第四十五話 非対称戦
――ブリトン北。朱色の平原は、夕陽を追いかけてきた夜の帳にすっかり飲み込まれていた。
レオの鍛冶屋を囲むブラッディ・ベンジェンスの要塞は闇に飲まれ、建物と地面の境界も曖昧になり、月明かりが不吉な影を伸ばしている。
そんな中、レオの店の前の空き地に集ったプレイヤーは地面に松明をさし、たちこめる闇を追い払っていた。
空き地には、生産系プレイヤーたちのざわめきに満ち、勝利の歓声と安堵の溜息が交錯している。黒軍を打ち破った興奮が、まだ彼らの胸を熱くさせているのだろう。
鍛冶屋の店内は、いつもの鉄と石炭の香りに加え、戦いの後に持ち込まれた埃と汗の気配が混じっていた。作業場の床には、修理待ちの武具が所狭しと並んでいる。
店のカウンターの内側では、結衣が裁縫道具を広げてちくちくと何か縫い物をしている。霜華は店と作業場を忙しなく往復し、素材と商品の在庫をチェックしていた。
レオは作業場の入り口に立ち、耐熱グローブを外しながら深く息を吐いた。
額に浮かんだ汗を拭い、店の外で笑い合うプレイヤーたちを見やる。
高笑いするリディアが、金髪とピンク髪の山賊団と一緒に家具を積み上げたお立ち台の上でダンスをしているのが見えた。彼女たちの派手なパフォーマンスに、PKと生産系プレイヤーたちが共に拍手を送っていた。
「はぁ……なんとか乗り切ったな」
レオが誰に向けるでもなくつぶやくと、霜華が棚から視線を上げ、銀髪のポニーテールを揺らして応えた。
「レオ先生、黒軍の第一波を退けたのは大きな成果です。ですが、ブリトンの状況から推測するに、第二波が来る可能性は高いでしょう」
「だろうな。30体であの強さだ。次はもっとたくさん来るだろうな……」
彼の声に勝利に対する安堵はなく、新たな不安が混じっていた。彼は作業台に腰を下ろし、ハンマーを手に持ったまま考え込んだ。
「山賊団のタンスさばきは見事だった。だけど、黒軍の脅威が消えたわけじゃない」
「そうですね。彼ら黒軍の機械的な統率力は脅威です。今回はうまくいきましたが、本質的な勝利ではありません。別の言い方をすれば、再現性がありません」
「俺達がやったのはあくまでも初見殺し。2回目は無い、か」
「――はい。」
レオと霜華の間に重い沈黙が降りる。
「今回はなんとか勝利を拾ったけど、急ごしらえの作戦で誤魔化しただけだ。連中が使うソウルバインダーとグリムダークをどうやって乗り越えるか……」
「難題ですね。とくに黒軍の拠点を攻める事になった時が問題です。陣形の選択肢は向こうにありますから」
「ブリトンを取り返す時か」
レオの言葉に、霜華は黙って静かに頷いた。
狭い室内で黒軍が待ち受ける形になれば、グリムダークとソウルバインダーを用いた防御陣形は鉄壁の守りとなるだろう。
「霜華、ふと思ったんだけどさ……さっきの戦い、どう思う? タンス戦法で黒軍を完璧に分断できたけど、なんであんな簡単に引っかかったんだ?」
レオの問いに霜華は手を止め、静かな輝きを持つ青い瞳で彼を見た。レオに考察を述べる声はいつも通り静かだったが、どこか淡々とした響きがあった。
「黒軍の挙動を分析すると、彼らの行動は単一の指向に基づく統率に依存しています。集合意識――ゲシュタルト意識を模した義脳によるものと考えられます」
「ゲシュタルト意識ぃ? まーた難しい言葉がでてきたな……」
「お、霜華の新しい義脳技術解説? 聞きたーい!」
カウンターの裏で布に針を通していた結衣がカウンターから身を乗り出す。
作業に集中するフリをして、レオと霜華の会話に耳をそばだてていたようだ。
「――だそうだ。霜華、もうちょっとわかりやすく解説頼むよ」
「はい。〝ゲシュタルト意識〟とは、個々の意識が独立しながら、全体として一つの構造を形成する状態です。黒軍の各ユニットは個別の判断を持ちつつ、ネットワークで全体の目的を共有します。例えるなら、蟻の群れが一つの目標に向かって動くようなものです」
「蟻の群れか。確かに、黒軍の動きは統率されてたけど、なんか無機質だったな」
「どういう仕組みなの?」
「これは推測ですが、黒軍の意識は、粘菌コンピューターを参考に構築されている可能性が高いです」
「粘菌コンピューター?」
「あ、それ聞いたことあるかも。たしか日本での研究が一番進んでるんだよね。次世代の有機コンピュータだとかなんだとかって」
「はい。この分野は日本の理科学研究所、理研がリードしていますね。粘菌は単細胞生物ですが、集合することで迷路を解くような知的な行動を取ります。個々の細胞は単純なのに、ネットワーク化した全体は高度な問題解決を行えるのです」
「単純な生き物が集まって、頭いい動きをするってことか?」
「なんか……気味悪いね」
「黒軍は、個々の行動は単純ですが、全体としてみれば高度に統率された行動を取っています。粘菌コンピューターとの類似性が見られます」
「単純なルールが折り重なって、一体化したパターンを生み出す、って感じ?」
カウンターに肘をつく結衣に、霜華は微笑んでみせた。
「その通りです。黒軍の場合、各ユニットが『敵を追う』『密集を維持する』といった指令に従い、全体ではグリムダークとソウルバインダーを使った殲滅という一つの行動を形成しています。ちょうどサッカーチームが各自のポジションを守りながら、一つの戦術を完成させるような感じですね」
「なるほど。そう聞くと機械のようで人間っぽいような……」
「うん。何か複雑な気持ちになるよね」
「黒軍の意識は、個と全体が一体です。それぞれが小さな役割を果たし、個人を超えた、より大きな目的に奉仕する……人間も似たものを持っていますね」
「というと?」
「人間の信仰する〝宗教〟の構造がこれに近いです」
「問題発言を聞いた気がする」
「でも、それがどうして黒軍がタンス作戦に引っかかった原因になったの?」
「あ、それそれ! その〝ゲシュタルト意識〟が、どうして罠にかかったんだ?」
「まず考えられるのは、個々のユニットの問題解決能力が低いせいです。進行方向をテーブルで塞がれた黒軍は、『障害物を回避する』前に『密集隊形の維持』をしなくてはなりません。そうなると一番合理的なのは……」
「斧で家具をぶち壊して押し通ること、だな。俺がヴェルナでリディアにやられた時も、バリケードを押し通ろうとして中の爆弾でふっとばされたんだよな……」
「あのチュートリアル山賊団ってPK、そんなことして回ってるの?」
「あぁ、あの時はリッケもいて……あれ?」
レオの言葉に、霜華の目が一瞬鋭く光った。彼女は棚から離れ、ゆっくりとレオに近づく。店の照明が彼女を照らし、黒い影が白い石壁に伸びる。
「その点について、私も疑問を抱いていました。黒軍のネットワーク化された意思伝達を考慮すると、過去の戦術データが共有されている可能性は高いです。特に……リッケさんが黒軍に取り込まれている場合、彼はヴェルナでの戦いを記憶しているはずです」
「リッケ……」
レオの声が低く震えた。耐熱グローブを握る手に、思わず力がこもる。
ヴェルナで共に戦い、鍛冶を教えた弟子がBOTだった。
作業場で彼を襲ったあの赤い瞳が、脳裏に焼き付いて離れないのだろう。
「待てよ、霜華。リッケが情報を渡してたなら、なんで黒軍はタンスを壊して自爆したんだ? 爆弾が仕込まれてるって、わかってたはずだろ」
「そこが興味深い点です。黒軍の行動パターンを観察すると、彼らはタンスを物理的な障害物と認識し、破壊を選択しました。しかし、爆弾の存在を予測できなかったか、あるいは……意図的に無視した可能性があります」
「どういうことだ?」
レオが身を乗り出すと、霜華は一瞬言葉を選ぶように沈黙した。
彼女の瞳には、計算を超えた何か、ほのかな感情のようなものが揺れている。
「これは仮説ですが……。リッケさんの自我が残っていて、家具を破壊するよう黒軍を誘導した可能性があります。ヴェルナでの戦術を再現することで、私たちに勝利の機会を与えたのかもしれません」
「リッケが……俺たちを助けた?」
目を見開くレオの顔には、希望の色が混じっていた。
彼は作業台から立ち上がり、霜華を真っ直ぐ見つめる。
だが、霜華は首を振った。
「確証はありません、あくまで仮説です。単に黒軍のネットワークが不完全で、情報の共有ができずに自爆を招いた可能性もあります。いずれにせよ、黒軍が撃退できたのは、レオ先生が号令したタンス戦術のおかげです」
「でも、次はどうする? 連中も同じ手には引っかからないだろう」
「再現性のある方法で黒軍のビルドを突破する必要があります。それには状態異常と、今回使った爆弾を使うのが有効でしょう」
「いくらソウルバインダーで軽減しても、爆弾を山盛り使えば軽減をぶち抜いてダメージを与えられる、か」
「はい。ソウルバインダーは、ダメージを周囲に分散させて即死を防ぎますが、大量の爆弾が一度に爆発すれば防ぎきれません。さらに時間差があるのが重要ですね」
「時間差、あぁ……あれか」
レオの脳裏に店の前での光景が蘇る。黒軍が斧を振るい、断ち割られたタンスの中から転がり出る無数の漆黒の死の卵。それから逃げ回るプレイヤーたちの姿。
直後、無数の爆発が起き、爆煙と闇の衝撃波が渦を巻く。しかし、闇の波動にとらえられたプレイヤーは一人もいなかった。
「爆発までの時間を使って、攻撃しても反撃から逃げ切れるってことだな」
「はい。黒軍のグリムダークは、ダメージを蓄積して闇属性の衝撃波として放出します。衝撃波の射程は、一般的な攻撃魔法と同等の直線10メートル。爆弾を使用すれば、十分な余裕を持って反撃の射程外に離脱できます」
「なるほどな。麻痺毒なんかの状態異常を使えば、さらに安定しそうだ」
「致死毒を使ってもいいよね。毒も倒れるまで時間差があるし」
「だな」
「そうですね。爆弾単体ではプレイヤーを確殺するほどの威力はありません。しかし、10から30ダメージの低級爆弾でも、数十個を同時に起爆すれば、数千ダメージになります。これが黒軍のHPを削り、反撃を回避する鍵になるでしょう」
「なるほどな……。数の有利は見えるところにあるだけじゃない。黒軍がいくら多くても、俺たち生産系には〝在庫〟がある。爆弾や毒瓶の数を増やせば……」
「うん、いけるかもね!」
「その通りです。黒軍と戦うには対人戦闘に慣れ親しんだPKの力だけでなく、生産系プレイヤーの協力も不可欠でしょう」
「みんなの力か……」
レオは小さく笑い、カウンターに背を預けた。
リディアの派手な高笑いと、夕陽に輝くビキニアーマーが脳裏に浮かぶ。
ヴェルナで彼女にやられた時は、ただの迷惑なPKだと思っていた。しかし、彼女のタンス芸はレオの鍛冶屋だけでなく、プレイヤーたちの窮地も救った。
「あいつら、ただの芸人じゃなかったな。俺たちが下手くそだっただけに、余計に目立ったってのもあるけど……あのタンスの積み方、まるで魔法みたいだった」
「どんだけ練習してたんだろうね」
「彼女たちの戦術は、HOFのシステムを独自の視点で利用しています。タンスやテーブルは、単なる障害物ではなく、クラウドコントロール――つまり、相手の動きを制限する手段として使っています。実にユニークです。」
「ヴェルナで俺がやられた時も、トレードウィンドウで視界を塞がれて、タンスにつまずいて動けなかったっけ……」
レオは頷き、目を閉じた。ヴェルナでの屈辱が今日の勝利に繋がった。
その事実に、胸の奥で何か熱いものが灯る。
――だが、それと同時にリッケのことが頭をよぎった。
「霜華、リッケの話が本当なら……俺たちのために動いてくれたってことだよな。でも、もし、ただのプログラムのミスだったら、あいつは――」
「レオ先生、ミスの修正にはバックアップが必要です。」
「……!!」
「……そうだよね。常識的な開発者だったらミスやバグが起きたときに備えて、前の状態を保存しておくもんだよ。リッケって子は……多分、まだ消えてない、かな」
「ありがとう、霜華、結衣。」
「いえ、気休めしかいえず申し訳ありません。」
二人の言葉に、レオは静かに頷いた。彼女の冷静な声が、不安をそっと抑え込む。
だが、霜華の瞳には、わずかな揺れが残っている。
彼女もまた、リッケの謎に答えを見つけたいと思っているのだろうか。
「なぁ、霜華。俺は黒軍の対策として、大量の爆弾や毒ビンを梱包したバッグを投げつける梱包爆弾戦法が有効だと思うんだが、どう思う?」
レオの問いに、霜華は一瞬沈黙した。
彼女は作業場の在庫を見つめ、言葉を選ぶようにゆっくりと答えた。
「守りに入った黒軍と戦うなら有効でしょう。しかし、その場合は黒軍と私たちの非対称性が問題になります。つまり、割に合わないという問題があります」
「……そうだな。あいつらは突っ立って回復し続けるだけでも仕事ができる」
「はい。対する私たちは、爆弾を用意するために鉄や硫黄といった材料を集め、爆弾を組み立てなければなりません。不平等極まりますね」
「はぁ。胃が痛くなるな」
レオはそういって、作業場の入口にたてかけたハンマーを肩に担いだ。
店の外では、プレイヤーたちが松明の光の下で笑い合い、料理人が飲み物と一緒に焼けた美味しそうなパイを配っている。リディアが歌い、山賊団が即席のステージで歌う中、リリィがシルメリアの手を引いていた。
「レオ先生、次の準備を進めましょう。黒軍は必ず来ます」
「あぁ。すぐに準備を――ん?」
不思議そうな顔をするレオの手元でウィンドウが開く。
差出人はヒロシ。PKKギルド、「ホワイトジャッジメント」のギルドマスターをしている、ヒロシからのメッセージだった。
「WJのヒロシさんからだ」
「そういえばレオさんってPKKともつながりあるんだっけ。なんて?」
「えーっと……。黒軍が電撃占領したバレッタの攻略に苦労してるらしい。奇襲作戦の決行のために、シルメリアさんの助けがほしいって。なんで俺に……」
「そりゃPKKのマスターがPKギルドに直電するわけにはいかないっしょ。しかしPKKまで仲間になると、完全に黒軍とプレイヤーの全面戦争になるね。レオさん、どうするの?」
「その答え、聞く必要あるか?」
「だよね」
作業場の照明が揺れ、3人の影を長く壁に映す。
夜のブリトンに、新たな戦いの予感が漂っていた。
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本作に登場する理科学研究所は、実際に存在する理化学研究所(理研)とは一切の関係がありません。
全く関係ないんですが、理研は敷地内に脳神経研究センターがあって、道路向かいに本田の技研があります。で、線路はさんで向かいに自衛隊の朝霞駐屯地もあります。この環境の良さ(?)で戦闘ロボット作ってないって逆にありえないでしょ!!!(