幕間 所詮は
PKKギルド、ホワイトジャッジメント(WJ)の訓練場は、城塞都市バレッタにほど近いギルドハウスの中にあった。
熱気に満ちるピットの中は剣戟の音と怒号が生き物のように脈打っている。新米たちが汗を流し、互いに刃を交わすたび、金属のぶつかり合う鋭い音が空気を切り裂いた。ピットを囲む柵の向かいでは、シグルドが軽やかな騎兵鎧に身を包み、金髪を風になびかせながら鋭い声で指示を飛ばしている。
「そこ、盾を下げるな!」
彼女は各ピットを回り、指導をしているのだ。彼女の声に反応するように、初心者たちの動きが少しずつ整っていく。
十数人のプレイヤーが武器を交え、技を鍛える訓練場は熱気に満ちている。
だが、その熱気の中には、どこか冷めた空気が漂っていた。
ヒロシは訓練場の端に立ち、腕を組んでその光景をどこか遠くのものとして見ていた。彼の瞳には、仲間たちの動きを評価する鋭さがあったが、温もりは欠けていた。
ここは「家族」の場所ではない。
ホワイトジャッジメントは、PKを狩るための組織――仕事場だ。
訓練を受ける者たちは、どこか緊張を孕んだ目つきで剣を握っている。そこには「どちらが上か?」という、互いの価値を試すような空気が感じられた。
誰かがミスをすれば笑いが起こり、成功すれば淡々とした拍手が返る。ここでは絆よりも目的が優先され、熱気はあっても心の通う温かさは感じられなかった。
ヒロシの耳に、剣が盾を叩く音が響き、彼の視線が一瞬だけ遠くへ飛んだ。
心の奥底から、冷たく静まり返った記憶が這い上がってくる。
そこはかつてのギルドハウス――ハート・オブ・フロンティア(HOF)の世界で、彼が「家族」と呼べる場所だったギルド、「クラフトハース」の情景だ。
当時のヒロシは戦争兵器を扱う破壊の申し子ではなく、リーダーでもなかった。
ただ、大工を始めたばかりの生産プレイヤーだった。
仲間たちと笑い合いながらマスターがハンマーを手に鉄を叩き、裁縫職人の少女が織り上げた布を服に仕立て上げる。ヒロシはおずおずと家具を組み上げながら、仲間の技巧に感嘆していた。
ギルドハウスはいつも活気に満ちていた。赤々とした炎が炉の中で燃え、機織り機のリズミカルな音が響き、壁に掛けられた無数の道具が、仲間たちの技と笑顔を映していた。
ギルドマスターのマリは、穏やかな笑みを浮かべながら皆を見守っていた。
彼女の声は柔らかく、まるで母のようにヒロシを包み込んだ。
『ヒロシ、今日の出来はどうだい?』
――そんな何気ない一言が、彼の心の支えだった。
だが、その温もりは脆くも崩れ去った。ある日、ギルド倉庫の素材が忽然と消えた。貴重な原料や高品質な素材が跡形もなく失われたのだ。最初は誰かのミスかと笑あったが、次に機織り機の軸が折れ、鍛冶炉の火が不自然に消えた時、笑顔は消えた。「誰かがわざとやったんじゃないか?」――囁きが広がり、仲間たちの目が互いを疑うようになった。
ヒロシはマリと共に必死で真相を追った。だが、疑心暗鬼は止まらない。仲間たちは口論を繰り返し、ギルドハウスは冷え切った空気に包まれた。
そして、崩壊の日が来た。これまで共に腕をふるい、談笑していた仲間たち。
その名前が、メンバーリストから次々と消えていく。
最後に残ったのはヒロシを含め、ほんの数人。
するとギルドに数ヶ月前に入ったプレイヤー、タカハシがすべてを白状した。
――自分がやった、と。
彼は穏やかな笑顔を浮かべながら、壊れた機織り機の前に立っていた。
マリが震える声で問う。
「タカハシ、なぜだい? 私たちは君を仲間として迎えたのに……」
帰ってきた答えは、ヒロシの胸に消えない傷を残した。
「なぜですって? 面白いからに決まってるじゃないですか。あなた達みたいに家族ごっこをしている連中が、いざ事件が起きると互いの腹の底を覗こうとする……。仲間が敵に染まる。その瞬間、その光景がなによりも面白いんですよ」
「テメェ……そんなことのためにギルドを無茶苦茶にしたのか!?」
「ハハハ。ヒロシさん、なにマジになってるんですか。――所詮、ゲームですよ」
タカハシは哄笑し、ログアウトの光に包まれて消えた。
その直後、マリが膝をついた。彼女の瞳から涙がこぼれ、震えた指先が冷たく青い光を放つインターフェースに伸びる。
「ごめんねヒロシ。私……もう続けられないよ」
彼女の姿が光の粒子となって消え、ギルドハウスは死んだように静まり返った。
燃え尽きた炉は冷たく白い灰に埋もれ、壊れた機織り機は傾いたまま。
ヒロシは呆然とその場に立ち、隣にいたシグルドの手が震えているのを見た。
彼女もまた、この「家族」を失ったのだ。
『クソッ!』
なぜ気づけなかった? なぜ守れなかった?ヒロシの胸に渦巻く怒りと悔悟。
彼は拳を握り、空っぽになったギルドハウスを見回した。
仲間たちの笑顔が、温かな炉の火が、マリの優しい声は、もう二度と戻らない。
事件の後、ヒロシは各所で情報を集めに奔走した。その結果、タカハシがとあるPKギルドの一員だと知った時、ヒロシの心に決意が宿った。
「今度は俺が奴らを狩る側になる」
その日から、ヒロシはPKKギルド「ホワイトジャッジメント」を立ち上げた。
PKを狩るため、正義を掲げて戦うためだ。
だが、心の奥底では、マリの最後の涙と、タカハシの嘲笑が消えなかった。
訓練場の喧騒の中で、彼は目を閉じたまま呟いた。
(俺はまた、どっかで間違えたかねぇ……)
多くの人が集うこの場所は、かつてのクラフトハースのギルドハウスをどこか彷彿とさせる。あそこもまた、たくさんの仲間で賑わっていた。
だが、その賑わいはまるで正反対だった。クラフトハースには、炉の火が暖かく揺らめき、機織り機の優しい音が響き、仲間たちが互いを認め合う笑顔があった。家族のような温もりが、そこには確かに存在していたのだ。
訓練場で一人の新米が剣を落とし、周囲から失笑が漏れる。
ヒロシはその音を遮るように踵を返し、訓練場の喧騒を後にした。
金属のぶつかり合う音やシグルドの鋭い指示が遠ざかっていき、彼の靴が床を蹴る音だけになる。ギルドハウスの裏手、人気のない物置小屋の影に差し掛かった時、インターフェースに青い光が点滅する。――交信だ。
ヒロシは周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、秘話チャンネルを開いた。
「どうした?」
『ヒロシ、リッキーが動いた。今からPKギルドと取引する気よ。現場を押さえるためにチームを派遣して!』
「何? もうこんな早くにか……わか――」
だが、その瞬間、画面に浮かんだエンブレム――骸骨にダガーを突き立てたブラッディ・ベンジェンスの紋章が、彼の背後から近づいてきた影に映った。
軽やかな足音とともに、金髪を揺らしたシグルドが現れる。彼女はヒロシを心配して追いかけてきたのだ。だが、その視線は鋭く、ウィンドウに映るロゴに釘付けになっていたのだ。
ヒロシが返答を口にしようとした瞬間、シグルドの声が鋭く割り込んだ。
「ヒロシ、そのエンブレムは――ブラッディ・ベンジェンスのものじゃないか。どうして今から戦う相手から通信が入っているんだ?」
「――ッ?!」
「ヒロシ。説明してくれ」
彼女の目は尋問官のようにヒロシを捉え、逃げ場を塞ぐ。秘話チャンネルのウィンドウは開いたまま、窮状を伝えるシルメリアの声が小さく漏れ聞こえていた。
ヒロシは言葉に詰まった。シグルドの視線が重くのしかかる。
彼女の瞳には疑念の色が浮かんでいる。
シグルドが向けてくる視線に、彼は見覚えがあった。
ヒロシの胸にクラフトハースの記憶が呼び起こされる。
――恐らく、彼を射すくめる彼女の中にも。
彼はとっさにインターフェースに手を伸ばし、シルメリアに短く返した。
「マジですまん、今は無理だ。準備ができない」
そして後の言葉をまくしたてて交信を切ると、ヒロシはシグルドの方へ向き直った。彼女の疑念に満ちた表情に、彼は深く息を吐き、力強く言った。
「ブラッディ・ベンジェンスは他のPKギルドと違う。何も言わずに、今は俺の言う通りに動いてくれ」
その言葉に、シグルドの瞳が揺れた。彼女はクラフトハースの崩壊を共に経験した者だ。あの時、裏切りによってすべてを失ったヒロシの悔悟を、彼女は誰よりも理解している。そして今、ヒロシがシルメリアと接触している理由を察した――彼が再び裏切られる側に立たされているのではないかと。
シグルドは唇を噛み、わずかな沈黙の後、力強く頷いた。
「……分かった。今回は君を信じるよ、ヒロシ」
「すまん。助かる」
シグルドの声色には、長年連れ添ってきた仲間に対する信頼がこもっていた。
ヒロシは彼女の肩に手を置くと、すぐさま新たな指示を飛ばす。
「すぐメンバーを集めろ。リッキーとスマイリーモルグの取引現場を押さえる。PKギルドが大量の武器を仕入れようとしている」
シグルドは頷き、踵を返して訓練場へ走り出した。
息を深く吸う様は、まるで胸に渦巻く黒い思いを抑えつけようとするようだ。
(ヒロシ。信じて……いいんだよね。)
シグルドに彼の真意は分からない。
だが、クラフトハースを壊したような裏切りをヒロシがするはずがない。
その確信だけが、彼女を突き動かしていた。
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タカハシくぅん(ねっとり
所詮ゲームなら、この俺がお前をグチャグチャにしようと恨むまいなぁ~?!
チェストぉっ!!!