幕間 運営は踊る
――ビルの明かりが星空を覆い隠す東京某所。サーバールームと壁一枚隔てた会議室に一人の男が安楽さとは無縁の固いパイプ椅子に座り、端末に向き直っていた。
端末の画面には証明写真サイズの人の顔が並んでいる。
彼らは海に面したホテルの一室、青白い炎を上げる松明が壁にかかったダンジョンといった、場所どころかテイストもバラバラの背景を背にしていた。
彼らはVRMMO「ハート・オブ・フロンティア(HOF)」の運営チームだ。
ハッキング事件への対応を話し合うため、国内外のスタッフや会社の重役たちがオンライン会議に集まっていた。
彼らの表情は一様に重い。
画面を通してでも、緊張と苛立ちが渦巻いているのがわかる。
サーバー管理者の古島は、汗に濡れた額を黒ずんだシャツの袖で拭いながら、震える声で状況を説明する。目の下のクマは、連日の徹夜の証だ。
「――現在の状況ですが、サーバー5〝Edison〟において、セキュリティシステムの上書きが確認されました。具体的には、ファイアウォールの突破と、ゲーム管理権限の乗っ取りです。特に問題なのは、ゲームマスター専用コマンド『ハルマゲドン』の不正使用です。このコマンドは、街のガード機能を無効化し、犯罪フラグを全て解除、PKを自由に行える状態を作り出します。結果、ブリトンを始めとする各地で混乱が広がっており――」
『古島君、話が長いよ。で、株価への影響は?』
割り込んだのは画面越しに映る重役の一人、五十代半ばの男だ。
純金のネクタイピンをカメラに光らせる彼は、古島の言葉を何一つ追いかけない。
きっと、ゲームそれ自体には、何の感心も無いのだろう。
古島が言葉を詰まらせるなか、運営会社の財務担当者が淡々と告げる。
『昨今の政情不安により、株価は先月比2%下落しています。ハッキングのニュースが漏れれば、さらに10%は――』
『10%だと? 冗談でもない!? 』
『プレイヤーなんかどうでもいい、会社が傾くぞ!!』
重役たちが声を荒げる。画面の向こうでタバコをくゆらせながら、苛立たしげにデスクを叩く音が響く。古島は唇を噛み、胃の奥が締め付けられるのを感じる。
彼らが興味を持っているのは、ハトフロが生み出すお金だけのようだ。
「どうでもいいわけないでしょう! 1万人以上のプレイヤーがゲームに閉じ込められているんです! 最悪、意識障害のリスクだって――」
「古島サン、落ち着いてくだサイ。プレイヤーの安全はもちろん大事デス。しかし、会社には、優先順位というものがアリマース」
おもわず身の丈に合わない反駁をする古島だったが、運営チームのリーダー、アーロンが冷たく遮った。
スーツの襟を正しながら、黒髪の白人男性は淡々と言葉を続ける。
「私たちの役目はなんデスか? ハトフロを運営するコト? ノ―。ハトフロの運営を通して〝利益〟を出し、会社に貢献することデス」
『アーロン君の言う通りだ。ハトフロの運営は慈善事業ではない』
『まずやるべきはマスコミ対策だろう。外部に情報が出る前に事態を収束させるのがベストだ。具体案は出てるのか?』
『そうだ、君たちは何をしていたんだ!!!』
重役の一人が声を張り上げる。オンライン会議に響く非難の声は、まるで古島一人にすべての責任を押し付けるかのようだ。古島は深呼吸し、声を抑えて反論する。
「私たちは侵入経路の特定とログの解析を進めています。しかし、攻撃者が管理権限を握っている以上、システムの完全な奪還には時間が――」
『そんな悠長なことを言ってる場合か! マスコミが嗅ぎつけたら終わりだぞ!』
『速やかに問題を解決しろというのがわからんのか!! バカめ!!』
重役たちの怒号が飛び交う中、オンライン会議のインターフェースに「新しい参加者:広報チーム」のメッセージが浮かぶ。会議に飛び込んできたのは、広報チームのリーダーの若い女性だった。彼女は息を切らし、タブレットには赤い「速報」の文字が躍っている。
「大変です! マスコミが今回のハッキングをすっぱ抜きました! 『HOFで前代未聞のサイバー攻撃、プレイヤー1万人以上が人質状態』と!」
オンライン会議は一瞬にして静まり返った。
重役たちの顔が青ざめ、アーロンの眉間に深い皺が刻まれる。
古島は椅子に崩れ落ちそうになりながら、かろうじて声を絞り出した。
「もう……手遅れ、ですか……」
「いえ、待ってくだサイ」
静寂を破ったのはアーロンだ。彫りの深い顔の奥で光る目は、どこか落ち着いている。彼は咳払いし、両手を広げて椅子から立ち上がった。
『ここで諦める必要はアリマセン。むしろ、これはチャンスデース! このハッキング――我々は「不明なプレイヤーによるゲーム内ハッキング」と見なし、それに乗っかる形で「ワールドイベント」として発表するのデス!』
「――は?」
『黒軍の侵攻を、HOFの新たな祭り――
前代未聞のプレイヤー主導イベントと銘打つデス!』
古島を含む全員が、アーロンを呆然と見つめる。重役の一人がコーヒーを吹き出し、ゴホゴホとせき込む音がスピーカーからこぼれた。
「イベントだと!? ハッキングをプレイヤーの仕業にしてイベント扱いだって?! 正気か、アーロン!」
激昂する古島に、アーロンは平然と続ける。
『正気デス。古島さんこそハトフロの規約を思い出してくだサイ。「プレイヤー間で起きた問題は、プレイヤー間で解決する」――これが我々運営の基本方針デス」
「――なっ?!」
『不明なプレイヤーがハッキングで黒軍を動かしたなら、それはゲーム内の問題。運営が介入せずとも、プレイヤーたちが祭りとして解決するデショウ!』
「そんな無茶苦茶な……!」
古島が叫ぶが、アーロンの目は冷たく光る。
『無茶苦茶、破茶滅茶、大いに結構デース! ハトフロプレイヤーはゲーム内で起きる混沌を愛してマス。街を焼かれようが、PKされようが、彼らは「祭り」に喜んで飛び込みマス。このハッキングも壮大な「祭り」に仕立てあげれば、彼らは喜んで戦うデショウ!』
「何のつもりだ! プレイヤーの命がかかってるんだぞ!」
『命? 偽装メールに引っかかったアナタがどの口で言うのデス?』
「うっ……」
『アナタが引っかかった時点で、プレイヤーの命は地獄行きのバスに乗ったのデス。だったら、運営の私タチができることはただ一つ。この地獄をハトフロらしく盛り上げることデス!』
『法律的には問題ありませんよ。プレイヤーはすでに規約に同意済み。事件をゲーム内の出来事として処理すれば、責任はプレイヤーに転嫁できます。顧問料を上乗せしていただければ、どんな起訴も叩き潰してみせますよ」
顧問弁護士が画面越しに口を挟んだ。
口元にいやらしい笑みを浮かべた彼は、こともあろうに無法を肯定した。
弁護士は法律の知識をもって、不正が行われることがないように人々を守ることが使命だ。しかし、ハトフロ運営の顧問弁護士は違った。彼は法律の穴を探し、会社の利益となる身勝手な解釈を押し通す。それを使命としているようだ。
「ふざけるな!! こんなこと通るわけ――」
「それが、通るのデス。通ってきたのです」
「?!」
『GMを兼任しているアナタなら、きっと見たはずデス。ハトフロプレイヤーは文句を言いながらログインを続けマス。すべての装備を失って全裸で泣き崩れても、翌日には「運営死ね」と笑いながらログインしてきマス』
「それは……たしかにそうだが」
『プレイヤーはハトフロの地獄が大好きなのデス。この事件をイベント仕立てにすれば、彼らは喜んで黒軍と戦うデショウ』
『私からも――このハッキング自体が奇妙なんです』
声を上げたのはハトフロのセキュリティ管理者だ。
不安げな表情を浮かべ、落ち着かない様子の彼に視線が集まる。
『何が奇妙なんだね』
『攻撃者は我々運営じゃなく、プレイヤーを見てるんです。通常のハッキングなら、データをロックして身代金を要求する。なのに、こいつは黒軍の撃退を「勝利条件」に設定してる。まるで――』
『まるで、プレイヤーによる自作クエストデス!』
セキュリティ管理者の話をアーロンがかっさらう。
『ゲーム内に表示されたメッセージ――「黒軍が全拠点を失えば、ルールは元に戻る」。これは愉快犯の仕業デス。我々が干渉できない以上、プレイヤーに任せるしかありまセーン!』
「だが、黒軍を倒してもハッキングが終わる保証はどこにも……!」
古島が叫びのような声をあげるが、冷ややかな視線に飲み込まれる。
重役の一人が頷き、初めて満足げな笑みを浮かべる。
『待てよ……これは売れるぞ!! 前代未聞だ!! プレイヤーがハッキングでゲームを乗っ取り、他のプレイヤーと戦う――こんな話題、ネットが沸く! 株価だって跳ね上がる!!』
『うむ、確かに。「HOFの混沌が新たな伝説を生む」――マスコミが食いつくな。プレイヤーだって報酬をチラつかせれば、大した文句は言わないだろう』
「報酬って……そんなものでプレイヤーが納得するわけ――」
「いや、これはすでに決定事項だ! 広報は公式サイトのアナウンスを用意しろ! あれこれ喚く前に、君たちは自分の仕事をしたまえ!」
『わ、わかりました。アナウンスを用意します!』
重役の怒号がスピーカーを震わせ、古島は言葉を失った。胃の奥が焼けるような痛みに襲われながら、彼はヨレヨレのシャツの胸をぎゅっと掴んだ。
会議画面が次々と閉じられ、静寂が会議室を包む。
古島は一人、モニターの光に照らされながら、公式サイトの更新画面を見つめる。
指はキーボードの上で凍りつき、動かない。
画面に映るHOFのロゴは、まるで彼のことを嘲笑うかのように輝いていた。
(俺は何を……何をやってるんだ……)
サーバールームの唸りが薄い壁の向こうから聞こえてくる。ハトフロのワールドは、運営の無能と謎のハッカーの思惑に翻弄されながら、なおも回り続けていた。
しばらくすると、広報チームの手によって公式サイトが更新された。
そして新しく用意されたページに「新イベント」のアナウンスが掲載された。
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公式アナウンス
【緊急告知:ワールドイベント『黒軍侵攻』開始のお知らせ】
平素より「ハート・オブ・フロンティア」をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。本日、現時刻をもって、ワールドイベント「黒軍侵攻」を開始いたしました。
一部のプレイヤーが仕掛けた前代未聞の挑戦――新勢力「黒軍」がワールド全域に展開し、皆様に新たな戦いの場を提供します。以下、イベントの概要です。
●ログアウト制限
イベント期間中、任意のログアウトは無効化されます。
戦略的なプレイが求められます。
●ガード機能停止
街のガードが停止し、PKペナルティ、および犯罪フラグが無効化。
HOF初の完全自由な戦闘をお楽しみください。
●黒軍の侵攻
謎の勢力「黒軍」が各地の街を占領。
ワールドの全プレイヤーは、これを奪還するミッションに挑みます。
●勝利条件
黒軍の全拠点を制圧することでイベントクリア。
実績に応じた豪華報酬を両軍のプレイヤーに進呈予定です。
詳細は後日掲示いたします。
プレイヤー間の問題は、プレイヤーで解決する――これがHOFの魂です。
黒軍との戦いで、ワールドの未来を切り開いてください。
皆様の健闘を祈ります。
HOF運営チームより
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アナウンスに目を通した古島は、喉の奥でうめいた。
「ハッカーと戦うどころか、その動きに乗るなんて……」
公式サイトをぼんやり眺める古島の顔は、疲れ切って死人のようだ。
(こんなこと、絶対に間違ってる。けど、何ができる? ゲームマスター権限はハッカーに完全に塞がれて、俺たち運営にできることは何もない……)
よれよれのシャツから突き出た筋張った腕を机に振り下ろす。
その時、憔悴しきった彼の瞳に光が浮かんだ。
「まてよ……。ゲームマスター権限を持ってログインはできない。だけど――」
会議室から立ち上がった彼の足は、サーバールームを出てどこかに向かった。
小走りで廊下を走る彼は、灰色のカーペットが敷かれた防音床にくぐもった足音を立てる。
ほどなくして、「備品室」という札がかかった金属扉の前に古島はたどり着いた。
扉を開け、薄暗い倉庫に入った彼は明確な意志をもって部屋の一角に向かう。
彼が立ち止まったのは、背の高い金属ロッカーが壁を作っている場所だ。
ギィ、と蝶番をきしませてロッカーを開く。
するとそこには、古びた試験用のVRデバイスがあった。
「よし、雑な管理で助かったぜ。ハトフロのアルファテストに使われた初期ロットのVRデバイスがまだ残ってたなんてな」
VRデバイスを手に取った古島は、懐に抱えたヘルメット状のVRデバイスをシャツにくるんで隠し、こっそりと備品室を後にした。
「ゲームマスターのログインを防げても、テスターはどうだ? 試してみるか……」
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こ れ は ひ ど い
職業倫理、いったい どう な、て……
ハトフロ運営なら、運営ならきっと何とかしてくれる
そう信じていた時が……いや、別に無かったわ。
しかしこの無責任具合、現実世界を見ると、決してありえない展開と言えないのが本当の地獄。
ちなみにアーロンのボイスは、youtubeを探すと声真似しかでてこない、遊戯王のペガサスです。古島ボーイ!
Q:作者ボーイ! なんで運営はユーザーの排泄とか健康維持問題に言及してないのデース? 普通に考えてめっちゃヤバいデース!
A:トラップカード発動、「ジャンルはSF」! この時代、ユーザーが通常の代謝を必要とする体を持ってるとは限らないうえ、何度も事故が起きてるからVR関係の賠責・保険サービスが存在してるんだZE!(電車遅延くらいの頻度で、作業、娯楽に使われているVR空間の閉じ込め事故が発生するため)
たぶん、ユーザーによってはもうメディカルチームが到着してるぜ!