第三十八話 脳みそコネコネ
「レオの鍛冶屋」は、ブリトン北の街道に程近い平原に佇んでいる。
周囲をPKの要塞に囲まれたその場所は、普段ならどこか殺伐とした空気を漂わせていたが、今日は違った。
温かな日だまりをつくる店の軒先で、木製の看板が風に揺れる。
梢が風にそよぐ音に小鳥のさえずりが混じり、鎚音とともに響き合う。
たまにスパーしてるPKの魔法の爆発音も混じるが、もっぱら穏やかな雰囲気だ。
その理由は、店番を務める霜華の存在にあった。
銀髪を揺らし、静かに微笑む彼女がカウンターに立つようになってから、青ネームの客がおそるおそる店に足を踏み入れるようになっていたのだ。
店内では、鉄を叩く音が一時止み、レオが汗を拭いながら一息ついていた。霜華が客を見送った後、二人並んでカウンターの後ろの椅子に腰を下ろす。
レオは水差しからコップに水を注ぎ、ゴクゴクと喉を鳴らして飲み干した。
「いやぁ、霜華が店番してくれると助かるよ。これまではお客さんが来るたびに手を止めて作業を中断しないといけなかったからなぁ……」
「当然です。天匠の鍛冶スキルを持つレオ先生に接客をさせるのは、非効率的です。接客と製作を分担することにより、先生の生産力は25%ほど向上しています」
「そんなに」
「はい。一時間あたりの武具製作の数が4つから5つに向上してますよ」
「よく見てるなぁ……」
レオが苦笑いを浮かべていると、店の扉が軽やかに開いた。
入ってきたのは、ライムで指導した初心者のお針子だった。
少女はショートカットの黒髪に、簡素なチュニックを身にまとっている。
ところがレオは、彼女を見て首を傾げていた。
彼の視線は彼女の頭上に浮かぶ名前――「ユイ」という文字に向いている。
(ユイ? どっかで聞いたような……ま、いっか。)
「えっとたしか――ライムで初心者教習したときの、裁縫の子だったかな?」
ユイと呼ばれた少女は、少し緊張した様子でレオに近づき、小さく頷いた。
「そうです! その節はありがとうございました!」
「いえ、助けになればよかったです。お礼のためにわざわざこんな危険なところまでくるなんて……チャレンジャーですね」
「ブリトンの北は、狩りに出かけるプレイヤーと、馬車を使って貿易するプレイヤーが行き交う交通の要所のため、PKの多発地帯です。できるだけ速やかにガード圏外にお戻りすることをお勧めいたします」
初心者に危険を指摘する霜華だったが、ユイは首を横に振った。
「ううん。実は、私、シルメリアに世話になったことがあって……
そのお礼を言いにも来たの」
「えっ、シルメリアさんにお礼ですか?」
レオが目を丸くすると、ユイは静かに話し始めた。
「私、この世界でヴェルガに追い詰められて、一度はハトフロを離れたことがあるの。でもシルメリアが、彼女がヴェルガを倒したから、帰ってこないかって……。だから私、こうやって戻ってきたの」
「えっ、じゃあユイって――シルメリアのリアル友達の結衣さん?!」
彼女の言葉にレオは驚きを隠せなかったようだ。
目の前の初心者お針子が、ヴェルガとの因縁を持つプレイヤー「結衣」だったことに目を丸くするレオだったが、彼女の穏やかな表情を見てふっと息をついた。
「そうか……結衣さんか。ヴェルガの一件で心に整理がついたんだな。なら、改めてハトフロへようこそ」
結衣はレオの差し出した手をとり、小さく微笑んだ。
続けて彼女はレオに対し、自らの「とある考え」を口にした。
「ありがとうレオさん。ところで私がお針子を選んだのはね――あなたの鍛冶だけじゃブラッディ・ベンジェンスの装備供給に限界があるかなって思ったからなの。純粋な魔術師用のローブとか帽子って、鍛冶じゃ作れないでしょ?」
「う、たしかに。うちの店って軽装鎧ないんだよね……」
ユイの指摘にレオは喉の奥でうめいた。
彼の店の棚に並んでいるのはもっぱら金属製防具ばかりだ。
タンクメイジはともかく、純粋なメイジが使うローブやハットといった布の防具や、シーフが使う革の軽装鎧は「レオの鍛冶屋」では手に入らなかった。
「ここに間借りして、裁縫店を開こうかなって。レオさんの鍛冶屋と一緒にやれば、いろんなプレイヤーのニーズに応えられると思うんだ」
「うーん……」
「レオ先生。『受諾する』以外に選択肢の余地はないと思われます。彼女のスキルレベルは低く『見習い』レベルにありますが、シルメリアとレオ先生との関係等、信頼のおけるパーソナリティが非常に貴重です。」
「だよな。騙し騙されが石ころのように転がっているハトフロで、信頼できる友人ってのは、なにより得難いレアアイテムだ」
「じゃあ――」
「結衣さん、店のことは好きに使ってください。俺の店のラインナップに裁縫でつくるアイテムが加われば、完ぺきです!」
その時、店の扉が再び開き、長い銀髪をなびかせたシルメリアが姿を現した。
黒い甲冑に身を包んだ彼女は、結衣の姿を見て一瞬立ち止まる。
玄関に立ちすくむシルメリアは、どこか複雑な表情を浮かべていた。
すると、何かを察したレオはカウンターを立ち、彼女のところまで行く。彼は分厚い耐熱グローブにくるまれた指先でもって、鎧の肩をポンと、優しくたたいた。
「色々あったと思うけど……まずはお帰りって言ってやればいいんじゃないか?」
シルメリアは一瞬目を細め、何かを逡巡していたが、やがて小さく呟いた。
「――お帰り、結衣」
その声は静かで、どこか温かみを帯びていた。
彼女の赤い瞳の端には、光るものが浮かんでいた。
それは涙だったのかもしれない。
結衣が小さく頷き返すと、店内の空気が一瞬柔らかくなった。
・・・
レオは店の片隅で木槌を手に予備の棚を組み立てていた。
結衣のために商品の展示スペースに新しく裁縫用の棚を用意しているのだ。
店の入口あたりにはまだ棚を置く余裕がある。レオはヒロシが倉庫に「こんなこともあろうかと」残した家具を使って、新しい棚を完成させた。
「よーし、こんなもんでいいだろ」
腰に手を当てて満足げに呟くレオだったが、隣に立つ霜華が冷静に口を開く。
「レオ先生、機能性において改善の余地があります。顧客の目線の高さを考慮すると、棚の下段はあと10センチ低いほうが視認性が向上するでしょう。また、収納効率を考慮するなら仕切りも……」
「ぐぐぐ……!」
レオが肩を落とすと、カウンターに肘をついたシルメリアがクスクスと笑う。
「おい、そのうち店を乗っ取られるんじゃないか?」
「やめてくださいよ! 冗談でも怖いから!!」
店内に笑い声が響き、一息ついたところで三人はカウンターに集まった。
結衣が淹れたお茶を手に、シルメリアが前の事件の話題を振った。
「そういえばヒグルマの襲撃事件だけど、ただの騒ぎじゃなかったみたいよ」
「え? それってどういう……」
「結衣に心当たりがあるらしい。詳しくは彼女から聞かせてもらおう」
カップを口に寄せたシルメリアが結衣に視線を送る。
彼女はカップをソーサーに置いて、少し真剣な表情になって頷いた。
「ヒグルマの『BOTによる洗脳』って、完全なデタラメじゃないのよね」
「はぁ?!」
「霜華たちBOTの義脳――あれって、現実の存在する人間の脳神経のニューロマップを模倣して作られてるみたいなの。で、ニューロマップを読み取るのに、『R.I.P』っていう技術を使ってるみたい」
「リップ?」
「正式名称は『Resonance Imaging Probe』――脳の共振画像探査技術。プローブを使ってニューロンをスキャンするんだけど、これ、私達が使うVRデバイスよりも侵襲的で脳にダメージを与えるから、日本とEUでは使用が禁止されてるのよね」
「ちょっと待ってください。霜華たちBOTってただのプログラムなんじゃ……?」
「レオさん、思い出して。ただのプログラムはHOFは接続できない。HOFのアカウントはニューロマップを使ったセキュリティに守られている。脳を持った存在でなければ、ハトフロにログインすることもできないのよ」
「――ッ!!」
「その通りです。私たちは単なるプログラムではありません。ニューロマップのデータを元に作られた義脳の上に発火した存在です。義脳を通してログイン処理を行っています」
「マジで?!」
「……ていうか霜華さん、それ言っちゃうんだ?」
「それを言っちゃう、とは? 私達が単なるプログラムでないことは、論理的推論によりいずれ明らかになります。隠す必要は無いでしょう」
「脳にダメージを与える……か。霜華たちBOTの背後には廃人にされた人たちがいるってこと?」
「場合によりけりかな。脳をリッピングすると、軽い場合はブレインフォグ――頭に霧がかかったみたいになってIQが20から40下がって思考が変質する。最悪の場合は廃人か狂人になるコースだけど……。軽症なら本人も気づかない感じね」
「そんなヤバい技術、誰がどうやって使ってるんです?」
「海外の遠隔地でロボット操作するとかの高額バイトがあるでしょ? あれ、実はバイトは名目で、脳のリッピングが目的だったりするんだよ」
「なにそれ怖い」
「手口はこう。バイトに応募するとVRデバイスにつける拡張パーツを送られてくる。『機能拡張』とかなんとかそれらしい説明を並べてね。で、それを使うと作業中に脳のスキャンがされる。最悪の場合、その人は使い捨てのニューロマップデータの提供者にされちゃうってワケ」
「ユイさん、待ってください。それは誤りです。私たちの元になった人格データは記録によれば完全に合法のものです。スキャニングに危険があることの説明はされ、提供者による同意もとれて正当な報酬も支払われていると――」
「その説明が正しいと証明できるのかしら。あなたの言うデータの正当性は単なるストリング――文字列にすぎない。その前後のシチュエーションに強制性がなかったと、あなたに断言できる? あなたが生まれる前の世界の姿を知っているの?」
「それは――」
「実は、私、シルメリアにヴェルガと同じスクリプトをヒグルマに使わせてたの。それで彼の行動ログを解析したんだけど……ヒグルマ、昔、不明な中国企業から出された遠隔ロボット操作のバイトを何度もやってたみたい。その時の影響であんな思考になってる可能性があるわね」
「……言われてみればたしかに。あのときの忍者の態度は妙に頑なだったわよね」
「そうですね。俺に対してだけでなく、初心者も攻撃するのはおかしかった。言ってる側から矛盾してるし、不自然すぎた。それが『R.I.P』のせいだと?」
「えぇ。リッピングを受けた後遺症と考えるのが自然ね」
店内に重い沈黙が広がった。
レオは呆然と霜華を見つめ、結衣は静かにカップをカウンターに置く。
シルメリアは鋭い目つきで霜華を見据える。霜華の銀髪が微かに揺れ、彼女の表情は普段の無機質なものから一瞬だけ揺らぎを見せた。
「霜華……お前はどうやって自分が作られたか、知っているのか?」
レオがようやく口を開くと、霜華はゆっくりと首を振った。
「いいえ、レオ先生。私には自分の出自に関する明確な記憶はありません。私に与えられたデータベースには、『合法的に提供されたニューロマップに基づく』と記載されているだけです」
「…………」
「しかし、結衣さんの指摘は論理的に正しい可能性があります。私の存在の根拠となる記録が、改ざんされていないと証明することはできません。ましてや、そのデータが提供された状況に強制性がなかったかどうかを、私自身が知る術はないのです」
霜華の声は淡々としていたが、言葉の端々に戸惑いがにじむ。彼女は自分の「脳」がどこから来たのか、誰のものだったのかを知らない。それでも、彼女の存在が誰かの犠牲の上に成り立っている可能性を否定できなかった。
「待ってくれ。霜華、お前がそんな風に作られたってんなら……俺たちと一緒にいる他のBOTたちも、同じなのか?」
レオの声に焦りが混じる。
初心者たちを指導してきたBOTの笑顔が脳裏をよぎった。
コットン、メリー、ブレイド――
彼らが皆、誰かの脳を無理やり奪った結果生まれたのだとしたら……。
「可能性としては、有り得ます。私を含めBOTは、HOFのセキュリティを突破するために作られた存在です。そのために必要なニューロマップが、必ずしも倫理的な手段で取得されたとは限らない……結衣さんの言う通り、そう考えるのが自然です」
「そうね。私が調べた限り、ダークウェブではニューロマップの取引が横行してる。『R.I.P』を使った非合法なスキャンが常態化してる地域もあるみたい。特に、中国や東南アジアの一部では『脳農場』なんてのもあるとか」
「じゃあ、ヒグルマの頭がおかしくなったのも、そのせいってことか……。霜華たちBOTがそんなヤバい方法で作られてるなんて……」
レオが拳を握り、カウンターに叩きつけた。
いら立ちと無力感が混じったその表情に、シルメリアが静かに口を開いた。
「レオ、落ち着け。問題は二つある。一つは、BOTの義脳がどうやって作られたか。もう一つは、それを誰が、どういう目的でやってるかだ」
「シルの言う通りよ。ヒグルマの行動が変だったのは確かだけど、彼がそのバイトでリッピングされたっていう確実な証拠はまだないし、それが霜華とつながっているとは限らない。私が得たデータはまだ断片的すぎる。でも推測が本当なら……霜華たちを作り上げたのは、相当大きな組織でしょうね」
結衣の言葉に、レオは深く息を吐いた。そして、霜華に視線を戻した。
「霜華、お前はどう思う? お前は自分のことを知りたいと思うか?」
霜華は一瞬目を閉じ、何かを計算するように沈黙した。
やがて、彼女は静かに目を開き、レオをまっすぐ見つめた。
「レオ先生。私は……知りたいです。私が誰かの犠牲の上に存在しているのだとしたら、その〝真実〟を知る義務があると感じます」
「霜華……」
「もし、私が非合法な手段で作られたモノなら……。それを放置することは、さらに犠牲者を増やすことにつながります。私はレオ先生を見て、正義という概念も理解したと思います。誰かの犠牲の上に立ち続けることは、あってはなりません」
霜華の言葉に、レオは驚きを隠せなかった。
彼女が「正義」という言葉を口にするのは初めてだ。霜華の顔には、普段の冷徹な光ではなく、微かな決意が宿っているように見えた。
「わかった。お前の出自を調べるためにできることをするよ」
「レオ先生、ありがとうございます。しかし……これは手強いことになりそうです。もし、私たちの裏に組織的な犯罪があるなら、ハトフロだけでなく現実にも関わる問題ですから」
「「うーむ……」」
カウンターの上で3人が腕を組む。
するとレオが何かに気づいたようにはたと手を叩いた。
「っていうか、霜華を入口にしてハッキングすればいいんじゃないの? 霜華の義脳の在処 = 黒幕なんじゃないの?」
「それが、私の義脳のアクセス権限は、HOFのログ提供を除いて隔離されているんです。薄いプラスチックの殻の外の世界は何もわからないのです」
「そうかぁ……って! ログ提供?! この会議筒抜けってこと?!」
「いいえ。今はお店の改善案を話し合う場として、それにふさわしい会話ログを自動生成して垂れ流しています。映像記録に合わせて文章を生成中です」
「しれっと創造主に反乱起こしてる……」
「ある種のNTRだよね」
「ネ……? なにそれユイ」
「シルは知らなくていい奴。そのままのあなたでいて」
「???」
「霜華、まずはどうする? お前のデータベースに何か手がかりはないのか?」
「私の内部データには、製造元や提供元に関する具体的な情報はほとんどありません。ただし、一部のログに暗号化された文字列が残っています。それが義脳のソースに関連している可能性があります。解析すれば、何か分かるかもしれません」
そういって霜華はウィンドウを開き、空中に文字列を浮かばせた。
まるで意味のない数字とアルファベットの羅列が、洪水となって流れ出す。
「うーん……さすがにこんなの解析できる人なんて――」
「私がやろうか」
「へっ? ユイさんって、そんなことできるんですか?」
「ユイなら問題ないよ。敏腕ハッカーだからね」
「なにそれ格好いい!?」
「うん、解析は私に任せて。ハトフロのバイオコードをハックした経験あるし、霜華のログくらいなら解けるでしょ。ちょっと時間かかるかもしれないけど、結果が出たらすぐ連絡するね」
「なんか、しれっと凄まじい一言を聞いた気がするんですが……」
「レオ先生、結衣さん、シルメリアさん……ありがとうございます」
「当たり前だ! ここで店員を失うわけにはいかないからな!」
「……ふむ。霜華、どう思う?」
「レオ先生の照れ隠しの可能性30%。真実の可能性は70%です」
「それはちょっとひどくない?!」
店内に笑い声が響き、再び穏やかな空気が戻った。
が、その裏には、鯤鵬の影と義脳の謎が静かにうごめいている。
真実を追い求める彼らの旅は、まだ始まったばかりだ。
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攻殻機動隊はやくきてー!!!
もうこれ、少佐クラスの御仁がやる案件だろ!!!




