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第四十九話 テストくん

 一昼夜まるまる続いた戦いによって、バレッタの街は無数の傷跡が刻まれていた。

 壮麗な石畳は砲弾に掘り返され、バリケードの破片が街路に散乱している。


 月明かりが石畳を青白く照らすなか、レオのブーツが不揃いな石を叩く。

 冷たい夜気の中で白くなった吐息が揺れた。


 彼が足を進めると、シタデルの前に集まったプレイヤーたちの喧騒が次第に遠くなり、不気味な静寂に飲み込まれていった。


(なんで新人がこんなところに?)


 レオの頭は、壊れたバリケードの陰で震えていた青年の姿を反芻していた。


(あんな装備で大丈夫なはずがない。黒軍と戦わなかったにしても……何か妙だ)


 レオは足を緩め、影の行方を慎重に探った。

 初心者は、崩れた砂岩の建物に挟まれた狭い路地に消えていた。

 建物の窓は戦いの余波で吹き飛び、残骸が地面に散らばっている。


 レオの手元でインターフェースが光り、バレッタの地図を表示する。

 路地は行き止まりだが、マップにプレイヤーの位置を示すマーカーは現れない。

 どうやら隠れているようだ。


「大丈夫だ、出てこいよ」


 そういってレオは路地の奥に呼びかけた。


 グルンヴァルドと戦わなかったレオのHPは満タン。結衣がまいた回復バフもまだ効いていたが、混乱の続くバレッタでの単独行動は賭けだった。


 まだ黒軍の残党がいるかもしれないし、彼自体が黒軍の罠という可能性もある。


 すると、路地の奥から石を蹴る微かな音が響いた。

 レオは身を低くし、ひっくり返った木箱の山の近くまで進む。


 木箱の陰を覗くと、初心者がいた。青年のアバターは初期装備のシャツと短パンを土埃に汚し、錆びたダガーを命綱のように握りしめている。


 青年の頭上には「HOF_テストくん」という名前が表示されていた。

 彼の名前の後ろに続く文字はない。


 名前を目にしたレオは、うろんげに片眉を上げる。それはまるで、宗教のパンフレットを手にして立つ、駅前のキャッチに声をかけられた時のような顔だった。


(妙だな……初心者なら【ニューカマー】の称号が付いているはず。それに〝HOF_〟って……プレイヤーが使っていい文字列じゃなかったような?)


 HOFでは原則的にプレイヤーの名前に「_」や「.」と言った記号――

 アンダースコアやピリオドを使うことはできない。


 その例外はゲームマスターで、彼らは 「GM_名前」という形式で表示される。

 テストくんという名前も奇妙だ。

 まるでデバッグメニューから湧いて出てきたようだった。


 初心者は周囲を見回し、独り言を呟いている。


「くそ……アクセスポイントにいかねぇと。サーバーのログさえ取れれば……」


 声は低く、疲れ果てた大人の男のものだった。

 レオにはアバターの見た目より年上に聞こえた。


 彼の本能が危険を叫んだが、好奇心が勝った。

 レオは木箱の陰から進み出て、両手を上げて青年に近づいた。


「おい、ちょっといいか」


 レオの唐突な声がけに初心者は悲鳴を上げ、危うくダガーを落としそうになる。

 振り返った彼の目は大きく見開かれ、レオの装備を見て固まった。


「だ、誰――!? お前は……プレイヤーか?」


「いや、当たり前だろ。黒軍じゃない」


 レオは首を傾け、初心者の動揺した表情を観察した。

 


「バレッタで何してるんだ? ここは戦争の真っ最中だぞ。それにあんたの名前……『テストくん』って何だよ?」


 青年の顔が青ざめる。

 コミカルに誇張された汗エフェクトが彼の頭に浮かぶが、ひどく場違いだ。


「俺は、えっと……HOF始めたばっかで、イベント見に来た――」


「嘘つけ」


 レオは青年に一歩近づき、声を硬くした。


「バレッタは孤島だから初期スポーンの選択肢に入ってない。いくら運営でも、新規を孤島に閉じ込めるほどアホじゃない。本当のことを言え」


 バレッタに出入りするには船か魔法が必要だ。熟練プレイヤーにとっては大した問題ではないが、新規プレイヤーは違う。船と魔法、どちらも持ってないからだ。仮に新規プレイヤーがバレッタにスポーンしたとすると、バレッタに閉じ込められてしまう。


 もしそうなると、延々とウサギや小鳥を狩ってお金をためて船を買うか、バレッタのフィールドに落ちている魔石を拾い集めて魔法の練習をして移動魔法を覚えるという、非常に面倒くさい方法で脱出しなければならない。


 いくらハトフロ運営でも、そこまでナイトメア難易度のスタート地点は作らない。

 ジャンルがRPGからサバイバルゲームになってしまう。

 ――いや、ゲームですらない。極めて拷問に似た何かだろう。


 初心者の肩が落ち、震えるように溜息を吐いた。


「……わかった。確かに、俺はプレイヤーじゃない。厳密にはな」


 彼は一瞬躊躇し、レオの目を見た。


「俺の名前は古島(こじま)。HOFの運営だ。」


「運営? じゃあ、あんたはGMなのか?」


 レオの脳裏に赤い空と公式アナウンスがよみがえる。

 ハッカーがハトフロのサーバーにハッキングを仕掛けたのは間違いない。

 だとすれば、ハトフロ運営が何らかの対応するのは当然だろう。

 しかし、それにしては様子がおかしい。


(じゃあ、彼は対策のために送り込まれたのか? それにしちゃみすぼらしいな。GMの目印のローブも着ていないし……)

 

「じゃあ黒軍を止めてハッカーを追い出してくれ。それが運営の仕事だろ?」


 古島は顔を歪め、首に手をやった。


「あぁ、それができりゃいいけど……。ハトフロ運営はハッカーの野郎にボロクソに負けてる。野球で言えばコールド負け寸前だ」


「……だと思ったよ。あんたの姿を見ればだいたい分かる。」


「GM権限は完全にロックされて運営のアカウントはすべて締め出された。だから俺は古いアルファテスト用のデバイスでゲームにログインしたんだ。――けど、まともに動かねえ、admin権限もなし。このアバターが精々だ」


 彼は錆びたダガーを指し、自嘲気味に笑った。


「お前らみたいに無力だよ……いや、もっとかもな」


「……じゃあ、何のためにログインしたんだよ。あれか? 運営はちゃんと動いてますって、アリバイ作りにでも来たのか?」


「そんなんじゃねえ!」


「……?」


「俺がやらかしたんだ。ハッカーが好き放題できてるのは俺のせいなんだ。でも運営は……株価を守るためにハッカーの攻撃を『イベント』に仕立て上げやがった。何千人のプレイヤーが閉じ込められてんのに、だ。」


「ちょっとまってくれ、イベントに仕立て上げるって、どういうことだ?」


「まだ公式サイトを見てないのか?」


「公式サイト?」


 レオはインターフェースを開き、ゲーム内から公式サイトにつなげた。

 するとギラギラの色彩で飾られた「最新ニュース」が彼の目に飛び込んできた。


「……なんだこれ」


ーーーーーー

公式アナウンス

【緊急告知:ワールドイベント『黒軍侵攻』開始のお知らせ】


平素より「ハート・オブ・フロンティア」をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。本日、現時刻をもって、ワールドイベント「黒軍侵攻」を開始いたしました。


一部のプレイヤーが仕掛けた前代未聞の挑戦――新勢力「黒軍」がワールド全域に展開し、皆様に新たな戦いの場を提供します。以下、イベントの概要です。


●ログアウト制限

イベント期間中、任意のログアウトは無効化されます。

戦略的なプレイが求められます。


●ガード機能停止

街のガードが停止し、PKペナルティ、および犯罪フラグが無効化。

HOF初の完全自由な戦闘をお楽しみください。


●黒軍の侵攻

謎の勢力「黒軍」が各地の街を占領。

ワールドの全プレイヤーは、これを奪還するミッションに挑みます。


●勝利条件

黒軍の全拠点を制圧することでイベントクリア。

実績に応じた豪華報酬を両軍のプレイヤーに進呈予定です。

詳細は後日掲示いたします。


プレイヤー間の問題は、プレイヤーで解決する――これがHOFの魂です。

黒軍との戦いで、ワールドの未来を切り開いてください。

皆様の健闘を祈ります。


HOF運営チームより

ーーーーーー


「ハッカーの尻馬に乗るって……運営は正気なのか!?」


「あぁ。これが俺のせいで、って思うと、じっとしてられなかったんだ!」


 古島の声には、苛立ちと痛みがにじんでいた。


 運営のアナウンスは現実離れしていて悪い冗談にしか思えなかった。

 しかしレオは古島の口から――いや、そのアバターの顔に深く刻まれた罪悪感を見て、これが現実なのだと理解した。


「いくらハトフロでもあんまりだ。古島、あんたがこれを引き起こしたのか?」


「あぁ、そうだ。……俺のせいだ。セキュリティ管理者になりすましたハッカーの指示に従っちまったんだ。セキュリティパッチを適用したら――」


「なるほど。そのパッチのせいで黒軍が現れたのか」


「ハッカーが好き勝手やってるっていうのに、運営は自分の職を守るのに必死で、お前らのことなんか眼中にねえ。俺はここに入って、ハッカーの攻撃を止めたかった。それができなくてもせめて、プレイヤーに本当のことを伝えたかったんだ」


 レオは古島を見つめ、その話の真実味を推し量る。古島のアバターは震え、目には必死さが宿っている。


(……嘘を言っているようには思えないな。もし、こいつの言ってることが全部嘘だとしたら、アカデミー賞もんの名役者だ。)


「……わかった。信じてやる。でもなんでその姿なんだ? それにさっき言ってた、『アクセスポイント』って何のことだ?」


「ハトフロのアルファテストに使われたテスターアカウントは、ユーザー、GMとは別のログインプロトコルを使っているんだ――そのお陰でハッカーが支配するハトフロにログインできたわけだが……このアバターはスキルもステータスも初期のまま。おまけに持ってるアイテムはこの〝ゴミ〟だけときた」


 古島はそういって初期装備の錆びたダガーを振った。


「アクセスポイントはゲーム内からアクセスできるインゲームエディタにアクセスできる場所のことだだ。今のGMにアクセス権限は無いが、ハトフロ開発者が操作していたテスターアカウントには、インゲームエディタの操作権限が与えられてたんだ」


「インゲームエディタ……。それってつまり、ゲームを動かしながらゲームの中身を改造できるってことか?」


「そうだ。エディタにはログの収集機能もあるから、ハッカーの行動を追えるはずだ。問題はアクセスポイントの所在が不確かなこと。さらに『テストくん』が置かれていた場所が、絶賛戦争中のバレッタだった、ってことだな」


 静かに話を聞いていたレオだったが、仏頂面になって腕を組んだ。


「つまり、どこもかしこも戦場になってるハトフロ中をうろついて、どこにあるかもわからない解決策を見つけようって……? 運任せにもほどがあるだろ」


「最悪の計画なのはわかってる!」


 古島は声を荒げたが、不安げにあたりを見回して声を押さえた。


「運任せなのは確かだが、どこにあるかもわからないモノを見つけようとしてるわけじゃない。不確かだが、心当たりはあるんだ」


「というと?」


「あんた、ハトフロのプレオープンイベントを知ってるか?」


「いや、俺が始めたのはハトフロのサービスが始まってから数年してからだからなぁ……。初期のことは何も知らないよ」


「なら説明しよう。ハトフロ開発初期のことだ。開発会社は、まだ未完成だったハトフロで遊べる権利を1000人限定でプレイヤーに販売したんだ。『プレオープンイベント参加権』っていってな」


「まーたお金絡みか……」


「だけど、プレオープンが無かったらハトフロはこの世に存在しなかっただろうな。開発があと数ヶ月で完了するって時に、開発資金が尽きちまったんだ」


「資金集めのためにやったってことか。それで?」


「開発リーダーがプレオープンイベントを取り仕切った。ブリトンの王城で王様の格好をしてユーザーの前に現れ、『開拓者たちよ、ハトフロの世界にようこそ』ってな。その時に使われたのが〝ハート・オブ・フロンティア〟だ。」


「ハート・オブ・フロンティア?」


「ハート・オブ・フロンティアは独立したプログラムで、ゲーム内部から唯一インゲームエディタにアクセスできるシロモノだ。なんてったって中に直接コードを書いてコンテナ化してるからな。サーバーがハッカーに支配された今も、クリーンな状態を維持してるはずだ」


「つまり……そのプログラムを使えば、サーバーを復旧できる?」


「そうだ。アイテムはプレオープンイベントの終了時に、ゲームの開闢(かいびゃく)を告げる王自らの手によってブリトンの王城の奥底に封印(ロックダウン)された。だが、俺のテスターアカウントならロックダウンを解放できる」


「ん、待ってくれ。プレオープンサーバーに置かれたモノが何でサーバー5のEdison(エジソン)にあるんだ?」


「ハトフロサーバーは全てプレオープンサーバーの複製なんだ。だからプレオープンサーバーに存在したモノは、全てのサーバーに存在する。あんた、〝サーバー・バース・レア〟って聞いたことないか?」


「開発者の消し忘れで残っちゃって、新サーバーが開いた時に取り合いになるアレ? 前一度だけ見たことあるけど、体装備として装備できるコッペパンとか、手に持って振り回せるカーソルとかあったなぁ……」


「それらがあるなら、ハート・オブ・フロンティアもブリトンの王城に必ずある」


「問題は、王城が黒軍に占領されてるってことか」


「エディターの古さも問題だな。できることに制限がある。サーバー制御やログイン周りのコアシステムはプレオープン時からさほど変わってないが……」


「実際触ってみないとわからない、と。最高に最悪の計画だなぁ……」


「――で、どうする?」


「仲間に聞いてみます。まぁ、返ってくる答えはだいたい想像つきますけど」


 レオが耐熱グローブをはめた大きな手を差し出すと、古島は力強くそれを取る。

 振り返ると、バレッタの空を焦がしていた炎の色はすっかりその姿を消していた。






サーバー・バース・レアについては、現実に元ネタがあります。黎明期のMMO、ウルティマオンライでは開発者の消し忘れアイテムがそのまま実装サーバーに残っていて、プレイヤーが拾っちゃったのです。

今の時代だと大問題ですが……当時はおおらかだったんですねぇ。


ハート・オブ・フロンティア(ツールの方)についての補足です。

たしかに多くのゲームには、開発者やQA(品質保証)チームが使用するデバッグコンソールやエディタが組み込まれています。

これらは通常、製品版では無効化されるか、特定の認証が必要です。


MMORPGにはゲームマスター(GM)がインゲームでイベントを管理したり、プレイヤーの状態を変更するツールが存在します。専用コマンドでNPCをスポーン、プレイヤーをテレポート、アイテムを出したりできます。オブジェクト指向の構成なら、かなり奇抜なこともできます。(実際にあった例だと、プレイヤーにドラゴンのブレスを習得させたり、モンスターにしちゃったり。)


しかし、作中に登場するハート・オブ・フロンティアは強力すぎます。

インゲームエディタはデバッグやイベント用に特化され、サーバー制御、ログアウト機能のコアシステムの変更は外部で管理されるのが一般的です。


とはいえ、VRMMO特有の問題――閉じ込め発生リスクがあります。そのためにインゲームでコアシステムをいじれるようにしたのかもしれません。


おそらくコンテナ化されたプログラムとして実装されたハート・オブ・フロンティアは、ゲームのメインサーバーとは別プロセスで動作するのでしょう。サンドボックス環境内で実行される仮想マシンのような、入れ子構造になっているのかもしれません。しかしこれは正規のGM権限プロセスを回避し、ゲーム内から管理者コマンドを実行可能にしたことを意味します。言い換えれば、「制御されたハッキング」を可能にして、そのまま製品版に組み込んだわけです。


……それ、もしかしなくてもヤバくね?

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