五十二.手をつないで
泥の消滅を見定めたレディは立っていられずに膝から崩れ落ち、慌てて駆け寄ってきた陽向がその身体を抱き上げる。髪の色は元の七色を完全に取り戻せず、生え際の一部にそれまでは一度も見られていない黒が見えていた。
「あなたという子は、また無茶を……!」
「ごめんなさい……義母上さま。けど、こうしていられることを今は喜びたいです」
「……愚かというのにも程があります。親不孝を繰り返してばかりで、少しも安心できぬではないですか」
言いつつも陽向は抱きしめている腕に力を込め、もう離さぬとばかりに義娘の心を慮る。レディも反論せず義母のぬくもりを感じながら目を閉じた。
その傍らで川津が呪縛から解放された弟子を介抱している。拘束されていた時と比較すれば顔色はよく見えるが、衰弱していることに変わりはなく安心できる状態とは言えない。
「……北上殿、ひとまず礼を述べさせて頂く。やり方に納得は致しかねるが、貴方様のおかげで二人の娘たちは救われた」
「最初から深入りするつもりは無かったからな。対応が遅かったことを謝るつもりはない……が、このまま去っては酷い風評が立ちかねん」
「あくまでも自分優先でございますか……」
川津は付き合いきれないとばかりに大きなため息を吐き、泰輝にその場を任せて桐乃を彼女の部屋へと運んでいき、任された方は表情を固くして泥狩の男に視線を向けた。
「なるほど、蒼司や他家の者が手を出さぬわけだ。そのような立ち振る舞いでは忠誠などろくに期待できぬであろうからな」
「……俺とて、好き好んで無関心不干渉をしている訳ではない。ただ、目的を果たすまではなるべく目立たぬままでありたかった」
「先程の『空刃』はそのための切り札、ってところですかね?」
レディの問いかけに防人は何も言わず背中を向けた。
「去るのならそれはそれで構いませんけど、あと一つだけ答えてくれませんか?」
「何か?」
「茶渡は既に滅びているのではありませんか?」
その問に防人は足を止め、泰輝と陽向は義娘に視線を向ける。
「なんだと……!」
「レディ……あなたは」
「泰輝さまはともかく、陽向さまはかつて隠密行動をされていたときに不自然だと思ってはいませんでしたか? 茶渡から北の動向が全くうかがえないことに」
話を振られた陽向は「あなたこそ、先に気づいておきながら黙っていたのではありませぬか?」とやや怒気を含めて問い返し、やり取りを聞いた泰輝は先日の話を思い出していた。
「想定外、未知数……天海に情報が伝わっていない、我々に教えられるようなことが何ひとつなかったから、か?」
「はい……」
「お二方には申し訳ないが、必ずしも全てがそこの娘の責任ではない……茶渡以北の情勢はお察しの通りだ」
「防人殿は……それで良いのか?」
相手は背を向けたまま「他の回答を持たぬからな」と素っ気なく答え、今度こそ工房から退去していった。
残された三人は外から響いてくる擬胴の足音を聞きながら言葉を交わす。
「レディ、このところ聞き慣れぬ言葉を聞くことが多すぎるのだが、そなたはそれを良しと思うのか?」
「……迷ってはいました。不二と天海では時の流れが一致していないのは何度もお話しした通りで……私が知っている情勢は時間加速前の起点から推定される事象に……白華から奏上された情報を加味して組み立てられたもの……今となっては八割がた出鱈目としか言えない代物でしたから」
顔を歪め、何度も言葉に詰まりながらも最後まで見解と懺悔を言い終えたレディに、陽向は「よく言えましたね」と軽く頬を撫でた。
「陽向さま……?」
「不思議そうな顔をしないの。黙っていたというのであれば、わたくしも同じようなものです」
「それは話がまた別であろう? 前々から隠密として動いていたからには、俺相手であったとしても紅城の不利となり得ることを己から切り出すはずもあるまい」
そう言い二人をなだめた泰輝であったが、自身の心中も複雑に折れ曲がっている。二人が知っていても事が起こるまで話題にしないのは今に始まったことでもなく、またそれぞれに言えない明確な理由を抱えているのも理解はしていた。
だが、不満がないわけでもない。
「憶測であることは承知のうえで敢えて言うが、そなたたちは必要以上に俺を惑わせたくないと思っているのであろう? まぁ……俺自身も戦場以外で頭を使うのは苦手だとは思うがな」
自嘲する。旅立つ前にも主君定紀から「頭を使うな、とは言わぬがお前は要らぬことばかり考え過ぎる」と苦笑いされながら激励されていて、大局を見て軍略を用いるような智謀など元より期待されてはいなかった。
「しかし、だ。そうして何も知らぬまま戦い続けろというのは、もっとも重大な局面で判断の誤りを招きかねぬ」
「それは……」
「……ないとは言えませんね。現に防人さんへの対応に関しては、二転三転しているのがわたしにも伝わってきてました」
その都度、考えが彼女の思い描いていたものより良い方向へ、泰輝自身が修正していたので逆に言い出しにくくて、とレディは小さな声で語る。
「結果としては杞憂でしたけど流石は義父上さま。日々の短い散歩程度の緩やかさながらも将帥としての度量を身につけてきてますね」
「お前に言われると、どうも素直には受け止められぬのだが」
「良いではありませぬか。この子が何の含みもなく喜んでいるのですよ」
もう少し言葉を穏やかに選べるのならより良いですけれど、と注文をつけつつも表情を緩める陽向の姿勢に泰輝もつられて笑みを浮かべてしまった。自身としても悪い気はしていないが、もう少し威厳ある態度を示しておかねば格好がつかないとも思う。
話がひと区切りとなったところで桐乃を寝かしつけてきた川津が戻ってきた。その場に防人がいないことに対し「どうにもやりにくい方でしたな」と短く評したあと、泰輝たちに謝意を述べる。
「此度は成り行きとはいえ、危ういところを゙助けていただきまして、感謝の言葉も見つかりませぬ」
「いや、あなた様の大切な工房で騒ぎを起こし、あまつさえお弟子様を巻き添えに……」
「お気になさらず。あのような危険なものが転がりこんでくる事など予測不能ですからな……我が弟子の命をもお救いして頂けたのなら、不満などあろうはずもありませぬよ」
ご依頼に関しましては私の責任において改めて全力を尽くす所存にございます、と深々と一礼し、それを聞いたレディは陽向に膝枕されていた頭を上げた。
「桐乃さんがあの様子ですから、わたしも何かしらお手伝いをしたいところですけれど……」
「申し出は承りましたが、お嬢さんも少し体を労った方が良い」
ご両親の言う通り、あのように無茶を繰り返してばかりでは孝行どころの話ではない。という工匠の言葉に少女も素直にうなずく。
「では、私たちは先に借家へ戻りますわね……レディ、立てる?」
「陽向さまの背中が良い……と言いたいですけど、帰り道に手をつないで歩けるのならそっちの方が良いです」
「今に始まったことでもないですけれど、あなたは甘え方が下手すぎます。第一希望があるのなら前置きせず口にしなさい」
陽向はレディの手を取り、つないだまま借家へと戻っていった。




