第二十八話 路上の決闘者
レオという青年は、どこか人懐っこい顔立ちが特徴だ。
通勤途中、一人通学の子供やおばあさんに電車やバスの行き先を聞かれることは日常茶飯事。昼飯どきにオフィスの外を歩けば、道に迷った外国人がめざとく彼を見つけて話しかけてくる。
そんな彼がゲーム内で生産職を選んだのは、ある意味で彼の性格に合った自然な選択だったのかもしれない。
クロウに大鍋を引き渡したレオは、ブリトンの北にある農村を越え、ガード圏外にある広大な綿花畑を目指していた。目的はもちろん、綿花集めだ。
HOFでは綿花を収集して機織りすれば、最低ランクの布素材、「綿布」を作ることができる。綿布は装備素材としては弱すぎて使い物にならない。
そのかわり、「オイルクロス」という消耗品を作ることができた。
オイルクロスは武器に塗った毒やオイルを落とす他、モンスターが武具にかけるデバフを解除するのにも使える便利なアイテムだ。
例えばスライム系のモンスターは、攻撃するたびに武器に「腐食」というデバフを付与してくる。この「腐食」は、効果が累積していくデバフで、10を越えると耐久力があっという間に0になる。
また、デーモン系のモンスターも、呪いを与えてくる血液を持っている。上位悪魔の血を浴びると、「死の口づけ」というデバフが入り、耐性を持っていないと体力の上限が半分まで下がってしまう。体力量が生死に直結する戦士にとっては、非常に危険なデバフだった。
オイルクロスはそれらのデバフを解除できる唯一の手段となっている。
いうなれば、武器に使う包帯と言ったところだろう。
「オイルクロスは常に必要とされるアイテムだからな。お客さんが定期的にウチに来るように、こういった消耗品の補充は欠かせないんだよなぁ……めんどいけど」
レオはぼやきの混じったひとり言を口にしながら、舗装されてない土の道をたどる。農村は一見穏やかな様子だが、ここはガード圏外。PKが跋扈する危険地帯だ。
「できるだけ安全なエリアで採取したいけど、ガード圏内の綿花畑は競争率が高すぎるんだよな。とはいえ、ちょっと怖いな。うーん……あ、そうだ!」
レオは草むらでミミズを探して地面をつついていたニワトリにそっと近づき、手をかざす。すると彼の口から「こっちにきて」と、優しげな言葉が飛び出した。
これはHOFの「テイマー」が使うスキルの「調教」だ。
調教は猫や犬、ニワトリといった家畜が相手なら、スキル0でも成功する仕様なため、鍛冶屋であるレオでもニワトリを調教できる。
ニワトリは一瞬首をかしげたが、やがてコケコッコと小さく鳴きながらレオの足元に寄ってきた。調教が成功した証だ。レオはニヤリと笑って、メニュー画面を開いてニワトリの名前を「ドレッドドラゴン」に変更した。
ドレッドドラゴンは、上位のテイマーが使役する超強力なモンスターだ。なぜそんな名前をニワトリにつけたかというと、これにはHOFの仕様が関係している。
「ハート・オブ・フロンティア」では、近くにいる生物やプレイヤーの名前がログに表示される仕様がある。索敵中のPKに「すごい強いペットを連れたプレイヤーがいる!」と誤認させ、襲撃を避けることがレオの狙いだった。
――まぁ、実際にはただのニワトリなのだが。
「これで少しは安全に動けるかな。なあ、ドレッドドラゴン?」
足元をつつくニワトリを見下ろし、悪い笑みを浮かべるレオ。
頼れる相棒を連れ、綿花畑まで続くあぜ道を歩いているその時だった。
彼の背後からけたたましい馬蹄の音が響いてきた。振り返ると、装甲馬に乗ったプレイヤーが槍を掲げ、猛スピードで突撃してくるのが見える。
彼の頭上に表示されていた名前は「グルンヴァルド」。
舌を噛みそうなその名前の色は赤く染まっていた。――つまり、PKだ。
(クッ!! こんな子供だましじゃダメだったか?!)
グルンヴァルドはレオの前で馬を止め、威風堂々と槍を構えたまま宣言する。
「我が名はグルンヴァルド、武勇と名誉を求める決闘騎士なり! そなたが邪悪なるドレッドドラゴンを従える者か? 正々堂々、我と剣を交わさん!」
その騎士然とした口調に、レオは思わず面食らった。
確かに名前こそ「ドレッドドラゴン」だが、実際は……。
彼は苦笑いを浮かべ、足元のニワトリを指さした。
「あ、あのぉ……この子が『ドレッドドラゴン』なんですけど……」
彼の指先には、コケコケ鳴きながら地面をつつくニワトリがいるだけだ。
馬上からレオを威圧的に見下ろしていたグルンヴァルドだったが、彼が兜のバイザーを押し上げると、老騎士の瞳は驚きによって見開かれていた。
「な、なんと……ニワトリだと……?」
ドラゴンの正体を見て、グルンヴァルドはガクッと肩を落としてしまう。
誇りとともに天高く掲げられていた槍も地面を向き、深いため息の声が出た。
レオはPKの登場に一瞬緊張したが、ニワトリにつけた名前を思い出し、冷静さを取り戻す。おそらく、このPKはログでペットの名前を見て、強敵と戦えると勘違いしてやってきたらしい。
「我が早とちりであった。そなたを責めるつもりはないが……なんとも拍子抜けだ」
「PK対策で名前を変えただけなんです。すみません、誤解させちゃって……」
グルンヴァルドはしばらくおし黙っていたが、やがて顔を上げた。
深いしわが刻まれたまぶたの奥の瞳がレオをじっと見つめる。
「ふむ。そなたの神算鬼謀に見事に引っかかってしまったな。だが、我のような〝路上の決闘者〟にそのような小細工は必要ない。我はただ、強者との正々堂々の勝負を求めてHOFの地を彷徨うのみだ」
「路上の決闘者? PKなのに戦う相手を選んでるんですか?」
レオは興味津々に首をかしげた。
どうやらこの老騎士は、ただ人を襲うのを目的にしたPKではないらしい。
グルンヴァルドは胸当てをどんと叩き、誇らしげに語り始めた。
「然り!我は決闘騎士なり。この『ハート・オブ・フロンティア』において、我が槍は名誉と誇りのためにのみ振るわれる。例えば、ブリトンの南で、我は一人の剣士と出会った。奴は『竜殺し』の称号を持ち、強者と見込んだゆえに決闘を申し込んだ。結果は我が勝利だったが、奴の剣技は見事でな。戦いの後、互いに敬意を払い、アイテムの略奪などせず別れたのだ」
「へぇ、まるで中世の騎士みたいですね」
「……まあ、時には誤解もある。先週は『Xx†堕天使猫姫†xX』という名の強者と思しき者を追ったが、ただの初心者が自分の名前をふざけて付けただけであった。あやうく無垢な者を槍で突きそうになり、我が名誉に傷がつくところであった……」
「そ、それは大変でしたね……。あっ、俺はただの鍛冶屋で、強者でも何でもないので、これで失礼しますね!」
「待て」
「ぎくっ」
「鍛冶屋と聞いて思い出した。そなた、レオという鍛冶屋であろう?」
「は、はい! そうですが……何か?」
「うむ。『鳩風呂速報』で読んだぞ。鍛えた業物に戦場を与えるため、PKとも取引する鍛冶屋とか。その求道の姿勢、まこと敬服に値する。我のような決闘者にとっても、そなたのような鍛冶屋がいるとありがたい」
「は、はは……。お客さんに喜んでもらえるなら、なによりです」
「あのシルメリアとも懇意とか。そなたの人となりを見込んで、頼みがある」
そういってグルンヴァルドは懐から一振りの長剣を取り出した。見るからに高級そうな細工が施されたその剣の刃には、表面を彩る白い光が宿っていた。
「剣? 修理……ではなさそうですね。これは?」
「この剣、決闘で倒したある相手のものでな。我には倒した者の装備を略奪せぬという誓いがある。名誉ある戦いの証として、相手が自ら取り戻すのを待つ。それが決闘騎士としての流儀なのだ」
「え? じゃあ、なんでその剣を持ってるんですか?」
レオが当然の疑問を口にすると、グルンヴァルドは悔しそうに目を閉じた。
「これには事情がある。この剣の持ち主は、名を『クサナギ』という。つい数週間前のことだ。彼女は見事な使い手で、我と互角以上に渡り合った。だが、勝利した後、ハイエナどもが彼女の装備を狙って群がってきた。我は好敵手のために剣を回収し、彼女が取り戻すのを待った。だが……結局現れぬままだったのだ」
老騎士は剣の柄をレオに差し出し、真剣な眼差しで続ける。
「そなたなら、PKギルドとも繋がりがあり、街にも入れる。我が代わりに、この剣をクサナギ殿に返してほしい。そして我が決闘者の誇りを守るのを助けてほしい」
「……わかりました。クサナギさんを探して、ちゃんと返しますよ」
レオが剣を受け取ると、グルンヴァルドは安堵の笑みを浮かべ、深く頭を下げた。
「感謝する、レオよ。そなたの助けがあれば、我が名誉も保たれよう。さらばだ!」
そう言い残し、彼は装甲馬に跨り、颯爽と去っていく。
レオは手に持った剣を見ながら、足元の「ドレッドドラゴン」に目をやった。
「お前のおかげで変な騎士と知り合っちゃったな。でも、こういうのも悪くないか」
ニワトリはコケコッコと鳴き、至極マイペースにレオの足元を歩き続ける。
レオの受難など知ったことではない、という様子だ。
彼は剣をインベントリにしまい、綿花畑への道を再び進み始めた。
だが、彼の目には迷いが浮かんでいる。店のために素材を集めるのも大事だが、まずはこの剣の持ち主を探さなくてはならない。そう考えているのだろう。
(このままガード圏外をほっつき歩いてPKに襲われたら……。
――当然、預かった剣は盗られちゃうよな)
レオはインベントリに収まった名剣をじっと見つめ、ため息をついた。
「預かり物を無くすわけにはいかないし、いったん店に戻るか。クサナギって人がどんな人かも分からないし、まずは情報集めしないとだなー」
「コケッ!」
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ペットの名前を強いモンスターにするのは、古のMMOではよくやられていました。
ほかにもテイマーがペットを調教する訓練をしている場所では、よく悲惨な名前を付けられた動物たちが闊歩していたものです。
そういった場所には大体鉱山もあるので、鉱夫が目にすることが多いんですが…
たまーに、「本物」が放流されてたりするんですよね…