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第五十四話 Log-In

「これがハート・オブ・フロンティア……きれい」


 結衣がため息のような声を上げる。


 ――ブリトン王城の最奥、封印の間は、まるで宇宙の中心に立ったような、幻想的な輝きに満ちていた。


 低い唸りを上げ、ゆっくりと回る金色のリング。その金の輪の中央では、青く輝く水球が身じろぎして脈打つように光を放っている。


 ハートオブフロンティアが投げかけた光はレンズを通り、滑らかに磨かれた石の床をスクリーンにして、光の弧を複雑に折り重ねさせた幾何学模様を描いていた。


 まず、足を踏み入れたのは、古島だった。


 光の斑点や筋が騒々しく踊る部屋に、シャツと短パンだけという、いかにも無課金アバター然としたキャラクターが入っていく。


「ハトフロにドレスコードの概念がなくて助かったな」


 そういって、錆びたダガーを腰に引っかけた古島が装置の前に立つ。

 古島の顔は緊張で強張っていた。

 本当に装置が動くのかどうか、確信があるわけではないのだろう。


「アクセス要求……クリアランス、テスターアカウント。――どうだ?」


 古島が何やら操作すると、空中に青白い画面が浮かぶ。

 ハート・オブ・フロンティアのインターフェースが呼び出されたのだ。


 空中に浮かぶ操作パネルに古島が手をかざすと、それに反応したかのようにインゲームエディタの起動音が響く。


「よし……アクセスは通った。ログの解析から始める。ハッカーの動きを追うぞ」


 レオはハンマーを肩に担ぎ、古島の背中を見据える。


 シルメリアは細剣を鞘に収め、腕を組んで様子を窺う。結衣はそわそわしながら霜華の隣に立ち、彼女の義脳特有の冷静な表情に目をやる。


 霜華の瞳は、青い光を放つ装置に映り込み、

 まるでそれと共鳴するかのようだった。


 古島の指がパネルを滑り、ログデータが次々とスクロールしていく。無数のコードとアクセス記録が流れ、部屋に響く機械音が一層重みを増す。


「――見つけた。ハッカーのアクセス発信源だ。……ステラネット! 衛星ブロードバンドを経由してるな。クソッ」


「ステラネット?」


「低軌道衛星を使ったブロードバンドサービスだ。ハッカーは衛星経由でハトフロのサーバーにアクセスしてる。くそっ、厄介なやつを選びやがったな」


 古島は溜息をつき、ホログラムにステラネットの衛星軌道図を映し出す。

 すると無数の点が地球の周りを高速で移動するアニメーションが表示された。


「ステラネットは、地球の周りを周回している低軌道衛星の群れを使ってネットへの接続を提供するシステムだ。固定の光回線と違って、秒速7キロ以上で上空を飛び回ってる衛星から接続しているから、IPアドレスはコロコロ切り変わる。これのせいで逆探知するのがクソ難しいんだ」


「……ようするに、足跡がすぐ消えるってこと?」


「はい。レオ先生の言うとおりです。固定光回線なら、IPからおおよその地域を特定できます。プロバイダのデータベースと照らせば、家単位で特定が可能です。しかし、ステラネットではそれが不可能なのです」


「どうしてだ?」


「ステラネットのトラフィックは衛星から地上局に飛ばされるんだが……。地上局の位置がユーザーの本当の居場所とズレることがザラにあるんだ。たとえば、アメリカからの接続がブラジルからの接続に見えるとか、そういうのが平然と起きるんだ」


「すっげー! まるでハッカーじゃん!」


「バカ、ハッカーだよ」


 レオのボケにシルメリアが突っ込むが、古島は笑う余裕もないようだ。

 顔をしかめてため息を吐く。


「最悪だ。ステラネットの衛星は数千機もあって、トラフィックがどの衛星を経由してるかなんて、普通じゃ追えねえ。ハッカーがステラネット使ってるってことは、俺たちの手じゃ発信源を特定するのはほぼ無理――」


「――いえ、可能です」


 霜華が静かに、しかし力強く割り込んだ。


 一行の視線が彼女に集まる。彼女の青い瞳にハートオブフロンティアが投げかける青い光が映り込み、まるで共鳴しているかのようだった。


「ステラネットの衛星の軌道データと通信パターンを解析しました。発信源は南シナ海の海上、おおよそ北緯12度、東経113度付近です。この座標には巨大な構造物――鯤鵬が存在します」


「は!? ちょっと待て、霜華! ステラネットのIPからそんなピンポイントで座標出せるのかよ!?」


 古島が目を剥く。結衣も驚いたように霜華に詰め寄る。


「え、霜華ちゃん、どうやって!? 古島さんが無理って言ったのに!」


「確かにステラネットは追跡を困難にしますが、不可能ではありません。衛星と通信する際のパターンを分析することで地上局のおおよその位置を絞り込めます」


「理論上はそうでも膨大な手間が――と、お前は義脳だったな。大したもんだよ」


「お褒めに預かり光栄です。カス島さん。いえ、古島さん」


「レオ! こいつちょっと調子に乗ってないか!? なんか今おかしかったぞ!!」


「まぁまぁ……」


 レオが古島をなだめていると、結衣が急に手を叩き、声を弾ませた。


「これで裏は取れたね。ハッカーの正体はやっぱり鯤鵬(コンホウ)だったんだ」


「……コンホウ?」


 首を傾げる古島に向かって、結衣は少し得意げに胸を張る。

 そして彼女は、ネットのハッカーコミュニティで囁かれる噂を語り始めた。


鯤鵬(コンホウ)は退役した戦艦の名前よ。ハッカ……特定の技術者の集まるフォーラムで噂になってる話なんだけど、どっかの犯罪組織が南シナ海に退役艦を浮かべて、人身売買で手に入れたデータをもとに、〝脳農場〟を作ってるって話よ」


 話を最後まで聞いた古島の喉の奥から、低い唸り声が漏れる。

 彼の顔には明白に戸惑いと疑念が浮かんでいた。


「まさか……犯罪組織? なんで犯罪組織がハトフロをハックする必要があるんだ? そんなのあり得ないだろ」


 古島の声には、どこか現実を受け入れたくない響きがあった。

 レオは彼の動揺した表情を見て、口元に苦笑を浮かべる。


「ありえない状況が続いてるのに、今さらになってそれを言うのか?」


「それもそうか……」


 古島は唇を噛み、その視線をハート・オブ・フロンティアに戻す。


「とにかく、ハッカーをハトフロから追い出して、ログアウト機能を復旧させるのが優先だ。こいつの管理権限を使ってさっさとやっちまおう」


「そうだね。この情報があれば警察に通報できる。もっとも、警察が対処できるかはまったく別の話だけど、さ」


 結衣の口ぶりはまったく警察に期待していないようだった。

 同意するように古島が頷き、彼の指が再びパネルに伸び、画面を叩く。


 彼がログアウト機能の復旧を試みたその時だった。


 画面に赤い警告が点滅し、ハートオブフロンティアの光が紅に染まったと同時に、けたたましいエラー音が鳴りひびいた。


「な、何が起きたんです古島さん?!」


「まさか壊しちゃった?」


「そんなわけないだろ! もうハッカーが反応してきた!」


「ウソッ!」


「ったく、仕事が早いね……」


「ハッカーが奪った今の管理権限と、ハート・オブ・フロンティアが持つ、レガシーな管理権限が衝突してる。このエラーはその衝突を知らせるもんだ」


 ホログラムに映し出されていたログが、異常な勢いで流れ出す。


「この異常なデータフロー……黒軍が動き出したようですね」


 人の目では認識すらできない速度で流れる文字列も、霜華なら読み解けるようだ。

 瞬時にログ解析し、黒軍が行動していると看破した。


「どういうことだい? なんでいまさら黒軍を?」


「たった今ハッカーと黒軍の間に行われたセッションで、黒軍に不明なスクリプトが搭載されました。これは――ハッカーは黒軍をコンピューターウイルスの運び屋に使っています! 黒軍を通じて、サーバーに新たな攻撃を仕掛ける気です!」


「――なっ!」


「まさか、黒軍を使ってハート・オブ・フロンティアまで乗っ取る気か?!」


 新たな危機を叫ぶ古島の声はうわずっていた。ハート・オブ・フロンティアの金色のリングが不安定に振動し、放たれる光が乱れている。


 その時、霜華が静かに、しかし力強く口を開いた。


「レオ先生、皆さん。提案があります」


 一行の視線が霜華に集まる。

 彼女の瞳は冷たい光をたたえながらも、どこか熱を帯びている。


「鯤鵬のサーバーを直接叩く必要があります。私たちのデータを鯤鵬内部に送り込み、鯤鵬にある義体にアップロードするのです。黒軍がハトフロを攻撃しているように、私たちも鯤鵬を内部から攻撃するんです」


「ちょ、ちょっと待て、義体に俺たちのデータをアップロードするって!?」


 レオが狼狽えるなか、結衣が興奮したように霜華に詰め寄る。


「それって……あ、私たちがVRデバイスを使ってキャラクターを動かすみたいに、義体を操作するってことだよね?」


 霜華は頷き、落ち着いた声で答える。


「はい。技術的には全く同一のものです。現に私の義脳は義体に実装され、同時にハトフロのキャラクターを操作しています。ハトフロと義体は互換性があります。適切な介助者がいれば、このハート・オブ・フロンティアの機能を使って、皆さんの意識を義体に『ログイン』させることができます」


 シルメリアがニヤリと笑い、細剣を軽く振る。


「面白そうだね。私は行くよ」


「シルメリアさん、本気ですか?」


「本気だとも。ようやく殴り返せるなんて、最高じゃないか!」


「バ、バーサーカーだなぁ……。でも、そうか」


 レオはハンマーを握り直し、霜華を力強い視線を送った。


「よし、俺も行く。俺たちで鯤鵬に潜入して、サーバーを叩こう」


 古島が呆然とした様子で霜華、シルメリア、レオを見やる。


「お前ら……本気か? 相手は犯罪組織だぞ。ハトフロの中で戦うならともかく、現実世界のサーバーに乗り込むなんて……頭おかしいんじゃねえか!?」


「自分で言うのもなんですけど、ハトフロを遊んでる人間にまともな頭の持ち主なんていませんよ。」


「言えてるね」


「それに、攻撃ができるタイミングは今しか無い。ハート・オブ・フロンティアを黒軍に取られたら次がないんだ。WJとメイランさんたちが黒軍を押さえている今は絶好のチャンス。逃げるなんて選択肢、逆に取れませんよ」


 霜華の口元に、微かな笑みが浮かぶ。

 彼女は装置の操作パネルに手を伸ばし、データ転送の準備を始める。


「ありがとうございます、レオ先生。では、転送プロトコルを起動します。

 目標は鯤鵬。義体の選択は私に任せてください」


 装置のリングが高速で回転し、青い球体が眩い光を放つ。

 一行の体が光の粒子に分解され、ハート・オブ・フロンティアを通じて遠く南シナ海の幽霊船へと転送されていく。


 意識が現実に戻ると、レオの視界は暗闇に閉ざされていた。


 いや、暗闇ではない。金属の壁に囲まれた狭い空間。目の前に広がるのは、ガラス越しに見える無数のケーブルと、無数のLEDが点滅するサーバーラックだった。


『ここは……鯤鵬のサーバールームか?』


 レオが呟くが、自分の声に違和感を覚える。重く、機械的な反響が混じっている。まるでヘルメットの中で話しているような感覚だ。


 彼は自分の手を動かそうとして、そこで異変に気づいた。手が――いや、体が異様に重い。ガラスに映る自分の姿を見て、レオは思わず息を呑む。


『なんだこれ!?』


 そこに映っていたのは、レオのいつものエプロン姿ではなかった。

 まるで戦車とロボットを融合させたような、巨体が威圧感を放っていたのだ。


 深緑色の装甲に覆われた両腕は太くて長く、床にまで届いている。

 さらに肘のあたりに追加装甲があり、お弁当箱をつけたような格好になっていた。


 肩にはハリウッド映画に出てくるミサイルランチャーのような形の構造物が備わっている。ガラスに映るその姿は、あまりにも物騒だ。


 頭部は中世の騎士を思わせる分厚い装甲に覆われ、スリットの奥、防弾ガラスの向こうでカメラが緑色に光っていた。


『お、おい、霜華! なんでこんなバケモンみたいな義体に俺が!?』


 レオの叫び声が暗い部屋の中に響く。


 隣では、シルメリアがスリムで鋭い女性型のデザインの義体に転移(ログイン)しており、背中から伸びる二対のEXOアームを興味深そうに見つめていた。


 霜華は自分の義体――白い装甲のビスクドールのような姿のまま、冷静に答える。


「レオ先生には中国軍が開発中の〝崩槌(ほうつい)〟にログインしていただきました。崩槌は鯤鵬の戦闘用義体の中でも最高クラスの出力と耐久性を誇ります。レオ先生が鯤鵬の防衛システムに対抗するには、これが最適と判断しました」


『最適って……俺にこんなの動かせんのかよ!?』


 レオがあわてて腕を動かすと、義体の大きな腕が天井に当たってしまった。

 「ゴン」と、鈍い音が響き、腕の衝撃で近くのサーバーラックが左右に揺れる。


『っとと、危なっ!』


「レオ、意外と似合ってるじゃないか。義体って言っても猫や蛇の体になったわけじゃないんだ。手足があるなら普段と変わらないよ」


『いやいや、シルメリアさんはそうかも知れませんけど、俺のコレ、兵器!!

 ガチ兵器なんですけど!!?』


 霜華が一歩進み出て、近くにあったタブレットを操作する。

 するとレオの視界に、簡易チュートリアルが表示された。

 歩行、攻撃、防御の基本操作が絵と記号でざっくりと示される。


「レオ先生、落ち着いてください。その義体ならどんな操作でも敵を圧倒できます。装甲は主力戦車の主砲でなければ貫通不能な複合セラミック装甲。主武装は現用の機動戦闘車に相当し、装甲車から航空機まで幅広く対応できます」


「それに考えてもみなよ。レオもゲーマーなら、この体は初めてじゃないだろ?」


『……そっか、考えてみればそうですね。ゲームの中ならこの手のロボ、いくらでも動かしてたっけ』


「ハハッ、そうそう、その意気だよ」


『えぇ。なんかやれる気がしてきました。ちょっとだけど』


「そちらに鯤鵬の構造データを転送します。サーバールームを目指しましょう」


『え、ここがサーバールームじゃないの? そこにあるサーバーは?』


「いえ、あれは義体の開発に使われているサーバーです。鯤鵬の制御はまったく別の所で行われています。――!!」


 火災訓練で聞いたことのあるサイレンの音が聞こえたかと思うと、部屋の扉に鉄の板が降りてきて完全に封鎖されてしまった。サーバールームのガラス窓にも鋼鉄のシャッターが降りてきて、閉鎖されてしまう。


「どうやらレオ先生の侵入に気づいたようですね」


『え、ちょ! 初っ端から閉じ込められた!?』


「何言ってるんだい、コレくらいなんでもないだろ?」


『……あ、そっか』


 しゃがむ様子を描いた絵の説明に従って、レオが崩槌の巨体を構える。

 関節がきしむ音が響き、肩のランチャーが自動的に展開した。


『俺の背後に隠れてください!』


 霜華とシルメリアがレオを盾にするように陰に入った。


 彼の暗い視界には、オレンジ色の構造図が重なっている。表示オプションを切り替えると、隔壁やガスや流体の通るパイプがハイライトされて浮かび上がる。


(これを使えば壁の薄い所がわかるな。よし!)


 レオは深く息を吐くように崩槌の巨体を沈ませ、そして――


『ミサイル、発射!!』


 肩のコンテナの一つが開き、灰色のミサイルが飛び出す。

 ミサイルは部屋の壁に突き刺さり、そのまま錆びた鉄板を押し出しながら通路に飛び出した。勢いのついたミサイルはそのまま隣の部屋に飛び込んで、そこ中で炸裂(さくれつ)した。


 爆炎と共にちぎれた鉄板が飛び交い、装甲を叩く。

 人の身ならば、この場にいるだけで引き裂かれてミンチになっていたことだろう。


『ひょえー!』


 崩槌の単眼が装甲の奥で輝き、レオの叫びと爆発の残響が部屋を震わせる。

 現実と仮想の境界を超え、レオは新たな戦場へと突入した――。



本章に入ってからずっと、これがやりたかったのだ…!

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― 新着の感想 ―
・・・何考えて積み込んだんだ戦闘ロボ。
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