第三十七話 墓いらず
ライムの墓場に柔らかい光を投げかける陽光は、下草の葉を透き通らせる。
朽ちかけた納骨堂を囲むように墓石が点在し、スケルトンの白骨が散らばる地面に、微かな風が草を揺らし、静寂を運んでいた。
しかし今、その空気は一変していた。
つい先ほどまで、初心者たちの歓声とプーの咆哮が響き合っていたその場に、黒色の忍者装束に身を包んだヒグルマ、そして彼の信者であるスレ民たちが現れたのだ。
彼らとレオ一行が対峙し、墓場全体が張り詰めた緊張感に包まれている。
陽光を受けても光を吸い込むヒグルマの黒装束。
漆黒のマフラーが微かな風で揺れ、スレ民の手にした弓や杖が鈍い光を反射する。
しかし、墓場を異様な緊張に包んでいるのは彼らの存在のせいではない。
女性的なシルエットの黒甲冑に身を包み、両者の間に堂々と立つプレイヤー。
頭上に赤色の名前を翻した彼女は――ワールド1位のPK、シルメリアだ。
迫力のある赤い瞳が陽光を跳ね返し、長い銀髪が風に舞う。
彼女は手に持ったレイピアの切っ先をニンジャに向ける。
するとヒグルマの連れてきた有象無象のプレイヤーがざわめき、声を上げた。
「シシシシシシ、シルメリア!?」
「なんでワールド1位のPKがこんなところにいるんだ!?」
「少なくとも、ここならあんたらの墓を掘る必要はない。良い心がけだね」
シルメリアは冷たく微笑み、青白く輝く細剣の刃先を軽く振って風を切った。
彼女の声は氷のように冷たく、スレ民の背筋を凍らせた。
だが、一方のヒグルマはまったく動じず、逆に目を輝かせて叫んだ。
「これぞ好機でござる!」
シルメリアに怯むフォロワーを一瞥した彼は、HOFの配信機能を起動する。
そして、空中に浮かぶウィンドウに向けて声を張り上げた。
「視聴者の皆さま、見るでござる!! これがBOTを使い、初心者を洗脳している『混沌の鍛冶王』の姿にござる!!!」
「はぁ? 何を……」
「正義の名の下に集った我らがBOTを討つも、鍛冶屋レオの罠にかかったPK、美しきシルメリア殿が現れたにござる! あぁ、今日も美しい御仁にござるな!」
「何かシルメリアさんだけ、俺と扱いの方向性ちがくない?」
「このアホの目には、レオが邪悪な陰謀を企んでるように映ってるみたいだね」
「あ……! 鳩風呂速報にワケわかんないこと書いてたのは、お前か!!」
「ふ、曇りなき眼で真実を見定めたまでにござる!」
「レオ君が陰謀って、アレ真に受ける人いたんだ……そっちのが驚きなんだけど」
「ひとりで勘違いするだけならまだしも、他人を巻き込むな!」
メアリとレオが冷静にツッコミをいれるが、ヒグルマには通じないようだ。
正義感に駆られた彼は、オーケストラの指揮者のように手を振りかざす。
「さぁ、攻撃にござる!」
スレ民に号令をかけるヒグルマ。
――が、彼の背後に立ったプレイヤーたちは動かない。
姿を現したシルメリアに対し、完全に震え上がっていたのだ。
「どうしたにござるか! 正義は我にありでござる!」
「ま、待てよ。シルメリアがでてくるなんて聞いてないぞ!!」
「そうだよ。本職のPKK連中……ホワイトジャッジメントでも勝てない相手だぞ。やりあえるわけ無いだろ。常識的に考えろよ!」
「――なっ!」
「正義のために集まったにしては、ずいぶんへっぽこじゃないか」
「これなら、戦おうとしたぶん、ニールのほうがまだマシかも……」
「かもね――そこッ!」
「――ッ?!」
突然、シルメリアがレイピアをレオの眼の前に突き出した。
細剣の先が彼の鼻先をかすめ、レオは驚きにひゅっと喉を鳴らす。
凍りついた彼が両手を上げて目線を切っ先にやると、冷たく青白い白銀が空中に赤い染みをひろげていた。
「……ウグッ」
短い悲鳴とともに、「ハイド」で隠れていたニンジャが地面に伏せる。
ヒグルマが周囲の視線を引き付けている間に、姿を隠した暗殺者がレオに不意打ちをしかけようとしていたのだ。
「だまし討ちかい? とんだ正義もあったもんだ」
シルメリアがレイピアに付いた血を払い、一歩進み出る。
すると地面に伏せたニンジャの死体を指差し、ヒグルマが声を上げた。
「かかったにござるな! これぞレオがPKと結託している証拠にござる!」
「暗殺しかけといて何が証拠だあああああああああッ!!!!」
「ふっ、正義の暗殺にござる」
「あ、わかった。レオ君、これ話通じない人だよ」
「最初から分かりきってると思うけどねぇ……」
墓場で対峙するレオとヒグルマ。
すると、傷ついた初心者たちが立ち上がった。
リッケがナイフを握り、顔を赤らめて叫ぶ。
「いきなり出てきて訳わかんないこと言わないでよ!」
すると、コットンに裁縫を教えてもらった初心者お針子がリッケに続く。
「そうよ! レオ先生は私たちにスキルの使い方を教えてくれたのよ! アンタたちなんて何もしてないじゃない!」
「俺は先生にテイムを教えてもらったんだぞ! プーは俺の始めての仲間なんだ!」
訴える彼らの装備が陽光に照らされて輝き、墓場に響く声は熱を帯びていた。
しかし、ヒグルマは冷たく吐き捨てる。
「完全に洗脳されているでござる。哀れなものよ」
霜華がそのやり取りを眺め、銀髪を揺らしてぽつりと呟く。
「悪魔の証明ですね」
「悪魔の証明?」
聞き返したレオに対し、霜華は淡々とした口調で説明を始めた。
「数学的論理における『否定命題の証明困難性』です。例えば、『レオ先生が初心者を洗脳していない』という命題を証明するには、全ての可能性を否定する必要があります。しかし、ヒグルマの主張する『洗脳している』という命題は、具体的な証拠がなくとも客観的視点――『思い込み』で成立し得るため、反証が極めて困難です」
「なるほど、わからん!」
「つまり、レオ先生が洗脳してないことを説明するのは、非常に難しいのです」
「むむむ……じゃあどうすればいいんだ?」
「レオ先生は『初心者が洗脳されていないこと』を証明しなければなりません。それには、時間・場所・人物の無限の組み合わせを検証しなければならず、現実的ではありません」
「どうしようもないってことか?」
「いえ、直接「やってないことを証明する」のではなく、相手の主張を論理的に崩すか、状況を逆転させる戦略が有効です。つまり――」
「そうか! そのまま返してやればいいのか」
「メイツォ。その通りです。」
逆転の一手を閃いたレオは、初心者たちに指示を飛ばした。
「リッケ、ミナ、お前らの装備を見せろ!!プーも前に出せ!!」
「は、はい!!」
リッケがナイフを高く掲げ、お針子がチュニックを広げる。
そして、テイマー初心者がプーを前に出した。陽光に照らされた装備が輝き、包帯を巻かれた痛々しい姿のプーが毛並みを揺らす。
レオはヒグルマとスレ民に向き直り、声を張り上げた。
「お前ら、よく見ろ! このナイフ、チュニック、テイムされた熊――
これは全部、初心者が自分で作って育てたものだ!」
レオの後ろに並んが初心者プレイヤーたちは、誇らしげに頷く。
「俺はただスキルの使い方を教えただけだ。洗脳なら、こんな自由に動けるか?
洗脳っていうなら、『証拠』があるんだよな? 具体的な証拠を出してみろ!」
「そ、それはにござるな……!」
ヒグルマが言葉に詰まり、黒布の下で目が泳ぐ。
すかさず霜華が冷静かつ、聞き取りやすい口調で畳み掛けた。
「ヒグルマさんの主張は『レオ先生が初心者を洗脳している』という仮説にすぎず、証拠がありません。対して、レオ先生の指導下で初心者が自発的に成果を上げた事実は、ここに明確に存在します。ヒグルマさんの主張は破綻しています」
「そ、そうだにござる! 洗脳しているからそんなに素直なんでござる!」
「ではお尋ねしますが、その証拠はどちらに?」
「う……」
「ようするに、こいつがデタラメ言ってるだけだろ」
レイピアを肩に担いだシルメリアが一蹴する。
赤い瞳がヒグルマを射抜くが、なぜかニンジャは嬉しそうだ。
が、彼の背後にいるスレ民に明らかに動揺がひろがっていた。
「確かに……HOFの初心者って放置されがちだもんな」
「洗脳じゃなくて、普通に教えてるだけじゃね?」
「お前たちまで何を言ってるにござるか! 配信のコメント欄を見るにござる! 配信を見ているプレイヤーたちは、真実に気づいてるでござるよ!」
そういってヒグルマは、手元の配信ウィンドウを最大サイズに拡大する。
青い空に配信の白地のコメント欄が広がるが、そこに流れる人々の声は、ヒグルマの想像していたものとは真逆のものだった。
ーーーーーー
「レオすげぇ。初心者がそこまでできるようにしたのか」
「ってか、ヒグルマ何も証明できてねぇじゃん」
「レオってブリトン北の鍛冶屋さんと同一人物? 同じ名前の別の人かと思ってた」
「だよな。混沌の鍛冶王どころか、フツーに良い人だよ」
「またヒグルマのガセネタかよ。一度痛い目あったほうがいいぞコイツ」
ーーーーーー
コメント欄に流れていたのは、レオに好意的なものばかりだった。初心者の成果を目の当たりにした彼らは、ヒグルマの主張に反してレオを支持していた。
彼らの追い風を受け、レオがヒグルマに最後のとどめを刺す。
「ヒグルマ、お前が正義だと言うなら、初心者に何を教えてやったんだ?」
「う……」
「俺は鍛冶を教えて、仲間を増やした。お前は何をした?
――ただやみくもに騒いで、他人を傷つけただけだろ!」
「ぐぬぬ……!」
ヒグルマがうめき、助けを求めて振り返る。
しかし、背後に立つスレ民が彼を見る視線は冷たいものだった。
陽光のもとに晒された彼の姿は、どこか小さくなって見えた。
投げ出されたままの配信のコメント欄には、「ヒグルマ終わったな」「レオ先生大勝利じゃん」という、レオを支持する書き込みで埋め尽くされている。
フォロワーの心はすでに彼から離れていた。
ヒグルマのいう「正義」が、崩れ落ちた瞬間だった。
「――で、これで終わりか?」
シルメリアがヒグルマにレイピアを突きつける。
するとニンジャは、不敵な笑みを浮かべた。
「次はこうはいかんでござるよ! ハッ!」
捨て台詞を残し、彼の姿が馬に変化する。
忍者が使うスキルの「アニマルフォーム」だ。
ヒグルマは馬になって、ここから走り去るつもりなのだ。
森に蹄の音を響かせて、ヒグルマは疾走した!
「あっ、シルメリアさん! ヤツが逃げますよ!」
「――させるか! 『アニマルフォーム』!」
シルメリアのビルドは「忍剣」。忍者とソードマスターのスキルが使える。
つまり、ヒグルマが使うアニマルフォームはシルメリアも使えるのだ。
ボン、と煙が吹き出し、彼女の姿は黄金のたてがみと鹿の角を持つ、深藍色の鱗を持つ瑞獣――「麒麟」の姿になり変わった。
シルメリアは金色の蹄をうち鳴らし、梢の間を飛んでヒグルマを追いかけた。
幻想馬である麒麟はただの馬と違い、空を蹴り、空中を駆けることができるのだ。
「な、なんと! 超絶レアの麒麟フォームを持っているにござるか?!」
「逃さないよ!」
シルメリア――麒麟の角が輝き、雷が馬になったヒグルマを貫く。
丸焦げになったヒグルマはもんどり打って森に倒れる。
すかさずシルメリアはアニマルフォームを解く。
空から細剣を構えて舞い降りてきた暗殺者に対し、ヒグルマにできることはない。
「――獲った!」
「!!!!!」
輝く切っ先が乱入者の首を貫き、墓場に静寂が戻った。
集まったプレイヤーはそのどさくさで散り散りになって逃げ去っていた。
「えっと……」
「ヒグルマの主張が否定されたことは明らかです。
――つまり、レオ先生の勝利です」
霜華が淡々と告げた。
いつのまにか墓場には静寂が戻っていた。森の梢の間から数条の光が差し込み、地面に散らばったスケルトンの骨を白く輝かせている。
ヒグルマが丸焦げで倒れた森の奥からは、もはや蹄の音も聞こえない。
すると、森の奥からレイピアを鞘に収めたシルメリアが戻って来た。
「――あ、シルメリアさん! ありがとうございます!」
「ま、お隣さんのよしみだよ。それじゃ」
それだけいって、シルメリアは踵を返す。
銀髪が風に揺れ、影色の甲冑が陽光に溶けるように遠ざかっていった。
「かっこいい……」
「俺、あの人みたいなPKになろうかな。――レオ先生!」
「いやいや! PKになる方法なんて、俺知らないからね?!」
「「えーっ?!」」
森の土の上には、散り散りに逃げたスレ民の足跡が残る。
だが、彼らのざわめきはすでにない。
ヒグルマのダウンによって配信ウィンドウは閉じられ、コメント欄の「レオ先生大勝利!」という文字が、残像を残してライムの風景に溶けて消えていった。
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ヒグルマ、コトダマと共にあれ
…ざまぁである!!