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第六十話 脚本

 広大な鯤鵬の甲板の上は、戦いの爪痕で荒涼としていた。


 所狭しと並んでいたソーラーパネルは、崩槌と破天の乱闘によって踏み潰され、無残にひしゃげている。吹き飛ばされたパネルが折り重なり、パネルの上に散った無数のガラス片が陽光を返し、キラキラと光っていた。


 その光の中に立つ鋼鉄の橋、電磁カタパルトのレールの上では、崩槌と激突した破天の残骸が横たわっていた。破天の胴体にぽっかりと空いた大穴からは、なおも白い煙が立ち上っている。煙は甲板を渡る海風に絡め取られ、鉄の軋む音と共に消えていった。


 そんな甲板に現れたリュウキ博士は、ソーラーパネルの残骸を慎重に避けながら、崩槌の頭部を胸に抱える霜華に近づいてくる。霜華に向けるその視線には、どこか慈しむような柔らかさが宿っていた。


「こちらで会うのは初めてだね。私はリュウキ博士。霜華たちの開発者だ」


『え、開発者?! ってことは……霜華のお父さんってコトォ?!』


「その言い方はどうなんだい?」


「ハハ、まぁ、そういうことになるかな。霜華が世話になったね」


 するとリュウキ博士は床に転がっていた黒い直方体――鯤鵬のデータが封じられたブラックボックスを拾い上げ、霜華の白い手にそっと渡した。


「良いのですか?」


「もちろんだ。私よりも霜華が持っていたほうが良いだろう。私が持っていても押収されるだけだからね」


「この船がどこに行くか、まだ言ってないはずだけどね?」


 シルメリアは鋭い視線を博士に向け、霜華を守るように白い義体の腕を彼女の前にさっと横に差し出した。その動きは明白な警戒心に満ちている。


 リュウキ博士はそんな彼女を見て、軽く肩をすくめ、穏やかな笑みを浮かべた。

 考えすぎだとでも言わんばかりだ。


「言われなくてもわかるさ。長らく海の上にその身を留めていた鯤鵬が動き出した。進路は北北東。君たちの国籍、国際状況から考えれば、日本に向かっていると考えるしかない」


「そうかい。」


 シルメリアは口では納得したような言葉を吐いたが、義体の顔には不服そうな影がちらつく。背後のEXOソームが陽光を受け、鋭く光った。


『……リュウキ博士、アンタには色々と聞きたいことが山ほどある。霜華のことだけじゃない。鯤鵬のこと、ハトフロのこと……わからないことだらけだ。』


「いいだろう。私の答えられる範囲で応えよう」


『まず、ハトフロに何が起きた? このハッキング騒動はアンタが仕掛けたのか?』


 甲板を渡る風が白衣をはためかせるなか、リュウキ博士は一瞬、遠くを見つめるように目を細めた。


「ハトフロ、つまりVRMMO、ハート・オブ・フロンティアに仕掛けられたハッキングは、確かに鯤鵬から行われたものだ。だが、私が主導したものではない。私は義脳の開発のために、鯤鵬を運営するシンジケートに雇われただけだ。しかも、当初は霜華のような高度なAIを開発する気はなかったのだ」


『霜華を作る気は無かった、だって?』


「そうだ。私はあくまでも兵器、機械の延長を考えていた。そのため彼らに思考冷却――まぁ、麻酔のようなものをかけていた」


『それがどうして、霜華たちに人間みたいな心を持たせることになったんだ?』


「シンジケートの指示、おそらく彼らを雇った者たちの意向だ。彼らはより行動的で予測不能な知能を求めていた」


『ちょっと待て、その雇い主って……』


「おそらく、鯤鵬を攻撃した第三者でしょう。」


 霜華の腕に抱かれた崩槌の頭部のスピーカーが唸る。

 レオの中で、苛立ちと困惑が同時に渦巻いているのだろう。


 状況はさらに複雑さを増している。博士の言い分をまとめると、こうだ。


 不明な第三者がシンジケートに義脳の開発を依頼しておきながら、完成を待たずに鯤鵬とその全てを破壊した――誰がどう考えても辻褄が合わない。


『ますますわからなくなってきたな。その第三者って奴らは、依頼を出しておいて、鯤鵬を破壊したってことだろ? メチャクチャじゃないか』


「レオ先生のおっしゃるとおりです。ですが、ブラックボックスの中身を見れば、彼らの支離滅裂な行動に説明がつくかもしれません」


『パズルのピースが欠けてるってことか?』


「はい。このブラックボックスには、第三者がサーバーから消去しようとした内容が含まれているはず。きっと答えを出す助けになるでしょう」


 霜華は崩槌の頭部を抱えたまま、もう一方の手で黒い立方体を取り出した。

 南洋の光を浴びたブラックボックスが、怪しく艷やかな光を放つ。


 ありとあらゆるものが元ある姿を失い、荒廃している甲板の風景の中で、ブラックボックスの整った立方体の姿は、ひときわ異質なものに思えた。


 レオは機械の頭部から深いため息を漏らし、博士への質問を続けた。


『とにかく、ハッキングの犯人が博士じゃないってのはわかったよ。……わからないことも増えたけどな」


「ったく、話がややこしくなるばっかりだね!」


 シルメリアが率直な感想を口にする。

 そのあまりのストレートさに、レオは思わずくすりと笑った。


『……それで、博士は霜華の元になった人のことを、どこまで知ってるんだ?』


「あまり多くのことは知らない。東南アジアを拠点に、非合法な脳リッピングで得られたデータ。それだけだ。」


「中を覗いたことはないのかい?」


「あぁ。そもそも義脳を使うメリットは何だと思う? 知能のシミュレーションは、一般的なコンピューターでも可能だ。人の脳を模倣する理由は?」


「……バイオコードの突破だね?」


 シルメリアの指摘に、リュウキ博士は静かに頷いた。


「VRMMO、ハート・オブ・フロンティアを始め、現代のサービスは人間の『脳の指紋』であるニューロマップを元に個人を識別して諸々のサービスを提供している。ただの機械に人の代用は不可能なのだ」


『だから人間の脳を使うってことか。』


「ところが、中身はそこまで重要ではない。重要なのは経路なのだ」


『経路?』


「脳が思考すると塑性をもって変化する。いうなれば『思考の道路』が作られるのだ。バイオコードはこの思考の道路を見ている。中を走る車、つまり人の魂は見ていないのさ。そもそも、そんな物があるのかもわからないがね」


『あんたは霜華だけじゃなくて、俺たちにも魂が無いっていうのか?』


 レオの声が、崩槌の頭部から鋭く響いた。甲板の残骸に反射した陽光が、霜華の装甲の傷を照らし出す。


 彼女はブラックボックスを握る手をわずかに強め、静かに博士を見つめた。

 その青い瞳には、確かな決意が宿っている。


 リュウキ博士は一瞬、目を伏せ、甲板を渡る風に白衣をはためかせた。まるで、霜華の存在そのものが、彼の科学者としての信念を揺さぶっているかのようだ。


「手に取れないもの、目に見えないものを〝在る〟とはいえないのだ。私はこれでも科学者なのでね。魂とは何か? 科学者として、私はそれをデータとパターンの集積だと考える。しかし――」


 彼はゆっくりと顔を上げ、霜華の白い義体を見つめた。


「たしかに彼女の義脳は、誰かの脳をコピーしたものだ。だが、霜華がハトフロで築いた関係は彼女自身のものだ。レオくんや仲間たちとの『助け合い』によって生まれた結果を、単なる模倣によるものと考えるのは科学者として正しくないだろう」


『というと?』


「魂の存在はもとより問題ではないということだ」


 霜華の指が、崩槌の頭部をそっと撫でる。

 彼女の声は静かだが、確かな意志を帯びていた。


「博士、私はハトフロで笑顔を作れた。だから現実でもそうありたいと望んでいます。魂ががあっても無くても、誰かを思いやれるなら、それでいいと思います」


「同感だね。魂があってもロクデナシじゃ意味がない」


『それで、いつからプレイヤーの中に義脳を……AIを紛れ込ませてたんだ?』


 レオの質問が、会話を核心へと引き戻す。

 リュウキ博士は軽く息を吐き、遠くの海を見つめた。


「それは私にもわからない。私が行っていたプロジェクトは、霜華たち義脳を次世代の自動兵器のコントロールユニットとして実用化レベルに引き上げることだった。霜華たちをハトフロにBOTとして送り込んだのは、その一環だったのだが……」


「だが?」


「すでにハトフロの中に彼らのような存在……。つまり、プレイヤーとまったく変わらない高度なAIがいるとは私も知らなかったのだ。」


『知らなかっただって? プレイヤーを目覚めさせ……いや、自我を眠らせて、ただのロボットでしかない黒軍にしたのは、あんたらの仕業じゃなかったのか』


 レオの問いかけに、リュウキ博士は首を横に振った。

 風が彼の白髪を乱し、甲板の残骸が軋む音が一瞬だけ会話の隙間を埋める。


「たしかにプレイヤーになり変わっていた彼らを黒軍に変えたのは鯤鵬のオペレーターだ。しかし、そのコマンドは外部から提供されたものだったのだ」


 彼は白衣のポケットからタブレット端末を取り出した。彼がしわがれた指先で打面をスクロールすると、画面が青白く光り、甲板の荒廃した風景に不思議なコントラストを描いた。


「受け取りたまえ」


 博士が霜華に手渡したタブレットには、あるリストが呼び出されていた。


 リストには、ハトフロのプレイヤー情報が並んでいる――実名、住所、ゲームアカウントの作成日、キャラクター名まで詳細に記載されていた。


「それは私が得た、プレイヤーになり変わっていた者たちのリストだ。それを見て、何かに気づかないか?」


 レオはリストを見て、ふと、プレイヤーのアカウント作成日が目に入った。

 数日のもの、数ヶ月、数年のもの、そして――最も長いもので9年。


「――プレイ期間か。」


「そうだ。ハトフロがサービスを開始したのはおよそ10年前。――しかし、鯤鵬がここで南シナ海上で今の〝事業〟を始めたのはほんの数年前なのだ」


『それが確かなら、このリストと勘定があわないな』


「……つまり、黒軍はあんたらの持ち物じゃないっていうのかい?」


 シルメリアの声が鋭く割り込むと、リュウキ博士は静かに頷いた。


「そうだ。義体は鯤鵬で作成されたものだが、そこに搭載されていたデータの製造元は異なる。そもそも鯤鵬に乗り込む前から、彼らは別の場所で活動していた」


「妙だね。とっくの昔に人間のようなAIが実現して、動いているなら、第三者は霜華を作る理由がないじゃないか」


 シルメリアの指摘に、重い沈黙がたちこめる。カタパルトの残骸が風を切って唸り声のような音を立てていた。


 博士は返されたタブレットを白衣のポケットにしまい、深いため息をついた。


「その通りだ。霜華のような存在を作る必要はなかった。すでにハトフロには、プレイヤーと区別がつかないAIが潜んでいたのだから。だが、第三者はなぜか霜華たちを求めた。そこに彼らの真の目的があるように私には思えるのだ」


『うーん……待てよ。じゃあ、第三者は霜華を兵器じゃなくて……何かに使おうとしたってのか?』


「彼らが何を望んでいたのかは、ブラックボックスの中身を見なければわからない。あるいは第三者も、自身の目的を明確に理解していなかったのかもな」


「自分でも何をしてるかわからないんじゃ、アタシたちが理解できるわけないね」


「往々にして、研究とはそういうものさ。まったく研究に関係してなかった人間の〝解釈〟によって用途が生まれ、発展していくことも珍しくない。しかし――」


 博士の声色には、かすかな皮肉が混じっていた。


「人は失敗から学んでいく。ただし、人は愛や善なるものに基づいて何かをなそうとする時、かくあるべしと用意された『脚本』に騙されることを望む。この場合、学びは失敗を回避するのではなく、失敗をより深刻なものにすることに使われる」


「博士、もしその『脚本』があったとしても、私たちなら破れます。ハトフロで、私たちは自分たちの物語を作った。現実でも、同じことができるはずです」


 リュウキ博士は霜華の言葉に、わずかに目を細めた。

 南シナ海の甲板で見た彼女の純粋さが、今も変わらずそこにあった。


「そうだな、霜華。君なら、あるいは……」


 彼は一瞬言葉を切り、壊れた鯤鵬の甲板を見渡した。


「だが、そのためには、まずこのブラックボックスを開かなければならない。そこに、第三者の『脚本』を読み解く断片があるはずだ」


 シルメリアが腕を組み、鋭い視線を博士に投げる。


「話はわかったよ。けど、どこでするかが問題だねぇ……」


『鯤鵬は日本に行くんだろ? なら、日本でやるしかないだろ』


 レオは何気なく、当然のことを口にしただけだった。

 霜華に抱かれた崩槌の頭部――レオのもとに一同の視線が集まった。




そう、ありますよ! レオの家が…!


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