第四十六話 愛は不死身
――ブリトン北、レオの鍛冶屋。
仮想世界の夜は現実と同じく冷たく、重い闇を大地に降ろしていた。
上空で偵察を続けていたメアリが、ドクロを象ったヘルメットを地面に向ける。
黒い眼窩は、レオの鍛冶屋前に広がる空き地を見ていた。
闇がたちこめるなか、プレイヤーが地面にさした松明がオレンジ色の円を描いている。さながら、宇宙に浮かぶ孤独な星々が寄り集まったかのような光景だ。
ひときわ大きな光にプレイヤーたちが暖を求めるように集まっていた。
(……懐かしいな。昔はこういうの、よくあったんだけどなぁー)
見ず知らずの人々が集まり、言葉をかわす。
メアリも久しく見ていない光景だった。
ハトフロにログインしたばかりの時期は、何もかもが目新しかった。
風が震わせる梢の音に耳を澄ませ、山肌からこぼれる湧き水の冷たさ、地面の草をついばむニワトリの暖かさに驚いた。
しかし、世界の姿以上にメアリを驚かせたのは、その世界に「人」がいることだった。仮想世界には、自分と同じような意志を持ち、血の通った人間が居る。
ログイン初日、メアリは何も知らない人々とキャンプを囲み、その日、手に入れたものを交換した。なんの役にも立たない草の束や、陶器の破片、茂みの若木にナイフを立ててとった小枝。今になって考えれば、吹き飯ものだ。
ハトフロには、意味のないアイテムが大量にある。第2の地球を作ろうとした開発初期のコンセプトの名残で、。使う予定もないのに実装されたアイテムが無数にあったのだ。しかし、何の意味がなくとも、何故かメアリにはそれが輝いて見えた。
そんな彼女もいつしかレアアイテムやスキルを求めるばかりになり、他のプレイヤーを血の通った人間ではなく、ただの「取引相手」と見るようになっていった。
だが、今は――今の彼女には、ハトフロにログインした最初の頃に近い感情が戻ってきていた。黒軍の侵攻によって日常を失ったはずなのに、かえって充実したものを感じていた。
(……きっと、レオ君のおかげかな。すくなくとも、退屈することはないし)
再度、鞍の上のメアリはレオの鍛冶屋を一瞥し、手綱をひるがえす。
キミドリの翼が弧を描き、広がった翼膜が空気を掴む。
「キミドリ、先行偵察に行くよ! 目指すは城塞都市、バレッタ!」
「ガル!」
月明かりに緑色の鱗が輝き、キミドリの巨体が水平線の上でちらちらと瞬く光を追う。海の向こうではWJのヒロシが黒軍に占領された城塞都市バレッタを奪還しようと戦っている。瞬く光は砲撃とそれが生み出す爆発のものだろう。
『――レオくん、見える? 今からバレッタに向かうよ』
「はい、配信ありがとうございます! 助かります!」
レオは店の中から上空のメアリに向かって礼を言う。
彼の手元に浮かぶウィンドウには、メアリの配信が映っている。
その横には、開いたままのメッセージウィンドウがあった。
ヒロシから届いた、援軍を求めるメッセージだ。
タイプミスの目立つ文面からは、彼の焦りがにじんでいた。
「プレイヤー連合VS黒軍の全面戦争かぁ……どんどん話が大きくなるね」
結衣が裁縫道具を片付けながら、冗談めかすように言う。彼女の瞳をみるに、全面戦争に対する緊張よりも、好奇心のほうが勝っているようだった。
霜華が棚から一歩踏み出し、静かに状況を分析する。
「要塞都市バレッタは四方を海に囲まれています。しかし、島の西方にプレイヤーが家を建てられる建築スペースがあり、陸からの攻撃が可能です」
「ヒロシさんのPKKギルド――ホワイトジャッジメント(WJ)のギルドハウスはバレッタにある。で、ヒロシさんはギルドハウスから出撃してバレッタに攻撃をしかけたみたいなんだけど……」
「メアリさんの偵察情報待ちですが――黒軍は陸からの攻撃を想定し、西方に戦力を集中、防御を固めていたのでしょう」
「そこで〝裏取り〟をしかけるってことだな」
「はい。ヒロシさんの奇襲作戦は理にかなっていますが、問題は実行力です。
――特に、船の確保が課題ですね」
「船か。生産系のプレイヤーなら、漁船か倉庫用のボートくらいはあるけど……」
「さすがに戦闘用の船を持ってる人はいないだろうね。船を持ってるなら、ブリトンの港から逃げてるだろうし」
「だよなぁ……」
レオが腕を組み、眉を寄せる。
彼の脳裏には、バレッタのイメージが脳裏に浮かんでいた。
断崖に囲まれ、波の音が響く城塞都市。高壁に守られる街の中心には、防御塔に囲まれた巨大な城砦がそびえたっている。
バレッタの堅牢な守りを崩すには、正面からの力押しでは足りないのは明白だ。
そこへ、店の外からけたたましい笑い声が飛び込んできた。
「話は聞いたわ! 船なら任せて、あたしのツテでバッチリよ!!」
「リディア?!」
店に飛び込んできたのは、ビキニアーマーを月光にきらめかせ、金髪とピンク髪の山賊団を引き連れて空き地を闊歩している女山賊――リディアだった。
彼女の手には食べかけのパイが握られ、口の周りにはクリームが付いている。
「リディアのツテって……なんか嫌な予感しかしないんだけど?」
レオが顔をしかめると、リディアは高笑いしながらレオの肩をたたく。
「とりあえず海岸行こ、海岸! すぐにわかるからさ!」
「うーん……」
組んだ腕をさらに締め、うなるレオ。
しかし、リディアの背後から現れたシルメリアが、さらなる支援射撃をした。
「まさに〝渡りに船〟だね。せっかくの申し出だし、受けていいんじゃないか?」
「シルメリアさんまでそう言うなら……。
嫌な予感が止まらないんですけど、仕方ないですね」
「よーし決まり! みんな海岸にゴー!」
結衣がくすくす笑い、霜華が小さく溜息をつく。
だが、選択肢は多くない。
レオはハンマーを肩に担ぎ、仲間たちと共にブリトンの寂れた海岸へ向かった。
夜の海岸は静かで、波が寄せては返す音だけが響く。
空には星が瞬き、遠くでバレッタの灯りが微かに揺らめいているように見えた。
レオたちは砂浜に立ち、リディアが呼び寄せた「船」を待つ。
「リディア、本当に大丈夫なんだろうな?」
レオが念を押すと、リディアは胸を張ってウィンクした。
「鍛冶屋ったら心配性だね! あたしの友達は超頼りになるんだから!」
その言葉が終わらぬうちに、海の彼方から奇妙な光が近づいてきた。
ピンク色の輝きが波を切り、甲高い船鐘の音が夜を裂く。
現れたのは、巨大な戦列艦――ラブラブピース号2世だ。
前身の船よりもさらに派手になった船体は、ピンクの塗装にハート型の金具がちりばめられ、帆にはキラキラしたスパンコールが縫い付けられている。そして船首には――「愛は不死身!」と刻まれたピンクシルバーの銘板が輝いていた。
「げっ……いつぞやの!」
レオが思わず声を上げる。結衣は目を丸くし、霜華は冷静に船を観察する。
リディアだけが「最高でしょ!」と手を叩いてはしゃいでいた。
甲板に立つのは、フリルドレスにハート型サングラスをかけ、金髪ウィッグが風に揺れる「キャプテン・ラブリー」だ。
彼(?)は先端にハートがついたワンドを振り回していた。
「ウフフ、リディアちゃんの頼みなら断れないわ! バレッタへ行くんでしょ? アタシの愛の船で、黒軍をドッカーンとやっちゃうわよ!」
「いや、待て待て! このド派手な船で奇襲って、無理があるだろ!」
レオの抗議もむなしく、キャプテン・ラブリーは海岸に船を寄せた。
キャプテンの怪しい高笑いを背景に、海賊団の面々は一斉に作業に取り組む。
甲板の上でキャプスタンを数人がかりで回して錨を降ろし、マストから伸びる縄梯子を猿のように軽やかに登って帆をたたむ。
部下はピンクのバンダナやハート型の眼帯を身にまとい、やけに楽しげだ。
「見た目はさておき、この船の装備は本物です。大砲、装甲、帆、どれも実装されている中で最高のものです。奇襲には不向きですが、突破力は申し分ないでしょう」
「最高の装備っていっても、この海賊団、信用していいのか? アレだぞ?」
レオの当然の疑問に、インターフェースを操作していた結衣が答える。
「ずっと前からラブラブ海賊団はPKギルドとして有名だよ。海の上なら最強。以前あったトレハンイベントでは、プレイヤーを乱獲してたらしいけど……」
「うん。その時遭ったんだわ。クロウさんたちにトレハンイベントに駆り出されて……あの時沈めたはずなのに、なんで船がより豪華になってるの???」
「フフ! 愛は不滅っていったでしょ! イベントでトレジャーハンターから拝借したお金がいっぱいあったから、それを使ってみんなの愛の巣を新調したのよ!」
「あー、そういうこと……」
「さ、乗っちゃおー!」
レオが頭を抱える中、リディアが背中を押す。
一行はしぶしぶラブラブピース号2世に乗り込んだ。
ラブラブピース号2世の船内は、外見通りのカオスに満ちていた。ハート型の装飾が船の壁、床、窓、至る所に貼られ、食堂ではなぜかピンク色のケーキと極太ウィンナーとチョコバナナが振る舞われていた。
一等航海士の指揮のもと、海賊は「愛の歌」を合唱しながら船のなかをせわしく走り回る。レオは早くも胃がキリキリし始めていた。
「出港よー!!」
キャプテン・ラブリーが舵を握り、船はブリトンの海岸を離れた。
夜の海を切り裂く船の振動が、これから起きる戦いの予感を高める。
レオは甲板の隅で作戦会議を開くことにした。「レオの鍛冶屋」従業員一同と、シルメリア率いるブラッディ・ベンジェンスのメンバーが輪を作った。
「ヒロシさんの計画を整理しましょう」
波しぶきが飛び込んでくるなか、霜華が地図のホログラムを投影する。
バレッタの島が立体的に浮かび、城砦周辺と海の状況が詳細に描かれていた。
これは先行して偵察に飛んだメアリの情報を元にしたものだった。
「黒軍はバレッタ西門に防衛を集中させています。私たちが接触した黒軍と同じ、グリムダークとソウルバインダーを使ったビルドをしています。これよりこのビルドをした黒軍を『レギオン』と呼称したいと思うのですが、どうでしょうか」
「えぇ、かまわないわ。ヒロシはレギオンを攻めあぐねてるようね」
「はい。砲撃の大威力はレギオンの反撃を強化してしまう。これにより、突入部隊を出せなくなっているようです」
「そうか、威力が大きすぎるせいでかえって攻略が難しくなってるのか」
「そこでヒロシさんのギルドが正面を攻める中、我々が背後から奇襲をかけます。敵の防衛網のスキを突き、可能ならば街の中心を駆け抜け、敵指揮官を狙います」
「私とリディアのチームは上陸後の突破を担当するよ。シタデルに突入し、バレッタの指揮官を討てば終わりなんでしょ?」
「はい。送られてきたワールドメッセージを信じるなら、そのはずです」
「背後ってことは、海から上陸するわけだな。となると、こっそり行かないといけないわけだけど……このピンクの船、目立ってしょうがないんだけど???」
レオが船体を指さすと、キャプテン・ラブリーが「愛は目立つものよ!」と叫び、海賊たちが歓声を上げる。レオは溜息をつくしかなかった。
「なら、囮作戦はどうかな? この船で派手に突っ込んで、黒軍の注意を引きつけるの。その隙に、別の小舟でシルたちを上陸させる!」
「結衣の案はいいと思う。この異様な風体には誰もが目を取られるだろうし」
船の舷に背中を預けていたシルメリアが結衣の案に同意する。
するとリディアもそれに乗っかった。
「だったら、タンスの海バージョンやっちゃおう! ダミーのボートに山ほど爆弾を積んで、港に突っ込ませるの! ドカーンってやれば、混乱必至でしょ!」
「いや、それ絶対俺らが巻き込まれるパターンだろ!」
レオのツッコミに皆が笑うが、霜華は真面目な顔で指摘した。
「実際、爆発を利用したかく乱作戦は有効です。守りにつく黒軍を分断できれば、相手の対処能力を上回れるかもしれません」
「でしょでしょ?」
「ならキャプテンに大砲の火薬を借りて爆弾を作ってみるか?
そうなると、錬金術スキルのない俺の手が空くなぁ……」
レオがそうぼやくと、潮風に銀髪をひろげていたシルメリアの赤い瞳が光る。
まるでその言葉を待っていたといわんばかりだ。
シルメリアが体を預けていた舷から体を起こし、剣の柄に手を置いた。
「それならレオ、新しい武具の準備を頼める?」
「武具? どんなのですか?」
「レイピアでも甲冑でも、レギオン対策になる効果を持ったモノがほしいのよ。私のビルドの『忍剣』は、ハイドからの奇襲で相手を一撃で倒して、クールダウンを回すのが生命線。だけど、レギオンのダメージ分散のせいで上手くいかない。これをなんとかしない限り、梱包爆弾を使い果たした瞬間に攻撃の失敗が確定するでしょ?」
「たしかにそうですね。レギオンのビルドを突破する武具か……」
「多少トリッキーな運用になってもいい。対応して見せる。……できる?」
「うーん……」
ふと、レオの視線が船上で働く海賊たちに引き寄せられた。
海賊たちは帆の角度や高さを調整するために、網の目のように広がる索具を巧みに操っている。ひとりの海賊がフックの付いたロープを投げ、帆の張られたマストの先端についた滑車を操る。
遠くの帆を一本のロープを使って操る海賊。
その姿がレオの目に焼き付いた。
「……待てよ? そうか!」
その時、レオに電流が走った。
彼の脳裏にあるアイデアがひらめいたのだ。
「うん、できると思います。キャプテン、船に鍛冶場ってあるか?」
「もちろんあるわよん! 大砲の修理用にブリッジに鍛冶場を用意してるわ!」
「よし、ちょっと借りるぞ!」
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MMOはじめたころっていろんなもの集めるよね。で、たまたま残していたものがパッチレアになって、とんでもない値段ついたりする…
でも、思い出はプライスレス!