極限状況における、人の行動について考える。
日本人とは何か?
それを知るには、戦争のやり方を語るのが一番手っ取り早いとは、故司馬遼太郎先生のお言葉でした。
実際、極限状況下でこそ、その人となりや民族性が露わになりますが、それを脳科学の観点から考察してみました。
福田村事件を知ってますか?
福田村事件を題材とした映画が公開されます。
実は私も、この映画の情報に接するまで、福田村事件を知りませんでした。
それもそのはず、この事件はタブー視され、半ば封印されていたらです。
私はこの福田村事件から、人間の持つ狂気や異常性について、色々な観点から考察を試みようと思いました。
まず、事件の概要です。
1923年9月1日に関東地方を襲った未曾有の大災害、いわゆる関東大震災が発生しました。
最大震度は7と推定され、犠牲者の大半は地震ではなく、その後に発生した大火災によるものとされました。
ちなみに、これを教訓に都市整備が進められ、今もまだ完成はしていませんが、その時に作られた計画をベースにしているんですから、まさに100年後を見据えた政策なんだろうと思います。
問題は、大震災の発生したその後に起きました。
不逞朝鮮人が井戸に毒を蒔いたと、そんな噂が流れました。
各地で自警団が組織され、不逞朝鮮人狩りが起きました。
そして、震災の犠牲者の約1%が、この虐殺によって出たとされました。
どうしてそんな噂が流れたかと言えば、簡単に言えば日本人にどこか後ろめたいことや不安心理があったと推測されます。
この震災の前に起きた、三.一運動と共産主義運動による影響と考えます。
つまり、チョンと呼んで蔑んでいた朝鮮人が、ついに牙をむくと恐れたのです。
だったら、やられる前にやると、そうして起きたのが不逞朝鮮人狩りになりますが、その一方で、日本人もまた虐殺されました。
事件が起きたのは、震災から5日目の9月6日の昼頃になります。
場所は千葉県福田村。現在の野田市になります。
被害者は香川県からこの地にやってきた15人の行商人の集団であり、事件の発端は、些細な事でした。
福田村を通過しようとした行商人を引き留めようとしたら、言葉がまったく通じず、怪しいので警察に通報しようとしました。
自警団約200人は、この行商人を取り囲み、どんどん興奮してきました。
この騒ぎを聞きつけてやってきた福田村村長や駐在所の巡査も、この人たちは日本人ではないかと自警団を鎮静化しようとしましたが聞かず、巡査が警察署に確認の為にこの場を離れてから、事件が起きました。
自警団はパニックに陥り、手に持った道具を武器に、この行商人の集団に襲い掛かりました。
殺害されたのは9人であり、その遺体は川に投げ捨てられました。
その中の4人は、とてもではありませんが何かしでかすような人ではありませんでした。
妊婦と2歳、4歳、6歳の児童も襲われて殺害され、川に投げ捨てられたのです。
2歳の幼児が何かするのだろうか?
彼らは2歳の幼児が怖くてやったのではなく、その場の空気に呑まれ、妊婦すらも惨殺したのです。
直接手を下した加害者によると、加害者は刀を所持しており、刀を持ってきた者は何をしていると周囲にけしかけられ、凶行に及んだと証言しています。
典型的な群集心理と集団極性化現象、そして極度の興奮状態で起きた悲劇でしょう。
2歳の幼児をその手に掛けても興奮は収まらず、残りの6人を殺そうとしたところで警察署の幹部がやってきて、自警団の暴走を止めました。
事件の詳しいことは、様々な資料があるのでそちらを閲覧してください。
私はこの事件を過去に起きた事件、あの時代の空気のせいとか、そういったことにしてはいけないと思います。
何故なら、こういった事件は今でもあり、そして関係者はすぐに隠ぺいしますから。
分かりやすい例ですと、いじめがそうです。
いじめの被害を訴えても取り合ってもらえないどころか、加害者に知らせていじめを煽るといった行為をします。
その内容の凄惨さは常軌を逸していて、とても子供は無邪気とは言えません。
しかしその一方で、例えば女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人は、少年院に収容されていた際に、周囲からそんな人間とは思われず、意外に優しい人柄との報告もあります。
状況がその人を作るように、ある場面は善人だけど、ある場面では2歳の幼児を狂ったように刀で刺し殺すようなことが出来るのです。
これを証明した実験が、アドルフ・アイヒマン効果実験、通称ミルグラム実験になります。
そして日本人は、権威に弱い反面、弱い立場にはびっくりするぐらいの残酷さを見せます。
これは脳科学の観点からも、分かってきています。
日本人は欧米人どころか、他のアジア人に比べてセロトニンが少なく、大半の日本人がセロトニン不足と言われています。
その原因は、セロトニントランスポーターにあります。
このセロトニントランスポーターは、使い終わったセロトニンを回収して再利用を図るそうですが、日本人の脳には、これが決定的に不足しています。
そしてセロトニンは不安を解消しますが、セロトニントランスポーターが少ない日本人はどうしても鬱になり易い傾向にあります。
不安を解消したくても、出来ない訳ですから。
日本人に自殺が多いのも、このセロトニン不足が原因の一つと言われています。
しかも、セロトニン不足は理性を失わせ、不安症になりやすい反面、その状態から脱却しようとより暴力的になります。
特に群集心理は興奮物質であるドーパミンの分泌を促し、しかもそのドーパミンを抑制するセロトニンが不足しているゆえに、人は理性を簡単に失います。
おまけに人を暴力で支配しようとすると、脳内麻薬であるエンドルフィンが分泌され、とてもいい気分になります。
モルヒネなんか水と言えるぐらいの、そんな快感を与えてくれるのが、このエンドルフィンです。
どうして、こうなったのか?
関東大震災による、帝都壊滅。
不逞朝鮮人による、国民の不安と恐怖。
自警団を組織し、集団化することによる、異常な興奮状態。
言葉が通じない余所者の存在。
群衆による監視の目。
集団による個人の埋没化。
個人の埋没化の解消による、エスカレートした暴力。
こうして、人は暴走しました。
興奮した人は暴走すると正常な判断能力を失い、理性を失った人々は躊躇いもなく2歳の幼児を殺害し、川に投げ捨てたのです。何の疑問も抱かずに。いや、抱くような能力は、一切ありませんでした。
むしろ、自分がどれだけ残酷で、残虐なことを出来るかのアピールの場にすらなっているのです。
いじめの被害者が、一旦いじめの加害者に回った時の残酷さは、このアピールの為と言われています。
俺って、やるでしょうと。
そして残った者も、殺して川に投げ捨てようとしたのです。
別に証拠隠滅しようと言う発想はなく、もしかしたら声高に宣伝したかもしれません。
俺たちが、不逞朝鮮人を殺った。俺たちが、村を守ったんだと。
中学生が寝ているホームレスを焼き殺すと言う、凄惨な事件がありましたが、検挙と言うか補導された中学生は、警察署でこう証言したそうです。
「表彰されるんですよね?」
「金一封貰えるんですよね?」と。
悪びれた様子はなく、生意気なホームレスを焼き殺した、いや、正義を執行したという、高揚感すらあったのかもしれません。
この中学生たちが、その後どうなったのだろうか?
罪の意識に苛まれているのなら、まだいいと思います。
アドルフ・アイヒマン効果実験の被験者たちも、実験後にPTSDを発症し、己の内にある悪魔に苦しんだそうです。
彼らは、この実験さえなければ、己の内なる悪魔に気が付かなかったでしょう。
この福田村事件も同じです。
彼らは善良な村人であり、悪党でもなければ活動家でもありません。
カルト教の熱狂的な信者ですらなく、ただ純粋に村を守ろうとした結果、2歳の幼児を殺害してしまったのです。
つまり、ただの素人にこういったことを任せた、あるいは委ねた結果と言えます。
数々のいじめ事件でも、周囲の目やはやし立てる者の有無が、そのいじめ行為をエスカレートするかどうかの瀬戸際になります。
みんなが見ている、みんなが監視している。
どうしよう、俺はどうしたらいい?
そうか、こいつらを殺ればいいのか。
そうだ、どうせ不逞朝鮮人だ。
こいつらを殺せば、俺は村の英雄だ。
その不安と高揚が、彼らをして凶行に及んだ理由と、私は思います。
この事件は決して過去の事ではなく、今でもすぐ近くで起きる、普通のことであると認識しないといけません。
2歳の幼児を殺して川に投げ捨て、俺たちはやったんだ!と万歳する人たちを、称賛出来るなら話は別でしょうけど。
福田村事件関連年表
1917年
ロシア革命
1919年1月18日~6月28日
ヴェルサイユ会議
1919年3月1日
三・一運動
1922年
日本共産党、コミュンテルンにより承認
1923年9月1日
関東大震災
9月6日
福田村事件