第十話 ブリトン北
VRMMO、ハート・オブ・フロンティア。絶対遊びたくはないけど、観光ならちょっと行ってみたい気がするランキング歴代1位。そんな物騒な世界でオープンした「レオの鍛冶屋」は、PKとPKKの戦いに巻き込まれ、見るも無惨な姿になってしまった。
窓は吹き飛び、壁は焼け焦げ、屋根には針山のように矢が突き立つ。軒先に張り出した作業場の屋根は、まだ落ちてないのが不思議なほど傾いていた。一刻も早く店を再建する必要があったレオは襲撃の次の日、店を出てブリトンに向かった。
馬やラクダ、バイクといった乗騎に乗ったプレイヤーがそれぞれの目的で行き交うブリトンの賑やかな表通り。彼は道の端を歩きながら、何かを探すように辺りを見回していた。
(ボロボロになった家を直すのはいいけど、俺、鍛冶以外の生産スキル育ててないからなぁ。どっかに大工でもいればいいんだけど……)
家を修繕するには大工スキルがいる。レオは生産職とはいえ、鍛冶しかできない。屋根や壁を直すには、他のプレイヤーの手を借りる必要があったのだ。
(あ、そうだ。直すついでに屋根や壁を新しくして、模様替えでもしようかな? なら、ブリトン北に行くのがいいかも)
何かを思いついたレオは、迷いがちだった足運びをキビキビしたものに変え、ブリトン北へと向かう。通りすがりのプレイヤーに挨拶しながら、石畳を進んでいく。
人懐っこい笑みを浮かべ、すれ違うプレイヤーに軽く会釈するのがレオの癖だった。さっと挨拶を交わし、返ってくる。何気ないそのやりとりが、名も知らぬ者同士が行き交う通りをほんのり温かくしていた。
目指すはブリトン北のNPC鍛冶屋、マクシムスの店だ。とある理由から、この店の前には生産職をたしなむプレイヤーが数多く集まっていた。
(ブリトン北には初心者向けの狩り場があるから、初心者の相手をしてるプレイヤーが多い。あそこなら大工も見つかるかもな)
北エリアに近づくにつれ、レオの足取りは自然と弾んでいた。
見慣れた景色が胸を満たし、足に活力を与えているのだろう。
「……何か懐かしくなってきたな」
マクシムスの店の近くには、「スケさん墓場」と呼ばれる初心者向けの野外ダンジョンがある。正式な名前はない。ただスケルトンという、人間の骸骨のモンスターがのろのろ歩き回っているだけの場所だ。
スケルトンは初心者にうってつけの相手だった。魔法は使わず、繰り出す攻撃は素手による貧弱なパンチだけ。武器さえ手に入れれば、ゲーム開始直後のプレイヤーがシャツ一枚で挑んでもなんとかなる。そんな敵だった。
レオが鍛冶屋の道を選んだのも、実はここがきっかけだ。
初めてスケさん墓場に足を踏み入れた時、レオは金も装備もなく途方に暮れていた。すると鍛冶をしていたプレイヤーがちらりと視線を投げ、金床の上にあった新品の剣をレオの足元に無造作に放ってよこしたのだ。
『使え。それで稼いでこいよ』
ぶっきらぼうに言われた言葉が、今でも彼の耳に残っていた。あの剣でスケルトンを倒して稼いだ初ゴールド。あの高揚感が、ふと胸に蘇ってくる。
あの時もらった剣は、今も倉庫の片隅に眠っていた。
銘が入っていないから、剣をくれた彼の名前はわからない。
でも、その親切は今も鮮明に思い出せる。
レオの鍛冶屋としての信念――
『いつか自分だけの鍛冶屋を開いて、冒険者たちに最高の武具を届ける』。
はじまりは、あの名も知らぬ鍛冶屋が与えてくれたものだった。
通りを抜けると、遠くにマクシムスの鍛冶屋の煙突が見えてきた。細く立ち上る煙に、なんだかほっとする。スケさん墓場からは、初心者らしいプレイヤーがキャッキャと騒ぎながらスケルトンを追いかける声が聞こえてくる。あの頃の自分と重なって、レオの心はますます温かくなっていた。
「お、マクシムスは今日もキモいなー」
レオは小さく笑いながら呟く。
声には懐かしさと軽いからかいが混じっていた。
マクシムスはブリトン北の名物NPCだ。金色の魚人みたいなヘルメットを被り、蛍光色の緑シャツにピチピチの赤い革タイツ。そして鍛冶屋のトレードマークであるエプロンは、なぜか可愛らしいフリル付き。ネタに走るプレイヤーでもまず選ばない、強烈なクソダサコーデだった。
その理由は単純。仕様のせいだ。NPCの装備は職業ごとのアイテムリストからランダムに選ばれる。マクシムスはこの仕様により、奇跡的にダサさ全開の装備と色で固められてしまったのだ。
マクシムスには妙な存在感と愛嬌があり、NPCの中でもひときわ目立つ。たまに彼と同じ格好をしたプレイヤーがズラッと並んで記念撮影してる光景を見ることもあった。
鍛冶屋につくと、店の前には石畳で覆われた作業スペースがある。そこには炉と金床といった鍛冶道具が並んでおり、まばらな数のプレイヤーがたむろしていた。
客を待つ職人たちの中に見知った顔を見つけたレオは、彼女に声をかけた。
「メアリさん! どうもです!」
「あ、レオくんだ!」
レオが声をかけたメアリは、とても職人とは思えない格好だった。
デーモン由来の漆黒の骨を素材にした装備は、炎のエフェクトがチラチラ揺らめき、いかにも邪悪そうな雰囲気を放っている。骸骨を象ったヘルメットや、死神を思わせるフードのついたマントは、初心者プレイヤーに「こんなところに敵?!」と、思わせるほどの威圧感があった。
鍛冶屋というより魔王城の主といった方が通りが良い。
そんな彼女のビルドは「鍛冶テイマー」だ。
「テイマー」はモンスターを調教して使役する「テイム」というスキルを使える職業だ。ドラゴンやフェンリル、ヒドラといった大型モンスターをテイムして荷駄用の装備をつけると、物資の大量輸送が可能になる。
魔王を思わせるメアリの背後には緑色の鱗をもつドラゴンが控えている。ドラゴンは自動車くらいの大きさのバックパックを背負い、足元のドッグボウルの肉をのっそりとした動きでむさぼっていた。
「 久しぶり! 元気してた?」
「うん。それにしてもメアリさん、その格好……前より凄くなってない?」
「新調したんだ。この子くらいになるとデーモン素材で〝威圧〟上げないと、ほとんど言うこと聞かないからね~」
彼女の異様な装備は、テイマーにとって重要な「威圧」というパラメーターを強化し、モンスターを従わせるためのものだった。
メアリは骸骨のヘルメットを脱ぎながら振り返る。邪悪な装備の下から、ぱっちりした目とふわっとした茶髪の可愛らしい少女の顔が覗く。そのすさまじいミスマッチぶりには、見慣れたはずのレオも苦笑を禁じ得なかった。
「いやさー、こいつがモンスターと戦って成長しちゃったもんだから、前の装備が全然役に立たなくなっちゃったの。苦労したのに全部パァ! わかるこの罪の重さ?」
そういってメアリは拗ねたようにドラゴンの首をぺちぺち軽く叩く。
少女らしい可愛さが、強気な口調と妙にマッチしていた。
二人は鍛冶屋の作業スペースの脇に避け、近況を報告し合う。
レオは店の惨状とその修繕でブリトンに来た経緯を説明し、メアリは珍しいモンスターをテイムした話で盛り上げる。そしていつしか話は本題に移った。
「実はさ、大工を探してて。店を直したいんだけど、知り合いとかいないかな?」
期待のこもった眼差しを向けるレオ。
メアリは小さなアゴに手を当て、うーんとうなる。
「大工なら……あ、ヒロシさんならどうだろ? ほら、よくここで初心者に大工で作る装備を配ってたあの人!」
「ヒロシ? 大工の装備って言うと……あ、木の盾のおじさんか!」
「そうそう! レオが戦士だったとき、盾もらってたよね?」
レオは懐かしそうに笑う。ヒロシは、マクシムスの鍛冶屋にふらっと現れては、初心者に杖や弓、木の盾といった大工で作成できる武具を配っているおじさんだ。
レオも昔、鍛冶屋を始める前に木の盾をヒロシからもらったことがある。
木板の盾はスケルトンの攻撃を完全にブロックできるため、スケさん墓場の戦いではとても役に立った。とはいえ、木の盾は耐久度が低いためすぐに壊れる。その度にレオはヒロシに盾を貰いに行ったものだが、彼は嫌な顔ひとつせずに作ってくれた。
「確か今日は来てたはずだから……ほら、あっち!」
メアリはドラゴンの手綱を引っ張り、店の前を少し外れた小庭を指差す。
するとそこでは、革の作業着を着た中年男が初心者に木の盾を手渡していた。
ヒロシは、一見くたびれた印象のオッサンだったが、首元や顎の先に漂うアンニュイな色気がどこか目を引く。つまり、イケオジだった。
短く刈った髪には白髪が混じり、くしゃっと乱れている。無精ひげが顎に薄く伸び、目元に年齢相応のシワが刻まれているが、口元に浮かぶ笑みは柔らかく温かい。
年季の入った革エプロンの上に乗った腰の道具袋は使い込まれているが、よく見ると工具の一つ一つが異様に精巧で、丁寧に手入れされているのが分かる。
初心者に手を振って「がんばれよ」と励ます姿は、ただの気のいいおじさんにしか見えない。だが、道具を手に持った瞬間、手先が機敏に動き出す。その一挙一動に、只者ではない風格が滲み出ていた。
実は彼こそ、PKKギルド「ホワイト・ジャッジメント」のギルドマスターだ。
戦闘系の「ストラテジスト」と生産系の「エンジニア」を融合させた戦争特化型ビルド――「城塞破壊請負人」。攻城兵器制作のスペシャリストとして、敵の要塞を瓦礫に変える男だった。
でも、レオとメアリの二人は、そんな正体を知る由もない。
ただの優しいおじさんとして、朗らかに近づいていった。
「ヒロシさーん! レオが話したいって!!」
メアリが元気よく手を振ると、ヒロシは顔を上げ、ニカッと笑う。低く落ち着いた声には、聞く人を安心させる温かみが宿っていた。
「おお、レオか。いつぶりだったか、どうしたんだ?」
「実は店がPKとPKKの戦いに巻き込まれてボロボロになっちゃって……。壁、窓、屋根が全部やられたもんで、その修理を頼みたいんです」
レオは頭をかきながら、少し申し訳なさそうに切り出した。店が壊れたのは自分のせいではないのに、どこか引け目を感じている様子のレオの生真面目さにヒロシは眉を下げた。
「そりゃ災難ってもんじゃないな。どこのアホだ?」
「銀色のバッジを付けたニールってやつがホワイト・ジャッジメントって名乗ってました。PKKギルドのことなんて、元々名前くらいしか知らなかったんですが……実際あってみると、ずいぶん乱暴でしたよ」
顔に気の毒そうな色を浮かべ、レオを励ますように肩を叩いていたヒロシ。
その体が一瞬ピタリと止まった。
レオの肩を抱いていた手がかすかに強まり、逆光の中で彼の顔に笑みが浮かぶ。
ほんの一瞬だけだったが、その目はひどく冷たく光っていた。
「そのこと、もっと詳しく聞かせてもらえるか?」
・
・
・