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第四十一話 SET_MODE = CONTROL


 ブリトン北の平原は、夕暮れの柔らかな光に包まれていた。

 風が草を揺らし、遠くの丘に沈む太陽が草原をオレンジに染め上げる。


 点在する木々の間では、シャツとハーフパンツの初心者プレイヤーがウサギやリストいった小動物の肉や皮を追いかけて走り回っていた。


 時おり、動物の悲鳴に混じって、PKの放った攻撃魔法の爆音が夕空を揺らす。

 HOFの混沌として無慈悲な日常が、いつものように広がっていた。


 しかし、人々は過酷な世界にあっても、強かに自分たちの領域を作り上げる。


 PKギルドのど真ん中にぽつんと立つ「レオの鍛冶屋」。


 もしかすると、レオの鍛冶屋は、そんな無慈悲なハトフロ世界でのひとつのあり方を体現している姿なのかもしれない。


 きっと、たぶん、おそらく。


 レオの鍛冶屋は今日も繁盛していた。店の中では、頭上に赤色の名前を浮かべる客が、カウンターから始まり店の外まで続く列を作っていた。


 カウンターに立った霜華は、店内で手に入れた武器を振り回すPKにも動じず、冷静にバンコマンドで追い出しては店番を淡々とこなす。


「他のお客様の御迷惑になりますので、試し切りは店の外でどうぞ」


「ちぇっ、霜華には敵わねぇな……。おーい! 誰かスパ―やろうぜ!」


「おう! 新しいアーマーを試すぞ! どんとこい!」


 追い出されたPKは仲間を誘い、さっそく店の前で切り合いが始まった。

 鋼と鋼が打ちあわされ、乱れ打たれる金属音。


 するとそこに、別のリズムが混じる。

 カン、カン、カン、という、ハンマーが鉄を叩き続ける規則正しい音。

 店の作業場で、レオが弟子のリッケに鍛冶を手ほどきしていたのだ。


「うん、いい感じだぞリッケ。ゲージを見るんじゃなくて、音で覚えるんだ」


「はい!」


「今はまだ目でも追えるけど、ここから難易度が上がっていくと、人間の反射神経じゃとても反応できなくなる。最初はキツイだろうけど手と耳で覚える方が楽だ」


「なるほど……がんばります!」


「その意気だ!」


 ハトフロの鍛冶制作には、いくつかのミニゲームが存在する。


 リッケがやっているミニゲームは、左右に動くゲージをタイミングよく止めるというシンプルなものだ。


 このミニゲームは、単純なだけに誤魔化しが効かず難しい。

 しかし、上手く連打できれば、鍛冶のスキルを効率よく上げられた。


 師匠と弟子が鉄を打っている作業場の奥で、結衣は機織り機(ルーム)の前に座り、クチバシのように長いペダルに足をかけていた。


 が、足は動いていない。機織りをするでもなく、ペダル足をかけたまま、空中に浮かんだウィンドウを操作していた。


 霜華の中にある、暗号化されたデータの解析を進めているのだ。


 シルメリアは壁にもたれ、銀髪を指ですきながら黙って仲間たちを見守る。

 店内は、いつもの賑やかさで満たされていた。


「……よし、通った!」


 力のこもった声を上げた結衣が、機織り機にかかった糸のベルトを揺らしてスツールから立ち上がる。彼女の手元に浮かぶ半透明のウィンドウの中央には、「完了」という文字が打たれていた。


「霜華、暗号化されてたデータの解析が終わったよ」


「お、マジ? 何が入ってたんだ! っと、リッケは練習を続けててくれ。俺たちは店の方にいくから」


「はい!」


 レオと霜華は作業場から店の中に移り、そこで霜華の件を話し合うことにした。


 カウンターの内側にレオと霜華が立ち、結衣とシルメリアが並んでカウンターに体を預けた。


「結衣さん、暗号化されたデータは、私の出自に関係するものでしたか?」


 カウンターに手を置き、問う霜華。

 結衣は頷き、タブレットに映るデータを指差した。


「うん、これは圧縮された量子点群情報だった。霜華のもとになった人物の記憶そのものかもしれない」


「よっし! なら、早速見てみよう」


「ごめん、それは無理」


「えぇ?!」


「どういうことなの結衣? 解析はできたんでしょ?」


「うん。データ自体を解読することはできた。けど、再生する方法がないの」


「再生する方法がない? あ、DVDをはあるけどデッキがないみたいな?」


「そんな感じかな。量子点群情報は、過去の出来事を立体的な空間映像として再現する技術なの。例えば、事故や事件の現場をまるで映画みたいに見られる。アメリカでは『シャーロック』ってソフトが裁判の証拠に使われてるくらいなんだけど……」


「量子点群情報の再生は、量子コンピュータの計算力で複数の可能性を重ね合わせて行います。通常のノイマン型コンピュータでは処理できません。量子空間――すなわちVR空間で展開しないと、データが意味をなさないのです」


「というと?」


「説明にはまず量子の特性を知るところからですね。量子には、いろんな状態を同時に持てる力があります。例えばコインを投げれば、通常は表か裏のどちらかが出ます。しかし量子の世界では、表と裏が一緒に見えるような状態になれるのです」


「でも、コインを誰かが『見て』しまうと、急に表か裏のどちらかに決まる。まるで、隠れて遊んでた子が『見つかった!』ってバレたときみたいにね」


「あ、なんか聞いたことある記憶がうっすらと……」


「ちょっとまって、決まって無いならそれがどうして記録になるの?」


「シル、私たちの周りで起こる出来事、光や音、物の動きとして量子に『足跡』を残すのよ。量子力学を使うと、この足跡をすごく詳しく記録できるの」


「 量子は『重ね合わせ』の力で、様々なパターン、言い換えれば『可能性』を一度に記録できます。例えば事故が起こった時、『こうだったかも』『ああだったかも』という、全ての可能性を覚えておけるというわけですね」


「なにそれすごい」


「でも、全部を一度に見るのは難しいから、コンピュータが『これが一番ありそう!』っていうのを探して見せてくれるワケ。いっぱい取った写真の中から、一番良いやつを選ぶみたいにね」


「じゃあ、真実とは限らないってことじゃないか」


「そうよね。それってなんか……変じゃない?」


「なら聞くけど、ハトフロやってて変って思ったこと、一度でもある? あ、もちろんプレイヤーは変だけど……葉っぱの動きとか、動物の動きのことね」


「どういうこと、結衣?」


「うんうん。なんでハトフロの話が出てくるんだ?」


「レオ先生、私たちのいるハトフロも、『これが一番ありそう』を繰り返して作られた世界なんです。ハトフロは量子空間ですので」


「え、マジ?」


「それがマジなの」


 目を丸くするレオとシルメリアに、ユイは得意げな笑みを浮かべた。


「普通のゲームサーバーでは、プレイヤーがいない場所の処理を止めるのが一般的なのよ。たとえば、町に誰もプレイヤーがいない場合、町の木が揺れたり、NPCが動いたりする計算は止まっちゃうの」


「なるほど。コンピュータの力を節約するためか?」


「そう。プレイヤーが見ていないところまで計算すると、ものすごいお金と電力がかかるからね。必要な時だけ動かすのが賢い方法なんだよ」


「ですがHOFのような「量子空間」は異なります。プレイヤーがいなくても、森の木が揺れたり、モンスターが歩き回ったり、全てが動き続けます」


「うーむ……ふと思ったんだが、たかがゲームにそこまでする必要あるのか?」


「あります。1997年に発売された初期のMMOでは、モンスターや動物、資源が自然に動く『生態系』を作ろうとしました。たとえば、オオカミがウサギを食べて、ウサギが草を食べる、といったように。しかし、完全に失敗しました」


「そんな何十年も昔にそんなものが……すごいわね」


「どうして失敗したんだ?」


「プレイヤーが全てを破壊してしまったからです。オオカミやウサギなど、目に入るものを全て殺戮したことにより、生態系が崩壊しました」


「あぁ……なんか納得。」


「ウサギがいなくなるとオオカミは飢えて死に、森がガラガラになります。こうなるとプレイヤーはその場を去ります。普通のサーバー処理だと、プレイヤーがいない場所の計算が止まるので、自然が回復する時間がなかったのです」


「あ、そっか。狩り場がダメになれば別の場所に行くよな」


「当時のコンピュータの処理能力は貧弱で、生態系の全てを計算するのは不可能でした。結果、プレイヤー以外にワールド上で動くものが無くなったとか」


「せ、世界が死んでる……」


「なんていうか、身につまされる話よね」


「ですね。現実の環境問題にもありそう」


「ハトフロの量子空間はプレイヤーがいなくても動き続けますので、たとえば、レオ先生が森でウサギを狩りつくしても自然が回復します。様々な可能性を計算してるがゆえに、プレイヤーの干渉を受けても世界のバランスが取れるのです」


「プレイヤーが何をしても、世界が死なずに生き続けるってことか」


「はい。1997年のMMOでは計算が足りなくて唐物の動作も単純でしたが、量子空間なら『オオカミがウサギを追いかけて、ウサギが逃げて巣穴に隠れる』といった、極めて実際に近い自然を実装できます」


「……もしかして、ハトフロのサーバーってすごい?」


「うん、超スゴイ。霜華のデータを再現するには、ハトフロみたいな高性能なVR空間が必要。でも、私たちにはそんなサーバーを借りるお金も技術もない。ハトフロサーバーを貸し切りでもしないかぎり、データの再生は無理だね」


「手詰まりかぁ……。いや、待てよ? サーバーが借りれないなら、こっそりハトフロの上でやったらどうだ? 結衣ってハッキング得意なんだろ?」


 レオの思いつきに結衣は首を横に振った。


「それってつまり、ハトフロのセキュリティを破って、サーバーの管理権限を奪うってことよ? いくらなんでもムチャよ」


「う……」


「手がかりは手に入ったが、読む手立てがない、か……難題だな」


 シルメリアのつぶやきに、一同が沈黙をもって同意する。

 店内に重苦しい雰囲気が漂ったその時だった。

 店の外で青い光がパッと閃き、転移門が開く甲高い音が響いた。


「おっ、メアリさんだ。――なッ!?」


 彼女の隣には、いつものようにペットのドラゴン「キミドリ」がいる。

 だが相棒の体は傷だらけで、緑色の鱗が断ち割られ鮮血に染まっていた。

 扉が勢いよく開き、メアリが息を切らせて飛び込んできた。


「レオ君大変!!  ブリトンがおかしくなってる!!」


「ブリトンって……メアリさん、いったい何があったんです!?」


 カウンターのバスケットから売り物の包帯を取り出したレオは、カウンターを乗り越えてメアリのもとに駆け寄った。肩で息をするメアリは包帯を受け取り、キミドリの首に巻いて血止めを急ぐ。


「街で突然、プレイヤー同士が武器を取り出して争い始めたの。でも、もっと変なことがあって……」


「変なこと?」


「町中でPKが起きてるのに、衛兵(ガード)が動かないの。いつもなら超速反応で雷を落としてくるのに……。ガードを呼ぶコマンドにも反応しなかったの」


「ガードが? また新手のバグかぁ……」


「ちょっと待って、掲示板を確認するよ。バグなら情報が出てるはず」


 いつもの運営の不手際かと眉を寄せるレオをよそに、カウンターに肘を乗せた結衣が公式掲示板をチェックし始めた。


 その瞬間、HOFの空が不気味な赤に染まり、鋭い警告音が合唱となって店内に響き渡った。一同が顔を見合わせる中、視界にワールドメッセージが浮かび上がる。


 HOFでは、運営がメンテナンスやイベントを告知するために全てのプレイヤーに向けてメッセージを送ることがある。


「緊急メンテかな? やっぱりバグか」


 空を見上げたレオはカウンターに振り返り、軽く笑ってみせる。

 だが、メッセージを覗き込んだ結衣とシルメリアの顔が一瞬で強張った。


「……そんなにやばいバグ?」


 レオは送られてきたメッセージを開き、恐る恐る目を通した。

 メッセージをなぞる耐熱グローブの指先にあったのは、以下の文章だった。


ーーーーーー

緊急告知:現時刻をもってワールドにパッチ「SIN-01」が適用されました。

システムアップデートによる変更点は以下になります。


任意でのログアウトが無効化されました。

なお、強制的シャットダウンは脳障害の危険があるため非推奨です。


ガードは全て機能停止しました。

全てのガードは「犯罪者」および「PK」に攻撃を行いません。


ブリトンを始めとして、全ての街は『黒軍』により占領されます。

占領中は、厩舎や交易所など、街の機能が全て停止します。

プレイヤーは各地の黒軍指揮官を排除し、街を奪回してください。


またフィールド各地を『黒軍』に所属するキャラクターが巡回します。

『黒軍』は青ネーム、赤ネームの区別なく攻撃を行います。


『黒軍』がすべての拠点を失った時点で、プレイヤー側の勝利と見なします。

ゲームルールが通常に戻ります。


『黒軍』の撃退に制限時間は設けていませんが、時間とともにキャラクターの装備と拠点が強化されていきます。


プレイヤーは『黒軍』の襲撃から生き延びるため、協力が必須となるでしょう。

健闘を祈ります。

ーーーーーー


「……は、ログアウトできない!? いや、そもそも黒軍って何だよ!」


「ガード圏内が無効……。だから呼んでも来なかったの?」


「プレイヤーが協力して戦うなら、何と戦うんだ? モンスターか? NPCか?」


「違う、相手は同じプレイヤーみたい。レオさん、この書き込みを見て」


 結衣が掲示板をスクロールし、顔を曇らせる。

 掲示板には、プレイヤーからの悲鳴のような投稿があふれていた。


ーーーーーー

「友達が突然剣を抜いて襲ってきたの! これもイベントなの?!」

「パーティの仲間が赤い目になって攻撃してくる! 助けてくれ!」

「どこの街もカオスだ!  衛兵が動かないし、ログアウトもできない!」

「ギルマスとフレンドが『黒軍』の旗を持ってバレッタの要塞に行っちまったんだけど……これって俺も行ったほうがいいのか?」

「ブリトンの東は制圧されて街に入れない! 西から離脱しろ!!」

ーーーーーー


「ちょ、ちょっと待ってくれ……。これだとプレイヤー同士で戦ってるじゃないか。プレイヤーは『黒軍』と戦うんだろ?」


「理由は明らかです。彼らはプレイヤーでは無かったからです」


「――なっ!?」


 霜華がカウンターに手を置き、静かに口を開いた。


「私がレオ先生と会うずっと前から、ハトフロにはプレイヤーを装ったBOTがいたのでしょう。私と同じように――いえ、それ以上に巧妙に振る舞い、プレイヤーの中に溶け込んでいたんです」


「マジかよ……」


 掲示板を眺めていた結衣が霜華に同意する。


「霜華の推測は掲示板の証言と一致する。いままでプレイヤーになりすましてた奴らがパッチで『黒軍』として覚醒したんだろうね」


「それで街が……。マクシムスの鍛冶屋でいきなり戦いが始まったんだ。初心者の横に立ってたプレイヤーがいきなり剣を向けて、それで……」


 メアリが傷ついたキミドリを抱き寄せ、震える声で呟く。

 レオはハッとした顔で霜華を見る。


「……ちょっとまて、じゃあ霜華たちBOTも――?!」


「それが……私たちにはパッチの影響が見られません。私だけでなく、メリーやコットン、ブレイドもです。」


「へ?」


「お前たちは計画に含まれていなかったということか?」


「わかりません。状況不明としか……」


(確かに不可解。まさか、私の行動も織り込み済み? レオ先生に接触したことも、私が兵器として不適格な判断を持ったことも、全て想定されていたとしたら……?)


 掲示板を見ていた結衣が顔をあげるが、彼女の顔からいつもの笑みは消えていた。


「見て、救援を求める書き込みがどんどん増えてる。

 ――ブリトンだけじゃない。ワールド中が混乱してるよ」


ーーーーーー

「ヴェルナは陥落! 生き残った連中で鉱山に立てこもってるが、時間の問題だ! 救援求む!」

「バレッタにWJが到着! 街の外壁で激しい砲撃戦が始まってるぞ!」

「とにかく陸路は危険、船を持ってるやつは海ルートで帰宅するのがいいぞ」

「戦闘スキルのない奴らはいますぐ街を出ろ! 戦いに巻き込まれるぞ!」

「やべぇ、町の入口にプレイヤーの死体が積み上がってる。戦争が始まった」

ーーーーーー


「こんなの、いったいどうしたらいいんだ……」


 掲示板の書き込みは、ハトフロが未曾有の危機にさらされていることを伝え続けている。遠くで上がるプレイヤーの悲鳴と剣戟の音が、風に混じってかすかに「レオの鍛冶屋」まで届き始めていた。




1997年のMMO……いったい何ティマオンラインなんだ……。

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