五十三.心は暖かく
ひとり工房に残った泰輝は、川津に今日の出来事をどう見ているのか訊ねると、彼は「へき地住まいの工匠ゆえ世情には疎いのですけれども」としつつ、ゆっくりと見解を述べる。
「今後を楽観はできなくなった、というのが正直なところですよ。白華にいた頃でもあのような危険は過去のものである、という認識でありましたが、今日の如き騒ぎに当事者として関わった以上それにはどこかで偽りがある、と考えざるを得ません」
「どうにも合点がいきませぬな。彼の地は不二に何がしたいのか、それがしには憶測すら浮かびませぬ」
「そうですな……ですが、宇野殿もお嬢さんからお話を聞かされていたはずでは?」
無言で頷く。レディの言う通り、白華の振る舞いが信用に値しないのは紅城を出立して以降何度となく思い知らされていた。
「君臨すれども統治せず、と言えば聞こえは良い……されども、各地の合戦に手出しをせず傍観に徹し、黒荘や喜央斎の暗躍にも目をつむり、茶渡以北の地が壊滅していることすらひた隠しでは……早晩行き詰まるのは明白であろうに」
どれをとっても軽視できるものではない。挙句、彼らとしては体よく利用している格好となっている天海にすら疑念を抱かれ、レディが紅城に降り立ったことを考えると無責任という言葉すら生ぬるく感じられる。
ひと通りの疑念を聞いた川津はややうつむきつつ口を開いた。
「……これは推測でありますが、白華のご当主は何らかの事情で身動きが取れぬのではないかと」
「ほう……?」
泰輝は目に興味を宿らせ、同時に閉ざしていた思考を外へとつなげる。
「……お嬢さんに似た方を見たことは以前にも話しましたな」
「確かに、我らもそれが天海の人間であり……白華の当主である伶様であられると想像をしておりましたが、何か?」
「私がご尊顔を拝したとき……あの御方の髪はごく普通の黒髪でありまして」
「……まさか」
息を呑んだ。伶がレディと同じように天海から遣わされた存在だとすれば、ごく単純な認識として伶もまた七色の髪をしていると最初に思い浮かぶだろう。もちろん、全てが同じとは限らないだろうし、不二と天海の時間経過に齟齬がある以上ナナイロの扱い方についても求められる水準に差があっても不思議ではない。
ただ、先刻の騒動で義娘の髪色が完全に戻り切ることなく一部が黒のままになってしまったことを踏まえるならば、白華の行動についての認識を大幅に修正する必要が生じる。
泰輝は「川津殿も桐乃さんの側にいるべきでありましょう。話はまた後日に」として工房から辞し、借家へと戻った。
座敷で横になっていたレディは泰輝の姿を見るなり苦しげな表情で体を起こす。
「……無理をするな。話はいつでも出来る」
「そっちの方が無理です……黙っていろと言われて黙るような話ではありません」
語気が強い。この十日ほどレディにとっては精神的に追い詰められる出来事が立て続けに起きていて、彼女自身も自己の変革を求め一歩成長を遂げようとしていた矢先にまたひとつ不審点が投げつけられたのだから、怒り心頭になるのも当然だった。
泰輝としてもそうなるのを織り込んだうえで、川津の話を義娘にも聞かせていたのだが、工房を出た直後につなげた思考を彼女の方から一方的に遮断されていた。怒りの度合いを測り損ねていたと言わざるを得ない。
「正直な話、もう我慢の限界を超えています。仮に白華の家中が送られていた使者を利用し尽くした末に、形だけの当主に据えているとしたら……!」
「落ち着け! そのような邪推をするなどお前らしくもない」
「では、泰輝さまはどうお考えなのですか? 現状がまともなものに見えているのですか?」
「百聞は一見にしかず、だ」
怒りに任せて問い詰めてくるのを一言で切り捨てる。
「無論、現状については俺も納得できぬ……だが、伝聞は伝聞でしかない。細かな情報の積み重ねでお前のような想像に至るのも当然であろうが、それの真偽は白華へ赴くまで、家中の様子を見るまでは判じられまい?」
「それは……」
「最初はどうかと思っておったが、白華に直行しなかったお前の判断は正解であったな。まだまだ俺たちが知るべき事柄は多い……陽向よ、そなたもそう思わぬか?」
「泰輝様の申されるとおりでしょう」
台所から出てきたばかりの陽向は苦笑いを浮かべていた。言いたかった言葉を先に出されてしまった、というのが表情から伺える。
「少し心配が行き過ぎよ、レディ。仮にあなたの想像が全て正しかったとして、伶様がそのような仕打ちをただ受け入れているとも思えないわね」
「そうでしょうか?」
「わたくしには『あなたのお姉様』がそれほど無知無能だとは、とても思えません。安全策のひとつくらい立てたうえで当主を担っているのではありませぬか?」
わたくし達もこれまでの旅路であなたを見守り続けてきたのですからね、と言葉を締めるとレディの方も深呼吸をして感情を静め「ごめんなさい」と二人に謝った。
「……ちょっとむきになってました。今日は無理せずに休んでいますね」
「それが良い。今夜はおいしい飯でも食べてさっさと寝るぞ二人とも」
「あら、そのような準備などしておりませんけれど?」
「陽向の作る温かい飯が不味いはずもあるまい」
「泰輝さまもおだて上手になりましたね」
お互いに笑い合った三人は久しぶりに団らんの時を過ごし、疲れた体をゆっくりと休める。




