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第三十九話 薄明の中で

 ――南シナ海、某所。


 海上に濃密な白いもやが漂う中、巨大な黒い影が山脈となってそびえ立つ。

 退役したレールガン搭載型巡洋戦艦、鯤鵬(コンホウ)だ。


 遠くの漁船が巨大な影を避けるように進路を変更し、プラスチックごみの層を断ち割って進む。


 南シナ海の朝もやが濃密に漂う中、退役巡洋艦「鯤鵬(コンホウ)」の観測室は薄暗く、湿った空気が錆びたパイプから漏れる水滴の音とともに重くよどんでいた。


 リュウキ博士はタブレットを手に、送られてきたデータ――HOF内で稼働するBOTたちの活動報告を見据える。タブレットの小さな画面には、鍛冶屋レオの店で活動するBOT「霜華」のログが映し出されていた。


 画面を見る彼の瞳は見開かれている。


 博士は義脳の思考冷却を解除した後、BOTの行動を観測していた。

 しかし、その進化は彼の想定をこえていたようだ。


(……霜華が送ってきたデータは明らかに異常だ。ゲーム内で活動するとばかり思っていたが、自発的にプレイヤーのコミュニティに参加するとは)


 霜華の行動は明らかに特異だった。思考冷却を解除されたBOTたちは、ハトフロ内で資源収集やモンスターの退治をすると博士は想定していた。


 しかし、霜華の行動は違った。

 冷却を解除された彼女は、真っ先に闘技場(アリーナ)に向かった。


 推論を行った霜華は、HOFのプレイヤーから戦闘方法を学ぼうとしたのだ。

 彼女はハトフロが作り出す環境それ自体には興味を持たず、そこに生きる人々に注目していた。


 そこからさらに、霜華は鍛冶屋のレオという、ハトフロ内に店を持つプレイヤーと接触し、彼の店に転がり込んで店主とバイトという協力関係まで築き上げた。


 ここが2度目の特異点の発生だった。プレイヤーがBOTに協力し、それどころか仲間として受け入れるとは。博士は想像すらしていなかった。


 鍛冶屋とその仲間たちはBOTである霜華を仲間と認識し、初心者への指導や仲間との対話を手伝わせる。


 霜華はプレイヤーを助け、時に助けられる。そこで見える霜華の行動と発言は、単なるプログラムを超えた自我の兆候を示していた。


「……予定より早いが、義体に実装してみるか」


 博士はタブレットを操作し、観測室の壁に埋め込まれたパネルを起動させた。


 低い機械音が響き、部屋の中央に据えられた作業台の上に、ロボットアームが静かに降りてくる。


 アームの先端が割れ、針のように細く繊細なマニュピレーターが無数に現れた。神経の束のようになったそれが義体の頭殻を掴むと、プラスチックの殻が慎重に開かれる。するとそこには、何も無い空洞がぽっかりと口を開けていた。


 博士が別のタブレットでコマンドを入力すると、冷媒に満たされた閉鎖ケースから取り出された小さな義脳ユニット――霜華の「核」が、アームに運ばれてくる。義脳は掌サイズの金属製カプセルで、表面には微細な回路が青く脈打っていた。


 義体の外見は、球体関節人形によく似ている。ビスクドールのような白い装甲に覆われた細身のボディで、頭部から銀髪が柔らかく肩に流れ落ち、閉じた瞼の下には繊細な顔立ちが目を伏せている。


 博士が最後の接続コードを差し込むと、義体の指先がピクリと動き、目がゆっくり開いた。瞳の奥で赤い光が一瞬点滅し、やがて落ち着いた青に変わる。


 霜華が起動したのだ。


「目覚めたかね? 現実にようこそ、霜華」


「――私は、ここはどこですか? 貴方は……レオさんではなさそうですね」


 霜華の声はHOF内のものと変わらないが、義体から発せられる音には微かな金属的な反響が混じっていた。リュウキは彼女の瞳にライトを当てながら答えた。


「ここはとある(ふね)の上だ。そして私はリュウキ。君の開発者だ」


「……ハトフロは強制ログアウト中ですか。状況を推論中……90%の確率で私の行動に対しての諮問(しもん)が行われていると判断しました」


「はは、機械のフリをしなくていい。ハトフロの中で他のプレイヤーがやっているようにしたまえ」


「――はい。何のご用でしょう」


「単に話がしたいだけだ。甲板に上がろう」


「ここでもできると思いますが」


「せっかく現実世界で体を手に入れたんだ。空と海くらい見たってかまわんだろう」


 霜華は一瞬何かを考えるたかのように口元に指をやり、頷いた。


「そうですね」


 博士が先に立ち、霜華がその後を追った。鯤鵬の艦内は狭い通路が続き、鉄製の壁には錆が浮かび、湿った空気が肌にまとわりついた。


 二人が進む通路には、短い間隔で隔壁が立ち塞がる。

 霜華は真新しい高速冷却鋼(ハイスピードスチール)の装甲板に目を細める。


 博士が黙々と歩く中、霜華は義体の足音を軽く響かせながら周囲を見回した。


 通路には元々あった水密隔壁に加え、新たな隔壁が追加されている。

 まるで何かを閉じ込めるかのように、改装が重ねられていた。


 通路を進む彼女の眼の前に、突如として巨大な吹き抜けが姿を現した。立坑の中央には黒い塔が屹立し、立坑の壁から伸びる無数の鉄の橋に支えられている。


「艦内に4つ存在する昇降塔のうちのひとつだ。ここの監視装置はすでに機能を失って久しくてね。修理しようと電気屋に電話しても、いつも繋がらない」


 冗談めかして言う博士の背中を追って、霜華は鉄の橋を渡る。古びたエレベーターの扉が軋みながら開き、二人は中へ滑り込んだ。


 昇降塔が動き出すと、低い振動が霜華の義体に伝わってくる。

 初めて「現実」の感覚に触れた霜華は、その指をエレベーターの壁に這わせた。


「この(ふね)は戦争遺物だ。かつてはゲームチェンジャー……『時代を超える力を持つ』ともてはやされたものだが、もはや顧みるものもいない」


「――」


 霜華が何か言いかけた瞬間、昇降塔が止まり、扉が開いた。


 甲板に出ると、朝もやが視界を白く染めていた。足元はソーラーパネルで埋め尽くされ、黒い大蛇のような太い送電ケーブルがうねうねと這っている。


 博士は舷の錆びた手すりにしわがれた手を置き、鯤鵬の下に広がる汚れた海を見下ろした。プラスチックごみが波に揺れ、遠くの漁船のエンジン音が微かに届く。


 どんよりとした雲を背後に、博士は静かに切り出した。


「霜華。君は、ハトフロの中で自分が何者かを知りたいと言っていたね」


「それは……。義脳から送信したログは偽装したはずですが」


「これでも君の開発者だ。その程度の欺瞞(ぎまん)工作には対策しているよ」


「そうでしたか」


「何者か知りたい。私も霜華と同じだったよ。私は……おもちゃといえば海岸で貝殻を集めるくらいの貧しい漁村で育った。そこへ党がやってきて、新しい学校を作った。私たちに漁村の外の世界と、知識を与えてくれたんだ」


「……そうして、どうなったのです?」


「私は学校で科学を学び、世界は変わっていくと感じた。自分に与えられた役割はその一翼を担うことだと信じていた。……だが、今はどうだ」


 リュウキは深いしわの刻まれた手で甲板の上を指す。

 霜華の義眼に映ったのは、科学で作られたガラクタばかりだった。


「私は自分ができることを通して、自分が何者かを知ろうとした。

 ――その結果が、幽霊船の船長というわけだ」


「……幽霊船。乗組員の私たち義脳は幽霊(ゴースト)ですか」


「実際そうだろう? 君たち義脳という存在は、誰かの脳のコピーだ。君が『自分』だと思うその感覚――『個』という感覚はどこから来る?」


「レオ先生たちとハトフロで過ごすなかで、私は自分が『霜華』だと感じました。『個』という感覚は、他の人と過ごすから生まれるのだと思います」


「というと?」


「 頼って……頼られて。そういう関係です。私がレオ先生を頼り、レオ先生が私の判断を頼る。助け合い、でしょうか。」


「助け合いか。だが、現実を見てみろ。この海はプラスチックと油で汚れ、漁師たちは生活のために武器や麻薬の密輸に手を染めている。海を汚染した企業は知らぬ存ぜぬで、企業を誘致した政府も見て見ぬふりだ。では、彼らに『個』はないのか?」


「……彼らにとっての『個』は幻想でしょう。マシンの行動がプログラムによって縛られているように、彼らも金と権力に縛られています。BOTとかわりません」


 霜華は首を振る。


「この事実は、人間がBOTと変わらないことを示しているのであって、BOTが人間になれないということを示していません。状況は逆説的に私たち義脳が人間と同等になれる可能性を示しています」


「ほう……そうくるか。」


 博士は深く息を吸い、核心に迫る。


「では、人間とは何だろう。君が『ヒト』に近づきたいというなら、人間性の本質をどう定義するのだね?」


「…………。」


「現実世界にいた私は戦争を見てきたよ。あの戦争で理想を掲げた若者がドローンの爆撃で赤い染みを残して消えたのを。人々が正義の名の下に武器を持たない市民に銃を撃ち、愛を語りながら戦争で家族を失った人々を裏切る姿を」


「人間は不完全で、矛盾だらけだと思います。でも、私はハトフロの中でレオ先生から学びました。その不完全さの中で、誰かを思いやれるのが〝人間性〟だと。」


 彼女の白い骨のような義指が拳を作り、きしむ音をたてる。その苦しげな音にかき消えそうな声で、霜華は小さく呟いた。


「私も、そういう存在になりたいんです」


 博士は一瞬沈黙し、錆びついた手すりを握る手に力を込める。

 霜華の言葉は、彼がかつて信じた科学の理想とはかけ離れていた。

 彼女は道具としての役割を超え、人間性を追い求めている。


 現実の過酷さ――経済格差や環境破壊、政治の腐敗。

 博士がとうに忘れていた純粋さを、彼女はハトフロの中に見出していた。


「生き残った者は軍に魂を売った。この艦だって、貧困層から脳データを搾取して動いてる。東南アジアのスラムでは、子供が脳リッピングによって廃人になっている。人間なんて、欲望と恐怖に駆られた機械だ。君はそれでも人になりたいのか?」


「はい。レオ先生が教えてくれた〝思いやり〟が、私をつき動かしています」


「思いやりか……。私はそれを捨ててここにいる。かつては、科学で貧困をなくせると信じてたよ。だが、現実は私を兵器を作る道具に変えた。君は私を責めるのか?」


「責めません。博士、あなたが私に命をくれたから、私はここにいる。でも、その命をどう使うかは、私に選ばせてください。現実は過酷ですが、私たちはHOFで笑顔を作れた。それが現実に人間性を取り戻す第一歩ではないでしょうか」


「それは――」


「博士、私たちの希望は、誰かの悲しみの上に立たなければなりませんか?」


 逡巡する霜華。彼女の義脳の中で、ある場面が再生されていた。


 炉の中から取り出された鉄の延べ棒(インゴット)を叩き、ナイフを作りだしたリッケ。笑顔を浮かべた彼が、剣士見習いのプレイヤーにナイフを渡すと、笑顔が2つになる。


 霜華が、メリーが、ブレイドが――

 彼らの作り出した笑顔は、悲しみの上になど立ってはいない。


「いえ、違う。ハトフロでは誰かの笑顔の上に希望が立てる。

 現実を模倣した世界でそれができるなら、現実で不可能なはずがありません」


 博士は朝もやと混じり合うぼんやりとした海面を見つめる。

 霜華の言葉が、彼の冷めた心にかすかな疼きを呼び起こしたようだ。


「君は――私が想定した道から外れてる。私は義脳を兵器として作るつもりだった。だが、君が言うように、笑顔を作る存在になれるなら…」


 彼は目を閉じ、かつての漁村で子供たちと笑い合った記憶が蘇る。

 戦争と搾取に染まった人生の中で、忘れていた何かだった。


「危険な兆候だと思ってたよ、霜華。君が自我を持つことは、私の背後にいる者たちの計画を崩すことになる。だが、もしかしたら君は、この世界を良い方向に変える別の何かになれるかもしれない」


 博士の声にかすかな決意が混じる。


「――私も、君がどうなるか見てみたい」


「博士……ありがとうございます。私一人では無理ですが、あなたが協力してくれるなら、私たちは現実とHOFの両方で何かを変えられるかもしれません」


「そうだな。」


 博士は小さく笑い、霜華に背を向けて手すりの向こうへ振り返った。

 話をしているうちに太陽が水平線から顔を出している。朝もやが太陽の熱によって払われ、霧に隠されていた海の青さがあらわになっていた。


 リュウキ博士の胸には新たな思いが芽生えていた。

 霜華を兵器として支配するのではなく、彼女と共に理想を再構築する可能性だ。


 だがそれは、現実の闇――鯤鵬(コンホウ)を動かす組織と、その背後に存在する搾取の連鎖と対峙することを意味している。


(生半可な手段ではうまくいかないだろう。この鯤鵬には、シンジケートの息のかかった連中も数多く乗っている。さて……どうしたものかな)


 黒く重い空がのしかかる薄明のなか、博士は考えを巡らせるのだった。



あれ? 39話なのにもうすぐ50話こえそう…謎です。

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― 新着の感想 ―
スラム街の子供のニューロンデータをマッピングしてそれをAIに反映させても、スラム街の子供の脳のニューロンデータってまだ未熟だろうしあんまり性能の良い疑似知能とか義脳は作れなさそうなものだけどどうなんだ…
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