第三十四話 私たちの理由
「第2の地球とかなんとか、話が壮大になってきたねー」
「まぁ、ようするに接客で人との接し方を覚えたいってことだろ?」
「でもさ、そうすると霜華ちゃんたちって、ただのBOTじゃなくなるよね。なんていうか、人間っぽいっていうか……親しみやすくなるっていうか」
「それは、私の仕様がそう設計されてるからです。でも、レオさん、メアリさん、私たちに指示と違う行動が必要になったら、どうしますか?」
「どうするの?」
「え? ……まぁ、もしもの話だけど、指示と違う行動を取る必要があったら、どうしてそうしたか、〝理由〟を説明してくれればいいよ」
レオが霜華とその背後のBOTにそう言い聞かせると、今まで沈黙を守っていたクサナギが口を開いた。
「理由か。それはまた難題だな」
「へ? やったことの理由を説明するだけでしょ?」
「いや、それがそうでもないのさ。理由ほど信用できないものもない」
「えーっと、それって霜華ちゃんが人工知能だから、とか?」
「ハルシネーションってやつ?」
「ところがAIだからじゃない。理由が信用ならないのは、人間も同じなんだ」
「えぇ?」
「レオさん。その『理由』について、私が思うことを話してもいいですか?」
「うん。どういうことなんだ?」
カウンターに立っていた霜華はなめらか板の上に両手を置き、まるで教壇に立つ教師のように話し始めた。
「『理由』って、ヒトがほとんど考えてないものなんですよ。特に――既に行なった行動に対してついた理由は、ほとんど当てにならないものです」
「へ? どういうこと?」
レオとメアリが首をかしげ、店の外から窓に首を突っ込んでいたキミドリまでもが不思議そうに頭を傾ける。しかしクサナギはというと、何か納得がいったように頷いていた。
「しかもそれは実験で実証されているんだ。
――霜華、分離脳実験を説明できるか?」
「はい。」
「ぶんりのー?」
「なんかあからさまにヤバそうな名前の実験なんですが……」
「てんかんの治療法に大脳両半球をつなぐ脳梁を切断するという手術があります。分離脳実験とは、1960年代にその手術を受けた患者を調べた研究になります」
「脳梁を切断?」
「それって、脳を半分ずつにしちゃうってこと?」
「その通りです。脳梁とは左右の脳が情報の受け渡しをする『橋』です。マイケル・ガザニガという科学者が、その橋を失った『分離脳』患者を研究したのです」
「聞いたことあるけど、左脳と右脳ってやることが違うんだよね。バラバラにしちゃったら大変なことになりそうだけど……」
「実際、患者の生活にはかなりの困難が伴ったようです。手術を受けた患者は、陳列棚にある商品に目をやり、それを買い物カゴに入れたいと思っても、できなかったそうです。欲しい物に右手を伸ばそうとすると左手が割り込んできて、両手が争う形になったそうです。まるで反発し合う磁石のように」
「ひえっ……」
「他にも服を着替える際、一度に3着の服を着てしまう。なんてこともあったとか。これは例えるなら、脳が2つの心を持っているかのように振る舞った結果でした」
「メチャクチャじゃないですか」
「それって、本当に治療だったの……?」
「はい。てんかんは改善しました。さらに患者が直面したこれらの症状は、手術後約1年で軽減しました。動作を一つにまとめられるようになり、野菜を切る。靴ひもを結ぶ。トランプをする。さらには水上スキーさえできるようになったそうです」
「……えぇ? 脳の『橋』は無くなってるんでしょ? それなのに左右の脳が連携できるようになったって……コトォ?!」
「ひゃー、生命の驚異ってやつ?」
「はい。そしてそれは左脳の『解釈者』としての機能によるものだとわかりました」
「「解釈者?」」
「解釈者の説明の前に、前提を具体的に確認しましょう。分離脳患者は、脳梁がないため、右脳と左脳が互いに情報を共有できません。例えば、左目で『パンの絵』を見たとしましょう。左視野に映った『パンの絵』は右脳が認識しますが、その情報は言語中枢のある左脳に伝わらず、患者は『パン』を言葉で表現できません。しかし、右脳が制御する左手でパンの絵を選んだり、パンの絵を描くことは可能なのです」
「へー、脳が担当してる目って左右逆なんだ……始めて知った」
「言葉にはできないけど、イメージで理解して伝えられるってこと? そういえば絵の上手い人は右脳が発達してるとかっていうよね」
「あ、俺もそれ聞いたことある。右脳は絵で、左脳は言葉とか言うよな。
それってこの実験がもとだったのか?」
「そしてここからが本題ですが――右脳がいくつかある『パンの絵』から特定の絵、例えばクロワッサンを選んだとしましょう。その時、右脳が選んだことは左脳に伝わっていないはずなのに、左脳は平然と『なぜクロワッサンを選んだか』を語り始めるんです。理由をでっち上げて、すらすらと」
「へ?」
「ガザニガが行なった実際の実験では、こうです。右脳に『微笑む』という単語、左脳に『顔』という単語を提示すると。患者は微笑む顔を描きました。ですが、患者は『なぜこの顔を描いたのか』と問われると、左脳が勝手に理由を作り上げたのです『あなたが描いてほしいのは悲しい顔だったんですか? 悲しい顔を描いてほしい人なんていませんよね』と。これが〝解釈者〟と呼ばれる左脳の機能です」
「ふんふん……え? ちょっと待って、混乱してきた……左脳には『顔』って情報しかいってないんだよな?」
「右脳は逆に『微笑む』しかいってない。けど、言葉で表現するしか無いから顔を描く……でもこれ、右脳が顔を描いた理由、ぜんぜん伝わってないよね」
「その通りです。分離脳患者が左右の脳が別々に動いているにもかかわらず、自分を『一人の人間』として感じるのは、左脳が右脳の行動を勝手に解釈し、みせかけの統一感を作り出すからです。これは、通常の人間の意識も実は複数の脳領域の協働による『錯覚』かもしれないという示唆しています」
「俺たちの意識も錯覚かもしれない、だって?」
「あくまでも仮説です。心や意識を取り出して観察する事はできませんから」
「まぁ、そうだよな……」
「分離脳患者が示唆するのは、私たちの意識が実はバラバラな情報の寄せ集めであり、それを統合する仕組み――いわば『私という物語』があるから『私』として感じられるのだ。という仮説につながります」
「うぅむ……」
「なかなか噛み砕くのが難しい、ハードなお話だねぇ」
「だなぁ」
レオがカウンターによりかかると、キミドリが窓に首を引っかけていびきを立てているのが目に入った。ものすごい姿勢で寝れるものだな、とレオが感心していると、彼ははたと何かに気づいたように太ももと手で打った。
「待てよ。それってつまり、俺たちが普段『これが理由だ』って思ってることも、実は後付けってことか?」
「可能性としては高いですね。理由はたえまなく言語中枢で捏造されます。それによって、自分が自分の意思でそうしたと思い込んで、納得する。現実でも、HOFでも同じです。レオさんが『初心者に譲れ』と言ったのも、本当は後から理由を考えただけかもしれませんね」
「むむむ……」
レオがカウンターによりかかりながら、霜華の「理由は捏造される」という言葉を反芻していると、メアリが少し心配そうな顔で口を開いた。
「霜華ちゃんと愉快な仲間たちが皆を困らせないようにするには、どうやって指示すればいいのかなぁ? 理由が信用できないって話になっちゃうと、私たちだって何を信じていいかわからないよ」
クサナギがカウンターの端で腕を組んで頷きながら応じる。
「指示を細かくすればするほど、融通が利かなくなる。逆に自由にさせれば、理由が信用できないというジレンマだな」
「うーん、確かに……」
レオが眉を寄せて唸ると、店の外で窓に首を引っかけて寝ていたキミドリが、突然目をぱちりと開けた。首をぐるりと回してレオたちを見回し、「むぅ?」と不思議そうな顔で首をかしげる。そのとぼけた仕草に、メアリがくすっと笑った。
「キミドリまで混乱してるみたいだね。でもさ、レオ、このままだと霜華ちゃんたち、初心者に迷惑かけ続けるんじゃない?」
「うーん、それは困るなぁ。ただでさえヤバい店の評判が、さらにヤバいことになりそうな……」
「レオさんが初心者に優しくするのは、店の評判のためですか?」
その皮肉っぽい口調に、レオがムッとして返す。
「いやいや、ちゃんと理由あるから! 店の評判以前に、そもそも初心者をいじめるべきじゃない。BOTだろうがプレイヤーだろうが、楽しむ時間を奪うのは現実の損失だろ。ニーナだって綿花取れなくて泣きそうだったんだぞ」
「時間は現実、ですか。確かに、ログイン時間はプレイヤーにとって課金にも直結しますね。私たちの行動がその時間を奪うなら、それは倫理的な問題かもしれません」
「だね。ログイン時間を無駄にされたら課金のお金も無駄になるもんね。私だってキミドリと一緒に素材集めしてるときに邪魔されたら、イラッとするよ」
キミドリが低く唸り、尻尾で地面を叩いて同意を示す。
どうやら彼にも含むところがあるようだ。
「どうしたもんかなぁ……。『初心者に優しくしろ』で、うまいことできない?」
「レオ君、雑ぅ~!」
「単純に『優しくしろ』と指示されても、私たちは具体的な行動パターンを求めます。例えば、『初心者が来たら素材を譲る』とか『戦闘中は邪魔しない』とかですね。ですが指示外の状況に応じた判断が難しくなります。逆に、私たちに自由を与えれば、理由を捏造してでも行動を正当化するかもしれません。レオさんが言ったように、私たちが『人々の楽しむ時間を奪わない』ことを学ぶには、具体的な例を見せてもらうのが一番効率的でしょう」
「例を見せる?」
メアリが首をかしげると、クサナギが口を挟む。
「要するに、誰かが手本になって教えてやれってことだ。BOTが人の行動を見て学習できるなら、誰かプレイヤーの行動を見て覚えるのが早い」
「なるほどな……」
「じー」
「…………」
レオが顎に手を当て、知らんぷりして考え込む。すると、キミドリまで窓から首を伸ばし、レオをじっと見つめた。ドラゴンの金色の瞳はまるで「レオ、言い出しっぺのお前がやれよ」と言っているように見えた。
「お前まで俺に押し付ける気か? ……でもそうだよな。俺が店主なんだから、責任持って店員――霜華たちを教えてやるのが筋ってもんか」
レオが胸を張って言うと、メアリが目を輝かせ、ぱちぱちと拍手した。
「それいいじゃん! 鍛冶屋の店主として、霜華ちゃんたちに初心者に優しくする『レオ流接客術』を教えてあげてよ。私もキミドリと一緒に手伝うからさ!」
「分かった、分かった。じゃあ霜華、お前たちBOTの教師役は俺が引き受けるよ。まずは初心者が困ってそうなの見つけたら、俺がどう対応するか見て覚えるんだ。それからお前たちが真似する。理由が後付けだろうとなんだろうと、結果的に初心者のためになれば……まぁ、いいでしょ」
「了解しました。レオさんが教師役として私たちを導くなら、具体的な行動パターンとして学習できます。私たちの第一歩ですね」
「教師か。ふ、面白くなってきたじゃないか」
「俺が霜華たちを立派な店員に育ててやる! そんで楽する!!」
「即物的ぃ~! 頑張ってね、レオ先生!」
メアリがからかうように笑うと、キミドリもふすっと楽しそうに鼻を鳴らし、店の外で尻尾をぱたぱた振って応援ムードを盛り上げていた。
こうして、レオは「レオの鍛冶屋」の店主として、霜華とその仲間たちBOTに「初心者に優しい接客」を教える教師役を引き受けることになった。
理由が後付けだろうが、意識が錯覚だろうが、目の前の現実――
プレイヤーが楽しめる世界を作るためなら、そんなことはどうでもいい。
レオはそう割り切って、新しい挑戦に一歩踏み出したのだった。
その時、店の片隅では小さな影が動いていた。
商品棚のヘルメットの後ろに隠れていた忍者のヒグルマ(リス)だ。
ヒグルマは会話が始まった頃から隠れていたが、霜華が「理由は信用できない」と話し、分離脳実験の説明を始めたあたりで、彼の頭はオーバーヒート気味だった。
「脳梁を切る? 解釈者? なんじゃそりゃ、難しすぎるでござる……」とブツブツ呟いていたが、睡魔に抗えずヘルメットの陰でこっくりこっくり。そのままキミドリのいびきに釣られて、すっかり寝落ちしてしまっていたのだ!
目を覚ましたのは、レオが「教師役は俺が引き受けるよ!」と意気込んで声をあげが瞬間だった。慌てて小さい手で目をこすり、耳をピンと立てて状況を把握しようとする。だが、すでに会話は終盤に差し掛かっており、彼が聞き取れたのは断片的な言葉だけだった。
――「霜華」「BOT」「初心者」「教師」「導く」「真似する」といったキーワードが頭の中でバラバラに浮かんでいた。
(むむ、これは一体どういうことにござるか?)
ヒグルマは小さな前足を顎に当て、忍者らしく考え込む。レオの「初心者が困ってそうな所を見つけたら、俺がどう対応するか見て覚えるんだ」という言葉と、霜華の「具体的な行動パターンとして学習できます」という返答が、なぜか彼の中で不気味な響きを帯びて聞こえてきた。
(レオがBOTを指図して初心者を相手に何かしようとしているでござる? しかも『俺のすることを覚えろ』とは……。)
ヒグルマの灰色の脳細胞がフル回転し始め、断片的な情報をつなぎ合わせる。彼の想像力は、忍者的洞察により暴走気味に突き進む!
「はて、待つにござるよ……霜華とかいうBOTが『理由は信用できない』とか言っていたはず。つまり、後ろめたいことをすると認めたようなもの……。レオが『教師』になってBOTに何か教え、BOTを操って初心者に近づくつもりでござるか?」
つぶらな目がキラリと光り、勝手な結論が頭の中で膨らんでいく。
「そうか、わかったにござる! レオはBOTを使って、何も知らない初心者を自分の都合の言いように洗脳するつもりでござるな!!!」
彼の中で、恐ろしいシナリオが出来上がっていた。
レオに操られたBOTが初心者に近づき、甘い言葉で油断させる → 何も知らない初心者がレオの意のままに操られる → 鍛冶屋の評判を上げて支配を広げる。
もちろん、現実はそんな大仰なものではない。レオは鍛冶屋という活動を通して、皆にとって心地の良いHOFを作り上げたいだけだ。
しかし、ヒグルマの脳内ではすでに「レオの鍛冶屋」がPKとPKKの間に立ち、さらにBOT軍団を従えることでHOFを牛耳る秘密結社に仕立て上げられていた!
(こ、これは大変な陰謀でござる! 拙者がこの企みを暴かねば、初心者たちが――いや、HOFがレオのBOT軍団に洗脳されてしまうでござる!)
ヒグルマはヘルメットの陰で小さく拳を握り、真実の公表を決意する。
だが、次の瞬間、彼の尻尾がヘルメットに引っかかり、「ガシャン!」と派手な音を立てて棚から転がり落ちてしまった。
「うわっ、何だ!?」
レオが驚いて振り向くと、少し大きめのリスが慌てて立ち上がり、「ニンニン!」と意味不明な鳴き声を上げながら窓を伝って店の外に逃げていくところだった。
「何だぁ……リスかぁ」
「リスの鳴き声ってニンニンだっけ?」
「まぁいいや。霜華、さっそく明日から初心者対応の特訓始めるぞ。俺が見本見せてやるから、しっかり見て覚えな!」
「はい、レオ先生。楽しみにしています!」
一方、店から逃れたヒグルマは、草原の草の中で息を潜めていた。
「レオめ、明日から洗脳計画を始めるつもりでござるな……。拙者とスレ民がこの陰謀を阻止するでござるよ!」
彼の小さな胸に、壮大かつ完全に的外れな使命感が燃え上がっていた。
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レオ&愉快な仲間たちVSヒグルマ&スレ民の戦いはっじまっるよ―!!
霜華の分離脳解説中のBGMは「Science & Secrecy」
VRMMOでここまでガチSFしてるのは珍しいかも…
(トンチキPKの話からどうしてこうなった
あ、補足です。文中では説明しませんでしたが、分離脳患者でも両手を使った作業や車両の運転ができます。これは大脳皮質や筋肉に付随している神経系が統合され、運動を記憶している可能性があります。(脳神経以外の抹消神経がシナプスの可塑性から擬似的な記憶を持つ可能性も最近になって判明しています)脳梁分離以前の統合された動作は可能でも、新しい動作の習得が難しいことが判明しています。
つまり、脳以外にも思考の「ようなもの」をしている部分が存在するかも、ということです。命には不思議がいっぱい。




