第八十九話 赤と黒
灰色の空の中にそびえ立つ、半ば崩れ落ちた塔。
細かく砕けた石が砂となり、風で埃となって舞い上がる。
帝国の国境を見守り続けた物見塔は、とうの昔に守るべき土地も、民も、皇帝も、全てを失ったというのに、その帰りを待ち続けるかのように丘の上に立ちすくんでいた。
淡く、おぼろげな影を灰の大地に落とし込む塔。そのたもとには、壁に空いた穴からこぼれ落ちた石がうず高く積もり、小さな山を作っている。
その山を足がかりに、不死獣を討ち果たしたプレイヤー連合が、物見塔内部に侵入しようとしていた。
出待ちPKの切り札であるヴァルウルフはハナの活躍によって灰となり、地上階に降ろされていた油壷も、火をかける人員ごと制圧された。
残る敵は、塔の頂上でユニークアイテムを手にふんぞりかえっていたマークだけだった。
「俺に続けー!!」
リーダー格の剣士が剣を振り上げ、先頭に立って進む。塔の外周を回る螺旋階段を登れば、そのまま塔の頂上へ行けるはずだ。
プレイヤー連合に続き、レオ一行も追撃に参加して彼らの後につづく。
階段を登りながら、レオはふと安堵のため息をついた。
「あとは敵のリーダーをとっちめれば終わりだな」
「これでようやく落ち着けるね。目的のものも手に入ったし、いいことづくめだ」
「ただ鉄のツルハシを取りに来ただけなのに、こんな大立ち回りすることになるとはなぁ……」
塔の上に向かってレオがぼやく。
「ゲームが始まってまだ一日目なのに、重要な探索ポイントが速攻でPKに占拠されるなんてなぁ……。誰かが先に手を付けるだろうとは思ってましたけど、占拠までするなんで、さすがに想像してなかったですよ」
「そうかい? ハトフロだったらこれくらい日常茶飯事じゃないか。ちょっとルールが変わったくらいじゃ、PKはへこたれないよ」
「PKってハトフロの仕様に一番引っ掻き回されてる人種だもんねー」
「あっ、そういえばそうか……」
「しかし、鉄のツルハシが手に入ったことで私たちの拠点は大きく前進しました。当面の間は、鉄を使った開発を充実させることになります。新しい必要素材によって開発が止まるのはしばらく先でしょう」
「だな。霜華の言う通り、鉄を集めてそれを武具や設備に加工するので、しばらくは手一杯になるだろうな……。なにせ、鉄が使えるようになると、作れるものがワッと増えるからな~」
そういってレオは懐にしまっていたサバイバルブックに手をやった。
石や木だけで作れる初歩のアイテムに加え、鉄の建築物や武具が追加されると、クラフトの選択肢が大きく広がる。
レオが栞を挟んだサバイバルブックのページを開く。すると、ページには鉄の武具のレシピがずらっと並んでいた。
剣、槍、矢、そしてヘルメットや胸当てなどの防具。木と石では間に合わせの武器である〝木の槍〟くらいしか作れなかった。だが、鉄が使えるようになると、新しいタイプの武装が一気に作れるようになっていた。
(武具だけでも結構な数があるな。しかも、これだけじゃないんだよなぁ……)
レオがページをめくると、木の壁を鉄板と鋲で補強した〝強化壁〟や、丸太に鉄の刃を埋め込んだ〝ログスパイク〟などの鉄を使った新しい建築物のレシピが現れた。
レシピには必要素材と一緒に、建築物のサンプル画像が張られているのだが、それがまた見るからに力強く頑丈そうで頼もしい。
メンバーの装備を充実させるのはもちろん大事だが、拠点の強化もおざなりにはできない。今後、レオが拠点の拡張や装備の強化に使う資源の割り振りで頭を悩ませることになるのは間違いないだろう。
(あんまりにも多くて、軽くめまいがするな。ま、ひとつひとつやってけばいいか)
レオはパタン、と本を閉じる。
すると、本があった向こうにハナの満面の笑みがあった。
ふんわりとした金髪のロングヘアーを膨らませたハナは、薄暗い階段のなかで、まるで何かを待っているかのように太陽のような笑顔をレオに向けている。
「えーっと……、ハナさんの戦いぶり、悪くなかったんじゃないですかね」
「はい!! ハナ、頑張りました!!」
「…………。」
「…………!」ソワソワ
沈黙するレオの前で、ハナは期待に満ちたまなざしを送っている。
まるで撫でられることをスタンバイしている子犬のようだ。
「えぇ……? では……」
意を決したレオが手を前に伸ばす。若干というよりは、かなり躊躇した様子だ。
彼の手がハナの頭をよしよしとなでる。彼女の身長はレオより頭2つほど高い。階段の段差がなかったら頭にまで手が届かなっただろう。
「なんかすっごい犯罪臭がする絵面」
「だね。ウチが関わる連中は皆どうしてこう、普通じゃないのかね……」
「いわないで……」
シルメリアが結衣につづいて反応を返す。渦中のレオはいたたまれない様子だ。
まさかなでなでを要求されるとは思ってもみなかったのだろう。
(犬と飼い主は似るっていうけど、これはもう〝そのもの〟だよなぁ……)
レオは深く息を吐く。VRMMOが実用化された今、人と人のつながりは希薄になりがちだ。心の絆を人間以外に求めることもそう珍しくない。
ペットを飼い、人にかわらぬどころか、それ以上の愛情を注ぐ。ともすれば、特殊な趣味嗜好(というか性癖)が芽生えることもあるかもしれない。
「しかし、レオにこういう趣味があったとはねぇ……」
「彼女に首輪とかつけちゃうタイプ?」
「んなわけあるか! 助けて霜華!」
「レオ先生、異常と普通の境界は曖昧です。いわゆる一般的と言われる世界にも、特殊な趣味・嗜好を持ちながらも日常生活が送れている方はたくさんいますから」
「それ、フォローになってなくない?」
「そうですね……レオ先生がそういった趣味をお持ちだとしても、基本的人権を失うほどのものではありません。申し訳ありません先生。これ以上のフォローは、道徳的限界に達してしまうようです」
「いまのアレ、道徳的にそんなアレなの?!」
「端的に言うと、『うわっ、キモッ』に分類される行為です」
「ひどい?!」
そんなことをしている間に、ついにプレイヤー連合が物見塔の最上階に到着した。
油断しきったレオ一行が戦いとまるで関係ないことをしている間に、武器を掲げた剣士たちはずんずんと先にすすんでいたのだ。
すると、頑丈な木板でできた扉がプレイヤー連合の行手に立ちふさがった。
ドアは、黒ずんだ古い樫の木を黒鉄の板で留めている。槍を持ったプレイヤーがドアに付いた黒鉄のリングを引くが、何かにつっかえたように動かない。
「クソ、扉にかんぬきか鍵がかかってるな」
「どけ! 蹴破るぞ!」
< どかんっ! >
屈強な体格の戦士が扉に全力の蹴りを叩き込むと、蝶番のボルトが軋み、木の繊維が悲鳴を上げる。続けて肩から全力の体当たりを食らわせると、扉はついにその重い体を内側に傾けた。
「開いたぞ!」
「よし、ゴーゴーゴー!!」
リーダー格の剣士の号令とともに、プレイヤー連合は一気に最上階に突入した。
剣を構えた剣士たちが先頭を切り、弓を持った後衛が続く。あまりにも無防備な突撃だが、止めるものはいない。この場にいる誰もが勝利を確信していたからだ。
最上階は、広々とした円形の空間だった。崩れかけた石壁の隙間から灰色の光が差し込み、ちいさな埃が光の筋の中を舞っている。
どこか荘厳な雰囲気を称えた広場の中で、赤と黒のフェイスペイントを施したマークが一人、悠然と立っていた。
彼の手には、蛇のようにうねる黒色の長剣〝墓守の牙〟が握られている。刃は不気味な光沢を放ち、まるで生き物のように脈打っているように見えた。
「へへ、これでお前も終わりだ!」
「……てめぇら、よくも――」
マークの声は低く、無念さと悔しさを帯びていた。
最上階に突入したプレイヤー連合が彼をぐるっと取り囲み、鉄の切っ先を向ける。
一方のマークは戦う姿勢を見せなかった。武器を構える代わりに、彼はにやりと笑い、「墓守の牙」をゆっくりと自分の首筋に当てがったのだ。
「な、なんだ!?」
「自決する気か!?」
その瞬間、刃が肉が沈み込む湿った音とともに、マークの首から鮮血が噴き出した。赤と黒のフェイスペイントが施された顔が、床に転がり、血の海に沈む。
塔の頂上に、凍りつくような沈黙が広がった。
「自決……か?」
リーダー格の剣士が呆然とした様子で呟く。
「いや、待て……何かおかしい!」
誰かのあげたその言葉が終わる前に、異変が起こった。
マークの倒れた体、その首の断面の血管が蠢き始めた。まるで意志を持ったかのように、血管が床を這い、禍々しい黒い光を放ちながら幾何学的な魔法陣を描いていく。石の床が冒涜的な紋様で埋め尽くされ、塔全体が低いうなり声のような振動に包まれた。
「なっ……!」
頭部を失ったマークの体が、不自然な動きで立ち上がる。
床に手もつかず起き上がった彼の胴体、その首の断面から血管が伸び、空中に名状しがたい冒涜的な図形を描く。
なんと有り得ざる光景だろう。
ゲームとしてはあまりにも冒涜的な姿に、この場の全員の体が凍りついていた。
直後、塔の頂上から恐ろしい絶叫が響いた。
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数日消息を絶っていた作者です。関係ないですが、ナイトレイン、おすすめです。
フロムがApex作るとは、このワシの目をもっても見抜けなんだ…