兄弟
お父様とお母様は、公務のために城を出たらしい。らしい、というのはお世話係のメイドが言っていたからだ。どうやら忙しいようで、私が寝ている間に出て行ってしまったらしい。
私はと言えば、赤ん坊らしくただ寝て食べて泣いてを繰り返している。メイドの話し声が唯一の情報源だ。
どうやら二人は王都より南の地域に向かったようだ。いつもながら公務がお忙しそうとかなんとかいってたから、よくある仕事らしいけど。
少なくとも赤ん坊の間は何も出来ないし、早くお母様帰ってこないかな。
旅立ってから、多分六日ほど経ったと思うのだけど。寝て起きたら帰ってくるだろうか。
深夜の城内は静かになる。前の意識がある私は、心配されない程度には泣くけど、夜の間はよほどのことが無い限り泣かない。
だからこそ、世話係が少し席を外すこともある。
カチャリと扉が開く音がした。世話係の人が帰ってきたのかもしれない。寝かしつける仕事を増やすのも申し訳無いし、寝ているふりしておこう。今ちょっと眠くないけど。
とりあえず目を閉じておいたら、ベッドが少し振動で揺れた。お世話係の人が私を起こすような振動するとは思えないんだけどな……?
「ユズ兄、この子がアナスタシア様の?」
「ああ、間違いないだろう。アナスタシア様と同じ黒髪だ。……急ごう。あの人に見つかる前に」
聞こえてきたのは少年の声だ。え、と思って目を開ければ、視界に入ったのは儚げな美少年と、気の強そうな美少年がいた。何事だ。
「やべ、目が開いた。ユズ兄、防音結界は」
「張ってる。僕が触れている間は大丈夫だよ。だけど、頼むから泣かないでおくれ。さすがに妹が泣くのを見るのは、心苦しいんだ」
私を抱き上げた儚げな美少年は、混乱するこちらを余所に私を抱きかかえたまま歩き出す。え、この深夜にどこ行く気ですか少年。っていうか少年みたところ小学校低学年くらいでしょう。
身なりは良さそう……ってことは暗殺とか物騒な感じでは無さそうだし。にしても少年抱き方上手いな。
「ユズ兄、こっちに」
「ああ」
気の強そうな美少年が促す先は、部屋の戸棚だと思っていた場所が扉のように開いていた。え、今の扉の音ってこっちだったの? っていうかその戸棚隠し通路あったの?
「ライト」
先導する美少年が隠し通路で唱えると、十センチほどの明るい球体が通路を照らす。石畳の狭い通路だ。っていうかサラッと魔法使ったね、少年。
「僕はユズキ。前を歩くのはトキ。君の腹違いの兄にあたる。ユズ兄、トキ兄、って呼んでね」
私がじっと見ていたからか、私を抱っこしている少年が自己紹介をしてくれた。
なんと。私を誘拐しているのは、どうやら今世のお兄様らしいです。うん、なんで私兄に誘拐されてるの? 見たところ十歳来てるかどうか……? その割にはしっかりしてそうなのは、これが王族の教育というヤツだろうか。
私が誘拐されているのは全くもって意味不明だけど。
「赤ん坊である君には分からないだろうけど。俺が第三王妃の息子で第三王子、ユズ兄は第二王妃の息子で第二王子だ。あとはユズ兄と同じ親から生まれた、レオナルドって兄とメリアナって妹がいるんだけど……」
歯切れの悪そうなトキ兄は、一番上の兄と妹は苦手のようだ。そのわりには、第二第三と王妃が違うこの兄二人は仲良さそうなのだけど。
それにしても、この世界、定期的に日本を思わせる名前の人いるな。一番上がレオナルドで次がユズキ、その妹がメリアナって。落差が激しい。
「とりあえず、今はシャナを城から逃がさないと」
城から、逃がす……? 何から逃げなければならないのだろう。私は王女という立場のはずだ。だとしたら、城で守られるのが普通だと思うのだけど。
疑問に思っていれば、ユズ兄の綺麗な顔が辛そうなものになる。
「今回公務で出かけられた国王陛下とアナスタシア様が昏睡状態に陥ったと連絡があった。おそらく仕組んだのは宰相だろう。共犯だろう僕の母親がその間に君を亡き者にしようとしてたみたいだから、トキの伝手で協力を得た辺境伯のところに君を逃がすよ」
お父様と、お母様が……?
なんで。どうして。宰相が、王を、殺そうとした……? 城で評判を聞く限り、王の評判も、王妃の評判も良いものだった。それなのに……。
とりあえずお父様とお母様は無事なんですか!
「ぅあー!」
「大丈夫だよ、シャナ。国王陛下もアナスタシア様もご無事……とは言い難いけど、毒と呪いで昏睡状態らしい。でも、王国の騎士が保護したらしいから、しばらくは大丈夫。とりあえず、君を逃がしたら僕たちの方でもできる限り手を打っておく」
「子どもが打てる手なんてしれてるけどな。……悪いな、シャナ。頼り無い兄達で。だが、父様が倒れられた以上、この城でもうお前を守ってやれそうにない」
お父様とお母様が昏睡状態になっていても、私も何をしてあげることが出来ない。
でも、いいのだろうか。二人は、少なくともユズキさんは私を殺そうとしている人の息子として生まれたというのに。私に手を貸して。
「僕は、アナスタシア様に救われたからね。母親よりアナスタシア様の味方なんだ」
まるで心を読んだかのように、ユズキさんが笑う。
「それに、ずっと欲しかった妹なんだ。兄としては守らないと、だろ」
「妹欲しかったんだよなー……っと。もう少しゆっくり話してやりたいが……先を急ぐぞ、ユズ兄の体力が保たねぇ」
「魔法があるといっても、僕まだ子どもだからね」
「っていうか、そんな赤ん坊に説明してやってもわからねぇだろ、ユズ兄」
「そうかもしれないけど……。いや、確かに急がないとね」
わかってるんですよね、これが。
足早になったユズキさん……基ユズ兄とトキ兄が通路を駆けていく。どこを走っているのか良く分からない。
通路の出入り口も何カ所かあるのか、いくつかの分かれ道があったが、兄二人は把握しているのか迷うことなく進んでいった。
ふと、私を抱えていたユズ兄の足が止まる。
「ユズ兄?」
「……合流まで多少の時間がある。少し、寄り道するよ」
「寄り道ってこの先は……まさか、導きの間か?!」
導きの間? 何だろう。
「本当に卵があるなら、叔父上に渡すわけにはいかない。この子と一緒に外に出そう。幸いにも、僕らがこの道を知っているとは、思っていないはずだ」
「それもそうだが……」
「ほら、行くよ」
私を抱えたまま予定とは違う道に入っていくユズ兄に、慌ててトキ兄がふよふよ浮かぶライトを手に先導する。
導きの間、というのはなんだろう。それに、卵……?
変わらない石畳の通路を見ながら兄の腕の中で思考していれば、ふいに明かりが遠のいた。
目を瞬かせて視線を動かすと、通路は終わり、広い空間に出ていたようだ。
「あれが――神獣の卵」
広い広い空間。その中央にはぽつんと台が立てられていて、その上に乗るのは大きい石にしか見えない。
あれが、卵……?
「あれは、千年前、神獣と契約していた王が残したとされる神獣の卵」
「神獣を目覚めさせた王族は、良き王となり国を繁栄させる――なんて言い伝えがあるからな。連中がどういう手段を取るか知らないが、万が一連中に利用されないように、残しておくわけにはいかないか」
卵に近づいたトキ兄が、まだ小さな手でそれに触れる。
「石みたいだな……? 本当に卵か? これ」
「多分ね。……本物さえどこかに隠せればいいから、その辺からこの大きさの石を拾ってきて代わりを置いておこうか」
ユズ兄も卵に触れて首を傾げる。
色合いも石のようだし、見た感じ卵形の石にしか見えないよなぁ。
「俺だけじゃ持てないかもしれないしな。転がして入れ替えておくのが一番か」
「忘れないようにだけ気をつけないとね」
ああ、確かに。この見た目なら他の石に混じってしまえば分からないだろう。
よくよく目をこらせば、部屋の隅には卵と同じくらいの石がたくさん並べられていた。もしかしたら、こういう事態を想定しておかれていたのかもしれない。
「あー」
「シャナも気になるかい?」
みんな触ってるし、どうせなら私も触って見たいなと手を伸ばしていたら、気付いてくれたユズ兄が私を抱き直してくれる。
よし、これで手が届く。
小さな手で、ぺたりと触る。冷たくて、つるつるだ。本当に石みたい――あれ?
「う?」
卵が、暖かい……?
「っ! シャナ?」
「これは――――ッ!」
「あーぅっ」
視界が灼ける。目映いばかりの光に気付けば目を閉じていた。
「は、ははは……こんなことって」
トキ兄の声が聞こえる。そっと瞼を上げれば、見えたのは、薄らと輝いて見える青銀の毛並み。
「おおかみ……?」
ユズ兄の声に応えるように、金の瞳を覗かせたのは、大人の背丈を優に超える狼だった。