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第八十七話 がるる!(2)

 崩れかけた物見塔の影が、灰色の空の下で揺らめく。

 古びた石壁はひび割れ、砕けた破片が土埃となって風に散っていった。


 戦場は死の匂いに満ちている。屍肉喰らいの不死獣――

 ヴァルウルフの巨体が、腐り爛れた毛皮を揺らして咆哮を上げた。


 ヴァルウルフは吸血鬼化した魔狼だ。血の兄弟たちのような魔術の才能も、それを使う知恵も持ちあわせてはいないが、魔法に対しての感受性はある。


 彼らの肉体は邪悪な闇の魔法の「導管」として作用し、とりわけ、死霊術に基づいた魔法に影響されやすい。血肉をもって傷を癒やし、自らを鍛え直すことができるほか、屍体操作(ネクロマンシー)によってコントロールが可能だった。


 マークの持っている捻じくれた剣は「墓守の牙(グレイブガード)」というユニークアイテムで、ネクロマンシーの権能を所持者に与えるものだった。


 この剣が、マークが意のままにヴァルウルフを操ることを可能にしていたのだ。


 剥き出しの骨が覗く顔には、赤く燃える目がぎらついている。骨ばった足が地面を踏みしめるたび、土は汚らわしい死のエキスに穢され、緑色の瘴気が立ち上った。その臭気は鼻をつく毒の霧となり、プレイヤーたちの息を詰まらせた。


「くそっ、こいつ、なんてタフなんだ!」


 槍を握ったプレイヤーが叫び、鉄の穂先をヴァルウルフの背中に突き立てる。だが、怪物は痛みなど感じないかのように、傷を無視して振り向き、鋭い爪で彼を薙ぎ払った。


 悲鳴が上がり、槍使いの身体が宙を舞う。地面に叩きつけられた槍使いの鮮血が土を染め、仲間たちの顔に絶望の色が広がった。


 塔の壁の内側、広場に仁王立ちになったヴァルウルフ。毛がまばらに生えた貧相な毛皮につけられた傷はうごめき、勝手に塞がっていく。再生しているのだ。


「あきらめるな!」

「囲め!」


 ヴァルグルフの肉体は、生物学的な道理から外れた歪んだ筋肉の塊だ。粗末な建物であれば丸ごと踏み潰せる巨躯は、自分を囲い込もうとする愚か者たちを一掃した。不死獣を囲もうとしたプレイヤー連合は逆に蹴散らされ、リーダー格の剣士もまた、獣の巨体に押し潰されるように壁に叩きつけられてしまった。


「ぐっ……!」


 彼のうめき声が戦場に響き、剣が力なく地面に落ちる。


 塔の上で歪んだ笑みを浮かべたマークが哄笑をあげ〝墓守の牙〟を振りかざす。その禍々しい緑の輝きは、まるでこの絶望を嘲笑うかのようだった。


 レオはハンマーを握りしめ、汗と埃にまみれた顔で仲間たちを見やる。


 心臓が早鐘のように打ち、息は荒々しく乱れる。

 不死獣の猛攻に、プレイヤー連合の陣形は崩壊寸前だ。


「シルメリアさん、火をかけましょう! アンデッドなら、あいつの弱点は火だ!」


 戦場の喧騒をかき分けて、レオの叫びが彼女に届く。

 シルメリアはレイピアを握り、真紅の瞳でヴァルウルフを睨みつけた。

 薄暗い光を反射する黒い甲冑の上で、銀髪が風に揺れて流れる。


「だろうね。できるだけ足止めしてみる。火は任せたよ」


 シルメリアが軽やかに壁から舞い降りた。いっさい足を止めずに瓦礫を避けて進む彼女の動きは幻惑的で、まるで風のようにしなやかだ。


 彼女がつむじ風なら、ヴァルグルフは※業風だ。密集した強力な脚の筋肉により、ヴァルグルフは地上を滑空するほどの驚くべき速度で襲い掛かることができた。


※業風:地獄で吹くという大暴風


 抜き放たれたレイピアが空を切り、不死獣の注意を引く。獣が咆哮し、彼女に襲いかかるが、シルメリアは華麗なステップでかわし、鋭い突きを繰り出す。


 シルメリアが繰り出した刃が毛皮を穿って肉を突く。が、怪物は怯むことなく反撃し、爪が空を裂く。両者の動きはあまりに速く、目で追うのも難しい。火をかける隙など、どこにもなかった。


「さすがシルだね。あの怪物とまともに渡り合ってる」


「けど、動きが激しすぎて火をかけるどころじゃ……」


 高壁の上で戦いを見守っているレオの膝は、いまにも力尽きそうに震えていた。


 仲間たちの悲鳴、崩れる壁の音、ヴァルウルフの咆哮――

 すべてが彼の心を締め付ける。


 「もう駄目かもしれない」。そんな思いすら頭をよぎる。

 そんななか、突然、明るい声が戦場に響いた。


「動きを止めればいいんですよね? 私がやります!!」


 ハナが盾を掲げ、ふんわりとした金髪を揺らしてレオの横に進み出た。その笑顔は、まるでこの絶望的な戦場にそぐわないほど無垢で、しかしどこか頼もしい輝きを放っていた。彼女の瞳は、獣を前にしても揺るぎない自信に満ちている。


「ハナさん、危ないですよ! シルメリアさんでも防ぐのがやっとなのに……」


「大丈夫です!」


 ハナは装甲ローブの裾をひるがえし、高壁からどすんと飛び降りた。

 そして、ヴァルウルフに対峙したかとおもうと、手にした盾と槍を地面に投げ捨ててしまった。そのあまりに大胆な行動に、レオたちの間に驚愕の声が上がる。


「ハナさん、武器を捨てるなんて、一体――」


「ハハッ、恐怖で頭がおかしくなったか?」


 塔の上のマークがせせら笑う。しかし、ハナの顔は恐怖しているどころか、軽やかな笑顔すら浮かべていた


 彼女は堂々とヴァルウルフに向かって歩み寄った。じゃり、じゃり、と、鉄靴(サバトン)が瓦礫をふみつけ、小さな音を立てる。


 すると、突然、ハナは地面に伏して四つん這いになった。


「な、ななな、何!?」 剣士のリーダーが目を丸くする。シルメリアもレイピアを構えたまま、呆然とハナを見つめる。


 次の瞬間、ハナの瞳がキラリと光ったかと思うと、彼女は白目をむいて歯をむき出し、ふわふわ金髪を振り乱して野太い唸り声を上げ始めた!


「がるる! わうわう、わんわんッ!!!!!」


 その声は、まるで本物の猟犬が獲物を前に咆哮するような、野性味溢れる響きだった。ハナは両腕を犬の前足のように動かし、しゅばばっと地面を叩きながらヴァルウルフを威嚇する。彼女の背中は弓なりに反りかえり、首を伸ばす。まるで本能の赴くままに敵を圧倒する獣そのものだ。


 ヴァルウルフの赤い目が一瞬揺らぎ、腐りかけた巨体がピタリと動きを止める。まるで、ヘビに睨まれたカエルだ。上位捕食者(プレデター)に睨まれた魔狼の身体は、時が止まったかのように硬直してしまた。


「い、犬……? いや、あれは猟犬でしょうか」


  霜華が鉄の小手を握りしめ、驚愕の声を漏らす。

 そのとき、どこからともなくしわがれた声が響いた。


「ふむ、さすがじゃな。ハナ殿は、物心ついた頃から犬と共におり、狩りの術を体得しておる。とりわけ、強大な相手への挑み方を心得ておるのじゃ!」


「誰!?」


 レオが振り返ると、そこには白髪の老人――

 どこかで見たような、だが見ず知らずの人物が、杖をついて立っていた。


 こんな人、プレイヤー連合にいたっけ? とレオは小首を傾げるが、老人は意に介さず、まるで戦場にそぐわない穏やかな笑みを浮かべて解説を続ける。


「犬の威嚇は、ただの吠え声にあらず。身体を低くし、白目をむいて歯を見せることで、相手に『我こそが上位の存在』と本能に訴えかけるのじゃ。ハナ殿のその動き、まるで野生の狼が群れの主を決めるが如し!」


「いや、だから誰!?」


 レオが再び叫ぶが、老人にはまるで聞こえていないかのようだ。

 自分でした解説にうんうんと頷いて白髪頭を上下させ、老人はさらに続ける。


「ハナ殿の威嚇は、相手の動きを止めるのに最善の一手じゃ。不死の獣と言えども、もとは狼。狼をたどれば犬。犬はかようにして縄張りを守り、敵を退けるのじゃ!」


 ハナの「がるる!」という唸り声が戦場に響き渡る。ヴァルウルフは完全に足を止め、赤い目が戸惑いに揺れる。彼女のしゅばばっと動く腕、地面を叩くリズミカルな音、白目をむいた迫真の表情。


 彼女の一挙一投足、すべてが魔狼の野生の本能を刺激し、圧倒していた――

 のではなく、原因はノーマンズランド、ひいてはハトフロの仕様にあった。


 というのも、ハトフロには多数の生物が存在する。それこそドラゴンからニワトリまで。鳥類だけでも優に1000種は超える生物が実装されている。


 ここで問題になるのが〝データの持ち方〟だ。


 例えばニワトリを例に取ろう。ニワトリの亜種、烏骨鶏(うこっけい)やチャボのデータをイチから全て書いていたら、データは冗長で修正の手間も膨大なものになる。そこで開発者は〝参照〟という方法を使う。


 すなわち、ニワトリの元になる「地面を歩く鳥類の原種」のデータを作り、ニワトリや烏骨鶏、チャボはそのデータを参照し、ニワトリ、烏骨鶏、チャボ、といった似たような鳥にふさわしいデータに修正していくのだ。


 ニワトリのデータには、原種と比較して変更された部分だけが書かれている。毛並み、鳴き声、などなど……。こうすることで、データに全ての内容を記述する必要がなくなり、作業の手間も大幅に軽減できる。


 そして、いまハナと対峙しているヴァルウルフは「地面を歩く4足歩行のイヌ種」のデータを参照していた。その原種のデータには。イヌの振る舞いとしてふさわしいものが記述されている。


 そう――「威嚇を受けたときには、動きを止めて威嚇を返す」という記述が、彼の存在を定義するデータの奥底に潜んでいたのだ。


「何が起きてるのかはわからんが……結衣さん、今です!」

「あ、うん!!」


  レオの呼びかけで結衣はハッと我に返る。2人は高壁を飛び降り、塔の壁の内側に並べられていた油壷へむかって駆け出した。


 ハナとヴァルウルフのやりとりを見て、呆然と立ち尽くしていた手下をハンマーで殴り飛ばしたレオは、地面で伸びているPKのそばにあった油壺を取って転がした。横倒しになり、地面をゴロゴロと転がる油壺。素焼きの壷は中身の油をこぼし、地面に黒い筋を残しながら不死獣のもとへと向かっていく。


「レオさん、火だよ!!」


「わかった!!」


 結衣が壁にあった松明をひったくり、レオに手渡す。

 彼が足元の筋に松明の先を近づけると、地面にこぼされた油をたどって一気に炎が走っていった。


<ゴウッ!>


 油壷が爆ぜ、炎が一気にヴァルウルフを飲み込む。腐りかけた毛皮が燃え上がり、緑の瘴気が火に焼かれて薄れていった。嗜虐的に嘲笑うかのようだった魔狼の咆哮が苦痛の叫びに変わり、悶え始める。


「アチチ! よし……これで――」


 レオは炎にまかれるヴァルウルフを見て、あることに気がついた。


「傷が……再生してない! やっぱり火に弱いんだ!」


 ヴァルウルフの傷が炎に(あぶ)られて再生が止まっている。炎は不死獣にダメージを与えるだけではなく、再生能力を阻害する効果もあるようだ。


「みんな、火をとって攻撃するんだ!」


「……よし、わかった!」


「みんな、布を武器の先に巻きつけろ! 火を取るんだ!」


 レオが呼びかけると、動きを取り戻したプレイヤー連合がボロ布を武器に巻きつけ、地面の炎から火を取る。そうして剣や槍に炎をまとわせ、一斉にヴァルウルフに襲いかかった。


「くらえっ!」


 槍使いが炎をまとった槍の壁で不死獣を追い込み、剣士が炎をまとった剣で斬りつる。シルメリアのレイピアも火を帯び、華麗な剣舞で魔狼の急所を突いた。


 猛火を浴び、連続攻撃を受けたヴァルウルフは巨体をよろめかせ、ドスンと地面に横たわる。炎に包まれたヴァルウルフが最後の咆哮を上げ、戦場に静寂が訪れた。


 炎は再び死を迎えた獣を塵に変えていく。灰が風に流され、腐臭を放つ淀んだ空気に混じって消えていった。


「……勝った、勝ったぞ!」

「あのプレイヤー、色々とすげぇな……」


 プレイヤー連合から尊敬と「そこまでするか」という複雑な感情のこもった歓声があがる。彼らの注目の中心にあるのは、勝利の立役者のハナだ。


「ハナちゃん、最高だったよ!」


「ありがとうございます。助かりましたよ!!」


  レオが笑顔でハナを称え、仲間たちが一斉に歓声を上げる。


 四つん這いだったハナは立ち上がり、装甲ローブについた灰をはらうと、ふんわりとした金髪を揺らして無垢な笑顔を見せた。


「ふっふん、どんなもんですか!!」


 すんすんと自慢げに鼻をならした彼女は頭上をキッと見上げる。彼女の視線の先には、塔の頂上で愕然とした表情で墓守の牙の柄を握りしめるマークがいた。


 金髪を輝かせ、ハナはびしっと頭上の悪人を指さした。


「ふふん、思い知りましたか悪者(わるもの)

 この世に〝おいしくないご飯〟と〝悪が栄えた〟ためしはありません!!」




キャー! ハナチャーン! カッコイー!!


しかし、どっかの悪食王みたいなことしてんな…(w

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