第十一話 愚者の銀
ブリトンの街角、鍛冶屋の脇にある小さな庭。そこに立つレオは、目の前のヒロシから鋭い視線を浴びていた。少し離れた場所では、メアリが巨大なドラゴンに寄りかかり、興味津々にこちらを眺めている。陽光が石畳を照らし、初心者プレイヤーたちが遠巻きに様子を窺う中、レオは肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「実はさ、PKKギルドのホワイト・ジャッジメントって連中が十数騎で店に押し寄せてきて。俺が作ってた武具を『正義のために寄越せ』って言ってきたんだよ」
「はぁ? ひっどーい!」
メアリは彼の受難を我が事のように嘆く。怒りに手をぷるぷるさせる姿を見て、彼女のドラゴンは気だるそうにあくびを空に向けた。
「とんだ正義もあったもんだな。どうしてまたそんなことに?」
ヒロシは道具袋から突き出した工具に手をやり、もてあそびながら問う。
だが、レオが次に発した言葉で、その手はピタリと止まった。
「ニールってやつがさ、俺がもらった武具の材料が、PKがプレイヤーから奪ったものだからいけないって言うんだ。で、俺が『お前らだってPK倒して得た戦利品、元はプレイヤーのものだろ? 返してるのか?』って聞いたら、反論できなくて逆上してきて襲ってきたんだ」
ヒロシは深く息を吐き、額を押さえる。まるで酷い頭痛に悩まされているかのようだった。苛立ちを隠しきれぬ声で、彼は言った。
「まさかそれで……武具を取られて、店ごとメチャクチャにされたって?」
「いや、話してたらPKが奇襲を仕掛けてきて、PKKを追い払ったんだ。武具はとられなかったけど、その巻き添えを食って俺の店がボロボロになったって訳」
レオはシルメリアとの関係をぼかしつつ言葉を選んだ。この数日で彼はリッキーの詐欺に遭い、プレイヤーの味方と思っていたPKKに襲われた。いくら純朴な彼でも、多少の慎重さが身についていた。
「PKKがお前に名前を名乗ったんだったよな。ニールで間違いないか?」
「あぁ。銀色のバッジ付けてたよ。『パラディン・ニール』って名乗って来てさ。パラディンがゆすりなんかやるなってんだよ、もう」
「鍛冶屋のアイテムなんか、戦闘系の奴らは引っこ抜いたらまた生えてくる草くらいにしか思ってないんだよ。ぐぐぐ、腹立つ!」
「さてさて……ホワイト・ジャッジメントにパラディンなんて階級制度は元々無ぇ。銀色のバッジもな」
ヒロシの言葉に、メアリが目を丸くした。
「えっ、じゃあニセモノ?」
「そうじゃない。『元々』なかったんだ。勝手に作ったヤツがいる。シルバージークって気取った名前のやつだ」
レオは内心で首を傾げた。ヒロシの口ぶりはどうにも詳しすぎる。ホワイト・ジャッジメントの内部事情――パラディンだのシルバージークだの、普通の大工が知るはずもない話だ。
(ヒロシさん、ずいぶん詳しいなぁ。お客さんの話から知ったにしては……)
訝しみつつも、レオはそれを口に出さなかった。ヒロシが「気取った名前のやつ」と嫌気が差すように吐き捨てた様子に、何か深い事情を感じたからだ。
「とにかく、お前さんの店がそんな目に遭ったなら放っとけねえな。さっそく修理に出かけようぜ」
ヒロシは小庭に広げていたノコギリ台や旋盤をインベントリにしまい込み、ニカッと笑う。低く落ち着いた声には、いつもの温かみが戻っていた。
「ただ家の修理をするとなると、建築資材を運ぶ必要がある。ゴールドとしちゃはした金だが、木材や石材は重さがエグイ。ってわけで――」
家の修理ならまだしも、壁や屋根を新調するとなると、資材は山ほど必要だ。プレイヤーのインベントリで運ぶには限界がある。だが、この場にはうってつけの人材がいた。
「1000ゴールドでどう?」
「かー! テイマーってのはこれだよ! 老い先短いオッサンからむしり取ろうってんだから……ま、それでいいぜ」
ヒロシが苦笑いすると、メアリが弾けるような笑顔で応えた。
「おっけー! ほら、出番だよキミドリ!」
メアリが巨大なバックパックを背負ったドラゴンの首にまたがると、気だるそうだったドラゴンがシャキッと体を伸ばす。漆黒の装備が陽光にギラリと光り、初心者たちが魔王でも現れたかのように後ずさった。
「銀行に行って、資材と修繕費のトレードをしましょうか」
ヒロシはレオの提案に頷き、三人と一頭はブリトンの銀行へと向かった。ヒロシが預けていた資材――木材の束、鉄のインゴット、石材――を引き出し、ドラゴンのバックパックに詰め込む。まるで小山のような荷物だ。
「それじゃしゅっぱーつ!」
「おっと待った。レオ、家のカギはもってるか?」
「はい。でもなんで?」
「家の鍵を対象にして転移門の魔法を使うと、家の看板の下に出れるんだ。あと旅出にも使える。地味に便利だから覚えとくといいぞ」
「へー、そうなんだ!」
「始めて知りました」
ヒロシの言う旅出と転移門は、『ハート・オブ・フロンティア』の移動魔法だ。旅出は記録した場所への瞬間移動で、いわゆるファストトラベル。転移門は門を出現させ、数十人やペットを一気に移動させるもので、物資搬送には必須だった。
一行はヒロシが開いた転移門を使い、大量の資材を店へと運び込んだ。店に着いた瞬間、メアリが「あっちゃー」と笑う。そこはホラー映画の殺人鬼の住む廃墟そのものだった。
焼けただれた壁は漆喰が剥がれ、木材が丸見え。屋根は矢でハリネズミ状態、タイルが落ちて雨漏り確定。窓枠はガラスごと吹き飛び、作業場の屋根は物理エンジンの奇跡によって支えられていた。
「ホントにボロボロだね……。これ直すの大変そう」
「まぁ、お金でなんとかなるならヘーキヘーキ」
メアリがドラゴンを座らせ、荷を下ろし始めた。レオもバックパックに登り、資材を店の前に広げるのを手伝う。
「派手にやったなー。さて、元通りにするか、模様替えするか、どうする?」
「次に連中が来たとき、簡単に壊れないように出来たりします?」
「見た目より実用性重視か。そんなら石造りにしてスチールの柱で補強してみるか。屋根はいっそ取り外して、平らにして2階を拡張するのはどうだ?」
「そんなこともできるんですか?」
「こちとら大工だぞ。お前らが粘土をコネて武具を作るみたいに、こっちもハウジングで家や要塞をデザインできるんだ」
「すげー! おねがいできますか!?」
「おうよ。そういやレオは家を持ったのは初めてか。さて、どう弄くってやろうか」
「2階が使えるなら、武具の展示スペースが増えますね」
「あぁ。軒先に出てる鍛冶道具を家の中にしまうのもいいな。いまだとプライバシーも何もあったもんじゃないからな」
「たしかに」
ヒロシは道具を取り出し、腰に手を当てて店を見回す。改築のイメージを固めているのだろう。
「このドアも店にするなら両開きにしたほうがいいな」
そう言って大草原の小さな家の扉に手をかけたヒロシ。ギィと音を立てて扉が開くと、カウンターに腰掛けたシルメリアと目が合った。ヒロシは何も言わずにそっとドアを閉じる。
「よし、俺は何も見なかったぞ」
「え、なになに? なんかあったの? レオのエロ本?」
「んなもんあるか! えっと、これはですね……」
「おや、賑やかだねえ。ここで何を始めようとしてるのかな?」
柔らかな声が背後から響く。三人が振り返ると、そこにはシルメリアが立っていた。忍剣の「ハイド」で回り込んだのだろう。
柔らかな声とともに現れたシルメリア。赤と黒のスレンダーな甲冑に身を包み、腰に吊るした細剣の鞘からは美しくも暴力的な威圧感が漂う。ワールド1位のPK、伝説の殺人鬼。彼女の笑顔は場を和ませるどころか、逆に背筋を凍らせるものだった。
「うっ、うわっ……シル、シルメリア!?」
メアリがガチガチに固まり、ドラゴンまでもが翼を畳んで尻尾を縮こませる。一方、レオとヒロシは意外にも平然としていた。
「どうも。今日はどういったご要件で……」
レオが平静を装って挨拶すると、ヒロシが横から口を挟んだ。
「なんか見覚えある場所だなとは思ったんだよ。よぉシルメリア」
「久しぶりヒロシ。最近見ないから、もう引退したのかと思ってたわ」
二人は互いに挨拶を交わす。旧交を温めているように見えるが、距離は詰まらない。まるで警戒し合っているかのようだ。レオの店の前で、PKとPKK、因縁深い二人の間に見えない火花が散っていた。メアリはドラゴンの背に隠れ、レオは大工と殺人鬼を交互に見て、その奇妙な関係性に困惑する。
「あれ、ヒロシさんとシルメリアさんって、お互い知り合いだったんだ? なら、もっと早くに説明しときゃよかったな……」
「あぁ。アイツの要塞の世話を何度もしたからな」
「その節はどうも」
「なるほど、大工ですもんね」
「えぇ、本当にいい仕事をしてくれたわ」
レオの頭では、ヒロシが彼女の要塞を作ったという解釈になっている。だが実際は全く逆だった。ヒロシは「城塞破壊請負人」として、PKの拠点を攻城兵器で破壊する仕事を生業にしていた。投石機で岩塊をぶち込み、屋根の上から魔法を放つメイジに巨大弩をつかって人間大の龍狩槍を無慈悲に打ち込む。それが彼の「世話」の正体だった。
かつてPKとPKKの抗争が激しかった時期、二人は戦場で何度も顔を合わせていた。ヒロシが長距離射撃で拠点を壊し、シルメリアが後方に回り込んで兵器群を焼き払う。そんな攻防を繰り返していたのだ。
「いやぁ、あの仕事は楽しかったぜ。やれることを全部注ぎ込んだからな」
「でしょうね。最近どうしてたの?」
「近ごろは景気が悪くってね。なかなか大きな仕事が舞い込んでこねぇのよ」
「それ、これに関係ある?」
シルメリアが廃墟同然の「レオの鍛冶屋」を指さす。ヒロシは目を伏せ、思わせぶりな笑みを浮かべて大げさに手を振った。
「多分、あるかもしれんな」
ワールド1位のPKと、最大手PKKのリーダーのやり取りは、一見和やかだ。レオは胸をなで下ろす。少なくとも、シルメリアがヒロシを血祭りに上げる様子はなさそうだった。
(よかった……ヒロシさんの顔が広くて助かった。一時はどうなることかと)
「お二人が知り合いだったなんて、驚きましたよ」
「ふふ、驚いたのはこっちもだよ。レオ、あんたって顔が広いね」
「ともかく修理を始めるか。このままじゃ危なくってしょうがねぇや」
「そうですね」
ヒロシはインベントリからノコギリやカンナを取り出し、脚立で屋根に登る。トンテンカン。リズミカルな音を立て、三角屋根が平らになっていく。
「レオ、お前よくこんな所に店を出す気になったな~」
「こんな所で悪かったね」
「シルメリアからスカウトを受けたか? 俺も営業やっときゃよかったぜ」
「ハッ、そんな事しちゃいないよ。レオの方からウチに飛び込んできたんだ」
「実は……リッキーってやつに騙されて――」
レオは事の始まりをかいつまんで説明した。ブリトンの街角でスキンヘッドの戦士風リッキーに会い、鍛冶屋にうってつけの物件と言われた場所が、実はワールド1位の殺人鬼の隣だったという話だ。
「お人好しのお前らしいな。気持ち良いほどの引っかかりっぷりだ」
「それで、リッキーのやつが掲示板で俺の店の評判を落として、店を回収しようとしてるんです。今のところ別にたいした動きはないですが……」
「それは違うな。動いて、失敗したのさ」
「えっ?」
「シルメリア。レオの店に来たPKK連中の戦利品、まだ残ってるか?」
「これでしょ?」
シルメリアが屋根のヒロシに向かって何かを放る。ヒロシが筋張った手でパシッと受け取ったのは、銀色のバッジ。ニールが身につけていたものと同じだ。
バッジにはホワイトジャッジメント(WJ)のエンブレムが刻まれ、盾をモチーフにした記章が刻まれていた。
「レオの店を襲った連中が身に着けてた。ナイト、イニシエイトなんていう気取った階級、アンタの所になかったでしょ?」
「ナイト、パラディン、うぉぉ……厨二すぎて耳が痒くなる。当たり前だ。ホワイトジャッジメントって名前が、どんだけ俺を後悔させたか知ってるだろ」
ヒロシは屋根の上で梅干しのような顔になり、羞恥に身悶えする。
「確かにひどい名前……って、へ? なんでヒロシさんが悶えるんです?」
「そりゃそうでしょ。名付け親なんだから」
「ホワイト・ジャッジメント、俺のギルド。で、俺がマスター」
「うっそー!! おっさんがPKKギルドのマスター?!」
メアリが手に持った角材を落としそうになり、ドラゴンが口に木板をくわえたまま目を丸くして固まる。レオは放心状態から一転、草原に絶叫を響かせた。
「え、えぇぇぇぇぇぇ?!」
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