第八十八話 くくく…あれ?
――横須賀、MIRAIフィールドラボ。
佐伯博士はモニターを前に真剣な表情を向けていた。
MIRAIのフィールドラボは、普段ならデータの光が螺旋を描くホログラフィックディスプレイや、解析機器の低いうなり音で満たされている。しかし、この昼下がり、ラボ内には妙に緊迫した――いや、やたらと楽しげな声が響き渡っていた。
「オメガシステム起動から1時間! 目標の反応は依然としてゼロです!」
甲高いAIオペレーターの声が、コンソールからけたたましく響く。
声の主は、ホログラムで投影された青髪のツインテール少女だ。ミニスカの軍服を着たそのAIは、佐伯の目の前でキリッとした表情を浮かべていた。
ラボ中央の一段高い場所に鎮座する巨大なコンソールは、まるで某宇宙戦艦のブリッジにある艦長席を思わせる。その席に陣取った佐伯は、腕を組み、ニヤリと笑う。
白衣の裾を揺らす彼の目の前には、ホロディスプレイが空中に浮かんでいる。
青白く光る画面には、横須賀に停泊する「鯤鵬」の巨大な船体が映し出されているが、佐伯の目はまるで別の世界が見えているようだった。
「――ふむ、動きは無し……か。やはり厄介な相手だな」
ラボに響く佐伯の声は、まるで地球を守る秘密組織の司令官のような威厳を帯びていた。コンソールにそっと手を伸ばした佐伯は、カタカタと、わざとらしく音を立ててキーボードをタイプした。すると、ディスプレイに謎のグラフと赤い警告マークが点滅し始める。
しかし、この表示にはとくに意味はない。
ゲージがそれっぽくランダムに動くだけの「飾り」だ。
「表面上の動きはないが、システムは異常を示し続けている。何か考えは?」
佐伯が問いかけると、別のAIアバターが登場した。こちらは銀髪のクールな女性で、軍服風の衣装に身を包んだ「女指揮官」だ。どことなくシルメリアを思わせる風貌の彼女は腕を組み、佐伯を睨むようにして状況を報告した。
「佐伯司令、ここはアンティキオ・プログラムを起動してはどうでしょう?」
気の強そうな女指揮官の声は、今すぐ行動を起こさなければ危ういという迫真に迫っている。佐伯は目を輝かせ、片眉を上げてニヤリと笑った。
「ほう……アンティキオ・プログラムか。面白い、やってみろ。」
彼は、まるで悪の組織の親玉のような口調で応じ、コンソールにアド付されたどこにも繋がっていないレバーをガチャンと倒す。するとラボ内に、「ピピピッ! ブオーン!」という効果音が鳴り響く。これは佐伯が自作した演出用プログラムだ。
デンデンデンデン、ドンドン♪ という、なんか作戦開始されたっぽいBGMが流れ、SF的なロボットの起動効果音がラボを包み込む。
ここで再び、ツインテールのAIオペレーターが慌てた声で叫んだ。
「駄目です、主任! エラーコード:オフチョベット! テフ、40%損傷! アンティキオ・プログラムが暴走しかけてます!」
ホロディスプレイには、赤い警告画面とともに「ERROR:OFF-CHOBET」と訳のわからないエラーコードが点滅している。佐伯は「くっ!」といって大仰に額を押さえるが、手の下の瞳は、この絶望的な状況に抗いつづける意志を失っていない。
「……オフチョベットだと!? くそっ、こんな時にテフ回路が故障するとは!! オペレーター、マブガットで回路をバイパスしろ! 今すぐだ!」
まるで意味はわからないが、深刻そうなことだけは理解できる。
彼は高そうなコンソールの筐体をバンバンと叩き、真剣な表情でキーボードを叩きまくる。ディスプレイには、あみだくじのオバケのような「マブガット回路」の意味不明な配線図が表示され、線が端から次第に赤くなってピカピカ光っていた。
すると、シルメリア似の女指揮官が、キリッとした表情で応じる。
「司令、マブガット回路のバイパスが完了しました! これでデバウラーのモノリスシグナルを捕捉できます! ただし、シンクロ率低下のリスクが……」
何か問題ありげな報告を聞いても佐伯はひるまない。コスト重視の競争入札でもって導入された、ひたすら安っぽい椅子の背もたれにドカッと座り直す。
「シンクロ率の低下はランナー次第、だな。全エネルギーを『オリンピア・カノン』に転送! 撃って撃って、撃ちまくれ!!」
彼は、コンソールに追加されたプラスチックガードのついた赤いボタンを押す。蓋を上げ、ボタンを押すとラボ内に「ズドーン! バババーン!」という、わざわざハリウッドから取り寄せた爆発効果音が鳴り響き、ホロディスプレイで迫真の爆発エフェクトが炸裂する。
――と、その時。
プシュ……ガキ、ガキン、ガシャンッ!
ラボの気密扉のロックが外れ、勢いよくスライドする。すると鋼鉄の扉の向こうから、昼休憩を終えた林女史がズカズカと入ってきた。
彼女の手には、コンビニのサンドイッチとカフェラテの紙カップ。だが、その目は明らかに呆れと苛立ちの混じった光を放っていた。
「主任……何やってるんですか!?」
林の声は、ラボの楽しげな雰囲気を一瞬で凍りつかせる。彼女はタブレットを小脇に抱え、眉をピクピクさせながら佐伯を睨む。
佐伯は、まるで子供が親にいたずらを見つかったような表情で一瞬固まる。だが、すぐにニヤリと笑い、堂々と胸を張る。
「林くん! こんなそれっぽいコンソールが並んでいる場所で、『これ』をやらないのは不誠実というものだろう!」
彼は、なぜか開き直り、コンソールを指差してドヤ顔を決める。ホロディスプレイでは、ツインテールの少女が「司令、敵の援軍が到着しました!」と失礼極まりないことを叫んでいる。
林は、呆れた顔でサンドイッチのパッケージをガサガサ開けた。
「主任、鯤鵬のデータ解析はどうなってるんですか?」
彼女はカフェラテをズズッとすすりながらタブレットを操作し、空中に浮かんでいたホロディスプレイを強制終了させた。すると、林を敵の援軍扱いしたツインテールの少女は「きゃー!」と叫びながら電子の藻屑と消えた。
仕事の進捗を問われた佐伯は、ちょっと拗ねたように唇を尖らせ、コンソールにもたれかかる。
「とっくに終わってるよ。私にだってそれくらいの分別はある」
「〝それ〟が分別ある大人の姿ですか?」
「はぁ~……。林くんにはロマンがわからんか。このラボを見たまえ、このいかにもなデザイン! ここで司令室ごっこをしないなんて、科学者として失格だぞ!」
目に悪戯っぽい光を宿し、まるで子供のような口調で言い返す佐伯。
佐伯がいうように、ミライのラボは実に男の子心をくすぐるデザインをしていた。
中央に立つ文字の浮かぶ光の柱に、それを囲むコンソール。そしてそれらを見下ろすように一段高い場所にある、親分的サイズの巨大サーバーとコンソール。
童心に帰り、これらを夢の世界のフィルターを通して見れば、たしかにロボットアニメに出てくる宇宙戦艦のブリッジに見える。
が、育ってきた文化的背景(主にアニメとゲームのジャンル)が異なる林女史には、何のことだかさっぱりだ。ため息をついた彼女は、不毛な議論よりサンドイッチの味に集中することにした。
「主任より、ハナちゃんのほうがちゃんと仕事してますよ」
彼女はタブレットを佐伯の前に突き出し、ホロディスプレイに新たなデータを表示する。そこには、ノーマンズランドでレオと同行するハナの動向が示されていた。
佐伯は、渋々といった様子でデータをチラリと見る。
「ふむ、まだ大した情報は得られていないようだが……親交は深まったようだな」
「はい。ハナはすっかりレオたちの仲間として溶け込んでいるようです。情報を完全に引き出せるようになるのも、時間の問題かと」
「さすがハナだな。鯤鵬のデータの欠落部分が埋まれば、A計画は大きく前進する。この役目、彼女のちいさな肩に背負わせるにはあまりにも大きいが……」
「ご心配なく。ハナならきっとやり遂げます。なぜか主任を見て確信しました」
「ふっ。私からまろびでる知性がインスピレーションを与えてしまったか」
「まぁ……そんな感じです。引き続き監視も行うので?」
「もちろんだ。もっとも、あの様子ならあまり心配はなさそうだがな」
そういって、佐伯はホロディスプレイを再起動させた。彼はすでに頭を切り替え、真面目な解析モードに入っていた。ハナから送られたデータを見るその口元には、どこか満足げな笑みが浮かんでいる。
「フフ、彼らは口を閉ざして秘密を守っているつもりだろうが……。ハナが築き上げる〝精神的な絆〟は、言葉よりも多くの情報を伝える。尋問はすでに始まっているんだよ、レオ君。」
佐伯がコンソールを叩くと、光の柱の表面に大量の文字列が流れだした。光の奔流には、英語だけでなく、日本語や漢字まで混じっている。
文字は光の粒となり、とある光景を再現する。
それはレオの部屋に集まる、レオ、美玲、霜華、結衣たちの姿だった。
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なんだろう、佐伯の行動というか、ノリにどことなく既視感が…




