第二十話 見てるだけ
ブリトン近郊の穏やかな平原。
そこには平和な光景をぶち壊すかのように、赤と黒を基調にした要塞が立ち並ぶ。吸血鬼の城か、拷問器具の具現化か。色も形も禍々しい建物たちがひしめく中、その隙間を借りるように小さな一軒家がちょこんと立っていた。
一軒家の玄関には、小さな木の看板がぶら下がっている。時おり、店の前を通り過ぎる風に揺れる木板には、「レオの鍛冶屋」と記されていた。
鍛冶屋の開きっぱなしのドアの向こうには、漆黒の甲冑に身を包み、長い銀髪を広げた女性が店の壁に背を預けている。彼女はカウンターにつく店主に対し、胡乱なものでもみるような、疑心に満ちた眼差しを向けていた。
「――へぇ、この鍋にそんなストーリーがねぇ……。話、盛ってない?」
「いえ、全然。」
レオとシルメリア。二人の間には怪しい緑色のオーラを放つ大鍋がある。
空っぽにも関わらず、ほんのりと悪臭を放つ大鍋に眉をひそめるレオ。この鍋は彼の命を救った大恩人だが、彼はその後の始末に困っているようだった。
「しかし困りました。毒料理を作るだけの鍋なんて、売りようがないですよ」
「うーん……。あ、鍋って錬金術にも使ったよね? ならクロウが使うんじゃない? アイツ、毒アーチャーだから毒を作るのに錬金いれてたはずだよ」
「おぉ、ホントですか!」
「今度クロウに、『レオのところに良い大鍋が入った』って話しておくよ」
「いやー、助かります!」
レオは鍋を店のカウンター背後の棚に上げ、「予約済み」の札をかける。
もわもわと面妖なオーラを立ち上らせる鍋は、カウンターに鎮座して店の中を見下ろす格好になった。
「なんか圧がすごいなぁ……。」
「そうだ。話は変わるけど、ヒロシから連絡があったよ。ジークが動いたみたい」
「やはりですか」
「ジークに倉庫のアクセス権を与えてすぐ、倉庫の中身を片っぱしから持ち出したって。メンバーのビルドの変更に対応するためだって言ってるけど、どうだか」
「思いっきり怪しいですね。ん、メンバーのビルドの変更ですか?」
「こないだの戦いでは、私が後衛をキルして回ったでしょ?」
「えぇ。見惚れるくらいに圧倒的でしたね。あ、それで後衛のビルドを変える?」
レオの屈託のない褒め言葉に、シルメリアは赤い瞳を細める。
称賛の言葉を受けたというのに彼女はどこか居心地悪そうだ。黒鉄に覆われた指で銀髪をいじるその様子は、褒められ慣れていないのがバレバレだった。
「えっと、どうしました?」
「……ん、ちょっとね」
「?」
きまり悪そうに咳払いをしたシルメリアは、前回あったことを復習した。
「前回やってきた連中は純メイジ。防御が低いかわりに、火力と継戦能力を高めた『ガラスの砲台』なの。でも私に取っちゃオヤツでしかないわ」
「そっか、同じ失敗を繰り返さないためにビルドを変えるってことか。でもそれには装備を切り替える必要がある。つまり、たくさんの装備が必要。だから実務をとりしきっているジークに倉庫の管理権限を渡す。さすがヒロシさん。うまいなぁ……」
「ポンッと権限を渡しても、ジークに怪しまれるかもしれない。けど、この流れで権限を渡せばごく自然。妙なところは何一つないわ」
「ですよね。」
「なんだかんだ気が回るわよね。ジークが今の今まで好きにできたのは彼が好きにさせていたからよ。ヤツ自身の実力じゃない」
「ちょっとジークのことが哀れに思えてきますね。PKKギルドに入りながらPKに武器を流す。そんなやつに同情の余地はないですが」
「そうね。それじゃコレ、あなたの分ね」
「へ?」
シルメリアは突然レオの手に黒いボロ布を渡してきた。
何事かと彼が困惑していると、彼女は同じボロを取り出し被ってみせる。
すると、ボロを被ったシルメリアの姿が店の中から消え失せてしまった。
「おぉっ?!」
数秒後、ローブを脱いだシルメリアが再び姿を表す。
彼女は得意げな表情で手に持ったボロを振ってみせた。
「これは『夜闇の骸布』っていうアーティファクト装備よ。これを身につけると幽霊と同じ状態になる。スキルで見つけることができるハイドと違って、幽霊以外には見つからない完全な不可視状態になれるの」
「へー! でも……お高いんでしょう?」
「大体300Mくらいかな?」
「うへぇ」
ゲーム内の貨幣はインフレが進むと、独特の単位が使用されるようになる。
1kは1000ゴールド。1Mは100万ゴールド。
つまりシルメリアが言った300Mとは、3億ゴールドになる。
レオが地道に武具を売ったとしても、何年かかるかわからない値段だ。
「こんなボロっちぃ布が……。姿を隠すだけの装備ですよね?」
「ところがそれ以上の意味があるのよ。ナイトシェイドを着ている間は幽霊と同じ状態になる。これがどういう意味を持つかわかる?」
「うーん……。姿を暴かれるのを恐れずに偵察できる、とかですか?」
「それもそうだけど、もう一つの特性が重要なの」
「もうひとつ?」
「幽霊状態になると攻撃ができなくなるけど、逆に攻撃も受けなくなる。プレイヤーはもちろん、街を守るガードみたいなNPCからもね」
「――あ、PKでも街の中に入れる!」
「大正解。以前の報告でどうやって私たちが街の中に入り、詳しい情報を知ったのか。その秘密がコレよ」
「なるほど。そういえば、PKが街に入るとガードに攻撃されるんでしたね。ぜんぜん気がつきませんでした……」
ナイトシェイド(夜闇の骸布)は、主にPKプレイヤーに高い人気を誇っている。
これはHOFの死亡ペナルティと、その状態変化に起因していた。
HOFでは、キャラクターが死亡すると「幽霊」という状態になる。
幽霊状態になると、保護のかかっていない手持ちの装備をすべてドロップしまう。さらには、蘇生をしてもらうまでゲーム内の物に一切作用できなくなる。同じ幽霊状態にあるプレイヤーからは不可視になり、会話はおろか、ドアを開くこともできなくなってしまうのだ。(ただし、幽霊なので鍵のかかったドアをすり抜けることができる。)
しかし、この幽霊化を逆手に取るものもいる。
身を隠すスキルである「ハイド」は、レンジャーの「追跡術」や、魔法の「暴露」を使われると見つかってしまう。しかし幽霊化は、プレイヤーが喋るかしなければ、決してその姿を見る事ができない。
つまり、幽霊になると誰にも見つからずに偵察ができる、ということだ。
このテクニックは「幽霊偵察」と呼ばれ、HOFでは一般的なテクニックだった。
「でも幽霊になって偵察すれば……あ、デスペナルティがあるんだっけ」
「うん。PKの私たちは気軽に幽霊偵察できないのよ。デスペナでスキルが下がっちゃうからね。それに幽霊の状態だと移動は徒歩に頼ることになる。常に戦場を変える機動戦をするPKには不向きなの」
「なるほど……。本来できないことができるようになるってことか。こんなボロ布が3億もするわけだ。俺の刻めるルーンにも『幽霊化』なんてないですもん」
「ったく、HOFってほんと、バランスが取れてるんだか取れてないんだか……」
「取らない方向でバランス取れてますよね」
「ハハッ、言えてる」
「で、コレを渡すってことは、俺も銀行を見張るってことですよね?」
「もちろん。今回は一発勝負だもの。ジークとリッキーが取引する瞬間を見逃すことは出来ないわ。監視の目はひとつでも多く必要なの」
「……わかりました。俺の協力が解決の足しになるなら」
「ありがとう。ここからなら歩いてもブリトンにいけるわ。ナイトシェイドを被って行きましょう」
「はい。」
レオとシルメリアは黒いボロを目深に被って姿を消すと、「レオの鍛冶屋」の扉を並んで後にした。
ブリトンの街は街道をたどればものの数分でたどり着く。銀行前はプレイヤーで賑わい、人混みに紛れて怪しい取引が行われるには絶好の場所だ。
レオとシルメリアは「ナイトシェイド」を纏い、幽霊状態で銀行を見張る。
無数のプレイヤーが行き交って掛け声を上げている銀行だが、NPCとやりとりする窓口は南側にしかない。二人がそれぞれ銀行の南壁の両端に立って見張れば、ジークを見逃すことはないはずだ。
監視に立ったレオは道路を見張りながら、秘話用のチャンネルに語りかける。
『ジークのやつ、昨日今日で来ますかね?』
『来るほうに賭けるわ』
『自信ありげですね。シルメリアさん的には確実ですか』
『えぇ。ジークの立場になって考えてみれば、今この時が最高のチャンスだもの』
『……なるほど。今WJではメンバーが一斉にビルドを変えている。何十人分の装備が動いている今なら、大量の装備を処分しても怪しまれない』
『そういうこと。ヤツは来るわ。必ずね』
街路に目をやりながら、二人はじっと待つ。銀行前の道はいつものようにプレイヤーで溢れかえっている。露天商の喧騒が響き合う中、銀色の甲冑に身を包んだジークが静かに姿を現した。
『――本当に来た! シルメリアさん、ヤツです!』
『こっちもリッキーを確認したわ。南の窓口に行く!』
シルバージークは人混みの中を縫うように進み、銀行の前で待つリッキーに近づく。リッキーはスキンヘッドをなでると、一言二言、何かを発する。
するとジークがインベントリから取り出した赤色の宝箱をリッキーに渡す。
無言で箱を渡されたリッキーは、中身を確認するでもなく手に持ったまま頷く。
取引は一瞬で終わり、ジークは銀の甲冑が陽光を反射する中、姿を消した。
まるで幽霊のように跡形もなく。
宝箱を抱えたリッキーは銀行の窓口へ向かい、NPCとの短いやり取りの後、武器を預ける。すると彼は踵を返し、銀行を離れて街の外に向かう素振りを見せた。
普段の飄々とした態度からうって変わって、妙にキビキビとした仕事人のような動き。監視を続けるシルメリアは、彼が何をしようとしているのかに気づいた。
『街の外――厩舎、そうか!』
秘話チャンネル越しに、彼女の声が鋭く響く。
『レオ、リッキーが動いたわ。ジークから武器を受け取って、銀行に預けた後で厩舎に向かってる。今すぐ「スマイリーモルグ」に売りに行く気よ』
『えっ! それってマズくないですか?』
『えぇ。厩舎で馬車を出せば一気に運び出せる。スマイリーモルグが絡んでるなら、武器を回収して即座に持ち去る可能性が高いわ』
『ヒロシさんに連絡を取らないと!』
『わかってる! ヒロシ、リッキーが動いた。今からPKギルドと取引する気よ。現場を押さえるためにチームを派遣して!』
危険な状況と判断したシルメリアは、即座にヒロシに連絡を取った。
チャンネルが切り替わり、緊迫感を帯びる彼女の声がウィンドウに吸い込まれる。
しかし、ヒロシからの返答は予想外のものだった。
『マジですまん、今は無理だ。準備ができない。本当に悪いが、リッキーが取引する前に足止めしてくれ。』
『ウソでしょ?! 準備ができないって、今しかないのよ!』
シルメリアが珍しく動揺する。
だが無常にも、ヒロシの通信はそこで途切れてしまった。
彼女はレオと視線を合わせる――いや、ナイトシェイドを被った幽霊状態の二人に視線はないが、お互いの気配を感じ取ることはできた。
『チャンスは1回って、あれだけ言ったのに……もう!』
『足止めって言われても、リッキーを直接襲うわけにはいかないし……』
『えぇ、幽霊状態じゃ攻撃できないもの。でも、何か手を打たないと取引が終わってしまう。ヒロシが来るまで、少しでも時間を稼がないと』
二人は厩舎に向かったリッキーを追う。
リッキーは厩舎から馬車を引き出すと、よっこらせっと座席に登った。
そして長い手綱を持ってムチを振るうと、馬車の先を銀行に向ける。
このまま銀行に行って、武具を回収するつもりなのだろう。
レオは骸布の袖の中の拳握りしめ、息を呑んでうめいた。
『クソッ、どうしたらいい……!?』
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シルメリア=サン、きっとものすごい金持ちなんだろうけど
3億の装備貸すって、レオは相当信頼されてますねぇ…




