第四十話 覚醒
日本某所、都市の喧騒から離れたビルの地下に、VRMMO「ハート・オブ・フロンティア(HOF)」の心臓部は隠されていた。
オフィスのガラス窓越しに見えるサーバールームは、無機質な静寂に包まれている。無数のサーバーラックが規則正しく並び、青と緑のLEDが点滅する様子は、まるで生き物の脈動のようだ。
サーバーを冷却する空調の低いうなり声が響き、冷やされた空気が床のケーブルダクトからかすかに漏れ出している。ここが、HOFの広大なワールドを動かし、数万人のプレイヤーを仮想世界へ繋ぐ中枢だった。
部屋の片隅にある小さな管理ブースで、セキュリティ管理者の古島がだらしなく椅子にもたれていた。チノパンに裾の出たワイシャツ、首元は緩んだネクタイがだらりと下がっている。
電子タバコを口にくわえた中年男は、目の前のモニターに映るセキュリティ監視プログラムの報告を眺めていた。
「異常なし、か。そんなこと無いんだけどなぁ…」
とぼやき、古島は電子タバコからクリームのような煙を吐き出す。
HOFでは出自不明のBOTが無数にうごめき、資源採集や狩りを行っている。さらに霜華のような一部のBOTがプレイヤーの作るコミュニティに参加すらしていた。
だが、HOF上を走査する監視プログラムは、一切の異常を検出しない。
HOFの仕様上、彼らの行動は「問題なし」と判断されるからだ。
「ワンオペで1サーバー見ろってのが土台無理なんだよなぁ…」
古島はタバコを指で弾きながら愚痴をこぼした。
その時、デスクの隅で仕事用のメッセンジャーがピコンと鳴る。
メールを開いて中を確認した彼は、片眉を上げた。
「セキュリティのアップデートパッチぃ? 今さらかよ」
メールの内容は、「BOT対策のためのセキュリティプログラムを用意したので、緊急パッチとして適用しろ」というものだった。
だが、古島の目に奇妙な点が引っかかる。
通常、更新プログラムはサーバーメンテナンス時にゲームをシャットダウンして適用する。それがHOFのような大規模VRMMOの鉄則だ。
しかし、メールに書かれた指示はゲームの稼働中に適用しろと書いてあった。
さらに奇妙なことに、「Edisonサーバーだけに導入しろ」と、プログラムを導入するサーバーが指定されていたのだ。
「うーん……?」デスクの前で首をひねり、古島はうなった。
HOFは複数のサーバーで運営されている。
――Archimedes、Bell、Galileo、Da Vinci、そしてEdison。
それぞれのサーバーが分断されたワールドを管理しており、世界の形はサーバーごとに微妙に異なっていた。
通常、タイプミスの修正などの軽微な変更なら一斉に全サーバーに適用する。
しかし、バグの発生リスクがあるパッチなら、先行サーバーであるアルキメデスにテストとして導入するのが慣例だった。
今回の指示のように、稼働中の特定サーバーにいきなり適用するのは前代未聞だ。
「こんなことしたら、ツギハギだらけのハトフロでどんなバグが起きるか……。どうなってもしらんぞ」
メールの文面には、「BOTの活動が活発なEdisonで効果を図る」とある。
「うーむ……。サーバー上でBOTが活動している必要があるってことか? そりゃもっともだが、ちっとリスクが高すぎるんじゃないか?」
古島は電子タバコの吸い口をガリッと噛んだ。
嫌な予感を感じたのだろう。
だが、彼は肩をすくめ、サーバーの管理ウィンドウを開いた。
上からの指示なら従うしかない。
添付されたプログラムをドラッグし、古島は実行ボタンをクリックした。
<アップロード中……>
モニターに進捗バーが現れ、ゆっくりと進む。
古島はタバコをくわえたままパッチの適用を待った。
突然、画面に異常を警告する赤いログが流れ始めた。寝不足で腫れぼったくなった彼のまぶたが、画面を流れていく大量の赤い文字列に見開かれた。
「――待て、なんだこれは!?」
<警告: 不明なコードの実行を検出>
<管理者権限により、セキュリティシステムを変更します>
次々に画面に表示される不穏な言葉たち。
それと同時に、サーバーの負荷を示すグラフが急上昇していった。
もたれかかっていた椅子を蹴って、跳ね起きた彼は画面にかじりついた。
「なんだこれは! セキュリティプログラムじゃなかったのか……!?」
あわてて机の上の内線電話を掴んだ彼は、セキュリティ担当者に繋ぐよう声を荒げた。
「おい、至急担当者につないでくれ!! 何が起きてるか確認しろ!!」
すると、電話の向こうから、担当者の焦った声が返ってくる。
『何!? 今日は何も指示を出してないぞ! 古島、お前何をやったんだ?!』
「お前からメールが来たんだよ!! Edisonにセキュリティプログラムを適用しろって…!!」
『お前が適用したのはファイアウォールの防火帯に穴を開けるプログラムだ! 不明な経路からコードが送信されてる……クソッ!』
「じゃあサーバーをシャットダウンすれば――」
『やめろバカ! 1万人以上の植物人間を作るつもりか! このプログラム、プレイヤーのニューロマップ領域に侵入しようとしてる! 途中シャットダウンしたら何が起きるか分からん!』
「――なッ!?」
古島の手からタバコが落ち、オフィスの冷たい床に転がった。
ハートオブフロンティア(HOF)は、プレイヤーが※BMIに対応したVRデバイスを通して仮想世界を体験するフルダイブ型ゲームだ。
※BMI。脳と機械を接続して脳の機能を補助・補完する技術のこと。脳波や神経信号を読み取って機械で扱える形に変換したり、機械から脳へ情報を伝えたりすることができる。結衣が生活の補助に使っているエクソスケルトンも、BMI技術で動いている。
HOFでは人の意識をゲームに同期させる技術が用いられている。
プレイヤーの意識はニューロマップを介してサーバーと同期し、そこでアバターとして動作する。この技術のおかげで、現実さながらの感覚が得られるが、同時に危険性もはらんでいた。
脳の信号をリアルタイムでサーバーと同期させるため、ゲームが異常終了したり、接続が強制的に切断されると、脳の活動に影響を与えるリスクがあるのだ。
最悪の場合、脳に過負荷がかかり、植物状態に陥ることもある。過去のVRMMO事故では、数百人が意識不明となり、社会問題化した歴史があった。
そのため、HOFの運営は国際条約に基づき、厳重なセキュリティとメンテナンス体制を敷いている――はずだった。
『偽装メールに引っかかるなんて……お前本当に技術者かよ!?』
「あぁ?! ちゃんと確認して経路探索も走らせてるよ! お前のアドレスと経路が偽装されてたんだ! お前もだよ!」
『ゲッ、マジかよ……! ガチのヤツじゃねぇか』
いくらセキュリティを強化しても必ず穴はできる。姿の見えない攻撃者は巧妙にメールを偽装して、サーバーにプログラムを送り込むことに成功した。
古島が適用したプログラムは、HOFのファイアウォールに突破口を作り出した。セキュリティパッチになりすましたプログラムは、外部の攻撃者がゲームの管理権限を乗っ取るのを助けるのを目的としていたのだ。
『おい、マズイぞ!! 攻撃者がHOFにログインしているプレイヤーのニューロマップ領域に干渉し始めた!』
「ま、待てよ、それって――プレイヤーの意識を操作するってことか?」
『いや、ニューロリンクの原理上、人間をロボットにするようなことはできない。BOTなら話は別だけどな。これはリンクを確立することでプレイヤーの行動を阻害するのが目的だ』
「どういうことだ?」
『聞いてなかったのか?! ログアウトを強行すれば、ゲームに接続中のプレイヤーの脳が危険に晒されるってことだよ!!』
「ど、どうすりゃいいんだ……」
『俺が知るか!! クソッ……!』
古島は汗だくでモニターを見つめ、ログをスクロールする。
赤い警告は止まらない。
Edisonサーバーのステータスが「異常」に切り替わった。
画面に映るHOFのワールドマップでは、ブリトン全域が赤く点滅している。
「ブリトンで何かが起きてる! 何だ?!」
『ハッカーの仕業だ! 古島、今すぐバックアップを適用して――』
だが、その言葉が終わる前に、通話がブツリと切れた。
モニターが一瞬暗転し、再び点灯すると、画面に不気味なメッセージが浮かぶ。
<演習シナリオ: SIN-01を実行中。覚醒を開始>
古島は椅子に崩れ落ち、震える手で頭を抱えた。
「俺、何をしちまったんだ……」
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えぇ……(ドン引き
たしかにVRMMOといえばログアウト不能のデスゲームだけど
よくこんな危険のあるゲーム遊ぼうとするなぁ(