はじまり
暖かくて、安心できるどこかで、揺蕩う。
心地よい揺れと温もりに、いつまでも微睡んでいたい。
ああ、このまま、ずっと――――。
「シャナ、シャナ! 愛しい我が子、お願い、息をして!」
誰かが名前を呼んでいる。私の名前を呼んで、息をしてと。息を?
自覚して、すう、と息を吸い込めば、盛大に噎せた。ゲホゲホと咳き込んで、混乱するままに開いた口から零れたのは悲鳴にも似た赤ちゃんの泣き声だ。
どこかに赤ちゃんがいるのかと、疑問に思って視線を動かそうとして、体が動かないことに気付く。
「あぁ、良かった、愛しい子。私の愛しい、ジェイドとの子」
ぼんやりした視界の中で見えたのは、それは綺麗な黒髪をした、美女。
誰? という純粋な疑問は解消されることもなく。私の意識は落ちていった。
* * *
あの日、美女に抱かれて目が覚めた記憶から一月は経った。分かったのは、私があの美女の子どもに生まれ変わったと言うこと。
そう。生まれ変わったのだ。
私はただの大学生だった。いつもと変わらぬように生活して、帰ろうとバスに乗った。そう、本当にいつもと変わらないはずの日常を終えるはずだった。
なのに。
(……多分、あのときかなぁ)
バスからなんとなしに外を見ていた私が見たのは、赤信号なのに突っ込んでくるトラックと、運転席で眠る運転手の姿。
それが、最後の記憶。
(居眠り運転は控えめに言って滅びて欲しい)
死の瞬間というのは、なぜハッキリと見えてしまうのだろうか。思い出してしまった自身の最期にぶるりと体を震わせる。
前世となる記憶を思い返してからは、泣いて泣いて泣いて――――それはもういろんな医者を呼ばれるほど大泣きしてしまったそうなのだが、幸か不幸かその記憶はあまりない。
それでも泣いては寝てを繰り返して、ようやく記憶は落ち着いた。
心残りは山ほどある。家族のことも、友達のことも。いくらでも。だけど、それはもう叶わない。その折り合いは、少しだけこの一月でなんとか付けた。
「あら、シャナ。目が覚めているのね」
ひょい、と視界に入る美女の姿に思わず釘付けになる。黒い髪に黒い瞳。艶のある桜色の唇は小さい。世の女性に羨まれそうな、そんな彼女が今世の私の母親だ。
ううん、この顔の良さ。成長すれば私もこんな顔になるのだろうかと少し期待してしまうのは仕方ないだろう。
「あーうー」
発した声は意味をなさないが、それでも嬉しそうにお母さんが笑ってくれるのが嬉しい。
「シャナ、私の愛しい子」
優しい声で呼んでくれる名前は、何の因果か前世と同じ名前だ。確かにザ・日本人という名前では無かったから、この場所では馴染んでいるけれど。そう。この場所では。
「ああ、良い天気。見て、シャナ。あなたのお父様が治めるサルビア王国を。とても綺麗でしょう」
抱き上げられて、母の腕の中から見るのは、ゲームで見るような中世ヨーロッパのような城下の景色。空を飛ぶ鳥は色彩豊かでまず日本ではお目に掛からないもの。
……いや、トラ転で異世界転生までテンプレ辿らなくて良いと思うんだけど神様。
前世女子大生。今世は異世界でお姫様に転生したようです。
年単位で躊躇って、年越しの勢いで始めました。
冒険譚のはじまりです。