニメやゲームキャラクターのフィギュアが本立代わりにされていた。


 壁には資料なのだろう、両手を横に伸ばした男女の絵が張られている。男女は体の正中から筋肉、そして骨が描かれていて、見ようによってはかなりグロテスクだ。


 部屋の窓は分厚いカーテンが完全に閉じたままで、ご丁寧なことに洗濯バサミで上を留めて完全に日光が入らないようになっていた。


 わずかに埃っぽい空気が漂う部屋の奥には今時珍しい液晶テレビがあり、画面からは、ニュースキャスターの落ち着いた声が流れていた。


「本日午後、元中国軍所属の巡洋艦、『鯤鵬(コンホウ)』が横須賀港に突如として現れました。この艦は南シナ海を漂流した後、日本に漂着した模様です」


 レオは万年床に寝転がり、ニュースを聞き流しながらタブレットをいじっていた。

 しかし、『鯤鵬』という名前を耳にした瞬間、彼の指がピタリと止まった。


 テレビの画面では、横須賀上空のヘリが港を見下ろしている。

 鯤鵬の巨体は湾を埋め尽くすほどの巨大さで、埠頭に停泊している日防軍の護衛艦と比べると、その大きさはメザシとクジラほどの差があった。


「うわ、本当に日本に来ちゃったよ……」


「港の管制官が日本国防軍(日防軍)に通報したところ、警察に連絡するよう指示され、警察に連絡したところ再び日防軍に連絡するよう指示されるなど、管轄を巡る混乱が続いていました。ですが、管制官の要請から20分後の午後2時10分頃、神奈川県警の警官隊が到着。港とその周辺は県警によって完全封鎖されました」


 画面が切り替わり、スーツ姿のコメンテーターが眉をひそめながらコメントする。


「県警は『領海侵犯は防衛事項だが、国内港への接岸は警察の管轄』と主張し、日本国防軍を現場から締め出しました。横須賀鎮守府から情報収集に訪れた隊員も、港湾事務所で門前払いを受けたとのことです。この混乱は、わが国の危機管理体制の脆弱性を露呈していると言えるでしょう――」


 テレビ画面がVTRに切り替わる。VTRは青い服を着た警察と、緑色の作業着を着た日防軍の隊員がそれぞれ港の境界線で対峙している画面を映し出していた。


 はるばる南シナ海から、無数の機密を腹にかかえた幽霊船がやって来たというのに、船そっちのけで、地元警察と軍が争っているようだ。


「……ったく、さすが我が国。呑気なことしてるなぁ」


 彼が呟いた瞬間、部屋のインターホンがけたたましく鳴った。レオは面倒くさそうに立ち上がり、タブレットから玄関のカメラを確認する。


 すると玄関に宅配業者らしき男が、巨大な段ボール箱を抱えて立っていた。こんな時間に荷物なんて頼んだ覚えはない。訝しげにドアを開けると、業者は「お荷物です」とだけ言い、そそくさと立ち去ってしまった。


「でけえ…何だこれ?」


 受け取った段ボール箱は、かなりの大きさだ。箱の高さは彼の腰よりも高く、狭い玄関を塞ぐように鎮座していた。


 送り状を確認してみるが、名前はない。

 段ボール箱には、ただ「特急便」と書かれたラベルだけが貼られていた。


「うーん、怪しすぎる……」


 レオがカッターでテープを切り、段ボールを開こうとしたその瞬間――


<バンッ!>


 段ボールの側面を突き破り、白い拳が飛び出した。

 レオは仰天して後ずさり、床に尻をつく。


 拳は段ボールをつかみ、内側から箱を切り裂いていく。すると中から現れたのは、銀髪をなびかせ、青い瞳を輝かせる義体の少女――霜華だった。


 しかも霜華は、何故かゴシックロリータ風の装いをしている。

 ベルベット生地のパフスリーブの黒いワンピースを身に着け、靴はベルトストラップのついたサイブーツを履いていた。


 彼女の無機質な白い肌が、ベルベットの光沢のある黒色と妙に馴染んでいる。

 怪しい色気すら感じるその姿に、レオは叫びに近い声を上げた。


「霜華?! ……いや、なんで段ボール?! てか、その服どうした!?」


 レオの叫びに、霜華は少し照れたように微笑んだ。

 彼女の声は、ゲームの中と同じく、柔らかくも芯のある響きを持っていた。


「レオ先生、驚かせてしまってすみません。この段ボールは、博士が『人の移動は難しいが、モノなら簡単に移動できる』と。それで、この服は、シルメリアさんが『日本の文化に合わせるならこれがいい』とのことでしたので……。」


「博士の仕業か……。それにしても、シルメリアさんのセンス、偏り過ぎでは……? いや、いい仕事ではあるけど」


 段ボールから完全に抜け出した霜華は、玄関に立ってしげしげと見回した。


「さっそくですが、レオ先生の生活支援のため、生活環境の学習を開始しますね」


「うん、もっともらしく家探しを言い換えてるだけだよね?」


「多義的解釈によればそうなります」


 玄関に立った霜華は、靴を脱ぐと玄関にきちんと揃えた。


「段ボールで入ってきたわりには、そこは礼儀正しくあろうと努力するのか」


「はい。それで統計的にいえばレオ先生のお部屋はあちらですね」


「初手で人の部屋入ろうとすることってある?」


 霜華はためらいもせず、ずんずんと家の中を進み、レオの部屋に入る。部屋を見回す彼女の視線は、散乱したフィギュアや資料本に留まり、興味深そうに光る。


「ここがレオ先生のお家……。なんだか、ハトフロの工房みたいですね。

 創造の香りがします」


「いや、ただの汚部屋だよ……創造の香りなんてそんな大層な――って、それよりも、ブラックボックスを解析するって件はどうなってるんだ?」


 霜華はレオを落ち着かせるように静かに手を上げ、微笑んだ。


 彼女の白い手には、あの黒い立方体――鯤鵬のブラックボックスが握られていた。 

 南シナ海の陽光を浴びていた時と同じく、怪しげな光を放っている。


「ブラックボックスなら、問題なく此処(ここ)に。警察と軍の目が鯤鵬に集中している間に私は艦を降り、博士とシルメリアさんの協力でレオ先生の家に来ました」


「うーん……来てもらって何だけど、シルメリアか結衣の家じゃだめなのか? 一応女の子だし、そっちのほうが……。それに結衣さんのほうがハッカーだし、俺よりこういったモノを扱うのに慣れてるだろ?」


「いえ、それが――」


「?」


「シルメリアさんと結衣さんは学生です。ご家族と同居されているので、機密保持の観点で問題があります。ですので、独身者のレオ先生のほうが適任なのです」


「え、そうなの!?」


 シルメリアと結衣が学生と知って、レオは目を丸くする。ゲームの中の彼女たちの行動から、彼はすっかり彼女たちが大人だと思い込んでいたのだろう。


「ブラックボックスを解析するには、安全な場所と、信頼できる協力者が必要です。レオ先生、協力をお願いします。」


「まぁ、それについちゃ問題ないよ。一旦はそういう風に話を決めたからな」


 レオがすべてを諦めたかのような深い溜め息をつくと、部屋に短い沈黙が降りる。すると、つけっぱなしにしたままのテレビから、ニュースキャスターの深刻な口調が聞こえてきた。


「県警と国防軍の対立は収まる気配がなく、鯤鵬の接岸を巡る国際的な緊張も高まっています。一部では、艦内で違法な実験が行われていたとの情報も……」


 レオはテレビをちらりと見たあと、視線を戻す。


 目の前に立つ霜華、その手に握られたブラックボックス、そして遠く横須賀港に停泊する鯤鵬。ハトフロの冒険が、現実の世界で新たな物語を紡ぎ始めていた。


「まぁ、適当に座ってくれ。茶でも入れるから、これからどうするか話そう」


 霜華は柔らかく微笑み、形の崩れた年季の入ったソファにそっと腰を下ろした。


「実は、すでにレオさんの隣の部屋を解析作業用に借りてあります。」


「へ? 隣の部屋借りたって……え、どうやったんだ? 保証人とか銀行口座とか、色々必要だろ?」


 目を丸くするレオに対し、落ち着いた様子だ。

 霜華は黒いワンピースの裾を軽く整えながら、レオの疑問に逐一答えていく。


「ブラックボックスの解析には高度な機器、そして高いセキュリティが必要です。レオ先生の家は拠点として最適ですが、先生のご迷惑になります。そこで作業スペースの拡張のために、隣の部屋を借りました。幸いなことに、諸々の手続きに必要なバイオコードは難なく突破できました。義脳の特性のおかげですね」


「待て、バイオコードを突破って……めっちゃ違法な匂いがするんだが?」


「ご安心ください。倫理的かつ法的な範囲内で、必要最低限の手段を用いました。レオ先生の安全とプライバシーは確保されています」


 レオは額を押さえ、深いため息をつく。


「そういや最近、やたら隣の部屋で物音がうるさかったな……。

 あれ、お前が原因だったのか」


「申し訳ありません。作業環境を用意するために、騒音が発生してしまいました。おかげさまで機材の設置は完了しています。今すぐご案内しましょうか?」


「今すぐって……いや、ちょっと待て。頭整理させてくれ。」


 レオは立ち上がり、乱雑な部屋の中をうろつきながら、頭を抱えた。


 霜華の突然の登場、鯤鵬の横須賀接岸、ブラックボックスの解析、そして隣の部屋の話――あまりに情報が多すぎて、彼の処理能力が追い付いていない。


 テレビでは、ニュースキャスターが「鯤鵬の甲板から巨大な兵器の残骸が搬出されています」と、深刻な口調で続けているが、レオの耳にはもう入ってこなかった。


「――よし、わかった。とりあえず、隣の部屋を見てみるか。何か兵器とかヤバいもん置いてないか、確認する必要があるからな……」


「ふふ、問題ありません。どうぞ、こちらです。」


 霜華は軽やかに立ち上がり、玄関で靴を履くと、レオを促して部屋を出た。


 築30年のマンションの廊下は、コンクリートのひんやりした空気と、どこかカビ臭い、しっとりとした湿気に満ち、ホラー映画のような、どこか恐ろしげな雰囲気を漂わせている。


 レオの部屋のすぐ隣の部屋は、205号室だ。ドアの前に立った霜華は、認証装置に義眼を向け、さらりと生体認証を突破してみせた。


「うーむ……生体認証とはいったい。うごご」


「先生、中へどうぞ」


 霜華が案内する部屋の中は、レオの住まいとは対照的に、驚くほど整然としていた。床は築30年とは思えないほどピカピカに磨かれ、まるで研究室のような清潔な雰囲気が漂っている。窓には白色のブラインドが降り、外部からの視線を完全にシャットアウトしていた。


 部屋の壁際にはサーバーラックが並び、LEDの青い光が点滅している。

 中央には大型のモニターとタッチパネル式の作業卓があり、その上には解析用のデバイスと、それにつながるケーブルが整然と配置されていた。


 サーバーに接続されている補助端末は、通常のデスクトップパソコンだ。

 真新しいパソコンの筐体(きょうたい)を見たレオは、神妙な顔つきで霜華に尋ねる。


「うーむ……間違いなく俺が使ってるやつより良さそう。ボードは?」


「X-Forceの第20世代。2090シリーズですね」


「げ、200万ぐらいするやつじゃん……」


 デスクトップパソコンの筐体をみて、レオはじっと視線を送る。

 その視線には、あきらかに嫉妬に類する仄暗い感情が混じっていた。


「人々が横須賀港のニュースに気を取られている間に、準備を進めました」


「どっからこんな金が出たんだ……」


「鯤鵬にあった資金を拝借しました。どうせ表に出せないお金です。

 まず、訴えられることはないでしょう」


「倫理的かつ法的な範囲内はどうしたんだ!?」


「認知されなければ犯罪は立証できません。つまりセーフです」


「ぼ、暴論すぎる……」


 レオが呆然と呟いていると、部屋の奥から軽やかな足音が聞こえてきた。

 サーバーラックの影から、二人の少女が姿を現した。


「お、やーっと来た! レオさん、遅いよー!」


 一人はショートカットの黒髪にラフなTシャツ姿、背中にコンパクトなエクソスケルトンを装着した少女――結衣だ。彼女の背中のEXOアームが、タブレットを器用に操作しながらレオに向かって軽く手を振る。


 もう一人は、ショートボブの髪に縁なしメガネをかけた、おとなしそうな少女だ。

 彼女は遠慮がちにレオに手を降って、サーバーに半身を隠した。


「えっと……?」


 レオは二人の登場に仰天し、思わず後ずさる。

 結衣はニヤリと笑い、EXOアームでタブレットをくるりと回しながら答えた。


「霜華から話聞いて、作業に合流したんだ。鯤鵬の秘密が詰まったブラックボックスを解析するなんて、面白そうじゃん?」


「いや、合流って……シルメリアさんって学生なんじゃ? こんなヤバいことに巻き込まれて、大丈夫なのか?」


 レオの質問に結衣がきょとんと、不思議そうな顔をする。

 そして、すぐに得心がいった彼女は隣の美怜に視線を投げた。

 美怜は小さく縮こまり、メガネの奥で目を伏せる。


「レオさん、シルメリアはこっち! アタシは結衣だよ!」


「えっ?!」


「レオさん、こんにちは……美鈴です」


 サーバーの影からシルメリア――美鈴が顔を出す。

 レオは美怜の控えめな挨拶に、頭を掻きながら困惑した。

 彼女の声は小さく、緊張しているのが明らかだった。


「こんにちは……って! ちょっと待ってくれよ? 美怜さんが、ハトフロのシルメリアさん? あの、めっちゃ姉御肌でバリバリ戦うシルメリアさんが、こんな――え、めっちゃ大人しい感じなの?」


「うっ……そ、それは……」


 レオに問い詰められると、美怜が顔を真っ赤にしてうつむく。

 それを見て結衣がケラケラと笑い、EXOアームで美怜の肩をポンと叩いた。


「美怜はリアルじゃめっちゃシャイなんだよ。シルメリアのキャラは設定なの。

 な、シル姐!」


「ゆ、結衣、からかわないで! 私、リアルでは、こう……普通だから……」


 美怜はますます縮こまり、手を胸に抱えてモジモジする。

 レオは目をパチパチさせ、ようやく状況を飲み込んだ。


 部屋に四人の笑い声が響き、サーバーのLEDが静かに点滅する。

 窓の外では、春の風が穏やかに吹き、ありふれた住宅街の日常が続いていた。



なんかレオの部屋の描写、妙に生々しい…。

デザイナーの部屋は基本的に日光厳禁です。日光と蛍光灯の光で液晶タブレットの画面が完全に見えなくなるんで、人によっては明かりも消してますね。某企業でも2D班のブースは照明の光が届かないよう、仕切り板で完全に囲われてました。

大抵のところはそこまでしないで、単に天井の蛍光灯抜いてるけど(


次回、ようやくハトフロに戻ります。

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