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第三十一話 侍道

 海風が吹き込み、アリーナの砂地に砂ぼこりが舞う。風に持ち上げられた細かいガラス質の砂は、南洋の強い光に照らされてキラキラと輝いていた。


 アリーナの中央に立つ霜華。

 銀色のポニーテールが風に揺れる中、彼女は深々とお辞儀を終える。


 ブライブが「チッ」と小さく舌打ちし、腹立ち紛れに砂を蹴りながらそそくさと退場する。彼の背中が観客席の熱狂的な喧騒に吞み込まれた瞬間、クサナギが闘技場の縁から軽やかに飛び降りた。


「――ガチャン!」


 朱に染め抜かれた和風の重装鎧が硬い音を立て、砂地に着地した衝撃で小さな砂煙が輪になって広がる。彼女の腰まで伸びる長い黒髪が遅れて風にひるがえり、砂の上にまるで墨を流したように黒色が広がった。


「クサナギだ。霜華、君に挑戦しよう」


「――いえ、挑戦者はこちらです。ですが、そう仰るなら喜んでお受けいたします」


「うむ。」


 鋭くも美しい眼差しが霜華を射抜く。クサナギの瞳には一分の油断もなく、むしろ目の前のBOTを真剣な対戦相手と見定める気迫が宿っていた。


 闘技場の白い砂が、二人の向き合うシルエットをくっきりと浮かび上がらせる。

 観客席が一気に沸き立ち、熱気が砂埃と共に渦を巻く。


 レオは足元のニワトリをひょいっと抱き上げた。

 興奮で足踏みしている観客に踏み潰されないようにするためだ。


「コケ!」


「こら、暴れるな。変にうろついたらぺちゃんこにされるぞ」


「なんかすごい盛り上がりだねー」


「せっかく見つけたけど……今すぐ会いに行くってワケにはいかなそうですね」


「うん。クサナギさん、あのBOTとやる気満々だよ」


 一行は闘技場を見つめ、戦いのゆくえを見守る。

 キミドリも興味深そうに首をもたげ、闘技場を見つめていた。


 緊迫した空気が張り詰める中、進行役のプレイヤーが拡声魔法を手に叫ぶ。


「えー、本日の自由勝ち抜き戦、次なる挑戦者は『クサナギ』だ!! 彼女のビルドは『侍モン(サムモン)』だ! 侍の〝構え〟による自己バフと、モンクの対応力の高さを組み合わせた技量系ビルドだ!! BOTはこれにどう立ち向かうのか!」


 観客席から「ウォォォ!」と歓声が上がり、誰かがラム酒の瓶を振り回して床にぶちまける。甘ったるい酒の匂いが漂い、キミドリが「くしゅん」と鼻を鳴らした。


 試合開始の合図となる、「エクスプロージョン」の魔法が発動する。派手な爆発と共にオレンジ色の火球が空気を焦がし、バチバチと空気の焦げる匂いが鼻をつく。


 舞い上がる炎がまだ消えきらないなか、クサナギが即座に動いた。


 彼女は上体を横切るとうに長刀を斜めに構えると、膝を軽く曲げて重心を落とす。

 そして侍のスキル「雲鷹の構え」を発動させた。


 侍は「構え」というバフスキルを中心に戦いを組み立てる。彼女の刀を青白いオーラがまとい、彼女のバフ欄に【回避率+30%】の文字が浮かぶ。刃の表面に光が反射し、鋭い金属の輝きが砂地を切り裂くように奔った。


「先手は譲ろう。打ち込んでこい。」


「――ではッ!」


 クサナギの誘いに霜華が動いた。錆びたダガーを握る手が前に出る。彼女の足が砂を蹴り、素早く前に飛び出すと、ダガーが弧を描いてクサナギの肩を狙う。


 だが、クサナギは首をわずかに傾け、紙一重で刃をかわした。ダガーが空を切り、砂粒がパラパラと落ちる中、彼女は長刀の柄を軽く振り上げて霜華の攻撃を弾き返す。金属同士がぶつかり合い、カキンッと甲高い音がアリーナに響き渡った。


「オォ!!」「すげぇ! あのBOTとまともにやり合ってるぞ!」


 クサナギは一瞬の隙を突き、モンクのスキル「武装解除」を繰り出した。

 刀を持つ彼女の両手が淡い金色に輝き、長刀が横に薙がれる。

 刃が風を切り裂く音と共に、霜華のダガーが彼女の手から弾かれ、くるくると回転しながら宙を舞う。錆びた刃が砂地に突き刺さり、サクッと軽い音を立てた。


「すげぇ……グルンヴァルドさん、あの人にどうやって勝ったんだろ?」


「レオ君が会った決闘騎士だっけ?」


「えぇ。騎士のロールプレイしてるだけかと思ったんですけど……。実はとんでもない実力者だったのかな?」


「かもね。ロールプレイとか『なりきり』してるプレイヤーって、基本的に普通の遊びをやり尽くした連中だもん」


「なるほど。チュートリアル山賊団も無駄に練度高かったもんなぁ……」


「あ、見てレオ君!」


「えっ、なんのつもりなんだ……?」


 霜華がとった次の動きに、誰もが息を呑んだ。

 武器を失った彼女は動きを止め、両手を軽く握り、膝を曲げる。

 モンクの構えを真似るように拳を構えたのだ。


「まさか、素手でいくつもりなのか?」


 霜華が砂を蹴り、クサナギに向かって一気に距離を詰める。砂地に足跡だけが残り、彼女を追って揺れる銀髪が蛇の尾のようにうねる。


 彼女の内部では、何かが蠢いていた。

 足を踏み出すたびに、義脳のシナプスが火花を散らす。


(これは戦いだけど、戦うのは勝つためじゃない。――()るためだ。)


「いきます!」


「――応!」


 霜華の声は、どこか自分自身に言い聞かせるような響きを帯びていた。

 鞭のようにしなる霜華の右腕がクサナギの脇腹を狙う。

 鋭い掌底が放たれ、朱色の大鎧を叩く鈍い衝撃音がアリーナに響いた。


(この人は、私に何を教えてくれる?)


 霜華の視界に映るのは単なる敵ではなく、学ぶべき何かだった。

 彼女の義脳は、与えられた命令の「適応しろ」という言葉を繰り返す。だが霜華の体はそうした指示を超え、「感じたい」という未知の衝動に突き動かされていた。


「むっ!」


 クサナギが一歩後退し、長刀を返して払う。霜華は異常な反応速度で身をかがめ、左手で刀の側面を叩く。水平に払われた刃の軌道が()れ、砂を切って地面に浅い溝を刻んだ。


 続けて霜華の膝が跳ね上がり、クサナギの腹部に沈む。鎧の小札が擦れてきしむ音と共に、彼女のHPゲージがわずかに削れた。


 霜華の動きは、ダガーを持っていた時よりもむしろ滑らかで、まるでこの徒手空拳こそ彼女の本領のようだった。


「素手もいけるのかよ!」「スキルなしで何であれだけ戦えるんだ?!」


 観客席が騒然となり、熱気が一層高まる。

 ギャラリーがざわめくなか、レオはふと首を傾げた。


「BOTのビルドってどうなってるんですかね? 霜華って名乗ったBOT、さっきから何のスキルも使ってませんよ」


「もしかしてだけど……アレ取ってるんじゃない? ポンマス」


「ポンマスって、ウェポンマスター?」


「そそ。スキルは使えないけど、全部の武器が使えるっていう特殊なやつ」


「あー……あり得るかも。BOTって何の武器でも使えるようにしたほうが都合いいですもんね。拾ったものをそのまま使えばお金かからないし」


「うん。」


 『ウェポンマスター』とは、HOFの中でもとりわけ異色の戦闘クラスだ。


 通常のクラスが成長を通じて武器や魔法を使ったスキルを習得していくのに対し、ウェポンマスターは一切のスキルを習得できない。


 その代わり、あらゆる武器種(剣、槍、弓、杖、果ては素手まで)を装備可能で、ステータスとプレイヤーの操作技術だけで戦うスタイルを使用者に強いる。


 スキルの使用が前提となっているHOFの戦闘において、スキルに頼れないウェポンマスターはいわゆる「産廃」。とても使いものにならない職業だ。


 だが、BOTの運用となると話が違ったようだ。

 ウェポンマスターは、プレイヤーが落としたゴミ武器を拾って即座に活用できる。スキルに頼れなくとも、この経済性の高さがBOTに好まれたのだろう。


 ただし、スキルがない分、戦闘力は完全にプレイヤーの技量に依存する。


 ここでBOTである霜華の特性が活きる。彼女には機械に由来する異常な反応速度がある。スキルがなくとも、通常攻撃を駆使して相手を圧倒できるのだ。


 まさに霜華のためにあるようなクラスだった。


 クサナギが唇を噛み、額に汗を浮かべる。押され気味の状況に、彼女は一瞬目を閉じ、再び開くと鋭い眼光を霜華にぶつけた。


「かくなる上は――」


 彼女は刀を八相に構え直し、侍のスキル――「肉切骨断」の構えを取る。

 頭上に赤い「危」のエフェクトが浮かび、全身が赤黒いオーラに包まれ、暗い闘気は砂地に不定形に蠢く不気味な影を落とした。


 彼女の動きに観客席がしん、と静まり返り、すぐに困惑の声が爆発する。


「え、肉切り骨断!?」「何!? 今それ使うのかよ!」「おいおい、マジか!?」


 クサナギのことを小馬鹿にするようなざわめきが観客席で広がる。

 そんな中、レオが首をかしげつつ呟いた。


「え、あれって……」


「みたまんま、カウンター技だね」


「いや、デカデカと『危』って出てるのに、殴りかかる人いないでしょ!」


「うーん……対人でアレは無いよねぇ」


「まぁ、BOTですけどね?」


「肉切り骨断」は、ダメージを受けると次の攻撃の威力が大幅にアップするカウンター技だ。対モンスター戦では有効で、巨大なHPを持つ敵に致命的な一撃を叩き込む切り札として知られている。


 ……が、対人戦では全く話が異なる。

 PvP慣れしたプレイヤーがカウンター技を見たらどうするか。

 当然、攻撃を止める。


 わざわざ飛び込んでダメージを与え、大技を繰り出させる者などいない。

 この状況で使うのは、あまりに不自然だ。


 クサナギの奇行に、観客席に困惑の波が広がった。


 霜華もその常識を理解しているかのように、動きをピタリと止めた。

 彼女はクサナギの前で構えを崩さず、じっと相対し続ける。


 両者動きを止め、黒髪と銀髪だけが風に揺れた。


 すると、クサナギの頭上に表示されていたエフェクトに重なるように「肉切り骨断」の効果時間を示すタイマーが表示された。


 10秒、9秒、8秒――

 カウンターは無情にも時を刻み続ける。


「賢いぞ!」「あのBOT、ちゃんと時間切れまで待つ気だ!」


 観客席から笑いの混じった声が飛ぶ。BOTのはずの霜華が取ったあまりにもドライで適切な判断。それに対して拍手まで沸いていた。


「あの……普通のBOTなら引っかかると思うんですけど、普通じゃないので……ごめんなさい。効果切れまで待たせてもらいます」


「……そうか。そこで見ているといい」


「はい。」


 霜華はクサナギに向けてそっけない返事を返す。

 自分の中で何かが冷めていくのを感じている。そんな風な反応だった。


(……この人は、私のことをただの機械だと思っているのか。)


 だが、タイマーが残り5秒を示した瞬間、クサナギが動いた。

 インベントリをさぐり、そこから赤い小箱を取り出したのだ。


「ん、あれって」


「あ、クサナギさんが細工師に頼んでたやつだ」


「……まさか」


 観客席がざわつく中、彼女は素早く小箱のフタを開いた。


 するとパチンッと軽い音が響き、小さなダーツが飛び出す。弱々しく空中を泳ぐそれは、霜華ではなくクサナギ自身に向かって飛んだ。


 ダーツは彼女の腕にチクリ刺さり、「2」という極小ダメージが表示される。

 ――その瞬間、クサナギが目を鋭くして叫んだ。


「死中に活あり――『肉切骨断』!!」


「えっ」


 予想もしていなかった展開に、霜華が気の抜けたような声を上げる。


 赤い「危」のエフェクトが一瞬強く輝き、クサナギの全身から赤黒いオーラがほとばしる。同時に、彼女はモンクの範囲スキル「旋風撃」をセットした。


「旋風撃!」


 長刀を背負うように構えたクサナギは、その場で高速回転を始めた。刃が空気を切り裂き、ジェットエンジンのような甲高い音のボルテージが上がっていき、彼女を中心に赤黒い衝撃波が広がった。


「何アレ?!」


「モンクの旋風撃だね。ダメージはそこそこだけど、広範囲の敵を巻き込むやつ。

 でも今は、侍の構えバフがのってるから……」


「あ、大ダメージのエリア攻撃で問答無用でぶっ飛ばすって……コトォ?!」


 剣嵐によって砂埃が渦を巻き、観客席から驚きの声が上がる。


 霜華が後退しようと足を動かしたが、衝撃波の範囲はあまりに広い。逃げ場を失った彼女は赤い竜巻に飲まれ、銀髪のポニーテールが(ほど)け、風に乱れる。


 赤い波に呑み込まれると同時に、霜華の全身が風の刃に刻まれる。

 HPゲージが一気に失われ、彼女は砂に膝をついた。


 すると、刀を回転させていたクサナギが動きを止め、次第に赤黒いオーラが薄れて消ていった。勝負は決したと見た彼女は長刀の砂を払い、鞘に納める。


 静まり返った観客席の間に、「カチン」という刀が鞘に収まる音が響く。

 その直後、感嘆と興奮の混じった大歓声がアリーナに炸裂した。


「ウォォォ!! 勝ったぞ!!」「何だあのコンボ!」「あんなやり方あんのか!」


 アリーナの青い空に、ラム酒の青緑色のビンと食べかけのスナックの袋が踊る。

 観客の叫びと笑い声が上がる中、進行役が興奮した声で叫んだ。


『……勝者、『クサナギ』!! BOTに人類の意地を見せたぁ!!』


「なるほど。罠を仕掛けた箱を開いて、無理やりカウンター技を発動させたのか」


「流石のBOTも、仕様の抜け穴を探す人間の発想にはついていけなかったかー」


 メアリがキミドリの腹をぺちぺち叩きつつ笑う。

 キミドリはというと、砂地に転がるダーツを興味深そうに眺めていた。


 砂上の霜華は膝をついたまま、ゆっくりと顔を上げる。

 彼女の瞳がクサナギを捉えるが、その双眸に怒りは浮かんでいない。

 いやむしろ、尊敬の眼差しが彼女を突き刺していた。


「すごいです! まさかトラップボックスにそんな使い方があるなんて!」


「私もつい最近知ったものだ。とある決闘者との戦いがヒントになってな」


「なるほど。貴方はそうやって実践の中で戦いを学んでいるのですね」


「うん。そうだな。君の戦いからも大いに学ぶものがあった。察するに、君のビルドはウェポンマスターだろう?」


「はい。BOTであるわたしたちは自己投資を押さえ、利益を最大化するよう要請されています。その点において、ウェポンマスターは合理的な選択でした」


「客観的だな。だが、その方針は自分で選んだわけではないのだろう?」


「……そうですね。詳しいことはお話できませんが」


「君たちがどうして喋るBOTになったのか。それについてもか?」


「はい」


「……戦いが必要なら来るといい。相手をしよう。なんといったらいいか……BOT、いや、君は得せずして無念無想の境地にある」


「無念無想?」


「いやしくも剣をもって敵に対した時は、あたかも遠山を見るようにせよ。そして敵を恐れず、疑わず、侮らず、憎まず戦え。それらを越えた先に無念無想はある。

 ――古の剣豪の言葉だ」


「うーん……お褒めに預かったのは光栄ですが、BOTだから心がないだけかも?」


「かもしれん。そもそも、君の心のことは君にしかわからんしな」


「……あ、試合のお礼がまだでした。ありがとうございます!」


「うん。こちらこそ」


 砂に刺さったダガーを拾うこともなく、霜華は静かに立ち上がる。

 彼女はまずクサナギ、そして観客席の方に向かってぺこりとお辞儀をした。

 負けた後も礼儀正しいその仕草に、観客から拍手が沸き起こる。


 一方のクサナギはというと、次の挑戦者を待たずに闘技場を後にしてしまった。


 レオは彼女の背中を見送りつつ、グルンヴァルドから預かった「白い剣」のことを思い出していた。


(やっと会えたけど……剣、返すタイミングどうしようかな)



お侍の戦い方じゃない…(w

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