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プロローグ 「ハート・オブ・フロンティア」あるいは「デジタル汚物」

 仮想現実(VR)MMO『ハート・オブ・フロンティア』のサーバ4【Da Vinci(ダヴィンチ)】。

 通称――「ウンチ」。


 朝焼けが仮想世界の空を染める中、交易所の前に立つTシャツ短パン姿の新規プレイヤーは小さな短剣――「アイアンダガー」を手に取っていた。


 ダガーを手にするプレイヤーの初々しい顔は誇りに満ちている。

 彼の苦労がようやく報われたからだ。


 彼が交易所の窓口で払ったなけなしのゴールドは、数時間かけて町の庭に現れるウサギたちと格闘し、集めた肉と皮を売って稼いだものだった。


 千里の道も一歩から。彼の冒険はここから始まる。

 手に持った短い短剣は粗末で実に心もとない。

 しかし、彼はこの鈍色(にびいろ)の寸鉄に白銀の輝き、未来への希望を夢見ていた。


 ――と、その時。彼の足元が震え始めた。

 ドドドド、と地響きが響き渡る。


 次の瞬間、土煙とともにギルド「ほかほか地獄弁当」のPK、「おにぎりマン」が「おににににッ!!」という奇怪な哄笑と共に現れた。


 おにぎりマンは時代劇にでてくる渡世人のような格好をしている。

 三度笠の下で獰猛な笑みを浮かべ、殺人鬼は怪しく光る日本刀を振り上げた!!


「いらっしゃいませー! そして死ねえええええええええええ!!!!!!!」


「うわああああああああああああああああああああ!!!!」


 数秒後、交易所は炎に包まれ、新規プレイヤーは全裸で地面に転がっていた。ログには「所持品、所持金: なし。殺害者:おにぎりマン」と記録されていた。


 新規プレイヤーは幽霊となり、赤いローブを着たゲームマスターに両手を振り回して被害を訴える。だが、運営の返答はそっけなかった。


「仕様です。問題を『解決済み』として終了します」


 肩を落とす幽霊。

 遠くでは雷鳴のように馬の蹄の音がこだましていた。


 このゲームが地獄であることは明白だ。それでも、プレイヤーたちは去らない。

 むしろ、この地獄に愛着すら抱いているように見えた。


 ――ハート・オブ・フロンティア、略してHOF。

 失敗国家の様相を呈するVRMMOとしてゲーマーに知られている。


 プレイヤーの間では「ハトフロ」あるいは「地獄の開拓地」と呼ばれ、愛好者は「運営への復讐が生きがい」と冗談とも本気ともつかない言葉を吐く。


 当初、このゲームを開発し、サービスを運営した者たちは高尚な夢を抱いていた。ワールドシミュレーター。仮想世界を舞台に、もう一つの地球を創り出す――美しい地球を。


 しかしその夢の世界は、ポル・ポトのような美しい理想をもとに、ヒトラーのような慈愛に満ち、スターリンのような公平な法のセンスで統治され、毛沢東のような経済的手腕で支えられていた。


 結果として生まれたのは、地球の輝かしい一面ではなく、歴史の暗部をごった煮にしたデジタル汚物だった。開発者たちは「人類の未来を映す鏡」と胸を張ったが、プレイヤーから見ればそれは「割れた便器の底の汚水」としか言いようがない。


 民度はヨハネスブルクの裏路地さながらだ。街の広場では、昨日まで「仲間」と酒を酌み交わしたプレイヤーが突然裏切り、ギルド倉庫のレアアイテムを奪って逃亡する。さらに運営が用意したPvP禁止エリア「平和ゾーン」の境界は屠殺場と化していた。ゲームを始めた直後の初心者を親切な顔をして連れ出し、洗礼の攻撃魔法を浴びせる。HOFにおける初心者の寿命は、平均0分と言われていた。


 ゲーム内の経済は北朝鮮も真っ青だ。HOFの通貨である「ゴールド」は、気分次第で価値が激しく上下する。ある日は10ゴールドで魔石が買えたが、次の日には1000ゴールドに。HOFの経済には相場変動システムが組み込まれている。相場の変動はとても敏感で、誰かがまとめ買いするとアイテムの値段が一気に跳ね上がった。


 当然、欠陥しかない「相場変動システム」は、利に(さと)い邪悪なプレイヤーたちの目に留まる。彼らは資金を持ち寄り、組織的にNPCが売る商品を買い占め、棚を空っぽにしては自分の店に並べ、価格を吊り上げた。


 おかげで日常の品はほとんどプレイヤーの手に入らない。

 転売ヤーを通さねば、その日の冒険もままならない有り様となった。


 パッチでスキルに応じた購入枠が設けられるようになったが、焼け石に水だった。初心者は依然として何も買えず、ただ空っぽの棚の前で立ち尽くすだけだ。


 規制無き開かれた市場は、転売ヤーと買い占め業者の楽園となった。


 ゴールドの価値が形骸化すれば、現実と同じように闇市場が栄える。当時最強だった「デモンズスレイヤー」をリアルマネーで買った者は、次のパッチでそれが「ぽよよんハンマー」に変化したことを知り、絶叫した。


 運営のコメントはこうだ。「経済のダイナミズムを体験してください」

 アイロニーとはこういうことをいうのだろう。

 この時の運営は批判されるどころか、珍しく仕事をしたと評判になった。


 こんな運営で司法が機能するはずもない。プレイヤーがゲームマスターに詐欺、ドロボウの類を訴えても、そのほとんどが受理されず、「解決済み」としてゴミ箱行きになる。HOF規約には『現実に被害を及ぼさない限り、ゲーム内で起きた事件はプレイヤー間で解決する』という、とんでもない一文があったからだ。


 プレイヤーの自主性と創発性に任せるといえば聞こえはいい。

 だが、実際は弱肉強食。強いものが法となる。

 運営の対応は、悪徳業者や害悪プレイヤーの居直りを正当化するだけだった。


 新規プレイヤーは初日に全裸で泣き崩れ、古参プレイヤーは「運営死ね」と合唱する。だが、HOFは今年で10周年に突入し、プレイヤー数は微増を続けていた。


 どうして文句をいいつつもログインを続けるのか。なぜ人々は、この人類の英知をかけて作り上げたデジタル汚物にして事故物件を去らないのだろうか?


 答えは単純(シンプル)。面白いからだ。


 バグと混沌と皮肉に満ちた無法地帯が、他では味わえない歪んだ価値を生み出していた。開発者が意図せず作り上げた「誰にも予想できない混沌」が他の〝お行儀の良い〟VRMMOでは絶対味わえない、最高のエンタメ空間を作り出していた。


 ここで過激なエピソードをもう一つ紹介しよう。サーバー13の「Marx(マルクス)」で、ギルド「フリーダム・トレーダー」の一団が街を占拠した。彼らは交易所を焼き払い、NPCを人質にして、「買い物をするなら貢物をよこせ」と要求した。抵抗したプレイヤーは即座にPKされ装備を奪われた挙句、ゲームの公式掲示板に「貧乏人」と晒された。


 当然のように運営は見て見ぬふり。

 だが驚くべきことに、占拠された街の人口は減るどころか倍増した。


 なぜか? プレイヤーたちはこの無法状態を「祭り」と呼び、楽しんだからだ。

 HOFのプレイヤーには、不法や圧政を逆にエンタメとする気合がある。


 運営がやらねば俺たちがやる。奇しくも運営が作った規約の通りに「プレイヤーが起こした問題はプレイヤーが解決する」という気風が育まれていた。


 一団を討伐しようと、ワールドを越えて集まるプレイヤーたち。

 合言葉は「次は俺たちが奪う番だ」。


 次の日、フリーダムトレーダーの一団はあっさり殲滅(せんめつ)される。しかしここでリーダーが落とした超レア武器「名刀ヨシツネ」を巡って、プレイヤー間でさらなる戦いが勃発。すぐさま仲間同士で殺し合いを始め、増えた死体は新たなる戦利品となる。その場は初心者、中級者、上級者の垣根なく、火事場泥棒合戦となった。


 こうなってくると、これまで静観していたプレイヤーも一攫千金のために集まってくる。その過負荷によってサーバーはクラッシュ。データが破損し、全てが数日前の状況に巻き戻って、占拠事件すら無かったことにされた。


 もう一つの地球を夢見た開発者たちの亡霊は、きっとゲームコードの奥底で泣いているだろう。だが、この仮想世界にいる誰もが、そんな涙すらあざ笑う。


 皮肉にも、「もう一つの地球」は確かにここにあった

 ――人類が繰り返してきた愚かさを映す鏡として。


ここまでお読み頂きありがとうございます。黎明期のMMOの混沌をモデルとしたVRMMOモノです。最悪の民度から繰り出されるトンデモ展開をお楽しみください。次から本編となります。

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― 新着の感想 ―
他サイトにも連載しているならサイト名載せておいた方がいいと思います。たぶん。
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