第四十四話 来援
夕陽の赤に染まるブリトン北。ブラッディ・ベンジェンスのメンバーが所有する要塞が輪を作り、そのど真ん中に「レオの鍛冶屋」が静かに佇んでいた。
こじんまりとした店の前には、ちょっとした空き地がある。日頃、開店を待つPKが並ぶ空き地は、今は逃げ惑うプレイヤーたちで埋め尽くされていた。
埃にまみれ、息を切らせた彼らが、店の前に集まり、ざわめきを上げている。
煤けたエプロンを身に着けた鍛冶屋、お針子の裁縫道具を抱えた女、果ては大工から料理人まで。およそ戦闘とは縁遠い生産系プレイヤーが肩を寄せ合っていた。
ブリトンから逃げてきたばかりの彼らの顔には、恐怖と疲労が刻まれている。
助かったものの、誰もが動揺を隠せない。ある者は地面にへたり込み、ある者は仲間とささやきあいながら、黒軍の影に怯えていた。
その時、「レオの鍛冶屋」の両開きのドアが開いた。
プレイヤーたちの不安げな眼差しが、扉の向こうから現れた青年に投げられる。
――レオだ。
彼は鍛冶屋の入り口に立ち、手元に浮いているウィンドウを閉じると、集まったプレイヤーたちを見渡し、ざわめく彼らによく通る声で呼びかけた。
「みんな、ここなら安全だ! シルメリアさんとブラッディ・ベンジェンスが黒軍を食い止めてくれるはずだ!」
その言葉に、プレイヤーたちのざわめきが少し収まった。
だが、目に見える安堵は少ない。
鍛冶屋風の格好をしたプレイヤーが、震える声でもってレオに尋ねた。
「く、食い止めるって……逃げるんじゃないんですか!?」
「シルメリアさんはワールド1位のPKだ。黒軍が相手でも絶対に勝つさ」
「そうか……PKなら、勝てるかも」
「対人戦のプロだもんな。普通のプレイヤーには無理でも、きっと……」
すこし希望が見えたのか、プレイヤーたちの動揺が少しばかり弱まる。
だが、一方のレオの表情は硬い。
(……ヒロシが率いるWJも、黒軍が占領したバレッタを攻めあぐねてるみたいだ。本当に、シルメリアさんなら大丈夫なのか……?)
レオは力強く言い切ったが、内心では不安が渦巻いていた。
シルメリアの「忍剣」の強さはよく知っている。
これまで見てきた戦いで、彼女に土がついたところを見たことがない。
しかし、黒軍は完全に未知の相手だ。ブラッディ・ベンジェンスをはるかに勝る規模のWJが勝てない相手に、太刀打ちできるのだろうか。
(――いや、信じるしか無いよな。後ろを守るのが俺の役割だ。)
耐熱グローブを握りしめたその時、店の南側から轟音が上がった。巻き上げられた土よ煙が黒い柱となり、赤色の空に手を開いたようなシルエットを広げる。
ざわめきが再び高まり、プレイヤーたちが一斉にレオに振り返る。
「霜華!」
「はい、レオ先生!」
霜華が店の二階に上り、窓から外を見て冷静に報告した。
「レオ先生、シルメリアさんたちが戻ってきます。……敗走のようです」
「何!?」
レオの声が裏返る。群衆の間に動揺が広がり、悲鳴までもあがった。
やがて、シルメリアを先頭に、メイラン、リリィ、クロウが丘を駆け下りてきた。彼らの装備は埃と傷にまみれ、HPバーが目に見えて削れている。
メイランが着込んだ薄青色アーマーの表面は闇の力で腐食していた。
リリィがピザカッターを地面に突き立て、息を整える。
「やられたー!」
「ウム、こっぴどくやられたわい!!」
「シルメリアさん!」
レオが駆け寄ると、シルメリアは苦い表情で首を振った。
「すまないレオ。黒軍のビルドが予想外だった。完全にメタを張られた」
「メタ……?」
「これで終わりだぁ!! えぇ。黒軍は2つのレア装備を運用していたんです。『ソウルバインダー』と『グリムダーク』。どちらも本来はゴミ装備なんですが……」
「ソウルバインダーでダメージを分散して即死を防ぎ、グリムダークでそのダメージを使って自動反撃してくる。あの密集じゃ、私の暗殺ビルドは通用しない」
「そんな……!」
シルメリアの言葉に、プレイヤーたちの顔から血の気が引いた。
お針子の少女が、ピンクッションを握り潰しながら呟く。
「ワールド1位のシルメリアさんでも勝てないなら……もう終わりだよ……」
「諦めるな!」
レオが叫ぶが、場の空気は重く沈んだままだった。
フードの奥に瞳を隠したクロウが、苛立たしげに背中のクロスボウを鳴らす。
「あいつらの強さは数です。密集さえしていなければ、ソウルバインダーもグリムダークも本来の産廃に戻るんですが……」
「密集……か」
「相手の行動を制限するスキルがあればいいんですが……思い浮かびませんね」
「連中の分断が必要だ。だれか、アイデアを思いつくか?」
シルメリアの機転を求める声に応じ、ブラッディベンジェンスのメンバーが口々に戦術を話し合い始めた。
「バードの扇動は? 音楽使って同士討ちさせたり、群れからはぐれさせるやつ」
「ありゃモンスター用だ。あくまでもプレイヤーの黒軍には効かねぇだろ」
「それもそっか。行ってほしい方向に行かせることができればなぁ……」
「あ、道にパンをならべるとかどう!?」
「それにひっかかるの、リリィぐらいだろ……」
「えーっ?!」
「望んだ方向に移動させる……あ!」
レオの脳裏に、ヴェルナの鉱山での記憶が蘇る。チュートリアル山賊団のリディアに仕掛けられた、「タンス封鎖」と「タンス爆弾」。
家具のバリケードで動きを封じ、爆弾で一網打尽にするあの戦術は、黒軍の密集隊形を打ち崩すのに最適ではないだろうか。
「黒軍を分断できれば勝ち目が出てくるんですね?」
「理論上は。ですが、連中の統率は機械のように精密ですから……」
「えぇ。そう簡単には乱れないでしょうね」
「俺に考えがあります!」
レオは手に持ったハンマーを空に掲げると、プレイヤーたちに呼びかけた。
「大工ができるプレイヤーは前に出てくれ! タンスやテーブル、移動をブロックできる家具を大量に作ってほしいんだ!」
すると群衆の中から、一人のプレイヤーが歩み出てきた。
ノコギリを持ち、ねじりハチマキをした、いかにも大工といった格好の男だ。
しかし彼は、困惑した顔で当然の疑問を口にした。
「俺は大工だけど、こんな時に家具を作るのか? 武器や防具の方が……」
「いいから作ってくれ! 黒軍の動きを封じるんだ。錬金術師もいないか!? 爆弾を作れるなら、できるだけ数を作って欲しいんだ」
レオの勢いに押され、大工や錬金術師たちが動き始める。
霜華は素材の在庫を整理して、素材を提供する。レオは自ら金床の前に立ち、蝶番やノブといった家具の中間素材を量産し、家具バリケードを強化する準備を進めた。
「シルメリアさんはこっちに、作業をしながら作戦を説明します」
「それはいいが……レオ、何を企んでるんだ?」
「以前、ヴェルナでチュートリアル山賊団って連中にやられた戦術をそのまま再現しようと思いまして。タンスで鉱山の道を塞がれて、どかそうとしてタンスを壊したら、中に仕掛けられた爆弾で吹っ飛ばされたんです。」
「チュートリアル山賊団……あの芸人集団か」
「この戦術なら、黒軍の密集隊形を崩せるはずです」
「どう思う、クロウ?」
「ケヒャヒャ! 家具を並べて道をブロックして、連中を誘導するってことですよね。家具を置くだけなら誰にでもできるんじゃないですか?」
「……やってみる価値はあるか。ハイドが使える全員で仕掛けよう」
「ケヒャ! 承知しました。偵察チームに用意させましょう」
作業が進み、空き地に次々とタンスとテーブルが並べられていく。ブリトンを脱出したプレイヤーの協力によって、たちまち家具の山が出来上がっていた。
「歩きとはいえ、黒軍がここに来るまでそう時間はかからない。今すぐいくよ!」
「「はい!」」
シルメリア、クロウ、そして数人のメンバーが出来上がった家具をインベントリに入れて、黒軍が進軍を続ける平原へ向かった。
作業場に残っていたレオは配信ウィンドウを開く。傷を癒やしたメアリがキミドリにまたがって空に上がり、上空から状況を配信しているのだ。
配信では、シルメリアたちの動きがリアルタイムで映し出される。
黒軍の進軍ルートに家具を配置する任務を負ったシルメリアたちは、ハイドとステルス移動を駆使し、黒軍に立ちはだかるように薄く広がって展開する。
だが、画面を見ているレオの顔は次第に曇っていった。
「くっ、思ったよりもうまくいってないな……」
平原では、シルメリアとクロウがタンスやテーブルを設置していたが、黒軍の統率された動きに翻弄されている。
家具を置いても、黒軍は隙間を縫って進軍し、思うように分断できていない。
PKギルドのメンバーたちは、たまらず秘話チャンネルで叫んでいた。
『こいつら、家具を避けてくるぜ!』
『ムダムダァッ! 避けてませんよ、貴方の誘導が下手すぎるんですよ!』
『くそっ、タンス戦術に慣れてねえからだ!』
影の中でシルメリアは舌打ちし、レイピアの柄を掴む。
ついに黒軍の影がレオの鍛冶屋の前に現れ、店の前でざわめきが広がる。
レオが歯噛みしていると、突然、配信画面に異変が起きた。
地面に置かれたタンスが、まるで意志を持ったかのように動き始めたのだ。
テーブルが地面を滑り、椅子が空を駆けて積み上がる。
瞬く間に戦場に芸術的なバリケードが形成されていった。
「……っ!?」
合計30体の黒軍の隊列が、まるで包丁を入れたかのように15体、8体、4体と分断されていく。
そして仕上げとして、分断された隊の隙間を埋めるように巨大な天蓋付きベッドがクサビとして打ち込まれた。これにより、黒軍の動きは完全に封じられた。
「これは……シルメリアさんがやったんですか!?」
レオが叫ぶが、秘話チャンネルのシルメリアは否定する。
『いや、こんなこと私にはできない! クロウか!?』
『ケヒャヒャ! 何もしていません。できもしなかった。一体誰が……?』
困惑するレオたちの視線が、配信画面に向く。
店の前で分断された黒軍は、3,4体の小グループに分裂し、タンスの壁に閉じ込められていた。進退窮まった彼らは斧を取り出し、タンスを破壊し始める。
が、その瞬間、タンスの隙間から黒い金属球が転がり落ちる。
「――あっ、ヤバイ! 皆逃げろ!!」
店の前に集まっていたプレイヤーは、蜘蛛の子をちらすように一斉に逃げ出す。
しかし、家具に囲まれた黒軍は動けない――
ちゅどん! ちゅどん! ずどどどん!!!!
無数の爆発音が連なって、黒軍の甲冑が吹き飛んだ。折り重なった爆煙がレオの鍛冶屋まで煙で覆い隠し、その中で無数の火球が破裂する音が響く。
たちこめる黒煙の中、ソウルバインダーが赤く光る。
が、密集が崩れた今、ダメージは十分に分散しない。グリムダークのダークプールが発動しても、衝撃波は空気を叩くだけ。襲う相手はどこにもいなかった。
黒軍の残党は次々と倒れ、戦場に静寂が訪れる。
呆然とするレオ、そしてブラッディベンジェンスの面々。
その時、爆煙の向こうから高笑いが響いた。
「オーッホッホッホ! 小羊ちゃんたち、ピンチだったじゃないのぉ!」
レオの鍛冶屋の前に、いつぞやの光景が再現されていた。
赤毛を風に揺らし、ビキニアーマーを夕日に輝かせるリディアが、テーブルと椅子を組み合わせたお立ち台の上に立っていた。首領の背後には、金髪ツインテドリルとピンク髪の爆盛りアップスタイルの女山賊が、小さなサイドテーブルを抱えてニヤリと笑っていた。
ステージの上に立つ彼女たちを、夕焼けのスポットライトが劇的に照らしあげる。舞台の主役をかっさらった乱入者に、その場の全員が愕然とした表情を向けた。
「チュートリアル山賊団?! なんでこんな所に!?」
作業場から飛び出したレオが、玄関のドアを盾にして叫ぶ。
リディアは腰に手を当て、舞台の上でレオに向かってその豊かな胸を張った。
「街道で遊んでたら黒い連中がうるさくてねぇ。落ち着ける場所を探してたら、アタシたちの真似ごとをしている連中がいるじゃない。放っておけるワケなくってよ!」
「それも、とんでもなく下手クソだったし!!」
「キャッキャ!」
女山賊たちは、見よう見まねの浅はかさにからかいをさえずる。
レオは何も言い返せず、言葉に詰まっていた。
「むむむ……」
「アタシたちのタンス芸、見事だったでしょ?」
そういってリディアが虚空に振り返る。すると、視線の先にハイドで姿を隠していたシルメリアが現れた。彼女は銀髪を揺らし、お手上げというように微笑んで両手を顔の横に置いていた。
「家具を置くだけならどうにかなると思っていたが……とんだ勘違いだった」
「当然! テーブル並べ3年、タンス積み5年、仕掛けは一生よ!」
「えっと、助かったよ、リディア……さん?」
困惑しながら感謝の言葉を口にするレオに、女山賊は投げキッスを返した。
「アタシの爆弾、最高だったでしょ?」
リディアがウィンクし、タンスから軽やかに飛び降りる。
黒軍に勝利した。その事実にプレイヤーたちから歓声が上がる。赤と青の名前が入り混じるレオの鍛冶屋の前で、かすかな希望の光が灯っていた。
・
・
・
レオは見落としてたけど、黒軍の挙動を見る限り、おそらく彼らの意思・情報伝達はネットワーク化されてる。
黒軍に回ったリッケは身を持ってこの戦術を知っている。
それを踏まえれば、完全な対応をされてもおかしくなかった。
ところが、黒軍はタンス爆弾に対応できなかったどころか自爆してしまった。
リッケ…




