三十六.芽生える意識
太陽が東から昇る頃になり、それまでずっと眠っていたレディが目を覚ます。両脇には泰輝と陽向が揃って静かな寝息を立てていた。
「見守って……くれてたんだ……」
ぼんやりとつぶやく。意識を手放す前のことははっきりと覚えていない。やられる寸前の危機的状況を辛うじて見逃してもらえたところで、彼女の幼い意識は臨界を超えていた。
「私……また、役に立てなかった……かな……?」
レディが天海から不二に降り立ってから間もなく半年を迎える。その間、出立前には知る由もない混沌とした状況に振り回されるばかりであった。
降り立つ先として紅城を選んだのは気まぐれではなく生み出されたされたときから指示されていた事である。天海との接触を認められていた白華に不審な動きが目立つため、単に訪れただけでは真相に近づけないと判断されてのことだった。実際、紅城に降り受け入れ先として目を付けた泰輝と接触した時には、白華にのみ所有を認めたはずの真胴が遠く離れた紅城と蒼司にまで普及が進められており、それどころか伝達されていないはずの光を扱う技術が簡易的ではあったものの合戦に用いられている状況に、彼女は最初から頭を抱えることになる。
「白華が信用出来ないということは、教えられていた通りだった……でも、それ以外にもおかしな話がたくさんあった」
最たる例が黒荘の存在であった。過渡期の技術であり、既に捨て去ったはずの「報黒」をはじめとする外法を操る集団など、不二を預かる者として白華が最優先に討伐していなければならないはずである。ところが白華の臣下に接触してみれば、彼はそれを取り締まるどころか黙認し見逃した。白華の約束違反は明確であり、この時点で彼女の方針は大きな軌道修正を余儀なくされる。
「これ以上の真胴技術の発展を抑制させる、そのための象徴としてナナイロを用いるようにと申し付けられていたけれど、もうそれだけで終わらせられない……黒荘を排除して外法の普及を阻止しないと不二が滅んでしまいかねない」
この世に二つとない地であるからこそ不二という名がついたのであり、その不二の滅亡は天海の滅亡と同じ意味である。不二を構成した七素を濫用する外法が広まればそれだけで危機を招きかねなかった。
七素を操る技術としては最先端にあたる「ナナイロ記述式」の一部権限を与えられた「レディ」の一人として、不二の平定を果たす。そう決意したまでは良かったのだが現実は非情であった。七素を飲み込む黒の力に彼女のナナイロは無残にも切り裂かれ、黒荘と同じように独自の技術を発展させた在野の技術者の温情に救われる体たらくである。
「何やってるんだろ……ナナイロも上手く扱えないで、一人前に『レディ』なんて名乗れない……よ」
うつむき、それまでは頑なに表に出してこなかった素の自分が出ていることに気づき、修正しようとして止めた。いかなる時も、人を愛し人に愛される存在であれと造られた彼女は相対している人に怒りや哀しみを与えることに耐えられない。それが敵対する存在であったとしても、最低の節度だけは保ち続けてきた。それが無駄な努力であることはすぐに理解できたものの、人並みより真面目な彼女は律儀にその定義を墨守している。
しかし、それは自分でも気づかないうちに少しづつ変わっていっていた。
「泰輝さまも……陽向さまも……私を守ってくれてる……本当なら、こんなことをしなくても紅城で暮らせていたのかもしれないのに……」
それが無意味な仮定なのは百も承知である。彼女があのとき降り立たなければ泰輝は間違いなく討死を選んでいたであろうし、陽向を始めとして紅城家中の人々も主君の定紀に殉じていたに違いない。自分の行いで彼らが命を長らえることになった一方で、戦いに勝てていたであろうはずの蒼司は主君を失い真胴者として勇名を馳せた地井直騎は黒荘に惑わされ道を外れてしまった。
誰かを生かせば誰かが失われる。戦場の掟と言えばそれまでだが、度重なる戦いで人を愛し愛されるという定義は傷つき崩され、適応できなくなっていた。
それでも、彼女は俯いていた顔を上げ傍らを見る。今は自分が駄目であっても、共にいてくれる人たちがいるのだ。使命を果たすためと勝手に選んだ人間であったが、今は自分の支えとなっている。
「泰輝さま……陽向さま……私はくじけません。不二を、みんなで生きる場所を守ってみせます……『レディ』じゃなくても……『父上』と『母上』の『娘』として……立派に生きていきます!」
そう誓う。天海の使者という肩書に頼らない「自我」が芽生え始めたことに本人はまだ気がついていない。ただ、二人が目覚めた時に元気な姿を見せられるように、とそれだけを心に留めて彼女はそっと動き出した。
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