幕間 シルメリアの思惑
仮想現実MMORPG「ハート・オブ・フロンティア」。
その広大なフィールドとリアルを超える没入感は、数え切れないプレイヤーを虜にしていた。しかし、この世界には厳格なルールが存在する。
特に、プレイヤーキラー、通称「PK」に対する制裁は容赦ない。
アカウントごとに記録される「プレイヤーキル数」は、彼らの罪の証だ。その数は、殺されたプレイヤーに直接復讐されるか、天文学的な額のゴールドを賠償金として支払わない限り減ることはない。ゲームの別アカウントを作ったとしても、意味はない。VRMMOは法律によって個人の生体情報と紐づけられているため、プレイヤーキル数は共有される。
そして、名前が赤く染まった「レッドネーム」の状態では、街への立ち入りは不可能だ。もしレッドネームキャラクターが街に足を踏み入れようものなら、衛兵NPCが「お前の罪を数えろ!」と叫びながら一撃で粉砕する。
それがもし世界最強のPKでも、だ。
街に入れないということは、鍛冶屋や交易商といった生産系の施設を利用できないことを意味する。武器の修理も強化もままならず、仲間内で鍛冶スキルを育てようにも、必要な素材や機材を手に入れる手段がない。
結果、プレイヤーキラーはモンスターから得た粗末な装備や、殺したプレイヤーから奪った戦利品を「使い捨て」として扱うしかなかった。
そんな中で、シルメリアは「ブラッディ・ベンジェンス」のリーダーとして、闇に生きる者たちの頂点に君臨していた。彼女の手には、今、新たな宝物があった。レオの鍛冶屋で手に入れた細身のレイピアだ。刃渡りは通常より短いが、その切っ先は鋭く、淡い青光を放つルーンが刻まれている。
ルーンの効果は「クリティカル率0%」の代わりに「鎧防御力貫通90%」というぶっ飛んだもの。さらに「攻撃速度アップ」が付属し、彼女の素早い剣術と組み合わせれば、まさに悪夢のような武器となる。シルメリアは自分の隠れ家――レオの店の真横にある要塞の一室で、そのレイピアを手に持っていた。
薄暗い部屋に燭台の火が揺れ、壁に飾られた無数の武器が鈍い光を反射する中、彼女は刃を眺めて目を細めた。
「うーん、このキリっとした切っ先がイケメンすぎぃ♪」
シルメリアは思わず声を漏らし、レイピアをくるりと回して感触を確かめる。
そして空中に数枚のコインを放ったかと思うと、素早い突きを放ってすべてのコインをレイピアの切っ先で断ち割った。キンキン、と不揃いなコインの音が要塞の中に雨だれのようにこだました。
「クリティカルが出なくなるのは痛いけど……。この子で相手を刺した瞬間、相手が『鎧に意味がない』って気づいた瞬間を想像するとゾクゾクするよね。しかもこのスピード!! 私のコレクションに仲間入り決定だわ!」
彼女は武器コレクターとしての血が騒ぐのを抑えきれず、ニヤリと笑う。強いだけじゃない、一癖ある武器に彼女は「エモさ」や「萌え」に近い感情を抱くのだ。それは、戦場で血を浴びる彼女の唯一の癒しだった。
だが、このレイピアを手に入れたことで、シルメリアの心は別の方向にも動いていた。鍛冶屋のレオ――あの純朴そうな青年の存在が、彼女の頭から離れない。「ハート・オブ・フロンティア」のPKにとって、レオの店は奇跡のようなものだ。
街に入れない彼らは、武器の修理も強化も諦め、消耗品として使い潰すしかなかった。仲間内で鍛冶屋を育てようとしても、街の施設や素材にアクセスできない以上、無意味だ。モンスター狩りで得られる装備はほとんどゴミ、プレイヤーから奪ったものは質がまちまち。そんな現状を打破できるのが、レオの鍛冶屋だった。
彼のこじんまりとした店はブリトンにほど近い平原、街の外にある。つまり、衛兵はやってこない。おまけに「ブラッディ・ベンジェンス」の縄張りの中だ。
困っているところに、高品質な武具を作り、修理や強化までこなせる鍛冶屋が現れたのだ。カモがネギを背負ってやってきたどころではない。
シルメリアはレイピアを手に持ったまま、窓の外に広がる平原を見やる。風が草を揺らし、美しい鳥の鳴き声が……元気の余ってる連中がトレーニングを始めたのだろう。剣を打ち合うキンキンという音や、雷や爆炎が弾ける破裂音にかき消される。
「あいつ、よくこんな場所で店開いたよね。勇気あるのか、ただのバカなのか……。
でも、どっちでもいいか」
シルメリアは小さく笑い、レイピアを膝に置く。
「鍛冶屋としての腕は確か。だけどそれ以上に冒険心、大胆さも兼ね備えてる。あの立地を選んだ時点で、ただの職人じゃないよ。リスクを冒してでも夢を追う男――私たちに似てる部分があるじゃない」
彼女の深紅の瞳に、評価の光が宿る。彼女はレオをただの道具として見るのではなく、一人のプレイヤーとして高く買っていた。
シルメリアの「ブラッディ・ベンジェンス」は、単なる嫌がらせや略奪のためにPKをしているわけではない。彼らは秘密裏に依頼を受け、ゲーム内で無法を働く者を裁く裏の掃除屋でもあった。
例えば、つきまとい行為を繰り返すストーカープレイヤーを孤島に閉じ込めたり、ゲームの仕様を悪用して詐欺を働く者を誅殺するといった風だ。
信じがたいことだが、ほとんどの詐欺はゲーム的に合法なのだ。仕様を悪用したプレイヤーの不注意につけ込んだ行為は罰するすべがない。とくにレオがはめられたような詐欺は、システム上「合法」ゆえに運営が罰せないグレーゾーンだ。
だからこそ、シルメリアたちは手を汚す。彼女自身、ある目的のために剣を握っている。かつての友人――リアルで自殺未遂を起こした親友が、別のPKギルドのリーダー「ヴェルガ」に追い詰められた事件がきっかけだった。
ヴェルガはゲーム内でシルメリアの親友だった少女を執拗に狙い、彼女をこの世界から去らせた張本人だ。彼女はヴェルガを問い詰め、誅殺することを目標に「|ブラッディ・ベンジェンス《血の復讐》」を率いている。だからこそ、装備の消耗は避けられないし、レオのような鍛冶屋は絶対に手放せない存在だった。
シルメリアはレイピアを手に立ち上がり、刃を鞘に収める。
そして、それまで使っていた古い小剣をベルトから外し、レオの剣に取り替えた。
「レオは私たちの夢を支える鍵になる――そうであってほしいよね」
彼女の声には、冷徹な決意と、ほのかな期待が混じっていた。