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第四十三話 黒い津波

 夕陽がブリトン北の平原を赤く染め上げていた。


 空はまるで血を流したかのように真紅に染まり、地平線の彼方まで広がる草の海が夕日を受けて燃えるように朱色に揺れていた。


 風が草を撫でるたび、遠くで鳴り続ける戦いの残響が届く。


 その平原の中央、見晴らしの良いなだらかな丘の上に、ブラッディ・ベンジェンスのメンバーが静かに配置についていた。


 黒い甲冑に身を包んだシルメリアは、丘の頂で影のように佇んでいる。

 彼女の鋭い瞳が平原を見渡し、風に揺れる銀髪が赤い光を反射していた。


 近くでは、タンクメイジのメイランが魔術書を手に詠唱を始めていた。

 彼の周囲に淡い青白い魔力が渦を巻き、立ち上がる。


「――姿隠し(インビジビリティ)!」


 メイランの豪放な声が風に溶けると、ピザカッターを持つリリィが魔法のエフェクトに包み込まれた。


 周囲の風景を反射する鏡の破片が彼女の周囲を飛び回る。殺意の具現化のようなピザカッターは一瞬だけ光を反射し、次の瞬間には完全に姿を消していた。


 幻影魔法が彼女を隠し、丘の斜面に潜む姿を完全に覆い尽くしたのだ。


「ガハハ! これで〝全員〟だ。いつでも動けるぞ」


「ありがとうメイラン。クロウ、黒軍の状況は?」


 シルメリアが秘話チャンネルに向かってささやくと、前線に偵察に出ていた毒アーチャーのクロウが応えた。


『ケヒャヒャ! 街道を北上するプレイヤーを追う黒軍は30くらいですね。変わらず前進し続けてますが、気色悪いくらいに統率された動きです』


「30か……追手にしては多いね。どう思う、メイラン?」


「ガハハ! 対するこっちは10人。勝算は五分五分といったところだな」


「でも、シル姐が何人か削れば勝てるよ!」


 純戦士のリリィがピザカッターを肩に担ぎ、ケラケラと笑う。

 だが、そのせいで姿隠しが解除されてしまった。


「こら、秘話を使わんか! またやり直しだぞ!」


「ごめーん!」


 シルメリアはふっと小さく笑い、視線を街道に向けた。


「――!」


 平原を横切る砂利道の上をプレイヤーが必死に走っている。ブリトンから逃げ出したプレイヤーたちが、「レオの鍛冶屋」を目指して逃げてきたのだ。


 埃を巻き上げ、よろめきながら進むプレイヤーたち。夕陽の赤に照らされて影を長く伸ばしている彼らの姿がシルメリアの赤い瞳に映る。


 だが、その中に戦士や魔法使いといった戦闘系キャラクターは見当たらなかった。


 代わりに、鍛冶屋のエプロンをまとった者や、お針子の裁縫道具を腰に下げている者が大半を占めていた。


 手に持つのは剣や杖ではなく、ハンマーや針、時にはフライパン。

 戦闘とは縁遠い生産系のプレイヤーばかりが、息を切らせて逃げ惑っているのだ。


 一人の男が、革の鞄を背負いながら転びそうになりつつ走っている。鍛冶師だろう、エプロンのポケットにはハンマーの柄が見えた。隣では、若い女がピンクッションを握り潰さんばかりに抱え、涙目で街道を進んでいた。


 戦闘用のスキルを持たない彼らは、ただひたすらに足を動かし、後ろから迫る黒軍の影から逃れようとしている。その姿は、どこか滑稽でありながら、痛々しいほどに必死だった。


 シルメリアは目を細め、生産者たちが逃げていく光景を静かに見つめた。

 彼女の胸の奥で、何かがざわめく。


(意外だな。戦う(すべ)を持たない連中が生き残っているとは)


 ブリトンは戦いの坩堝(るつぼ)だったはず。

 それなのに、なぜこの生産者たちが生き延びているのか。


(――そうか、戦わなかったからか……)


 おそらく、戦闘系のプレイヤーは黒軍に立ち向かったが故に返り討ちにされたのだろう。だが、鍛冶屋やお針子たちは戦うことを選ばず、ただ逃げることに全力を注いだ。ゆえに生き残ったのだろう。


(だとしても、一人もいないというのは不自然ね。――嫌な予感がする)


 丘の上で、ブリトンの方向に向かって目を凝らすシルメリア。

 すると平原を埋め尽くす黒軍の前衛が、夕陽を背に姿を現した。


(……何アレ)


 それは異様な光景だった。現れた黒軍は全員が徒歩で、古代の軍隊のように密集隊形で歩いている。ザッザッと砂利道を刻む彼らの足音は機械のように規則正しく、感情のない瞳が前方を見つめていた。


 さらにブラッディ・ベンジェンスのメンバーを困惑させたのは、全員が分厚い漆黒の甲冑に身を包み、禍々しい輝きを放つ鎖を腰に巻いていたことだった。


『おいおい、あいつら、何であんな産廃装備を……?』


『あれ……「グリムダーク」と「ソウルバインダー」だよな?』


『うん。使ってるとこ、初めてみたかも』


 秘話チャンネルにメンバーの困惑が広がる。

 影に伏せたシルメリアも、その眉がわずかに動く。


 彼女の知識と照らし合わせても、黒軍のビルドは不可解だった。


 漆黒の甲冑は「グリムダーク」。

 腰に巻いた鎖は「ソウルバインダー」という。


 どちらもレイドボスから入手できるレア装備なのだが――ハズレ枠。

 いわゆる「名ばかりレア」であり、産廃アイテムとして知られていた。


 どんな奇特なプレイヤーでも装備として選ぶことのない。

 そんな二つの組み合わせだった。


 「ソウルバインダー」は受けたダメージの半分を軽減不可のトゥルーダメージとして最大10人のパーティメンバーにダメージを分散する効果がある。


 受けるダメージが半分になるというのは大きなメリットだ。

 しかし、代償として敵の攻撃が全てパーティ全体に当たる範囲攻撃になる。


 意図しないダメージはメイジの詠唱を妨害し、スキルの発動を阻害する。


 たしかに「ソウルバインダー」を腰に巻けば、生存率はあがる。しかし、それと引き換えにパーティメンバー全員にひたすら迷惑をかけてしまうのだ。


 強いことは強い。だが、そういった自分勝手なプレイングをすれば、間違いなく公式掲示板に晒されるだろう。運営の浅慮によって作られたソウルバインダーは、倉庫の肥やしになるのを運命づけられたような装備だった。


 もう一方の漆黒の甲冑、「グリムダーク」も独特だ。この体防具には、受けたダメージをプールして範囲攻撃として打ち出すというユニークな効果がある。


 しかしこのカウンター効果には、致命的な欠陥があった。


 カウンターを放つには、ダメージを受けなければならない。

 当然のことながら、ダメージを伸ばすには防御力を下げないといけない。


 ワンコンボでHPをゼロにする対人戦で防御力を下げるのは自殺行為だ。

 いや待ってほしい。対人戦闘で役に立たないなら、対モンスターではどうだろう?


 ……さらに役に立たないのだ。

 モンスターのHPは中堅クラスで600。強いものでは2000を超える。

 レイドボスにいたっては10万を超えるHPも珍しくない。


 一方のプレイヤーのHPは100程度。

 安全に戦おうとすれば、せいぜい50から60ダメージしか出力できない。


 とはいえ、HPゲージが半分消し飛ぶのは立派な大ダメージだ。

 そんな危険を犯しても、モンスターのHPゲージは端っこがちょっと欠けるだけ。


 カチコチに装備を着込んで、普通に殴ったほうがはるかにマシである。

 そんなわけで「グリムダーク」も立派なゴミアイテムだった。


 盛大なファンファーレと共にインベントリに潜り込み、プレイヤーにクソデカため息を放たせる。それがこの2つのアイテムの役割だった。


 ――にも関わらず、黒軍は堂々とその〝産廃装備〟を使っていた。


「……なるほど。連中、大規模運用で産廃のデメリットを打ち消してるんだ」


 シルメリアの背筋に冷たいものが走った。


 彼女の「忍剣」は一対一の暗殺に特化している。不意打ちで敵を仕留め、グリムリーパーでクールダウンを回す戦法は、単体相手なら無類の強さを発揮する。


 だが、ソウルバインダーでダメージを共有する黒軍相手ではどうだろう。

 自分のレイピアは、ダメージ半減を越えられるだろうか。


 なんとかキルをとったとしても、そこから先が不味い。

 死体の周囲には「1人分のHP」をダメージプールに溜め込んだ他の黒軍がいる。


(返ってくるのは確実な逆襲……。まさか、私に対して※メタを張った?)


※メタを張る:対戦ゲームなどで、強いと流行のビルドに対して極端な対策をすること。普通の相手にはまるで役に立たないが、流行ビルドは圧倒できる。


 華奢な細工をされた細剣の柄を掴むシルメリアの手。

 その手がわずかに震えていた。

 彼女は秘話チャンネルを通して平原に潜伏している仲間に指示を飛ばした。


『――奇襲は危険だ。メイラン、まずは範囲魔法で様子を見てくれ』


『ウム、切り込むぞ!! リリィ、離脱の援護を頼む!』


『任せて!』


 姿を現したメイランが魔術書を広げ、詠唱を始めた。

 青白く輝くアーマーの周囲に青白い魔力の渦が巻き上がり、大気が震える。


「――ゆくぞ、流星嵐(メテオスウォーム)!」


 煌々と燃えあがる流星が放たれ、平原の上を駆け抜ける。

 黒軍の前面に直撃した炎弾は地面を掘り起こし、30体のユニットを包み込んだ。

 轟音と共に黒煙が立ち上がり、黒軍を覆い隠した。


『ケヒャヒャ! 外しようがないですね。直撃ですよ!』


 クロウが歓声を上げたが、シルメリアの表情は硬いままだった。


 風にあおられ、たちこめていた煙が晴れる。

 すると、魔法を食らったはずの黒軍の前衛がほぼ無傷で立ち続けていた。


 黒軍の腰に巻かれた鎖――ソウルバインダーが赤く輝いている。

 メイランの放った魔法は黒軍全体に分散されて薄く広がっただけだった。


 さらに黒い甲冑、グリムダークが漆黒の波動を放っている。

 魔法のダメージを吸収し、ダメージプールに蓄積していた。


「おぉ、なんと……!」


 震えるメイランの声に応えるように、黒軍の前衛が一斉に動き出した。


 密集隊形を保ちながら進軍を再開するその動きは、まるでケーブルでひとつながりになった機械のように統率がとれていた。


「…………」


 個々の意思を感じさせない瞳を持った黒い群れが丘に向かってくる。

 どうやら逃げるプレイヤーを追うのを諦め、新しい目標に切り替えたようだ。


『効かねぇんだよカス! 妙ですね。それぞれにダメージが入って広がるなら、範囲攻撃はさらに威力を増すはずですが……』


『ソウルバインダーを使用してると範囲攻撃に耐性がつくんだよ。まぁ、デメリットがデカすぎるから誰も使わないけど』


『うっへ、HPゲージ全然減ってないんだけど! なんだこれ!』


『 数が多すぎて分散が止まってないな。直撃したやつには25ダメ。その周りは2ダメか3ダメくらいになってるみたいだ』


 秘話チャンネルにメンバーの分析が流れる。

 それを見てシルメリアが歯噛みする。

 彼女の予想通り、黒軍は大規模運用で産廃アイテムの欠点を補っていた。


(……不味い、思った以上に守りが堅いね。ソウルバインダーのトゥルーダメージは仲間全員に分散され、グリムダークがそれを吸収して攻撃力に変換する。30体でこれなら、数百体規模なら……。考えるだけでもゾッとするね。)


「シル姐、くるよ!!」


 リリィが叫ぶ中、黒軍の漆黒の鎧が怪しく光る。

 次の瞬間、グリムダークの漆黒の波動が炸裂し、黒い衝撃波が平原を切り裂いた。


「ぬわー!!」

「わわわっー!」


 シルメリアはとっさにハイドを発動して影に溶け込んだが、メイランとリリィが衝撃波に巻き込まれた。


 メイランが膝をつき、リリィがピザカッターを盾に防御するも、HPバーが目に見えて削れる。流星嵐(メテオスウォーム)で与えたダメージがそのまま範囲攻撃として返ってきてしまった。


『不味いですね。こっちは範囲攻撃が使えないのに、向こうは使い放題だ。単体攻撃も範囲攻撃になって返ってくるとなると……手の出しようがないですよ』


『うむ! 手詰まりだな!』


『メイラン、堂々ということじゃないですよ……』


 クロウの声に焦りが混じる。

 シルメリアは影から状況を見極め、秘話チャンネルで指示を出した。


『総員撤退! レオの鍛冶屋まで下がる!」


 劣勢を認めたシルメリアの叫びが響き、チームは一斉に後退を始めた。

 黒軍は無言で追撃を続け、平原に不気味な足音を響かせていた。



黒軍はプレイヤーとして活動していたために、ゴミアーティファクトの数を揃えられました。名ばかりレアって、意外と捨てられないから…。

売ろうとしても売れないしから、倉庫の肥やしになるという。


ついでにこの戦い方の利点ってもう一つあって、HPがあるだけで戦いに参加できます。覚醒したBOTたちは、それぞれビルドがバラバラなので、アイテム効果だけで戦う必要があったんですねぇ…。

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― 新着の感想 ―
膨大なHPで耐えて反射ダメージにして返すって挙動、挙動自体は割と普通に見る奴なのよね。 さすがBOT、挙動がボスmob。
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