第一話 お隣さんは殺人鬼
VRMMORPG「ハート・オブ・フロンティア」。果てしない平原やそびえ立つ山脈、深い森と広がる海が織りなす無限のフィールドがプレイヤーを魅了するこの世界で、交易都市「ブリトン」の郊外に、一軒の小さな家がぽつんと佇んでいた。
漆喰の白い壁に木のタイル屋根がちょこんと乗ったその家は、まるで童話から抜け出たような素朴さだ。家の周囲は、風にそよぐ緑の平原と、まばらに生えたねじれた樹木が広がっており、その遠くには山々の影が霞んで見える。
――だが、その穏やかな風景の中に、不自然な異物が混じっていた。重厚な石造りの要塞のような建物が、小さな家を取り囲むようにいくつも立ち並んでいるのだ。
要塞の壁は黒と赤で塗られ、鉄のトゲが突き出している。建物の存在自体がまるで拷問器具か何かのようで、言葉にできない威圧感を放っていた。
一方、小さな家の玄関前には、鍛冶屋の命ともいえる道具が並んでいる。
鉱石や鉄を溶かすのに使う炉には火が灯り、金床が朝陽を鈍く反射していた。真新しい木箱にはハンマーや火バサミが無造作に放り込まれている。
風が吹けば、炉の火がチリチリと小さな火花を散らし、石炭が燃えるスモーキーな香りが鼻をくすぐる。
その小さな家の前に誇らしげに立つ男性がいた。
レオ――黒髪で筋肉質な体を持つ青年だ。
けっしてハンサムとは言えないが、人懐っこさを感じさせる純朴な笑顔が彼のトレードマークだった。両手にはこげ茶色の耐熱グローブをはめ、太腿までを覆う頑丈なサイブーツが足元を固めている。
服は鍛冶屋用の高レベル装備で、武器に強力な特性を追加するルーン付与と属性エンチャントが可能な製作支援用のジャケットだ。肩に掛けた革エプロンはいくつもの焦げ跡があり、こびりついたススが彼の鍛冶への情熱を物語っていた。
レオは鍛冶道具を点検した後、エプロンを締め直しながら小さな店の前を見上げる。玄関には木の看板がぶらさがっており、そこには彼の夢の証である店の名前――「レオの鍛冶屋」という文字が墨で殴り書きされていた。
このゲームで、レオにとっての喜びは血と汗が飛び散る戦場ではなく、炉の火とハンマーの響きにあった。耳に届くのは、風が平原を渡るサワサワという音と、時折どこか遠くで鳴く鳥の声。
目の前では炉の炎が赫々と揺れ、手に握ったハンマーの重みが心地よい。
彼は戦闘やランキング争いの類には一切興味がない。
しかし、目的は明確だ。
『いつか、自分だけの鍛冶屋を開いて、冒険者たちに最高の武具を届ける』
この夢を叶えるため、彼はゴールドを貯め、技術を磨き続けた。
そしてついに、ブリトン郊外にこの店を手に入れた。家の売主は「リッキー」というプレイヤーで、外見はスキンヘッドの気のいい戦士風の男だった。
レオが街で物件を探していると、リッキーはスキンヘッドを陽光で光らせながら、屈託のない笑顔で近づいてきて、気さくにレオの肩を叩いてきたのだ。
「おお、兄弟! 鍛冶屋をやるってか? へぇ、いい目してるじゃないか。そんなアンタにうってつけの場所がある。ほら、これを見てくれよ」
彼は店を写したスクリーンショットを何枚も見せながら、軽快にまくし立てる。
「この辺は静かでな、雑魚モンスターなんかの騒がしい連中も少ない。見てみろ、この素朴な家! 炉も金床も揃ってて、鍛冶にはうってつけだろ? 正直、手放すのは惜しいんだが……俺が腐らせるより、お前みたいな真面目そうな奴が持ってたほうが良い。相場より安く……8割、いや7割で譲ってやるよ。友情価格ってやつさ!」
「こりゃすごい! これならすぐにでも店を始められるよ!」
「ああ、すぐにでも始めたほうが良いな!! お前なら大繁盛間違いなしだ!!!! 契約成立なら、ゴールドを渡してくれ」
レオはリッキーの言葉に目を輝かせ、彼の手を握り返した。リッキーはニヤリと笑い、なけなしのゴールドが入った袋をレオから受け取った。その瞬間、彼の目が一瞬だけ狡猾に光ったが、レオは気づかなかった。
リッキーから買った店は可愛らしいほどに小さかったが、必要なものはすべて揃っていた。鍛冶に必須の炉と金床が揃い、カウンターの横には武具を並べる棚もある。
これなら何の問題もない。レオはそう思っていた。
開店初日。レオは店内に立ち、店の棚に磨き上げた長剣や盾を並べていく。看板には「レオの鍛冶屋 開店セール! 高品質武具を格安で!」と書き、ブリトンの各所にチラシを配って、ゲーム内掲示板にも宣伝を投稿済みだ。
「ブリトンは、ゲームを始めたばかりの初心者から、上級者まで集まる。ヒマをもて余したプレイヤーたちのたまり場だ。客が来ないはずない」
と、彼は金槌を手に持ったまま呟く。だが、数時間が経っても、扉が開く気配はない。外からは、平原を渡る寂しい風の音と、要塞の門がきしむ音が聞こえるだけだ。
「あれ、おかしいな……」
レオは首をかしげ、空中にウインドウを開き、掲示板にアクセスする。
そこで画面に飛び込んできたのは、予想を遥かに超える〝炎上〟の嵐だった。
ーーーーーー
「ブリトン郊外に鍛冶屋オープンだって。安いらしいけど、あの場所ヤバくね?」
「ヤバいって何だよ?」
「お前知らないの? あそこ、『ブラッディ・ベンジェンス』のど真ん中だぞ!」
「マジかよ! PKギルドの拠点じゃん。行ったら即死だろ」
「草。こんなとこで店開くとか自殺行為だろ。鍛冶屋の兄ちゃん可哀想に」
ーーーーーー
スレッドはみるみるうちに伸び、嘲笑と同情が入り混じったコメントで埋め尽くされていた。レオの顔から血の気が引く。
「ブラッディ・ベンジェンス……? PKギルド……?」
彼は混乱の中で記憶を掘り返す。確かに、ゲーム内で有名なプレイヤーキラー集団がいることは耳にしたことがあった。でも、レオにとってそれはまるで別世界の話だ。鍛冶屋として鍛冶に没頭する彼は、PvP(対人戦闘)はおろか、モンスターとの戦いとも無縁のプレイスタイルを貫いてきた。ランキング上位の殺人鬼たちが何をしようと、彼の鍛冶屋ライフには関係ないと思っていたのだ。
レオの衝撃をよそに、なおもスレッドは続く。
ーーーーーー
「いや、知らないとかありえなくね? 騙されて買ったんじゃね?」
「あー確かにぽい。フツー買わないもん」
「絶対リッキーの仕業だ。あいつ、また初心者だまして笑ってるよ」
「鍛冶屋の兄ちゃん可哀想すぎ。オワタ\(^o^)/」
「ワロタw 開店初日で詰んだな」
ーーーーーー
「リッキー……?」
リッキーの軽妙な口調と「友情価格だぜ!」という言葉が脳裏に蘇る。店の外を見れば、黒と赤の要塞が不気味にそびえ、鉄の匂いに混じって血の臭いが漂ってくるような錯覚さえ覚えた。
「騙したのか……! あの野郎!」
PKギルドの縄張りにある店に客が来るはずもない。夢だった自分の鍛冶屋が、開店初日にして崩れ去る予感に、レオはカウンターに突っ伏して呟いた。
「終わった……俺の夢、全部終わった……」
レオの店の周囲を囲むように建っていた要塞のような家々は、すべて「ブラッディ・ベンジェンス」のメンバーが所有する物件だったのだ。
レオは窓から家の外をおそるおそる覗く。ちょこんと立った彼の家の周りには、赤と黒を基調とした吸血鬼の城のような厳つい建物が並んでいる。建物を見ていると、時おり赤色の文字が動いているのが見えた。
血のように赤いそれは、プレイヤーの名前の表示だ。
「ハート・オブ・フロンティア」では、プレイヤーの名前は青色で表示される。しかし、他のプレイヤーを攻撃し、殺害したプレイヤーキラーの名前は赤色になる。
文字が動いては、消える。
プレイヤーの名前は障害物を越えて表示される。つまり、彼の家を取り囲んでいる要塞の中に、活動しているプレイヤーキラーがいるということだ。
彼らが通りすがりにこちらを一瞥しては、ニヤリと笑って去っていく。
そんな様子を想像したレオは、背筋が凍る思いだった。
その時だった。店の扉を叩く軽い音が数度、部屋の中に響く。
レオは慌てて顔を上げ、扉の方を見た。
(客? まさか、この状況で?)
半信半疑でカウンターから出て扉を開けると、そこに立っていたのは息を呑むほどの美女だった。
長い銀髪が風に揺れ、深紅の瞳が妖しく輝く。全身を覆う漆黒の甲冑には血のように赤いラインが走り、腰に身に着けた細身の剣からは禍々しいオーラが漂っている。彼女の頭上にはプレイヤーネームが表示されている。もちろん、赤色の。
シルメリア【The Legendary Murderer】
レオは言葉を失った。VRMMO「ハート・オブ・フロンティア」で知らぬ者はいない、伝説のプレイヤー・キラー。彼女こそが「ブラッディ・ベンジェンス」のリーダーであり、数え切れないほどのプレイヤーを葬ってきた最強の殺人鬼だった。彼女の名前の後ろに続く【|The Legendary Murder《伝説級の殺人者》】はワールド1位の殺害数を持つプレイヤーキラーだけが使えるものだ。
「ふぅん、これが噂の鍛冶屋?」
シルメリアは片眉を上げ、レオの店を見回しながら呟いた。
その声は冷たくもあり、どこか興味深げでもあった。
レオは震える声でなんとか言葉を絞り出す。
「あ、あの……何かご用でしょうか?」
「用? まあね。」
レオは後ずさりながら声を絞り出す。シルメリアは小さく笑い、カウンターに並んだ剣を手に取り、刃先を指で弾いて音を確かめた。
「こんな場所で商売始めた物好きがいるって聞いて、顔見たくなったの。この剣、悪くないじゃない。自作でしょ?」
レオはこくりと頷く。確かに、その剣は彼が開店のために心血を注いで作った逸品だ。シルメリアは剣を軽く振ってみせると、満足げに頷いた。
「いいわ。気に入った。これ頂くわね」
彼女はレオに顔を近づけ、妖艶な笑みを浮かべた。
「あんた、面白いね。この縄張りで生き残れるか、見物させてもらうよ」
そう言い残し、シルメリアはゴールドをカウンターに置いて店を出て行った。呆然と立ち尽くすレオの手には、彼女が残した膨大なゴールドと、ほのかに香る彼女の残り香だけが残っていた。
夢が潰えたと思ったその日、レオの鍛冶屋に初めての客が訪れた。
そしてそれは、最悪にして最高の出会いだった。
開店初日、レオの鍛冶屋は最悪の立地で始まった。だがそこに現れた最強の殺人鬼は、彼に新たな選択を突きつける。
はたしてレオはPKギルドと手を組み、鍛冶屋としての夢を貫くのか。
次回へ続く!
面白いと思われた方はぜひ、ブクマと評価の★投下のほどを!
更新が加速するおまじないとおもって、ぜひ……ぜひ……がくっ。