第26話
第弐六話 魔城の医師
カイルは、焼け焦げた羽とボロボロの環が特徴的なギルニアの後ろをとぼとぼと歩いていた。
ギルニアは特にカイルに話すそぶりはない。魔城の各所の説明を手早く行うと次の目的地までサッと行ってしまう。それに子ガモのようにただついていくだけのカイルは、ぼんやりしていた。
「カイル様、聞いておられますか?」
「え、あ、はい。すいません、ギルニアさん。」
「ここはDr.ストレンジラブの医務室です。あとで必ず立ち寄ってください。」
「わかりました。」
「ここで一通り魔城の要所は見て回りましたので、またわからないことがあればお呼びつけください。それと、私を呼ぶときの敬称は不要です。人間族の風習はここでは不要だと思ってください。」
「わかりました。ギルニア。いろいろ説明していただいてありがとうございます。とりあえず、Dr.ストレンジラブの診察を受けてこようと思います。」
「かしこまりました。彼女はかなり…なんというか、すごいので、びっくりされないように。」
「はぁ。わかりました。」
「それでは、私は仕事がありますので失礼します。」
そういうと、ギルニアはフッと姿を消した。
ギルニアが姿を消したあと、カイルはDr.ストレンジラブの医務室の前に立った。
コンコンとノックをしてドアノブに手をかけようとした時だった。
「カイル様ぁあぁぁぁ!」
扉が急に開き、カイルがドアにぶつかったこともお構いなしに強引に扉は開かれ、カイルは吹き飛んだ。
床に尻もちをつき、頭を振るカイルに気づき、ストレンジラブは、その豊満な体を近づけカイルをお姫様抱っこすると医務室に連れ、白いベッドに寝かせた。
カイルの顔を覗き込みながらストレンジラブが言った。
「申し訳ございませんでしたぁ。私としたことが興奮して興奮して、今か今かと待っていたのですぅ。」
つぎはぎだらけだが綺麗な顔立ちから発せられるなんとも甘ったるい声は、レーティアにはまるで似ていなかった。
「あの…。なぜ僕を待っていたんですか。」
「それわぁ…。私の大事な大事な患者様だからですぅ。一緒にどこが悪いのか診ていきましょうねぇ。」
「はぁ。」
カイルが呆気にとられていると、ストレンジラブは続けた。
「まずわぁ。明らかにダメダメそうなメンタルから診察しましょうねぇ。最近何か辛いことでもありましたかぁ?」
「それは…。言いたくありません。」
「そうですかぁ。それじゃ勝手に見させてもらいますねぇ。」
そういうとストレンジラブはカイルの額に自分の額をあてた。
「『記憶の侵襲』」
そう唱えると、今までのカイルの記憶を読み取った。
カイルは頭の中を土足でしかもスパイクの靴で踏みつぶされた感覚に陥った。
「やめろ!」
身体を起こし拒絶したカイルが目にしたのは、大粒の涙をボロボロと流しているストレンジラブだった。
「カイル様ぁぁあ。なんと可哀そうなのぉ。辛かったし、苦しかったでしょうぉ。」
「どこまで見えたんだ?」
「ん?それは、カイル様の全部を見ましたよぉ?カイル様は特別なお方なんですねぇ。前世の記憶があるなんてとてもとても珍しいですぅ。」
「やめてくれ。前世のことは思い出したくないし、もう終わったんだ。その人生は。」
「私はそうは思いませんよぉ。カイル様を苦しめているのは、現世の記憶だけじゃなくて、前世で培われた辛くて苦しい日々の思い出だと思いますよぉ。私は医者ですぅ。患者のことは隅々まで知っておく必要があるんですぅ。カイル様にとって過去は捨てたいものなのでしょうけど、過去があるから今があるんですぅ。誰もそれを否定することはできないのですよぉ。」
「誰にも言わないでほしいんだ。僕が前世の記憶を持っていることは。いい思い出なら別に良かったのかもしれないけど。思い出したくない記憶だから。」
「かしこまりましたぁ。守秘義務ですねぇ。でもぉ、私以外には、魔王様も気づいていると思いますよぉ?あの方は人の心を読み解くのが得意ですからねぇ。」
カイルは少しびっくりした。自分が前世の記憶を持った転生者だからニブルスの興味は、そこから来ているのかもしれない。
「話は戻りますけどぉ、辛い過去を忘れる方法はないんですよねぇ。記憶を消す方法なら魔法でありますけどぉ。試しますかぁ?けど、人格が変わるわけじゃないのでぇ、今の状態が回復するわけじゃないんですぅ。やっても無駄でしょうねぇ。」
「前世の記憶だけ消す…。それもありかな。持っていても意味がないし、辛いことを思い出したくない。」
「わかりましたぁ。そういうなら前世の記憶だけ消してみましょうぉ。」
そういうと、額をあてたストレンジラブが唱えた。
「『記憶の消去』」
カイルの記憶の深い部分、前世の記憶を取り除こうとした時だった。
「んー。これはまずいですねぇ。消去したら私死んじゃうかもぉ。」
「どういうこと?」
「前世の記憶にとてつもないプロテクトがかかってて並大抵の魔力じゃ壊せないのですぅ。無理に消去しようとしたら術者に反動が来るようになっているので、消去は不可能ですぅ。お役に立てなくて申し訳ないのですぅ。」
「なんで前世の記憶に縛り付けるようなことをするんだ?」
「それはわからないですが、結局は向き合っていくしかないのすよぉ。辛いことや苦しいことは慢性的に続くと死んでいることと同義に近づくんですよぉ。死んだら楽になるんじゃないかとか、辛いことから逃げたいとで、死に近づくんです。カイル様のその苦悩や苦痛は死に至る病なのですぅ。」
「死に至る病…。」
「病魔に侵されて臓器不全で死ぬことや、身体が外傷で傷ついて死ぬことだけが死じゃないんですぅ。生きながら生を実感できないことも、それを死と呼ぶのですよぉ。だから、私の見た、知らない世界でのカイル様はまさにその状態でしたぁ。何もなく、ただ呼吸し、生きていることに意味がない状態に陥ること、これはまさに生きながらにして死んでいるんですぅ。普通、生きていることに意味があるとかないとか考えないですからぁ。特にこの世界では、弱肉強食が理ですしぃ、弱いものはそんなこと考える間もなく死んでいますよぉ。」
「辛いことから逃げることはできないのは、わかっているんだ。でも…。」
「カイル様もやっぱり人間なんですねぇ。不安になったりするのは、確定していない未来を想像するからですよぉ。しょうがないじゃないですか、明日のことなんて考えったって。そんなことよりも今、この時点でどうしたいのか、どうするのかが重要なことだとはおもいませんかぁ?後悔も未来予想も現時点の自分には、何の影響も与えられないんですぅ。現時点の自分に影響を与えられるのは、現時点でカイル様を含めた周りの者だけです。」
「だから、ニブルスもストレンジラブも僕をどうにかしようと?」
「そうですねぇ。魔王様は興味という言葉を使っていましたが、私の場合は好意ですかねぇ。一目見たときから可愛くてしょうがありませんでしたぁ。」
「なんでなのか理解できないよ。」
「みんながみんなそうではないと思いますがぁ、カイル様を好いているんですよ。あって間もない人間の子として見ているわけではなくぅ、魔王様に似たものを感じ取っているんですぅ。だから好きっていうのも失礼ですがぁ、このようにお話できる機会があればもっと変わってくるじゃないですかぁ。」
「…そうだね。ありがとう。」
「あれぇ?早速心が柔らかくなってきましたかぁ?」
「なんとなく。一方的に興味や好意を持ってもらうことは嫌じゃないよ。」
「カイル様の傷ついた心が癒せるよう私もがんばるのですよぉ。じゃあ、ということで、今日は一緒に添い寝で寝ましょうかぁ。」
「それは、遠慮しておく。」
「つれないですねぇ。女の子に恥をかかせるのは良くないですぅ。」
カイルは見た目からは想像できない真面目な話の出来るストレンジラブに最初は驚いていたが、やはり見た目通りの不埒なやつだと思った。
「お薬は出しておきますからねぇ。ちゃんと飲んでくださいよぉ。」
「…。変なもの入れてないよね?」
「それはどうですかねぇ?ふふふ。惚れ薬とか入れときましょう。」
「それは、やめて。」
「冗談ですぅ。」




